永劫階級
天国の象徴であった「巨大な蓮の蕾」が、地獄の黒い泥に染まり、弾け飛んだあの日。無惨は世界のソースコードを書き換えた。
「これからは、魂の価値を私が決める」
彼は、かつて自分を否定した「浄化(転生)」というサイクルを廃止した。代わりに導入されたのは、魂を磨耗させぬまま永劫に使い回す『永劫階級(エターナル・カースト)』。
天国の主であった天人、地獄の看守であった獄卒を、汚泥を汲み上げる最下層の「畜生」へと叩き落とし、自分と共に戦った地獄の亡者たちを、新たな神「鬼」としてその上に据えた。
死ぬことも、生まれ変わることも許されない。ただ、無惨という巨大な機構の一部として、永遠にその地位に固定される。それが、彼の求めた「完璧なる平穏」だった。
空は、かつての天国の青でも、地獄の赤でもない。無惨の瞳と同じ、淀んだ琥珀色に染まってから、二十年の月日が流れた。
不死川実弥は、重い瞼を開ける。
「兄ちゃん、お仕事?」
隣で眠そうに目をこする玄弥の姿がある。その光景だけを見れば、かつて彼が夢見た「家族の平穏」そのものだった。
「ああ。……大人しくしてろよ」
実弥は短く答え、日課である「泥の精錬作業」へ向かう。
街の至る所には、『心を燃やせ――主君のために』というスローガンが掲げられていた。かつて煉獄が叫んだ高潔な言葉は、今や「死ぬまで、いや死んだ後も労働の炎を絶やすな」という過酷なプロパガンダへと変質している。
実弥は、道端で泥まみれになりながら溝をさらう元・天人たちの姿を冷ややかに見下ろした。かつて雲の上で魂を裁いていた者たちが、今は家畜のように鳴いている。
(……これが、あんたの言った弱肉強食の結果かよ)
確かに、実弥たちは「勝者」だ。家族は飢えず、天国にいた頃よりも生を実感している。だが、無惨の機嫌一つで、この階級図は明日にでも反転するだろう。昨日の「功臣」が、今日の「バグ」として消される光景を、実弥はこの20年で何度も見てきた。
信用など微塵もない。だが、この歪な平和を壊す勇気も、今の実弥にはなかった。
街の最果て、管理の届かない暗い奈落の縁――第五層。
そこには、地位を捨てた煉獄や、働きすぎて精神を病んだ猗窩座、そして飽食の果てに姿を消した童磨が降りていったという。
真面目に働く者が馬鹿を見る、一貫性のない神の箱庭。
実弥は泥を掴む拳を強く握りしめる。
「……クソったれが」
琥珀色の空の下、世界は完全に「定着」していた。腐敗の臭いを放ちながら、崩壊へと向かう秒読みの音すら、誰の耳にも届かないほど深く。