無惨地獄革命記   作:みそそ

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崩壊

絶望に叫ぶ猗窩座の背後で、ずっと真顔だった童磨が、ようやくいつもの薄笑いを取り戻して口を開いた。その声は、感動の再会に水を差すほどに冷徹だった。

「あはは。落ち着きなよ猗窩座殿。彼女は死んでないし、消えてもいないよ」

 童磨は部屋の真っ白な壁を扇でなぞりながら、解説を続ける。

「いいかい? 魂が完全に浄化されたなら、彼女はここから消えて『転生』の輪に放り込まれるはずだ。でも彼女はここに留まっている。……彼女が気絶したのはね、君があまりに『劇薬』だったからだよ」

「……何を、言っている」

「ここは無の世界だ。音も、色も、葛藤も、変化も何もない。そんな場所で数千年も心を漂白されていた彼女にとって、君が持ち込んだ『再会の喜び』や『激しい悲しみ』は、あまりに強すぎる毒なんだ。君が現れたという刺激だけで脳が焼き切れるほど、この場所には『何もない』ってことさ」

 童磨は地面に落ちた猗窩座の涙を指で掬い、物珍しそうに眺めた。

「彼女は眠ることで、君という巨大な変化から自分を守ったんだ。……皮肉だねえ。愛する人を救いに来た君が、今の彼女にとっては世界を壊す破壊神と同じなんだから」

 猗窩座は、腕の中の恋雪をさらに強く抱きしめた。

 無惨の言う通りだった。天国は救済などではない。ただ、愛する人の名前すら「毒」に変えてしまうほどの、残酷な忘却の檻だったのだ。

「……連れて行くぞ。こんな、色のない場所には一秒だっておいておけない」

 猗窩座の瞳に、天国への殺意が宿る。それはもう無惨への忠誠ではなく、この理そのものを根絶やしにするための、一人の修羅の決意だった。

 

天界の最奥。そこには地獄の汚濁も、現世の喧騒も届かぬ、静謐すぎるほどの聖域があった。

 中心に鎮座するのは、白銀の光を放つ巨大な蓮の蕾。それこそが、現世から吸い上げられた魂から苦悩や絶望、罪という名の「泥」を濾過し、純粋な無へと還元する魂の浄化機――天界のメインサーバーであった。

 天人たちが祈るように守護するその光景を、無惨は吐き捨てるような薄笑いを浮かべて見つめていた。

「……反吐が出るな」

 無惨の瞳に宿る知性は、その美しさを「欺瞞」と断じる。

 この蓮が咲き続けるために、どれほどの個性が「不純物」として切り捨てられ、どれほどの生の実感が泥として打ち捨てられてきたか。天人たちが誇るその清浄さは、単に都合の悪い真実を視界から排除しただけの、臆病な逃避の結果に過ぎない。

「我らの足掻きを、汚れだと? 千年の執念を、消し去るべきバグだと宣うか」

 無惨は無自覚ながら、激しい不快感に突き動かされていた。

 自分が頂点に君臨する構造において、自分以外の価値観で「清浄」を定義する存在など、あってはならないのだ。この蓮の蕾が放つ、すべてを許し、すべてを無に帰そうとする傲慢な慈愛――それが、無惨という「個」の極致を否定している。

「獄長(医者)も、この装置も……結局は同じだ。自分たちに理解できぬエネルギーを、ただ『汚泥』として処理することで済ませようとする。その思慮の浅さ、救いようがないな」

 無惨の手が、白銀の蕾に触れる。

 その瞬間、彼の体内に眠る「青き彼岸花」のソースコードが逆流し、天界の最高機密である蓮の蕾、すなわち、浄化プログラムを内側から食い破った。

「壊れろ。魂の行き先を、機械仕掛けの花に委ねる時代は終わった」

 ――凄まじい亀裂の音が響く。

 白銀の光を放っていた蓮が、どす黒い「個」の情念に侵食され、内側から爆発するように砕け散った。

 

 浄化機を失った天界に、これまで切り捨てられてきた「数千年分の泥」が、行き場を失った黒い津波となって溢れ出す。

 悲鳴を上げる天人たち。その阿鼻叫喚を、無惨は瓦解する聖域の特等席で、この上なく満足げに眺めていた。

「これより、この世界を真に望ましい形に書き換えてやる。……恐怖と、階級と、そして終わりのない生が支配する、私の帝国にな」

 

砕け散った蓮の蕾から溢れ出したのは、数千年にわたって蓄積された「人間の業」そのものであった。

 それはどす黒い泥となって白銀の平原を侵食し、汚れを知らぬ天人たちの足元を掬う。

「あああ! 体が、心が汚れる! 助けてくれ、誰か!」

 パニックが伝染するのに、時間はかからなかった。

 変化を拒み、純粋培養されてきた天人たちにとって、この「泥」に含まれる悪意や後悔の感情は、あまりに強力な毒だった。発狂した天人が隣の者を突き飛ばし、聖なる杖を武器に変えて、かつての同胞に振り下ろす。

 

 混乱。叫喚。そして、疑心暗鬼。

 

「――お前たちだ! お前たちが不純物を招き入れたのか!」

「違う、私は潔白だ! 離せ、汚らわしい!」

 天国は瞬く間に、地獄よりも醜悪な同族嫌悪の戦場へと変貌した。その阿鼻叫喚の渦中へ、怒り狂った猗窩座が咆哮と共に突っ込む。

「恋雪を……恋雪から心を奪ったのは貴様らか! 壊れろ、塵も残さず壊れろッ!」

 猗窩座の『破壊殺』が爆発するたびに、混乱する天人たちが肉片となって宙を舞う。正義の番人だったはずの天兵さえも、自らの恐怖を抑えられず、秩序なき殺戮に加担し始めていた。

 だが、その血生臭い狂乱を、上空から一言の冷徹な声が制した。

「そこまでだ」

 無惨の声が響いた瞬間、天界を覆っていた黄金の糸が、物理的な重圧となって全生命を地面へ押し伏せた。

 

「……猗窩座、その程度にしろ。怒りに任せて駒を減らすな。見苦しいぞ」

 無惨は、泥にまみれ、お互いを殺し合っていた天人たちを、まるで家畜の群れを品定めするかのような目で見下ろした。

「天人ども。貴様らも、そしてこの『泥』に沈んだ者たちも、これからは私の帝国の礎となるのだ。貴重な労働力を、これ以上無駄に破壊するのは勿体ない」

 

「恐怖は理解したか? ならば次は、絶望を知れ。……私に従い、その身を削って私がこれから構築する帝国を維持せよ。それが、唯一お前たちに与えられた『生の価値』だ」

 かつての支配者が奴隷へ、楽園が帝国へと作り替えられた瞬間であった。

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