同じ頃、神奈川の港から出た船は沖へ進んでいた。この船はインドに向かう船になっている。しかしそれはあくまで航海日誌の上での話。
載せてる荷物も何に使うか分からない機械となっているが船の奥底では一人の少女を拉致監禁していた。その少女こそ、十六夜咲夜だった。
「それにしても、洒落た上玉が手に入ったものだな。黒曜石のチョーカーとはまた良い趣味してるぜ。」
ガハハと肥えた中国人監視員の王が声高に笑う。位は高いが美少女咲夜に惚れたが故に監視を一役買っている。肝心の彼女は檻の中で手枷をはめた上できつい睡眠薬で眠らせている。時間をかけてゆっくりとストックホルム症候群でこちらの側につけるのが王の目的なのだとか。
「それはボスのプレゼントだとさ。」
隣でぐいっとウィスキーを飲んでいるのはベトナム系アメリカ人のマークだ。酒豪であること以外は謎に包まれているが殺し、ビジネスでの腕は定かのようである。
「ボスも気に入ってるんだろうな。」
「違いない。しかし手元には置いておけない。忠義に反するだろう?」
「ははっ、忠義か。アメリカ人にしては面白いこと言うじゃねえか。」
「信頼の置ける部下は何にも代え難いからね。ビジネスにしても、この世界にしても。」
それではと小さなガラスのコップに氷を入れ、目の前で封を開けたウィスキーをとくとくと注ぐとそれを王に渡す。
「ありがとう。」
「いつものことさ。乾杯。」
「乾杯。」
グラスを交わして仰ぐようにお互い飲み干した。すると王は落花生のおつまみの封を開けた。そのとき、マークのスマートフォンがポケットの中で震え鳴った。マークはポケットの中から取り出すと立ち上がった。
「すまない、友達からだ。」
「友達?ビジネスに没頭するお前にもいたんだな。」
「アイツはそこらの情報屋の何十乗も違う。彼を巡ってあらゆる情報機関が目を見張ってる。」
「そんな特待生から来るとは、お前も隅には置けないな。」
「王、お前に比べても俺はただのよく喋る蟻だ。逆らう力もない。」
肩を竦めてマークは立ち上がるとふと咲夜の方を憂鬱な目で一瞥してトイレに向かった。
新聞を広げている男のそばでうっすらと意識を取り戻す。目は開けない方がいいかもしれない。目を覚ましたらまた首筋から薬品を注入される。取りあえず状況を整理しよう。今どこかは分からないけど手首の鉄の感触、首に巻いた覚えのない飾り、口のガムテープから察するに今軟禁されているのは定かだ。どうすることも出来ない。タネのない手品もどういうわけか不可能であった。今為すすべはない絶望的な状況であった。
少しずつ瞼を開く。ほの暗い鉄の壁が周囲を覆っている。監視員は一人、肥えた男だけだった。しかし前には中肉中背のサラリーマン風の男性がいたはずだから実質二人だ。確かあいぐおしゃと言ったかな、しかしそんなことはどうだって良い。どうにかして彼等を出し抜かないと駄目のようだ。
「やっと起きてくれたかな。」
重い体をゆらして一人の男が立ち上がる。目は完全にやらしいものだった。
「さて、何をしてもらおうかな…。そうだ、腹が減っているのだろう?もう飲まず食わずで一日経つだろうに。」
太った男は少しずつ咲夜に近づく。片手にはパンのような食料は見えるが寄越さないだろう。確実にやるつもりらしい。
「別に食わせてやっても構わないが、ちょっと付き合ってもらうぜ。」
男は顔をべったりと近づけて囁く。確かに空腹と言えば空腹だ。喉も渇いてきてる。別に餓死することはなさそうだが問題はこの豚のような男に屈服しなければいけないのかということだ。咲夜はここで初めて男を睨みつける。
「おぅおぅ、そういう目、嫌いじゃないぜ。お嬢ちゃん。」
ふご、ふごこと唸ることしか出来なかったがそれも彼の想定内なのだろう。
男の手は胸元に延びていく。しかし届くことは無く、力無く男は床に延びた。太った男の背中に立っていたのはあのサラリーマン風の男性だ。しかし服装はビジネススーツというにはあまりにも機能的な服装になっていた。手に注射器を持ってるあたり、この豚を眠らせたのは彼でいいのだろう。
「王、お前は信頼に欠ける人間だったな。」
サラリーマン風”だった”男は王と呼ばれる男のスーツを漁り鍵を盗み取ると注射器を投げ捨て咲夜の口に貼られていたガムテープをそっと剥がし、手枷を解くとペットボトルとパンを差し出した。
「こうしてまた眠らせるのですか?」
「俺はアンタの味方だ。睡眠薬はない。信じれるか?」
まだ救いはあった。でも元々この男は床にへばっている男と同じ連中だった、だから信用には欠ける。
しかし、助かるのであれば話は別だ。咲夜はパンにがっついた。男は嬉しそうに頬を緩ませると口を開いた。
「見たところ、どこかのメイドか?日本のアニメに通じる何かがあるみたいだが…」
「今話す必要はないのですっ!」
それもそうかと男が肩をすくめる傍らで水をそっと飲み干していく。
「それに、名乗るのはまず自分から、じゃないですか?」
「それもそうだな。ウィスキーでいい。」
ウィスキーと名乗った男はお前さんのだろとジュラルミンケースを開けた。中には咲夜の愛用品の投げナイフと鞘が入っていた。恐らく眠らされているときに奪われたものだろう。咲夜はすかさずそれを手に取り口を開いた。自分に武器を返すということは敵意は無くむしろ協力的であることを意味している。そうとなれば名乗らなければならない。
「咲夜です。」
「何だって?」
「私の名前です。十六夜咲夜。」
「イザヨイサクヤ…いい名前だな。」
するとウィスキーは手にしていたドイツの名門Hk(ヘッケラーコッホ)社製の名銃の一つのM416を構える。銃そのものが従来の突撃銃と比較しても銃身も短くなっていてコンパクトにまとめられているため、近接戦闘(CQC)向きになっている。装備もライトで有名なシュオファイア社が製造しているライト付きのバーティカルフォアグリップ、減音器、ドットサイトで近接戦闘仕様にフルカスタマイズされている。M416を指さして咲夜は問いかける。
「それは銃ですか?」
「あぁ、俺のお気に入りさ。ナイフだけじゃ心細いだろう?ほら、扱いは分かるな。」
ウィスキーはブラックホーク社のCQBホルスターの中に収まっていたUSPを咲夜に差し出す。これもまたドイツはHk社製でサプレッサーにフラッシュライトが積んであるカスタムモデルだ。
「火薬式のものなら問題はありません。」
咲夜はUSPを手に取るとマガジン内の装弾数、スライドを僅かに引いてプレスチェック(薬室に弾が装填されているか確認する動作。)を行う。自分でも分からないが体が扱いを覚えている。しかし今は脱出を優先すべきだ。このハンドガンを扱えるのは大いに役に立ちそうだ。
「予備の弾も渡しておこう。」
「ありがとうございます。あの男性はどうするのですか?」
「王か?檻に閉じこめる。」
咲夜とウィスキーは檻を出るとすぐさま鍵を閉めて爆睡する王を幽閉すると艦橋を目指した。
船の中は武装した船員が所狭しと配置されていた。端から見たらソマリアの海賊を彷彿とさせるだろう。咲夜とウィスキーの二人は曲がり角に身を隠しつつ次の先行のタイミングを見計らっていた。
「ふむ、ビジネススーツの方が良かったかな。そっちの方が嘘をつきやすい。」
「ではなぜ着替えたのですか?」
「覚悟が必要だったんでね。それと、仲間の為さ。」
ウィスキーはポケットからUSBメモリーを取り出す。咲夜はそもそもUSBを見るのは初めてだったので訝しげに見つめていた。
「何ですかこれ。」
「ここの団体の機密情報の詰め合わせさ。所謂Key Item。こいつが外の連中にバレたなら、愛国者全員の首が飛ぶ。」
あまり実感は湧かないが、それほど恐ろしいものなのだろう。
そういう風に考える間もなく一人の武装船員が足音を立てて接近してくる。自然とUSPとナイフを握る咲夜の拳に力が入る。
「前方から一人来ます。殺しますか?」
「なぁに、殺める必要はない。黙っててくれるだけで。」
するとウィスキーと船員の目と目が合う。先手を打ったのはマークだ。うなじを掴んで狭い船内廊下の壁に思いっきり船員の頭をぶつける。
船員は誰だとガイドラインに沿った行動を許されぬままに脳震盪で気を失い、手に握っていたMP5の短小化モデル、MP5Kを落とす。
「十分なのさ。」
ウィスキーは気を失った船員を手近にあったロッカーの中に隠した。しばらくは大丈夫だろう。