翌日、無骨なパイプにマットレスを敷いたベッドから身を起こす。洒落た白い枠の窓からは朝日が差し込む。日の昇る平日は一般社会人としての浦部正武の時間が始まる。浦部は階段を降りて顔を洗い、用を足しているその時。同居人の声が響きわたる。
「兄貴!まだ起きないのかい?目玉焼きが冷めちまうよ。」
自分のことを兄貴と呼んでくるのは弟ではなく弟分の
「今行く。」
水の流れる音と共にトイレから出てリビングに入る。リビングは中々の広さを持つが、鮮やかに装飾品が彩られているわけではなく、針時計がカチカチと時刻を進める殺風景なものであった。食卓には洋風な食事が並ぶ。細長いコッペパンを水平に2等分にしその間にレタスやサラミ、スライストマトを詰めたサブマリン・サンドイッチだ。
「そういや、昨日おかしな
碓氷が紅茶を淹れながらぽつりと呟いた。修理を頼んでくる客をお客様、裏仕事を負うときの依頼人はクライアントと住み分けを成しているため、浦部は耳を傾けた。
「内容は?」
「今日の依頼についてだったよ。」
碓氷はそのまま話したがそこで浦部は紅茶を片手に持ちその内容に耳を疑った。昨日の不気味な貴婦人から聞いたものと全く同じなのである。
「兄貴?どうしたんだい?」
「その話前に聞いたぞ…どんな人だ?」
碓氷は首を傾げて答えた。そもそも依頼人を承るのは碓氷の仕事であり、実行人の浦部が依頼人がどんな見た目をしているかを聞くなんてハレー彗星が来るレベルであり得ないと思っていたのだから。
「すげぇ別嬪さんだったよ。金髪で紫の洋服…貴婦人って言葉がぴったりだったよ。ありゃあフランス人のように見えたけど…まさか…な」
「まさかとは?」
「こっちの話だ。あ、時間じゃないのかい?」
濁らせた言葉に妙な違和感を覚え、碓氷の作ったサブマリン・サンドウイッチを食べきり浦部は勤務先の旅行代理店に出社した。
代理店での仕事はかなり単調でつまらないものであった。ノルマも余裕で超せるし国内外問わず旅先のホテルの経営者や現地のガイドとの交渉も容易く済ませる。その甲斐もあり、代理店店長のオファーがかかった時もあるがそれを裏の顔を持つ浦部はさも当然のように断っていて、仕方なく店長は彼を部長に昇格させるだけにとどめた。有給も溜まりに溜まって三ヶ月分ある。ブラック企業では成し得ない事だろう。
その代理店で働いているときも、あの昨夜の貴婦人の助言が頭をよぎる。
「積み荷と共に逃げよ、か…」
そう呟きながら書類に判子を押しつけていた。
仕事を終えるとタクシーを捕まえ、依頼人のいる海岸近くの倉庫群の手前に向かった。この依頼は誰にも知られてはいけないということなのだろう。
浦部はまだ寒さを持つ夜の潮風をスーツ越しに感じながら一つの倉庫の中に入っていった。中国語の書かれたコンテナが多いことからここは中国マフィアの所有する倉庫って事は一目瞭然だ。コンテナの山の間を抜けていった先では肥えたスーツの男が用心棒を従えて待っていた。
「よくぞこの依頼を受けてくれました。ささ、中に。」
男が導いていく先には4トントラックが置いてあった。これは契約で荷物がゴルフバッグや旅行用のバッグよりも大型のため、依頼人が用意したものだ。至って変わりはない。
浦部はその契約時に確認したとおり、着替えてジャケットにジーンズの私服になる。当然ジャケットの中にはショルダーホルスターも着用しており昔から愛用しているシルバーフレームの映えるイタリアのピエトロ・ベレッタ製の92FSを収めている。男から鍵を受け取りトラックに乗り込む。トラックの中には先日の貴婦人が言ったとおり、仮眠を取れる後部には桃色の日傘が寝ていて、ミラーにはドリームキャッチャーのトルコ石がその青さを周囲に知らしめていた。まさかと思いダッシュボードを開けるとそこには黄色の無線機があった。何故特定できた。ともかく、掃除屋ではなさそうだが思惑が見えない以上はどうすることも出来ない。
「…気味が悪い。」
そううそぶきなが、浦部は心の中で気合いを入れる。目的地は新潟の港、長旅ではあるがさほど苦ではない。深夜からの運転はよくあることだ。移動中に貰ったキーを差し、回すとエンジンが動き始める
「では、定刻通りにお願いしますね。」
「わかった。」
エンジンをふかして答えた浦部はふとを乗せた白塗りの4tトラックは福井へと向かって走り始めると同時にその後をセダンが二台尾行についた。
「契約と違うな…尾行付きか。」
疑うべきかと溜息を吐きながら直江港を目指した。
テコ入れ済み(2015・5・23)