機構人と乙女たち~日光湯西川女子高校機構人部~ 作:鴨サラダ
朝、六時。
目覚まし時計の針が設定時刻に到達するわずか数分前、私はいつものように正確に、そしてひどく無感動に意識を浮上させた。
カーテンの隙間から差し込む朝光はまだ弱く、栃木の山間特有の冷えた空気が部屋の隅々に澱(よど)んでいる。私は重い瞼をこじ開け、まずは思考を止めたまま洗濯機に衣類を放り込んだ。次に電気ポットのスイッチを入れる。お湯が沸くまでのわずか数分間。これが私の朝のルーチンだ。
肩にかかる程度の黒髪を指先で無意識に弄りながら、私はリビングのテレビを何とはなしに点けた。
《――政府は、国内の『機構人(きこうじん)』技術向上を目的とし、各高等学校への導入支援を加速させると発表しました。義務化に伴い、対応不備の学校は――》
「…………ふーん」
画面の向こう、清潔感だけが取り柄のようなキャスターが、どこか他人事のように熱っぽく語っている。
『機構人』。全高約六〜八メートルの人型大型機械兵器。かつては戦場の主役として畏怖されたその鋼鉄の巨人たちも、今や社会の歯車に組み込まれている。
私、沖田祐奈(おきた・ゆうな)にとっては、スマホの画面の中でパズルゲームの連鎖を組むよりも「遠い世界」の話でしかなかったけれど。
「おはよう、ユウちゃん。……あら、早いわね?」
背後から、叔母の沖田翔子…しょーこちゃんが起きてきた。
仕事用のスーツを着れば「女子高の校長兼理事」という肩書きが似合う彼女だが、寝起きの少し抜けた雰囲気の時は、ただの「しょーこちゃん」だ。
「ん。たまたま」
「もしかして、今日からの高校生活が楽しみすぎて眠れなかったのかしら?」
揶揄うように笑うしょーこちゃんの視線が、部屋のハンガーにかけられた新品のセーラー服に向く。
標準的なデザインだが、私はこっそりと裾を詰め、袖のボタンも付け替えてある。それはお洒落のためではなく、単に「規定通りの形」をそのまま受け入れるのが、生理的に窮屈だったからだ。
「……なワケないじゃん。ほんとに、たまたまだから」
「もう、またそんなこと言って。朝ご飯はパン? それともご飯?」
「……カレーがいい」
「朝から重いわね……。若さって怖いわ。私は見ているだけで胃もたれしそうだわ……」
「しょーこちゃんだって若いって。……見た目は」
「な・に・か・言ったかしらぁ?」
「……なんでもないよ、しょーこママ」
小さな毒を含んだ、いつもの朝のやり取り。
朝食を済ませ、先に出かけるしょーこちゃんを見送り、私は鏡の前で最後にもう一度襟を整えた。「行ってきます」という言葉は、誰にも届かない喉の奥へと置き去りにして、私は独りで家を出た。
栃木県・私立日光湯西川女子高校。
山々に囲まれ、春の冷たい風が吹き抜けるその学校が、今日から私の新しい居場所になるはずだった。
小学校二年生の時に母を亡くし、それ以来、親代わりとして育ててくれたしょーこちゃんが経営する学校。ここを選んだのは、「ここなら、静かに三年間をやり過ごせるだろう」と思ったからだ。
けれど、その淡い期待は、入学式からわずか十日で打ち砕かれることになった。
生徒数の減少で一クラス二十人足らずという少人数の環境は、隠れるにはあまりに狭すぎた。そして何より、私の教室には、最初から眩しすぎる「完成された輪」が存在していた。
「おっはよー! 祐奈、今日もおっそーい!」
教室の扉を開けた瞬間、鼓膜を震わせる元気な声。古代美雪だ。
赤い髪を高い位置でポニーテールにまとめた彼女は、私が入学から浮いてて友達がいない奴だと知るや否や、バグった距離感で私のパーソナルスペースにズカズカと踏み込んできた。
「……まだホームルーム五分前なんだけど」
「いいじゃん、もっと早く来てお喋りしようよ! ほら、咲もお菓子持ってきてるしさ!」
美雪の後ろには、いつも影のように寄り添う二人の姿があった。
おっとりとした空気を纏い、丁寧な手つきでクッキーの袋を開けている相原咲。彼女はこの賑やかな3人組の良心というか、クッションのような存在だ。
「おはよう、祐奈ちゃん!もしよかったら、これ……。朝焼いてきたの」
「………」
そしてもう一人、3人組の最後尾で、片時も本を手放さない真田志保。
彼女は難解な工学系の専門書に目を落としたまま、周囲の喧騒などどこ吹く風で、たまに的確すぎる知識を淡々と披露する「3人組のブレーン」だ。
「……美雪、沖田が困っている。その辺にしておけ。それに咲、校内での間食は規定ではグレーゾーンだ」
「うーん志保ちゃんは真面目だなぁ。でも、祐奈ちゃんも食べてくれるよね?」
活発な美雪、優しい咲、博学な志保。
最初から固い絆で結ばれた彼女たちの姿を見ていると、私は自分の「輪の外」っぷりを嫌でも意識させられる。
「いい」
「えー! また断られたー!」
大袈裟に肩を落とす咲と美雪を横目に、私は昼休みになると足早に教室を抜け出した。
廊下を抜け、中庭を通り、使われていない旧校舎の裏へと向かう。彼女たちの眩しさから逃れるために。
――私は、やっぱりあそこには入れない。
そう思ってしまうのが、いつの間にか当たり前になっていた。
気がつけば、私は校地の外れ、裏山へと続く獣道のような場所に立っていた。
「立ち入り禁止」の看板は錆びつき、そこに書かれた文字は歳月によって剥がれ落ちている。普通なら足を踏み入れないような場所だが、今の私にはその荒れ果てた静寂が心地よかった。
しばらく行くと、急に視界が開けた。
そこにあったのは、雑草に完全に覆い尽くされた古いグラウンド。地面をよく見れば、かつて白線が引かれていたような痕跡がかすかに残っている。
そして、その隅に、不自然なほどの圧迫感を放つ建物が鎮座していた。
コンクリートと鉄骨で作られた、無機質で頑丈そうな建物。
前面にある巨大な鉄扉は、少なくとも十メートルはあるだろうか。
鉄扉はわずかに半開きになっていた。錆びついたレールが地面に沈み、まるでそこだけ時間が凍結しているかのようだ。
私は一度だけ周囲を見渡し、誰もいないことを確認してから、吸い込まれるようにその闇の中へ足を踏み入れた。
中は、外の春の陽光が嘘のように冷え切っていた。
肺に流れ込んできたのは、ひどく濃密な、それでいてどこか懐かしい「油と鉄の匂い」だった。
埃が舞う暗がりの中で、目が少しずつ慣れていく。
そこに、『それ』はいた。
「機構人……?」
巨大な、鋼の骸。
全高七メートルを超えるその巨躯は、長い間動かされていないせいか、片膝をついた姿勢で沈黙を守っていた。
装甲の至る所が剥げ、白とオレンジの塗装は煤けた埃に覆われている。けれど、関節から覗くシリンダーや複雑なケーブルの束は、今もなお、目覚めの時を待つ巨獣のような生々しさを湛えていた。
私は立ち尽くした。
怖いとは思わなかった。むしろ、教室にいる時よりもずっと、呼吸が楽になるのを感じていた。
言葉を持たない鉄の塊。誰とも群れず、ただそこに在り続ける孤独な存在。それが、自分とどこか重なって見えたのかもしれない。
ふと、ガレージの隅に置かれた、埃を被った木製の机が目に留まった。近づいてみると、そこには古い封筒や工具に混じって、一枚の白黒写真が置かれていた。
何気なくそれを手に取る。
写真に写っていたのは、今目の前にある機体のコクピットに座り、真っ直ぐにレンズを見据える一人の少女だった。
制服姿。決して笑ってはいない、仏頂面の少女。
「…………え?」
喉の奥で、小さな音が跳ねた。
写真の中の少女。その目つきの悪さ、結ばれた唇の形。
それは、今朝鏡の前で見た自分自身の顔と、不気味なほどに酷似していた。
偶然だろうか。それとも……。
私が写真を見つめたまま硬直していると、遠くで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「やば…!」
私は、震える手でその写真だけをポケットに押し込み、逃げるようにガレージを飛び出した。
背後で沈黙を守る機構人の影が、一瞬だけ、私に何かを問いかけたような気がしたけれど、私は振り返ることなく、ただ無心に校舎へと走り続けた。
私の物語が、止まっていたはずの巨大な歯車が、音を立てて回り始めたことに。
この時の私は、まだ気づいていなかった。
最初はな、百合をな…書こうとしたんや…でもな、なんかこうなったんや…
すまんな…