機構人と乙女たち~日光湯西川女子高校機構人部~   作:鴨サラダ

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第4話『鉄の塊』

 その日の夜は、驚くほどに静かだった。

 日光湯西川の夜は、深い山々に抱かれているせいか、都会とは比較にならないほどの漆黒に包まれる。空には頼りない月が浮き、その冷たい光が校舎の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。

 

 その静寂を乱すように、一人の少女が裏山の斜面を登っていた。

 沖田祐奈。

 家を出る時、音はほとんど立てなかった。寝室から聞こえる翔子の微かな寝息を確認し、玄関の鍵をそっと開けて、使い古したスニーカーを履いた。それだけだ。

 

 ◆◆◆

 

 どうして自分は今、こんな場所にいるのか。

 自分でも説明がつかない。ただ、あの場所に行かなければならないという、理屈を超えた衝動が私の背中を押していた。

 足元の湿った草が、歩くたびにズブズブと音を立てる。夜の山道は、昼間よりもずっと遠く、異質な世界のように感じられた。

 

 やがて、木々の隙間から、あの無機質なコンクリートの塊が姿を現した。

 月光を鈍く反射する、巨大なガレージ。

 昼間見た時よりも、それは禍々しく、それでいて気高く見えた。まるで、社会から見捨てられた巨人が、たった独りで世界の終わりを待っているかのような、そんな孤独な気配。

 

 鉄の扉は、昨日見たままの、わずかに入れる隙間が開いていた。

 私は一度だけ立ち止まり、背後の闇を振り返った。誰もいない。風が木々を揺らす音と、遠くで鳴く夜鳥の声だけが聞こえる。

 私は意を決して、その闇の奥へと足を踏み入れた。

 

 中は、外よりもさらに冷え切っていた。

 持ってきた懐中電灯の細い光が、埃の舞う空間を切り裂く。

 光の先には、変わらずそこに座り込む『それ』がいた。

 

「……日、光丸?」

 

 懐中電灯の光が、機体の肩部分に書かれた、掠れた文字を照らし出す。

 「日光丸」。

 お世辞にも洗練されているとは言えない、古臭い名前。

 けれど、その文字を見つめていると、胸の奥がチリチリと熱くなるのを感じた。

 全高七メートルを超える鋼鉄の巨躯。動かない鉄の塊。

 けれど、懐中電灯を消し、目が闇に慣れていくと、不思議な感覚に襲われた。

 この機体は、死んでいるのではない。ただ、あまりにも深い眠りについているだけなのだと。

 

 私はゆっくりと機体に近づき、冷たい装甲にそっと手を触れた。

 ひんやりとした金属の質感。その奥から、微かな振動が伝わってくるような気がした。

 

「……この子だけ、変わらないんだね。ずっと」

 

 誰に向けたわけでもない言葉が、ガレージの天井に虚しく反響した。

 母が死に、祖母がいなくなり、翔子さんが苦しみ、学校が消えようとしている。

 この十数年で世界は激変したのに、この機械だけが、あの日から時を止めたまま、ここに在り続けている。

 

その時だった。

 

 背後で、ギィ、と金属がわずかに軋む音がした。

 心臓が口から飛び出しそうなほど激しく跳ねる。私は弾かれたように振り返った。

 

「……ユウちゃん」

 

 懐中電灯を向けるまでもない。聞き慣れた、けれど今は酷く掠れた声。

 そこに立っていたのは、パジャマの上にコートを羽織っただけの、しょーこちゃんだった。

 しょーこちゃんは肩を震わせ、少しだけ息を切らしている。ここまで走ってきたのだろうか。

 

「しょーこちゃん……どうして」

「……予感がしたの。あなたが、ここに来るんじゃないかって」

 

 しょーこちゃんはガレージの中を見渡し、そして、目の前の機構人を見上げた。

 その瞬間、彼女の瞳に溜まっていた光が、決壊した。

 

「……ボロボロね。本当に、惨めな姿……」

 

 しょーこちゃんの声は、昼間の厳しい校長のものとは別人だった。

 壊れ物を扱うような、あるいは、ずっと会いたくなかった旧友に再会してしまったような、哀しみに満ちた響き。

 私は、ポケットからあの白黒写真を取り出し、しょーこちゃんに差し出した。

 

「これ……多分おばあちゃん…だよね」

 

 しょーこちゃんは震える指先で写真を受け取り、月明かりの下でそれを凝視した。

 長い沈黙。

 夜の山から吹き込む風が、二人の間を通り抜けていく。

 

「そうよ。沖田十子……私の母であり、あなたの祖母。そして、この『日光丸』を駆って、かつて伝説と呼ばれたパイロット」

 

 十子。その名前が、夜の空気の中に静かに溶けていく。

 今まで、断片的にしか聞かされてこなかった過去。

 しょーこちゃんは、機体の足元までふらふらと歩み寄り、その装甲に額を預けた。

 

「……昔、少しだけ話したわよね。私と、凛子姉さん……あなたのお母さん。その上に、母さんがいたこと。……私たちの家系は、ずっとこの鉄の塊に魅入られてきたの」

 

 しょーこちゃんの独白が始まった。

 それは、彼女が心の奥底に封印し続けてきた、呪われた記憶の蓋を開ける作業だった。

 

「姉さんは……本当に優秀な研究者だった。母さんが愛した機構人を、もっと安全に、もっと誰もが自由に動かせるものにしたいって。……でも、現実は残酷だったわ」

 

 しょーこちゃんの肩が、激しく揺れる。

 

「母さんは、災害救助の現場で、機構人の動力トラブルに巻き込まれて命を落とした。……そして、その母さんの死を無駄にしないためにって新型機の開発に没頭した姉さんも……テスト運用の事故で、帰らぬ人になった」

 

 私は、何も言えずに立ち尽くしていた。

 母の死については、「不慮の事故」としか聞かされていなかった。

 それが、この鋼鉄の機械と密接に繋がっていたなんて。

 

「二人とも、機構人に未来を見て、そして機構人にすべてを奪われた。……だから私は、あなたを引き取った時、心に誓ったの。あなただけは、絶対にこの鉄の塊には近づかせない。普通の女の子として、誰かを愛して、静かに、安全に生きてほしいって……」

 

 しょーこちゃんは、剥き出しの感情をぶつけるように叫んだ。

 

「なのに、どうして……。どうして、この機体はあなたを呼ぶの? どうして、あなたは母さんにそっくりな目で、この鉄の塊を見つめるのよ!」

 

 涙が、彼女の頬を伝い、地面に落ちる。

 彼女の拒絶の正体は、憎しみではなかった。

 それは、たった一人の生き残った家族を失うことへの、狂おしいほどの恐怖だったのだ。

 

「私は……怖いの。また同じことが起きるんじゃないかって。……あなたが、このコクピットに座って、そのまま二度と戻ってこなくなるんじゃないかって。……そんなの、耐えられない!」

 

 暗闇の中で、しょーこちゃんの嗚咽が響き渡る。

 

 私は、ゆっくりとしょーこちゃんに歩み寄った。

 そして、その震える肩を抱こうとして、思いとどまり、代わりにその冷たい手を握った。

 

「……しょーこちゃん」

 

 私の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。

 恐怖がないわけじゃない。母を奪ったものへの嫌悪感がないわけでもない。

 けれど、それ以上に、私の胸を焦がしていたのは、別の感情だった。

 

「しょーこちゃんが、一人でずっと戦ってきたのは知ってる。……学校を守ろうとして、私のことも守ろうとして。……でも、もう無理だよ。しょーこちゃんが、今にも壊れそうなんだもん」

 

 私は機体を見上げた。

 闇の中で沈黙する白とオレンジの巨躯。

 

「私はさ、お母さんのことも、おばあちゃんのことも、よく知らない。……でも、しょーこちゃんが困ってるのは、今、目の前で見てる。……それを見過ごすほど、私は良い子じゃないよ」

 

 小さく笑いながら言ったその言葉に、反抗の意図はない。

 ただ、それが「沖田祐奈」という一人の人間が出した、偽らざる結論だった。

 

「それにさ。……この子、笑ってる気がするんだよね。やっと、家族が会いに来てくれたって」

 

 しょーこちゃんは顔を上げ、呆然と私を見た。

 

「……祐奈、あなた……」

「乗るよ、私。これに乗って、学校を守る。……そしたら、しょーこちゃん、もう泣かなくていいでしょ?」

 

 しょーこちゃんは答えなかった。答えられなかった。

 彼女の目には、希望と絶望が入り混じった、複雑な色が浮かんでいた。

 

「……帰りましょう。明日も、学校でしょ」

 

 私はしょーこちゃんの手を引いた。

 繋いだその手は、驚くほど冷たく、そして激しく震えていた。

 

「……ねえ、ユウちゃん」

「なあに」

「……手、離さないで。……お願いだから」

「……やだよ、もう高校生だよ」

「いいから。……今だけでいいから」

「……。……はーい」

 

 私たちは、夜の山道を、手を繋いだままゆっくりと下りていった。

 背後にあるガレージでは、再び沈黙が訪れた。

 けれど、その沈黙は、もはや死の色ではなかった。

 

 止まっていた時計の針が、微かな音を立てて震え始める。

 

 夜が明けるのは、もうすぐだった。

 

 翌朝、校門をくぐる私の視線は、昨日までとは違っていた。

 教室に入れば、美雪、咲、志保の三人が、いつものように肩を寄せ合っている。

 

「祐奈、おはよ! ……なんか今日、顔つき違くない?」

 

 美雪が、鋭い直感で私の変化を察知したように言った。

 私は適当に言葉を濁しながら、窓の外の裏山を見た。

 

 やるしかない。

 たとえ、その先にどんな過酷な運命が待っていようとも。

 

「はぁ……ま、ガラじゃないけどね」

 

 独り言のように呟いた言葉は、誰にも届かなかった。

 けれど、私の胸の奥では、名もなき決意が、鋼のような冷たさと確信を持って、根を張り始めていた。

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