機構人と乙女たち~日光湯西川女子高校機構人部~ 作:鴨サラダ
放課後の校舎は、昼間よりもさらに深く、重い静寂に包まれていた。
窓から差し込む斜陽が、誰もいない教室の机を長く、鋭く切り取っている。
政府から突きつけられた「機構人導入」という最後通牒。その話は、翌日の緊急の全校生徒朝礼と共に瞬く間に校内を駆け巡った。生徒たちの間には、もちろん動揺があった。けれど、その不安が具体的な「行動」へと変わることはなかった。
当然だ。栃木の山間にあるこの静かな女子高で、昨日まで色恋や進路の話をしていた少女たちが、今日から急に油にまみれ、ガレージに引きこもる理由などどこにもない。
動くかどうかも分からないオンボロの重機を、無理やり直して命懸けの競技に出る――。そんな未来は、彼女たちの日常とはあまりに乖離(かいり)しすぎていた。
その結果として。
私立日光湯西川女子高校におよそ五十五年ぶりに復活した「機構人部」は、あまりに寂しい船出を迎えた。
所属人数、たった一人。
「……ま、そうなるよね」
私は、誰もいない部室――裏山のガレージの中で、白く濁った溜め息と共に呟いた。
コンクリートの床には、新品の工具箱が置かれている。学校の備品というよりは、しょーこちゃんが自腹を切って大至急で買い揃えてくれたものだろう。レンチ、スパナ、テスター。ピカピカに光るそれらを前にしても、素人の私には、どこから手をつければいいのか見当もつかない。
視線の先には、昨日と変わらず『それ』がいた。
白とオレンジ、そして部分的に配された青のアクセント。
五十五年の歳月をその身に刻み、片膝をついたまま沈黙を守る機構人――日光丸。
「…まぁ…とりあえず、見るか」
私は重い脚立を引き寄せ、機体の装甲に手をかけた。
改めて感じる、長い間、熱を忘れていた金属の温度。ひんやりとした感覚が手のひらを通して伝わってくる。だが、不思議とその冷たさは嫌ではなかった。
掃除中に見つけた、黄ばんだ表紙の『日光丸マニュアル Ver.5.7.3』を見ながら、私は工具を手にした。まずは、内部構造を確認するために、外装パネルの一部を外していく。ボルトは固く、何度か滑ったが、やがて鈍い音を立てて緩んだ。
「……重っ」
外したパネルを脇に置くと、内部の構造が露わになった。
配線。フレーム。駆動系。
複雑で、整理されているようで、どこか独特の「癖」がある。
「……ん? マニュアルと違くない?」
私は眉をひそめた。
知識があるわけじゃない。専門書を少しと、この古いマニュアルを読んだ程度だ。それでも、違和感だけははっきりとあった。
まるで――誰かが「使う前提」で、後から配置を整えているような感覚。設計図通りではない、整備者の…いや、使用者の「手癖」のようなものが残っている。
私は無意識に手を伸ばし、ケーブルのうちの一本に触れた。
「……やっぱり、ここが違う。……ん? ああ、押し込むのか。……よっと」
軽く押し込むと、接点がカチ、と小さくはまった。
――その、瞬間だった。
ブン……。
足元から、低い地鳴りのような振動が伝わる。
次の瞬間、機構人の胸部の奥深くで――。
ゴウン……。
まるで、止まっていた心臓が再び脈打ち始めたかのような「鼓動」が鳴り、私の呼吸が止まった。
視線が、ゆっくりと上方へ向く。
頭部で沈黙していたはずのデュアルアイ。そこに一瞬だけ、青白い光が走った。
「…………」
声が出なかった。
だが、不思議と怖くはなかった。
むしろ――「動いた」という喜びが、小さく唇からこぼれた。理屈なんて何も理解していない。けれど、この鉄の巨獣はまだ生きている。その確信だけが胸を打つ。
だが、その光はすぐに消え、振動も止まってしまった。
目の前の機構人は再び、ただの鉄の塊に戻る。
「よし、もう一回……!」
同じケーブルに触れ、同じように押し込む。だが、何も起きない。角度を変え、力を変えてみる。けれど、さっきの反応は二度と起きず、ガレージは元の静寂に飲み込まれた。
「……くっそ。……わかんない」
ぽつりと呟く。
偶然なのか、接触不良なのか。だが一つだけ、はっきりしていることがあった。
「……やっぱこれ、シロートの私一人じゃ無理だぁ…」
素直な結論だった。
私は工具を簡単に片付け、ガレージを後にした。
山を下りながら、私は一度だけ振り返った。武骨なコンクリートの建物の中に眠る、あの機体。
さっきの「鼓動」。
「……待ってて」
誰に向けたのか分からない言葉を遺し、私は山を駆け下りた。
◆
翌日の昼休み。
教室の一角で、真田志保は珍しく一人だった。
周囲の雑音を完全に無視し、『機構駆動系における新解釈』という本のページをめくっている。私は、その前に立った。
「……あー、えっと。真田」
呼びかけると、志保の指が止まり、ゆっくりと顔が上がる。青色の髪の隙間から覗く銀フレームの眼鏡。その奥の、光の少ない黒い瞳が私を捉える。
「……何だ」
「ちょっと、聞きたいこと…あるんだけど…」
「内容による」
即答だった。私は一拍置いてから言った。
「機構人のこと。裏山のガレージにあるやつなんだけどさ……色々触ったら、一瞬だけ動いた」
沈黙。周囲のざわめきが、急速に遠ざかる。
志保は数秒間、私を見たまま硬直した。やがて――。
「……は?」
短く、低い声。
「誰も整備していないオンボロだと聞いた。そんな年代物が動くわけがない」
「でも動いたんだよ。目が光って、音がした」
言い切ると、志保は本を閉じた。机に置く音が、やけに重く響く。
「……詳しく聞かせろ」
私は、触った場所や音、光の様子を説明した。
話し終える頃には、志保の中のスイッチは完全に「そっち側」――工学の探求者としての領域に入っていた。
「場所は裏山のガレージだな……行くぞ」
「今?」
「今だ。案内しろ」
迷いのない足取りで立ち上がる彼女に、私は小さく目を瞬かせながらも、強く頷いた。
◆
ガレージの中。
志保は機体を見上げたまま、しばらく動かなかった。
「……これが」
低く呟き、ゆっくりと近づいて装甲に触れる。指先で表面をなぞるその動きは、先ほどの不愛想な態度からは想像もできないほど丁寧だった。
「……旧式、か?」
その声には疑問が混ざっていた。彼女は私が外したパネルの内部を覗き込み、配線と構造を食い入るように見つめる。数分間、彼女は沈黙のまま細部を点検し続けた。
「……結論から言う。動くとは思う。……ただし、整備をしたらの話だけど」
志保は私が触れたケーブルを確認し、軽く押し込んだ。カチ、と音がする。
だが、何も起きない。
「……やはり反応しないな」
「さっきは動いたんだって」
「まぁこんなボロなら、これが普通だ」
即答し、志保は立ち上がった。もう一度機体全体を見渡し、彼女は小さく呟いた。
「さて……疑問が尽きないな」
「何が?」
「動かしてはいないが…パーツや回路を見る限り出力制御が……おかしいと思う」
「おかしいって?」
志保は言葉を選ぶようにしてから答えた。
「この機構人は五十五年前から整備されていないはず。ならパーツは旧時代の骨董品のはずなのに……。動かして数値を計らないと確証は持てないが…この機体、現代でも通用するレベルの調整がされている気がする。もしそうなら当時の設計者は……化け物だ」
空気が、変わった。
私は何も言わず、沈黙する巨体を見上げた。もう「ただの鉄」とは思えなかった。
「へえぇ…そんなにすごいんだ…よくわかんないけど」
「……今度機構人工学の本を貸してやる。読め」
風がガレージを抜け、機体の影がわずかに揺れる。
まるで、何かが目を覚ますのを待っているかのように。
私と志保、二人の少女の視線が、鉄の巨人の上で重なった。