機構人と乙女たち~日光湯西川女子高校機構人部~ 作:鴨サラダ
放課後の教室は、いつもより少しだけ、妙な熱を帯びてざわついていた。
「ねえねえ、最近さ……」
「うん? どうしたの?」
「志保ちゃんと沖田さん、ずっと一緒にいない?」
教室の隅で交わされる小さな会話。それは悪意というよりも、クラスの浮いた存在同士が引き寄せ合っていることへの、純粋な好奇心と違和感だった。
「なんかさ、ずっと難しい話してるよね。工学がどうとか」
「分かる。放課後も二人でどこか行ってるみたいだし……」
ひそひそとした空気の中で、椅子にふんぞり返っていた古代美雪が腕を組んだ。
「ふーん……」
美雪の鋭い視線が、主のいない祐奈と志保の机を往復する。
気になる。正直、猛烈に気になる。
けれど――。
「ま、いっか!」
結論は早かった。美雪はいつもの無敵な笑顔に戻る。
隣で相原咲が、困ったように苦笑した。
「美雪ちゃんらしいね。でも、二人の邪魔はしないであげよう?」
「分かってるよ、変に詮索するのも違うじゃん? 祐奈、ああ見えて結構、秘密主義っぽいし」
そう言いながらも、美雪の視線は一瞬だけ、夕闇に溶け始めていた窓の外――裏山の方角へと向けられた。
◆
その頃。
裏山のガレージの中では、教室の喧騒とは無縁の、油と金属の匂いに満ちた時間が流れていた。
「……ここ、もう一回。電圧が安定しない」
「ん。これでいい?」
志保が指示を出し、祐奈が工具を動かす。
役割は自然と決まっていた。
祐奈は直感と、機体に触れた時に感じる微かな違和感で異常を見つけ、志保はそれを論理的な数式と専門知識で裏付けていく。
「……接続はそれでいい。絶縁処理を忘れるな」
「分かってるって……じゃあ次、電源ライン?」
「慌てるな。一つずつ確認しないと、回路が焼き切れる」
短い、けれど無駄のない会話。
二人の作業は、数日前とは比較にならないほど確実に、そして急速に前へと進んでいた。ガレージの床には、洗浄された古いパーツと新しい工具が整然と並び、死んでいた空間に「生命維持装置」が取り付けられていくような感覚があった。
そして――。
「……大まかなセッティングは、これで完了だ」
志保が額の汗を拭いながら、低く呟いた。
祐奈はスパナを置き、機体の上部、あの高く狭い場所を見上げた。
コクピット。
…おばあちゃんが座った場所。
「……よし。じゃあ、乗ってみる」
迷いはなかった。志保は一瞬だけ、眼鏡の奥の瞳で祐奈を射抜くように見た。
「まだ外装も腕の微調整も終わっていない。安全装置だって暫定的なものだ」
「ここまで来て、やめる理由ないでしょ。あの子が『来い』って言ってる気がするんだ」
淡々とした、けれど鋼のような意志がこもった声。
志保は小さく息を吐き、手元の外部モニターへと視線を落とした。
「……分かった。私は外からモニターを監視する。絶対に無理はするな。やるのは、自立と2、3歩の歩行テストだけだ。いいな?」
「分かってる」
祐奈は脚立に足をかけ、一歩ずつ、巨大な鋼鉄の塊へと登っていく。
金属を踏みしめる音がガレージ内にやけに響く。重いハッチに手をかけ、力を込める。
「よ……い、しょっと……!」
ギィィ、と五十五年の眠りを裏切るような鈍い軋み音を立てて、コクピットがその口を開けた。
中は、想像していたよりもずっと狭かった。
座席、複雑に並ぶスイッチ、無数のレバー、そして沈黙する三面モニター。
「……こりゃ、しょーこちゃんのケツじゃ入んないかもね」
ふと漏れた冗談は、狭い空間に虚しく響いた。
祐奈は慎重に体を滑り込ませ、シートに深く腰を下ろした。その瞬間、不思議な感覚が背中を走る。
あつらえたように、自分の体にジャストフィットする感覚。
まるで――最初から、私が座るために作られたみたいだ。
外から志保の声が、通信機を通して聞こえてきた。
『聞こえるか? 沖田』
「……うん、聞こえる」
『よし。さっきも言ったけれど、まだ完全じゃない。計器が警告を出したらすぐに中止するんだ』
「分かってる」
そう答えながらも、祐奈の指は、吸い寄せられるようにコンソールの起動スイッチへと伸びていた。
赤のトグルスイッチを跳ね上げ、メインレバーをゆっくりと前に倒す。
「……来いっ……!」
カチリ。
音が響いた次の瞬間。
ブゥゥゥンッ――!
低い起動音と共に、ガレージ全体が激しく震えた。
コクピット内の計器に灯が点り、ノイズの混じった古い起動シーケンスが走り出す。ゴウン、ゴウンと、眠っていた巨人が肺を膨らませるような音が、機体の深部から伝わってくる。
祐奈の視界が開けた。
前方のメインモニターに、外の光景が映し出される。
最初は砂嵐とモノクロだった映像が、調整を経て色彩を取り戻していく。
床に落ちている小さなボルト。志保の緊張した横顔。それらが、驚くほどくっきりと、瞳の裏側に直接流れ込んできた。
「……見える、見えるよ……!」
『こっちにも映像来てる。同期、正常。……やはり信じられない、少し整備しただけの旧式がここまでとは……』
志保の声には、隠しきれない驚愕が混じっていた。
祐奈は深く呼吸を整える。心臓の鼓動が、機体の駆動音と重なっていく。
「……立つよ」
足部のアクチュエータが、不気味なほどの力強さで駆動を開始した。
ガチガチギィギィと重厚な駆動音。
『おい、沖田! 出力が不安定だ、無理は――』
「分かってるって、大丈夫」
祐奈の手が、操作レバーに添えられる。
軽く、本当に羽毛を撫でるように引く。
その瞬間。
機体が、意思を持ったかのように揺れた。
膝が持ち上がる。
床を掴んでいた巨大な足が、コンクリートから離れる。
祐奈の視界が急上昇し、天井が間近に迫る。
そして――ゆっくりと。
機構人「日光丸」は、五十五年ぶりに、自らの足で大地を踏みしめて立ち上がった。
「……立っ…た!」
祐奈は呟いた。
地上五メートル以上の高さ。
初めて見る、コクピット越しからの景色。
外部の志保は、しばらく言葉を失って立ち尽くしていた。
やがて、彼女は震える声で口を開く。
「……興味深い……! 旧式のはずなのに、この応答速度……! 一体、当時の設計者はどんなブラックボックスを組み込んだというんだ……!?」
祐奈は、ゆっくりと腕のレバーを操作してみた。
大きな鉄の腕が、驚くほど滑らかに、自分の意思に追従して持ち上がる。
「……軽い」
『軽い? 馬鹿なことを言うな。その腕一本で1トン以上あるんだぞ?』
「違うの。なんていうか……自分の体の延長みたいで、重さを感じないんだ」
祐奈は、開いた扉の向こう側を見た。
夕焼けに赤く染まった日光の山々。風に揺れる木々のざわめき。
「……すご。こんな景色、だったんだ」
短い一言。
けれど、その胸には、今まで感じたことのない「熱」が確かに宿っていた。
「ねえ、真田」
『何だ』
「なんかさ……すっごいドキドキする」
モニター越しに見る志保の顔は、一瞬呆気にとられたようだった。
けれどすぐに、彼女は眼鏡を押し上げ、小さく、満足そうに笑った。
「……同意する」
ガレージの中に、夕陽が長く差し込む。
立ち上がった日光丸の巨大な影が、山裾にまで伸びていく。
それは、過去の遺物でも、ただの機械でもない。
――これから、世界を変えるために動き出すもの。
少女と巨人の、最初の一歩が、今ここに刻まれた。