機構人と乙女たち~日光湯西川女子高校機構人部~ 作:鴨サラダ
その日の職員室は、いつになく張り詰めた空気に包まれていた。
普段なら世間話や生徒の成績処理で賑わうはずの場所が、今は一つの「通達」によって、一つの巨大な現場へと変わっている。
「……決まった、のね」
誰かが掠れた声で呟いた。
職員室内の掲示板に、緊急で貼り出された一枚の書面。そこには、本校の存続を賭けた練習試合の相手が、無機質な明朝体で記されていた。
《練習試合対戦校:県立栃山南工業高等学校》
「……栃山南(とちなん)だって!? あの、去年のインハイでベスト8に入った常勝校じゃないか!冗談じゃない、いきなりあんな強豪と当てるなんて連盟は何を考えてるんだ!?」
物理の教師、南部が思わず声を荒らげる。無理もない。
相手は最新鋭の設備と豊富な資金、そして選りすぐりのパイロットを擁するエリート校だ。対するこちらは、一機の旧式、整備士は素人に毛が生えた程度の女子高生、パイロットは実質未経験の祐奈。
客観的に見れば、試合という名の処刑宣告に等しかった。
「……でも」
別の教師が、震える指先で眼鏡を直しながら口を開く。
「校長の話では……その、あの機体、動いたんですよね?」
その一言で、ざわめきが止まった。
数日前、裏山のガレージで、鉄の巨人が五十五年ぶりに立ち上がったという報告。それはすでに、全教員に共有されていた。
半信半疑だった者も多い。だが、年配の数学教師、徳川が重々しく頷いた。
「校長が自ら確認されている以上、事実でしょう。ならば――ワシらがやることは一つです」
その言葉は、絶望に沈みかけていた職員室に、小さな、けれど確かな火を灯した。
もう、「無理だ」と言って逃げる段階は終わっている。
戦う生徒がいるのなら、大人が立ち止まっているわけにはいかなかった。
◆
しかし、そこには大きな壁があった。
【高校機構人競技連盟:規則第15条-改】
・教職員並びに保護者、そして第三者は生徒が使用する機構人の素体以外の整備及び制作の補助を行ってはならない。また素体についてもロールアウト時以外における回路等の技術的な整備の介入も行ってはならない。
通称『15条規則』。生徒の自主性を重んじるという建前のもと、大人の介入を一切禁じるこのルールは、日光湯西川女子高校のような弱小校にとって、あまりに残酷な制約だった。
……だが。
「……この規則、あくまで『機構人そのもの』に対して、ですよね?」
理科の教師、太田がニヤリと笑みを浮かべた。
そう、機体や武装に触れることができないのなら、それ以外の「すべて」を整えればいいのだ。
「輸送手段、どうします? 試合会場はここから遠いですよ」
「トレーラーを手配するしかないが、どこの運送会社も今の時期はパンク状態だ。……島先生! 確かご親族に整備業の方がいらしたのでは?」
「えっ、あ、はい! 叔父に聞いてみます。トレーラーの一日レンタルくらいなら、なんとか……!」
島と呼ばれた古文の教師が弾かれたように席を立ち、スマホを掴む。
職員室のあちこちで、ペンが走る音と電話の声が交錯し始めた。
「運搬ルートの確認は私がやります。警察への道路使用許可も取らなきゃならない」
「機体の重量は7トン。……最悪、分割搬送も視野に入れるか?」
「いや、そんな時間はあの子たちにはない。一体まるっと輸送だ。頼むぞ、島先生……!」
それは、もはや「教育」の枠を超えた、大人たちのプライドを賭けた戦いだった。
◆
さらに、別のグループも動き出していた。技術科の教師数人と翔子が、ガレージの配線図を広げる。
「校長、裏山のガレージですが。電源周りが限界です。照明も暗すぎる。これじゃあ夜間の作業で怪我をしますよ」
「予算は……予備費から捻出しましょう。安全基準さえ満たせば、ガレージの改修は『部活動の環境整備』であって、機体の整備じゃないわ」
翔子の力強い言葉に、若手教師たちが頷く。
「よし、改修やりましょう! 排気設備もボロボロだ、油と金属粉が溜まってる。あの子たちの肺を壊すわけにはいかない」
「ライトアップも強化だ。暗闇で独りぼっちは、怖いですからね」
翌日から、ガレージにはひっそりと業者のトラックが入り始めた。
大人たちは口を揃えて「これはただの施設点検だ」と嘯きながら、少女たちが最も作業しやすい環境を、突貫工事で作り上げていった。
◆
翌日の放課後。
保健室の森先生は、白衣を翻しながら大きな保温バッグを抱えていた。
中には、冷めても美味しいおにぎりと、特製のサンドイッチ、そして経口補水液。
「……若い子が無茶するのは分かってるからね」
彼女は山道を登り、新しく付け替えられた明るい照明が漏れるガレージへと入った。
中からは、キン、キンと金属を叩く音。そして時折、祐奈と志保の議論が聞こえてくる。
「おじゃましまーす」
軽い声。二人が同時に振り返る。
「……あ。えーと確か…森先生?」
「差し入れよ。ちゃんと食べてる?」
祐奈は少し気まずそうに視線を逸らした。
「……それなりに」
「それなりじゃダメ! 校長先生にも、あの子たちの栄養管理は任せたって言われてるんだから」
森はにこやかに笑い、荷物を机に広げた。
志保が少しだけ頭を下げる。
「……助かります。脳の糖分が限界になりかけてた」
「いいのよ。あんたたちが倒れたら、私の仕事が増えちゃうからね」
森は、少女たちの背後で静かに佇む「日光丸」を見上げた。
かつては死体のように冷たかった鉄の塊に、今は微かな熱が宿っているように見えた。
「……本当に、動くのね。これ」
「動く」
志保が短く、けれど揺るぎない確信を持って答える。
森は小さく頷き、二人の少女の顔を交互に見た。
「頑張りなさい、とは言わないわ。もう十分、頑張ってる顔してるから」
「……どうも」
祐奈は照れ隠しに、差し出されたサンドイッチを一口大きくかじった。
「困ったら、ちゃんと頼るのよ。先生たちは、そのために給料もらってるんだから」
◆
夕方の職員室。
窓の外、山影に太陽が隠れていく。
翔子は一人、理事長室の窓から裏山のガレージを見つめていた。
輸送許可、会場との調整、行政への根回し。やるべきことはまだ星の数ほどある。
「……始まっちゃったわね、凛子姉さん」
亡き姉の名を呟き、翔子は再びペンを握った。
あの子が戦うと決めたのなら、その舞台を最後まで支え抜く。それが、この学校に残った最後の大人の責任だ。
職員室の灯りは、夜が更けても消えることはなかった。
少女たちの知らないところで、見えない無数の手が、彼女たちの背中を力強く、温かく押し続けていた。