名探偵はまだ闇の帝王を知らない   作:大根おろし

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第二話 図書館殺人事件

 

 ウール孤児院の子どもたちはセント・バーソロミュー初等学校というところにに通っていた。

 セント・バーソロミュー初等学校の授業はコナンにとってひどく退屈だった。

 子どもに合わせた足し算や綴りを、工藤新一の記憶を持つ頭で聞いているのだから当然だ。それが英語でも何も変わらなかった。退屈を隠しきれずに先のページや授業に関係ない本を読んでは教師に注意され、そのたびに隣の席のトム・リドルが小さく笑った。

 

「退屈をしのぐのが下手だね」

「うるせえ。お前はうますぎるんだよ」

 

 学校でのトムは、孤児院にいる時以上に静かで孤立していた。成績はよく、字も綺麗で、教師の前では模範的な生徒の顔をしている。授業中にサボることもない。けれど大人たちは、彼を褒めながらもどこか気味悪がっていた。

 その理由は、コナンにも少し分かった。

 トムは子供らしくなかった。

 そして、それはたぶん自分も同じだった。

 不思議とコナンはトムと過ごすことが多くなっていた。

 

「授業なんて何も分からない子どもだけがやってればいいのにね」

 

 トムの発言にどきりとしなからもコナンは曖昧に頷いた。トムの目がじっとコナンの反応を確かめるように覗き込んでいる。

 

 たまにこいつ気づいてるんじゃないかと思うんだよな。

 

 コナンはトムの見透かすような目が少し苦手だった。

 休み時間、コナンはトムを連れて図書室へ向かった。小さな部屋だった。古い紙と埃の匂いがして、壁際には本棚が並んでいる。

 

「何を探しているの?」

 

 図書係のハーパー先生が聞いた。

 

「シャーロック・ホームズの本はありますか」

 

 先生は少し驚いた顔をして、それから古びた合本を一冊出してくれた。

 

「大事に読むのよ。古い本だから」

 

 背表紙は傷んでいたが、文字は読めた。

 シャーロック・ホームズ。

 コナンは思わず目を輝かせた。

 

「ただの古い本だよね」

 

 トムが横から覗き込む。

 

「ただの本じゃねえよ。シャーロック・ホームズだぞ」

「違いが分からないな」

「お前、今かなり危ないこと言ったぞ」

 

 ハーパー先生は苦笑し、机の上の小箱を開けた。中には、青いガラス石のついた銀の栞が入っていた。

 

「読書感想文の一等賞に渡す賞品よ。値打ちはないけれど、この学校では大事なものなの」

 

 その時、図書室にリード先生が入ってきた。副担任だ。

 

「また帳簿ですか、ハーパー先生」

 

 彼の声は穏やかだったが、目は笑っていなかった。

 

「寄付金の記録に、確認したい点があります」

「校長先生に任せればいいでしょう」

「本の購入費に関わることです。図書係として、確認しておきます」

 短いやりとりだった。

 けれどコナンは、リード先生の笑顔に引っかかりを覚えた。

 トムも見ていた。

 本ではなく、二人の大人の顔を。

    

 翌日、ハーパー先生は図書室で死んでいた。

 机の横に倒れ、片手を本棚へ伸ばすような格好だった。机の上には紅茶のカップ、開かれた帳簿、散らばった貸出カード。

 そして、本棚からは昨日のホームズ本が消えていた。

 青い栞もない。

 教師たちは子供たちを追い払った。だが、コナンはその数秒で現場を見た。

 紅茶のカップは左側に置かれている。ハーパー先生は右利きだった。

 皿には砂糖の粒が残っている。先生は図書室で甘い紅茶を飲まないと言っていた。

 本棚の縁には、青いガラスの粉がついていた。

 事故じゃない。

 これは殺人だ。

 

 他の子供たちは死体を見て怯えていた。

 だがトムだけは、死体を見た人間たちの顔を見ていた。

    

 警察が来る前に、コナンはもう一度図書室へ戻った。トムもついてきた。

 

「何も触るなよ」

「君に言われなくても」

 

 コナンは机を見た。

 紅茶は誰かが用意したものだ。砂糖を入れないハーパー先生のカップに、砂糖が残っている。

 本棚には青いガラス粉。つまり青い栞はホームズ本の近くにあった。いや、おそらく本に挟まれていた。

 さらに帳簿には、書き直された数字があった。寄付金の記録。昨日、ハーパー先生がリード先生に話していたものだ。

 

「犯人は、ハーパー先生が横領に気づいたから殺した。証拠は青い栞か、ホームズ本に隠されていた」

 

 コナンが呟くと、トムは少し笑った。

 

「そこまで分かるんだね」

「お前、何か知ってるだろ」

「少しだけ」

「言えよ」

「嫌だ」

「死人が出てるんだぞ」

「探偵がどうやって突き止めるのか興味があるんだ」

 

 コナンは息を止めた。

 トムは本気でそう思っている。

 この事件を、コナンを観察する材料として見ている。

 

「性格悪いぞ」

「よく言われる」

「言われてんのかよ」

 

 今は責めている場合ではなかった。

    

 コナンは大人たちの前で、わざと声を上げた。

 

「あれれ〜、おかしいなあ。なんで先生の本がないんだろ〜?」

 

 校長先生が眉をひそめる。トムが吹き出すのを堪えるような顔をして耐えていた。

 

「コナン、今は子供が口を出す場面では――」

「僕、知ってるんだ! ハーパー先生は、何かを本に隠してたんだよ。だから犯人は本を持っていった。学校のどこかにあるんじゃないかな?」

 

 その瞬間、リード先生の目が動いた。

 廊下の奥。

 掃除用具入れの方へ。

 コナンは見逃さなかった。

 トムも見ていた。

 

「たとえば、掃除用具入れとか?」

 

 コナンが言うと、リード先生の顔がこわばった。

 

「馬鹿な。子供の思いつきです」

「なら、調べても問題ないですよね」

 

 掃除用具入れから、本が見つかった。

 雑巾の下に隠されていた。

 そのページの間には、青い栞が挟まっていた。青いガラス石は端が欠けている。裏側の金具の隙間には、小さく折りたたまれた紙。

 寄付金横領の記録だった。

 リード先生は否定した。だが袖口には、青いガラスの粉がついていた。掃除用具入れの取っ手にも、彼の万年筆と同じ黒インクの染みが残っていた。

 ハーパー先生は、証拠を青い栞に隠した。

 リード先生はそれを奪おうとして、紅茶に毒を入れた。

 そしてホームズ本ごと栞を隠した。

 事件は解けた。

 けれど、ハーパー先生は戻ってこなかった。

    

 帰り道、トムはコナンの隣を歩いていた。

 

「君は本当にすごい。名探偵だった」

「当たり前だ」

 

 コナンは立ち止まった。

 

「お前はどこまで知ってたんだ?」

「リード先生が掃除用具入れに本を隠したところは見た」

 

 あっけらかんとして言うトムにコナンは驚く。

 

「見てたのかよ!」

「うん」

「なんで言わなかった!」

「君がどう見つけるか、見たかった」

 

 コナンは言葉を失った。

 

「……人が一人死んでるんだぞ」

「知っている。だから、君は本気だった」

 

 トムは悪びれていなかった。

 それが一番、腹立たしかった。

 トムは、まっすぐコナンを見た。

 

「君は真実を見つける。でも、見つけて終わりじゃない」

「普通だろ」

「普通じゃないよ。真実は力だ。力なら、使えばいい」

 

 コナンは睨んだ。

 

「人を壊すために真実を使う奴は、探偵じゃねえ」

 

 トムは黙った。

 納得したわけではない。

 理解できないものを、面白がっている顔だった。

    

 数日後、本は学校に戻った。

 ハーパー先生がコナンに読ませたがっていた本だから、と校長先生はその本を一時的に預けてくれた。

 その日の夕方、コナンは孤児院の食堂の隅で本を読んでいた。

 トムが隣に座る。

 

「またシャーロック・ホームズの本を読んでいるの?」

「悪いか」

「悪くはない」

 

 コナンは少し迷ってから、本をトムの方へ傾けた。

 

「一緒に読むか?」

「いいの?」

「もちろん」

 

 二人は同じ本を読んだ。

 しばらくして、トムの指がある名前で止まった。

 

「この男は?」

「モリアーティ教授。ホームズ最大の敵。犯罪界のナポレオンって呼ばれていて、迷宮入り事件は全て彼が仕掛け人だ」

 

 トムの目が、わずかに動いた。

 

「いい名前だね」

「そうか?」

「僕の平凡な名前よりね」

「ジェームズ・モリアーティのジェームズは割とありふれてるぞ」

「まあね」

 

 トムは頷いたが、モリアーティ教授のことが気に入ったようだった。

 

「ホームズは彼だけは特別に追ったの?」

「まあな」

 

 トムは静かに言った。

 

「なら、彼はホームズに選ばれたんだ」

 

 コナンは眉をひそめた。

 

「そういう言い方すると、変だぞ。犯罪者だろ」

「でも、特別だ」

 

 トムはそれだけ言って、ページをめくった。

 古い紙が、かさりと鳴る。

 

 トムはしばらく黙って文字を追っていた。

 食堂の隅では、子どもたちが薄いスープをすすっている。誰かがパンの端を取り合い、別の誰かが職員に叱られていた。いつも通りの孤児院だった。ハーパー先生が死んだことなど、この場所には関係ないと言わんばかりに、明日の朝にはまた同じように起きて、同じように学校へ行く。

 コナンは少しだけ、本から目を離した。

 事件は解けた。

 犯人も見つかった。

 けれど、あの図書室で「本は大事に読みなさい」と言った先生は、もういない。

 それが、どうにも腹の底に残っていた。

 

「ホームズは」

 

 トムが不意に言った。

 

「モリアーティを捕まえるの?」

「まあ、捕まえるっていうか……最後は止める」

「止める」

「犯罪を続けさせないためにな」

「殺すの?」

 

 コナンは顔を上げた。

 トムの声は、ごく普通だった。夕飯の中身を聞くのと同じくらい平坦で、だからこそ少し嫌だった。

 

「普通、そこから聞くか?」

「敵なんだろう?」

「敵だからって、殺せばいいって話じゃねえよ」

「でも、彼が生きていたら、また誰かが死ぬかもしれない」

 

 トムは本の上に視線を落としたまま言った。

 

「なら、早く殺した方が合理的じゃない?」

 

 コナンは眉をひそめた。

 

「お前、そういうところだぞ」

「どういうところ?」

「すぐ殺す方に話を持っていくところ」

「違う。僕は合理的な話をしている」

「人を殺すのは合理じゃねえ」

「場合によるんじゃない?」

「よらねえよ」

 

 トムは不思議そうにコナンを見た。

 本当に、不思議そうだった。

 叱られたから黙るのではなく、なぜそれが即座に否定されるのか分からない、という顔だった。

 コナンはため息をついた。

 

「探偵は犯人を殺すんじゃない。証拠を集めて、罪を暴いて、裁かせるんだよ」

「誰に?」

「警察とか、裁判所とか」

「信じてくれなかったら?」

 

 コナンは言葉に詰まった。

 トムは続ける。

 

「今日だって、大人たちは君の言うことを最初は聞かなかった。君が見つけなければ、リード先生は逃げたかもしれない」

「だからって、俺が勝手に裁いていい理由にはならねえ」

「なぜ?」

「俺が犯人になっちまうだろ」

 

 トムは瞬きをした。

 その答えは、彼の予想と違ったらしい。

 

「君は、犯人になりたくないんだ」

「当たり前だろ」

「変なの」

「どこがだよ」

「力があるのに、使わないところ」

 

 コナンは本を閉じかけた手を止めた。

 

「力?」

「真実を見つける力。人を動かす力。大人たちを黙らせる力」

 

 トムは、静かに言った。

 

「君はそれを持っているのに、ずいぶん遠慮して使う」

「遠慮じゃねえ。線引きだ」

「線引き」

「越えたら戻れない線ってのがあるんだよ」

 

 トムはその言葉を、しばらく考えているようだった。

 けれど、やがて小さく笑った。

 

「君は大人みたいなことを言うね」

 

 コナンの背中に、ひやりとしたものが走った。

 何気ない言い方だった。

 だが、トムの目は笑っていない。

 探っている。

 そう直感した。

 

「子ども扱いされるのって、嫌にならない?」

 

 トムは続けた。

 

「大人は何も分かっていないのに、君を子どもとして扱う。君が見つけた真実も、子どもの思いつきだと思う。退屈じゃない?」

 

 コナンは一瞬、返事に詰まった。

 本当に一瞬だった。

 けれど、トムはそれを見逃さなかった。

 

「……別に」

「そう?」

「七歳なんだから、子ども扱いされるのは普通だろ」

 

 トムは楽しそうに目を細めた。

 

「でも、君は子どものふりが下手だ」

 

 コナンは黙った。

 こいつ、どこまで気づいている。

 自分が本当は七歳ではないことか。

 それとも、もっと別の何かか。

 

「……人のこと観察しすぎなんだよ」

「君が分かりにくいのが悪い」

「分かりにくい?」

「読めそうで、読めない」

 

 トムはまっすぐコナンを見た。

 

「そこが面白い」

「やっぱりお前、言い方が気持ち悪いぞ」

 

 コナンは乱暴に本へ視線を戻した。

 心臓が少し速くなっている。

 トム・リドルは危ない。そう思う。

 けれど同時に、奇妙なことに気づいていた。

 この時代に来てから、自分をここまでまともに見てくる相手はトムだけだった。

 大人たちは自分を子どもとして見る。

 子どもたちは変わり者として見る。

 だがトムだけは、そのどちらでもない。

 まるで、ページの奥に隠れた文字まで読もうとするみたいに、こちらを見てくる。

 気味が悪い。

 油断できない。

 

「モリアーティは」

 

 トムがまた本へ視線を落とした。

 

「ホームズに見つけてもらえて、よかったんだと思う」

「は?」

「誰にも見つけられないまま終わるより、ずっといい」

「犯罪者として見つかるんだぞ」

「それでも、特別だ」

 

 トムは静かに言った。

 

「ホームズにだけは、自分が何者か分かってもらえる」

 

 コナンは眉をひそめた。

 その言葉には、妙な重さがあった。

 七歳の子どもが読んだ物語への感想にしては、あまりにも切実だった。

 

「……お前、モリアーティに肩入れしすぎだろ」

「君がホームズに肩入れしているのと同じだよ」

「全然違う」

「どう違うの?」

「ホームズは事件を止める側だ」

「モリアーティは事件を作る側」

 

 トムは少し笑った。

 

「釣り合っているね」

「釣り合わせるな」

「でも、君は追う相手がいないと退屈するだろう?」

「しねえよ」

「本当に?」

 

 トムの声は柔らかかった。

 

「今日の君はとても生き生きしていた」

 

 コナンは言い返せなかった。

 人が死んでいる。

 事件を楽しいと思ったわけではない。

 けれど、証拠を拾い、違和感をつなげ、犯人へ迫っていく時、頭が冴えていたのは事実だった。

 その事実を、トムに見られていた。

 

「……事件なんか、起きない方がいいに決まってる」

「でも、起きたら君は止まらない」

「当たり前だろ」

「うん」

 

 トムは、どこか満足そうだった。

 

「だから君は面白い」

 

 コナンは返事をしなかった。

 食堂のざわめきが、少し遠く聞こえた。

 古い紙の匂い。薄いスープの匂い。石炭の煙。孤児院の湿った空気。

 その中で、トムは本に目を落としたまま、ぽつりと言った。

 

「ねえ、コナン」

「何だよ」

「もしモリアーティが、証拠を一つも残さなかったら、ホームズはどうするの?」

 

 コナンは顔を上げた。

 トムは笑っていなかった。

 ただ、純粋な疑問のように見せかけた目で、こちらを見ていた。

 

「証拠は必ず残る」

「残らないとしたら?」

 

 その言葉に、コナンは息を止めた。

 トムは、ほんの少しだけ口元を上げた。

 

「たとえばの話だよ」

 

 コナンはしばらくトムを見つめた。

 

「……残る」

 

 やがて、低く言った。

 

「どんな方法でも、何かをしたなら、どこかに痕跡は残る。見えないなら、見方を変えるだけだ」

「そう」

 

 トムは満足そうに頷いた。

 

「じゃあ、いつか見せて」

「何を」

「君が、証拠のない事件をどう解くのか」

 

 コナンは嫌な予感がした。

 それは、まだ形にならない予感だった。

 けれど、灰色の空の下で降り続く細い雨みたいに、静かに胸の奥へ染み込んできた。

 

「……変なこと考えるなよ」

「まだ考えていない」

「“まだ”って言ったな、今」

「言ったかな」

「言った」

 

 トムは本へ視線を戻した。

 コナンはその横顔を見た。

 整った顔。静かな目。子どもらしくない落ち着き。

 自分が特別だと信じたい、子ども扱いされると傷つく、けれど傷ついたことを認めない子ども。

 大人びている。

 危うい。

 でも、まだ子どもだ。

 だからこそ、余計に怖かった。

 

 この日、トム・リドルはモリアーティ教授を知った。

 そしてコナン・ホームズはまだ知らなかった。

 隣に座る少年が、遠くないうちに本当に、証拠を残さない事件を用意することを。

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