人を喰らう植物
「久しぶりだな、エリナ。……相変わらず、薄のろのジョジョの傍が落ち着くらしい」
冷徹な声が、薔薇の香る円卓の間に響いた。
影の中から現れたディオを見て、エリナは息を呑み、反射的に肩を震わせた。かつて泥を塗られた屈辱、そして自分を力で支配しようとしたディオの、あの野獣のような暴力の記憶が、氷のように冷たく彼女の心を縛り上げる。
「ディオ……っ!」
怯える彼女を遮るように、ジョナサンが優雅に、そして威圧的に一歩前へ出た。
「やめろ、ディオ。……レディを怯えさせるのは、僕が最も嫌う『汚れ』だ。君のような毒虫が、僕のこの清らかな聖域に土足で踏み込むなんて……。でも、いいよ。君の無作法も、僕が許してあげよう」
ジョナサンは、ディオを敵としてではなく、哀れな迷い子を見るような、神々しい微笑みで見つめた。
「外の混乱を見てきたのかい? 残念だよ。僕のゾンビたちは、あんなに幸せそうに、飢えも争いもない平穏を享受していたのに。……彼らが牙を剥いたのは、民衆が彼らの『静寂』を攻撃したからだ。不当な暴力に対する、悲しい反撃(リアクション)に過ぎないんだよ」
ジョナサンは一歩、また一歩とディオに歩み寄る。その足元からは、白い霜が蔓のように伸びていく。
「ディオ。貧民街というドブ川で育った君なら、僕の理想が誰よりも理解できるはずだ。誰もが奪い合わず、誰にも踏みにじられず、ただ決められた場所で安らかに過ごせる世界……。それは、君がかつて『支配』という名で目指そうとしていた目的地の、さらに先にある完成形だと思わないかい?」
「……何だと?」
「君も、僕の一部になりたかったんだろう? あんな泥にまみれた場所で、必死に『紳士』を演じていた君の苦しみも、僕がこの力で止めてあげる。君が描いた野望という名の『数式』も、最後はこの僕という『正解(こたえ)』に辿り着くはずだったんだ」
ジョナサンの言葉は、本気でディオを「理解者」だと思い込んでいる、混じりけのない狂気に満ちていた。
「さあ、ディオ。君のその熱い波紋を消して、僕の静寂に溶け込むんだ。そうすれば、君もようやく……本当に『綺麗』になれる」
ディオの瞳に、激しい怒りの火花が散った。
「……フン。おめでてーな、ジョジョ。俺が目指したのは『頂点』であって、貴様のような『墓守』じゃあねえ。……計算違いだぜ。貴様のその腐った脳髄ごと、俺の理屈で焼き尽くしてやる!」
「……ねえ、ジョジョ。確かに、あなたの言う通りかもしれないわ」
エリナが絞り出すような声で言った。彼女の視線は、部屋の隅で物言わぬ人形のように佇むゾンビたちに向けられている。
「この人たちは、もう誰かを恨むことも、パンを盗むこともない。……でも、人間を食べるという本能以外をすべて奪われた彼らは、もう人間ではないわ。……それは、美しい温室で育てられた『人を喰らう植物』と同じじゃないかしら?」
「……エリナ?」
ジョナサンの完璧な微笑みが、わずかに強張った。
「いきなりどうしたんだい? そんな悲しい言葉、君に言わせたくないな。僕はただ、彼らを救っただけだよ。不完全な『人間』という病から、彼らを解放したんだ……」
ジョナサンの声が、縋るような湿り気を帯び始める。彼は最愛の理解者であるはずのエリナから否定されることに、子供のような怯えを見せた。
「ハッ! 笑わせるぜジョジョ。図星を突かれて狼狽えてんのか?」
ディオが、凍りついた空気を切り裂くように爆笑した。
「エリナ、お前は気づいてしまったんだろ。ジョジョの言う『救済』の正体に! ……ジョジョ、お前は恐れているんだ。俺のような泥水を啜った連中が、いずれ貴様ら貴族の首を獲りにくる『革命』の日をな! だから、民衆の牙を抜き、思考を奪い、自分に従順な『動く植物』に変えちまった。……それがお前の『紳士の管理』の正体だ!」
「ち、違う……! 僕はただ、みんなの幸せを……」
「いいや、違わないね! お前は自分という太陽に照らされてキラキラ光る、逆らわない置物(コレクション)が欲しいだけだ。……エリナ、お前はジョジョを傷つけるのが怖くて、その言葉を飲み込んでいたんだろ? だが、事実は一つだ。こいつは聖人なんかじゃない。ただの臆病な独裁者だぜ!」
「……っ!」
エリナは、ディオに心の奥底の恐怖を暴かれ、息を呑んで後ずさった。
ジョナサンを傷つけたくないという情愛と、彼の行いに対する生理的な嫌悪。その矛盾を「独裁者」という言葉で定義された瞬間、彼女は崩れ落ちそうになる。
「……ディオ……君は、なんて汚い言葉を吐くんだ……」
ジョナサンの瞳から、慈愛が消え、極北の吹雪のような冷徹な怒りが宿り始める。
「エリナを惑わし、僕たちの理想を『汚れ』で塗りつぶそうとするなんて。……やっぱり、君は消えなければならない。……君のような毒が残っているから、世界はいつまでも『革命』なんていう醜い熱に浮かされるんだ!」
ジョナサンの周囲の大気が、パキパキと音を立てて結晶化していく。
もはや対話は終わり。自らの選民思想を「正義」と信じて疑わないジョナサンと、その欺瞞を笑い飛ばすディオ。
二人の怪物の間に、エリナの悲痛な叫びだけが空しく響こうとしていた。