斬影原典 ――贋作者から創造主になるエミヤの話――   作:みそそ

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不吉な予感

カルデアの廊下は、いつも通りに無機質な白光を放っていた。だが、その白さはどこか、死にゆく者の肌のように生気がなかった。

 壁の向こうから、聞き慣れた足音と話し声が聞こえてくる。エミヤは調理場の入り口で、その声を拾うともなく耳にした。

「……ねえ、クー・フーリン。さっきから気になってたんだけど、どうしたの、その髪」

 マスターの声には、隠しきれない困惑と、微かな震えが混じっている。

「ああ? これか。さっき鏡を見て俺も驚いたところだ。まあ、なんだ……一種の霊基異常ってやつだろうよ」

 返す男の声は、いつも通り快活に振る舞おうとしている。だが、エミヤの耳は、その声音に潜む「底の抜けたような虚無感」を聞き逃さなかった。

 角を曲がって現れた二人組に、エミヤは視線を向ける。

 そこにいたのは、ケルトの光の御子――であったはずの残骸だ。

 獣のしなやかさを誇っていた青い長髪は、根元から毒が回るように真っ黒に染まり、ただの重たい獣毛と化している。何より、あらゆる窮地を笑い飛ばしてきたはずの紅い瞳は、光を失った漆黒に淀み、マスターの顔さえ正視できずに揺れていた。

「神性が、剥げ落ちているのか……」

 エミヤが小さく呟いた言葉は、二人の会話にかき消された。

「霊基異常って……ダ・ヴィンチちゃんには診てもらった? すぐ戻るよね?」

「……さあな。案外、こっちの方が俺の『本性』に近いのかもしれねえ。なあマスター、俺は――」

 クーフーリンは言葉を切り、喉の奥で何かを飲み込んだ。

 彼が飲み込んだのは、かつての英雄なら持ち得なかったはずの、矮小で、それでいてあまりに重い「死への恐怖」だ。

 黒い髪を揺らして歩くその後ろ姿を、エミヤは無言で見送った。手元には、いつものように研ぎ澄まされた包丁がある。だがその時、彼は初めて、その無機質な鋼の冷たさに、言いようのない安らぎを感じていた。

 

食堂へ足を踏み入れた途端、暴力的なまでの「熱」がクーフーリンを襲った。

「おい、クー・フーリン! 聞いたぞ、髪の色が変わったんだって? 新しい戦場への験担ぎか何かかよ!」

 豪快に笑いながら肩を叩いてきたのはアキレウスだ。その隣ではモードレッドが肉を頬張りながら、「へっ、不吉な色だけど悪かねえな。戦場で目立たねえから奇襲向きだぜ」とニヤついている。カイニスに至っては、「神性が薄れただと? そんな腑抜けたこと抜かすなら、今ここで俺が叩き直してやろうか」と、戦意剥き出しの不敵な笑みを浮かべていた。

 いつもなら、「上等だ、表へ出ろ」と軽口で返していただろう。だが今の彼には、彼らの瞳の奥に宿る「無限に続く全能感」が、あまりに眩しすぎて直視できなかった。

「……悪いな、今日はどうも調子が乗らねえ。また今度だ」

 短く言葉を切り、背を向ける。後ろでアキレウスたちが「なんだよ、湿気てんなぁ」と笑う声が聞こえた。以前ならその笑い声さえ心地よかったはずなのに、今はただ、自分の心臓の音だけが、不快なまでに大きく、臆病に響いている。

 逃げ込むように辿り着いたのは、喧騒から離れた厨房のカウンターだった。

「……エミヤ、いるか」

 鉄板を磨いていたエミヤが、顔を上げずに応える。

「……神性が剥げ落ちた、哀れな半神様のお出ましだな。何か注文はあるか?」

「飯はいらねえ。……ただ、少し黙って聞いてくれ」

 クーフーリンは、自分の黒い髪を指先で弄んだ。

「……おかしいんだ。全能感っていうのか? 『どうにかなる』っていう根拠のない自信が、指の間からこぼれ落ちていく。ただ廊下を歩くだけで、床が抜けるんじゃないかって不安になる。……こんなこと、今まで一度もなかった」

 エミヤの手が止まる。だが、返ってきたのは慰めではなく、氷のように冷たい拒絶だった。

「それがどうした。神性が消えようと、君の霊基が即座に崩壊するわけではない。腕も足も動く、魔術も使える。戦闘に支障がないなら、それはただの『気分の問題』だ」

「気分、だと……?」

「そうだ。そうやって矮小な不安に振り回され、死の影に怯えていること自体が、君らしくなくなっている。今の君は、英雄でも戦士でもない。ただの、扱いに困る『臆病な人間』だ」

 突き放すようなエミヤの言葉に、クーフーリンは一瞬だけ目を見開いた。怒りが湧くかと思ったが、不思議と腑に落ちる感覚があった。

「……だよな。全くだ、お前の言う通りだよ」

 クーフーリンは自嘲気味に笑い、力なくカウンターから身を離した。

「悪かったな、エミヤ。つまらねえ相談を……時間を取らせちまった。……じゃあな」

 力なく手を挙げ、男は食堂を去っていく。その背中は、かつての光の御子の面影を微塵も感じさせないほど、孤独で、人間じみていた。

 独り残されたエミヤは、磨き終えた鉄板に映る自分の顔を見つめる。

 突き放したはずのその瞳に、かつて自分が歩んだ、あの「暗い廊下」の記憶がよぎったことを、彼は決して認めようとはしなかった。

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