斬影原典 ――贋作者から創造主になるエミヤの話―― 作:みそそ
エミヤが全霊を賭して、内なる「真実」を投影した。
だが、ひび割れた大地に突き刺さったのは、神を屠る魔剣でも、国を焼く矢でもなかった。
「……ふっ、ははは……!」
エミヤは、己の傑作を前にして、乾いた笑いを漏らした。
そこに転がっていたのは、一丁の包丁と、使い古されたフライパン。英雄の死に際を飾るにはあまりに滑稽な、ただの鉄の塊だった。
「見ての通りだ、クーフーリン。……結局、私の底にはこれしかなかった。世界が滅ぶという時に、私はまだ『食卓』なんていう、取るに足らない夢を見ている」
自嘲するエミヤ。だが、隣に立つ男の目は笑っていなかった。
クーフーリンは膝をつき、その鉄の塊を、まるで聖遺物でも見るかのような真剣な眼差しで見つめた。
「……ハッ、何を言ってやがる。こいつは立派な『武器』じゃねえか。……そう思わねえか? エミヤ」
クーフーリンの手が、その無骨な鋼に触れる。
「誰かのために命を捌き、明日への糧を創る。……戦場(ここ)に転がってるどの剣よりも、ずっと研ぎ澄まされてるぜ。こいつはお前の魂を形にした、立派な『生命(いのち)を定義する道具』だ」
その瞬間、世界から音が消えた。
「――定義、了解。真名、上書き(オーバーライト)」
クーフーリンが放った「肯定」の言葉。それが観測者の同意となり、エミヤの魔術理論の根底を突き崩した。
刹那、エミヤの霊基が爆発的な輝きを放つ。
赤い外套は光の粒子へと分解され、彼の存在密度は、英霊や神霊といった既存の枠組みを軽々と飛び越えていく。大気が震え、空間そのものが彼という存在に耐えきれず、メキメキと悲鳴を上げた。
「エミヤ……? おい、お前……ッ!」
クーフーリンが驚愕に目を見開く。目の前の男から放たれるのは、もはや魔力ではない。
それは、宇宙を創り出すための「意志の熱」――。
異星の神、あるいは原初の造物主に匹敵する圧倒的な霊基。そのあまりの質量に、霊基を損傷していたクーフーリンは意識を保てず、そのまま崩れるように倒れ込んだ。
「……ああ、そうだ。よく言ってくれた、クーフーリン」
神霊を凌駕する存在へと変貌したエミヤは、優しく、そして力強くその手で空を掴んだ。
「調理器具(これ)は、世界を切り分け、再構成するための『道具』だ。……ならば、まずはこの腐り果てた理(人理)から、必要なものだけを切り出そうか」
神霊すら凌駕する存在へと至ったエミヤが、崩壊する戦場を見下ろす。その視界に、瓦礫の中で互いの存在を繋ぎ止めるように寄り添う、二つの魂が映った。
「――お前たちの『痛み』の定義を、ここで終了する」
エミヤが静かに言葉を発した瞬間、宇宙の理が書き換わった。
アンリマユの全身を縛り付けていた真っ黒な呪いの刺青が、まるで剥がれ落ちる灰のように風に舞う。カレンの肌に刻まれていた、他者の悪意に呼応する無数の裂傷が、柔らかな光に包まれて消えていった。
「……あ?」
アンリマユが自分の手を見た。そこにはもう、自分を呪う紋様は何一つない。
カレンが顔を上げる。生まれて初めて、肺の奥まで「痛み」のない空気が流れ込んでくる。
二人は顔を見合わせた。言葉などいらなかった。
崩れゆく世界、燃え上がる空。その滅びの光景さえも、今の彼らには祝福のライトアップにしか見えない。
アンリマユがカレンの手を取り、走り出した。
重荷を捨てた子供のように、ただ笑い、ふざけ合い、滅びゆく世界の地平へと駆け抜けていく。そこには「悪」も「被虐」もない。ただ、生を享受する二人の若者がいるだけだった。
その光景を、少し離れた場所で言峰綺礼が見つめていた。
彼はすでに霊基のほとんどを失い、消滅を待つだけの身だった。
だが、その瞳に映る「無邪気に笑う娘」と「呪いから解放された青年の純潔」は、彼が一生をかけて追い求め、ついぞ手に入らなかった『幸福』の形そのものだった。
「……ふ。ははは……」
言峰の唇が、自然と弧を描いた。
それは愉悦でも、嘲笑でもない。誰も見たことのない、穏やかで、慈愛に満ちた微笑。
「これだ。私が欲していた『答え』は……悪の中にあるのではなく、悪を脱した後の、この一瞬の輝きの中にあったのか」
言峰は満足げに目を細め、走り去る二人の背中を見届けながら、静かに、霧が晴れるようにその姿を消した。
呪いから解放された者たちの背後で、エミヤは再び立ち止まっていた。
彼の指先からは新たな世界の苗床が紡ぎ出されようとしていたが、その動きは鈍い。
「……正義も悪もない、誰もが等しく満たされた世界。だがそれは、ゲーティアが目指した『死のない停滞』と何が違うのだ……?」