Re:ゼロから始める異世界生活6章オットー同行if 作:樫ハット
本編第11話の途中からの分岐になっているので、そちらを先にご覧ください。
地下空洞の分かれ道に出くわしたスバルたちは、右に進むことにした。右からは明らかに嫌な空気が漂っていたが、左には例のケンタウロスみたいな魔獣が待ち構えていることを知っているスバルは、なんとか皆を説き伏せて右に進ませた。
体が前に進むことを拒否するような重たい感覚に耐えて小一時間ほど進み続けた頃だろうか。ただでさえ不安が募る状況に、この空気である。一行の精神状態は穏やかとは言えなかった。
そして先ほどからスバルとラムの間に張りつめていた一触即発の空気は、ついに爆発を始めつつあった。それはスバルが全員に向けて警戒を促したときのことだった。
「――おい。さっきから、お前、ホントに何のつもりだ?」
怒りの原因は、つい今しがたラムがスバルの言葉に対して舌打ちをしたことだ。
眉尻をつり上げ、刺すような視線を後ろに向けるも、ラムはフードを深く被り顔を見せなかった。ラムの前に座っているアナスタシアが困り果てたように顔を掌で覆っている。
「さっきから、お前、ホントに何のつもりだ?」
「別に」
「別にじゃねぇよ! 何のつもりなんだって聞いてんだよ!」
たまらず声を荒らげ、スバルはすぐ脇の砂の壁を蹴りつける。砂が固まってできた脆い壁は、スバルの力でもボロボロと表面が剥がれ落ちていく。細かくなった砂の粒子が降りかかるが、スバルはそれに気づかない。
今のスバルの目には、不遜なラムしか映っていない。
「人が気遣ってやってんのに、お前は何様のつもりだ? さっきから何回も舌打ちが聞こえてんだよ! なぁ、オイ、何のつもりなんだよ!」
「ナツキさん、落ち着いてください。ラムさんも、気が立ってしまうのはわかりますが、一度落ち着いて訳を話してくれませんか?」
徐々にヒートアップするスバルを見かねて、オットーが二人の間に割って入る。
まるで自分が迷惑をかけているとでも言うかのような物言いにスバルの心がささくれ立つが、無理やりそれを呑み込む。オットーから見てもラムに非があることは明らかなはずだ。スバルが口出しするまでもない。
「……別に、何もないわ」
「何の理由もなしに普段と違う振る舞いをする人はいません。少なくとも、僕から見て今のラムさんは少し調子がおかしいように見えます」
あくまで白を切るラムにスバルは再び腹の底から怒りが湧いてくるが、オットーはあくまで落ち着いて追及する。
するとようやく彼女が竜車の上で身体を傾けて顔を見せる。わずかに苦々しげな表情の中に、隠せない苛立ちがにじみ出ていた。鼻を鳴らし、不満そうにこう言った。
「随分と知ったような口を利くのね。オットーのくせに生意気だわ」
「……そうですね、客観的な意見がもう一つ欲しいところです。ではアナスタシア様はどう思われますか?」
相変わらずのラムの返しにも、オットーは深呼吸し、冷静に応答する。
オットーもスバルのように彼女に対する苛立ちを感じているのだろうか。そう考えるとスバルの方も少し頭が冷えてきたような気がする。
会話のパスを回されたアナスタシアは、顎に手を当てて少し考える仕草をしつつ答えた。
「せやね。うちはそんなに付き合いが長いわけやないけど、ここ一か月の印象と比べると、今のラムさんはなんや焦ってるいう気がするわ。ついでにナツキくんも、普段より余裕ない感じやね」
彼女は続いて「まあこの状況で余裕ないんはうちも同じやけど」と言うと、肩をすくめて口を閉じた。
「だ、そうです。……それで、質問の答えは何ですか? 気づいていようがいまいが、苛立ちには何か原因があるはずです」
翻ってオットーがそう問いかけると、ラムは目を細め、竜車の上からスバルを見下ろして言った。
「――気づいていないようだから言ってあげるわ。ずいぶんと、バルスは進むのに熱心な様子ね?」
「あ? 当たり前だろうが。賢者に会うためにこんだけ苦労して先に進んでんだ。それの何がおかしい?」
「違うわ。――ここにきたのは、賢者に会うためじゃない」
「ああ?」
「ラムたちがここにきたのは、レムのことを元に戻すためよ」
「……お前は何言ってんだ? 賢者に会いに行くのはレムを助けるため、何もおかしくねぇだろうが」
スバルは一瞬ラムが何を言っているのかわからなかった。一々言葉尻を捕らえて何の文句をつけているのだ、こいつは。
「いいえ、違うわ。バルスはわかってない。レムを助けることが先にきて、賢者に会うのはその後ろ。優先順位が違うのよ」
言葉を紡ぐたびに、ラムの声は徐々に怒りの熱を帯びていく。
屁理屈だ。そんなことはスバルもわかっている。わかった上で、第一目標として賢者に会おうとしているだけだ。
「優先順位と物事の順序は別物だろうが! 賢者を見つけて、エミリアたちと合流して、そんでみんなで協力して最速でレムを見つけ出す。そういう話だろ!?」
「ええ、そうかもしれないわね。でもそれを考える前に、バルスは一度でもレムのことを心配した?」
「……あ?」
「地下で目を覚まして、バルスはレムのことを心配した? エミリア様のことは? ベアトリス様のことは? 見当たらない誰かのことを、ちゃんと心配した?」
言葉を畳みかけられて、スバルは何も言えずに押し黙る。
確かに今回、『死に戻り』で事前に状況を把握していたスバルは、前回のように取り乱して皆の安否を確認しようとはしなかった。
だが、それは決して心配していないからではなく、ラムたちもそのことを知らないとわかっていたからだ。責めても焦っても何もできないとわかっていたからだ。それはスバルなりの、配慮だ。気遣いだ。
なのにこいつは何だ。スバルがみんなのことを心配していないなんて、よくもそんなことが言えたもんだ。
「……黙れ」
だがスバルにはこう言うほかなかった。全てを話すことは『死に戻り』の禁忌に触れるからだ。それを伝えられないもどかしさと、その弱みにつけこんでずけずけと的外れなことを言ってくるラムへの怒りにスバルは歯噛みする。
「いいえ、黙らないわ。本当に気にかけていたなら、一言でも心配の言葉が出てきたはず。でも、そうじゃなかった。バルスはそれすらもしなかった。それが指し示す事実は一つよ。バルスは、レムのことなんてどうでもいいのよ」
「黙れって言ってるんだよ!」
「――そこまでです!」
「あ?」
二人だけの世界に突如乱入者が現れる。ラムを竜車から引きずり落してやろうと一歩目を踏み出したスバルの前に立ちはだかったのは、オットーだった。
オットーはラムに向けられた視線を切るようにし、スバルと目を合わせる。その剣幕が一瞬前のスバルを鏡で見ているようで、毒気を抜かれる。
「ナツキさんはおかしいと思わないんですか?」
「何がだよ。ラムがおかしいってことならとっくに――」
「もっと根本的なところです。ラムさんとナツキさんがこうまで衝突する原因は何ですか?ここにいる全員不安で焦る気持ちがあるのはわかります。ですがこれまで追い込まれたときに、こんな風に衝突することはありましたか?」
「っ、それは……」
「ありませんよね。なら原因は別にあるはずです。ナツキさん、あんたならわかるんじゃないですか? それと、アナスタシア様もわかるはずではないでしょうか」
「……何が言いたい」
「空気が悪いいうんはわかるけど……」
スバルとアナスタシアならわかる、と言われても、スバルには共通点が思い当たらない。アナスタシアもそれは同じようで、視界の端で首を傾げたのが見えた。
オットーは二人の無理解を見て取ると、スバルの目を真っ直ぐに見つめて続けた。
「ではこう言えばわかるでしょうか。――『憤怒の大罪司教』」
「――あ」
それを言われた瞬間、プリステラの広場で『憤怒』の権能に支配され、ルスベルの死を拍手で迎えたあの状況の気持ち悪さを思い出す。同時に、頭の中を支配する怒りと暴力的な衝動が巨大な異物のように感じられてくる。
「ラムさんはいませんでしたが、僕たちはプリステラで『憤怒』の権能の影響を目の当たりにしました。その内容は、強制的な感情の共有とでも言えば良いのでしょうか。あのときは恐怖や不安といった負の感情が共有され、増幅され、危うく惨劇が起こるところでした」
「オットーの言う通りだ。自分たちがおかしくなってるってことに気づけないのも含めて、あのときと似てる」
納得を示したスバルを確認すると、オットーは頷く。
「詳細は不明ですが、この空間にも似たような性質があるのでしょう。それが瘴気の効果なのか、また別の何らかの力によるものなのかはわかりませんが。――とにかく今すぐ引き返すべきでしょう」
プリステラであったことを人伝でしか知らないラムは、まだ不服そうな表情をしていた。レムのこととなると、なあなあにはできないという気持ちの表れだろうか。
「だからってラムの言葉が全て間違っていたわけではないはずよ。まだバルスはちゃんとした説明をしていない」
「ちょっとその話は後にしてくれへん? ここに大罪司教がいるいう可能性があるときにすることやない」
「状況的にその可能性は低いと思いますが、優先すべき行動があるというのは同感です。そもそもちゃんとした理由があったとして、この状態で話してお互いに納得できるとは思えません。話し合いも釈明も何もかも、元の状態に戻ってからすべきです」
なおも食い下がるラムだったが、かの権能の脅威を知っているアナスタシアとオットーにたしなめられる。
「オットーの言う通りだ。ラム、お前も頭ん中に怒りが渦巻いてんだろ? 俺も今そうなってるからわかるぜ。けどこれが何かに作られたものだってんなら、それに従ってやる方がもっとムカつく。だから――今は引き返そう」
スバルの脳内は、未だに怒りと衝動に支配されている。本音を言えばさっきのラムの言葉を思い出すだけではらわたが煮えくり返り、一発ぶん殴りたくなるところだ。
だが、『憤怒』の権能のことを思い出した今のスバルは、この不自然な感情に対する気持ち悪さが上回っている。
「……ハッ」
ラムは一つ鼻で笑うと、黙ってパトラッシュに座りなおした。口には出さないが、ひとまず引き返すという方針には納得したらしい。ラムにも何か思うところがあったのだろう。
それならそうと言えばいいのに、一々ラムは不遜な態度で周りに当たって――
「あぁクソッ! 気持ち悪ぃ感覚だ」
すぐ怒りに持っていかれそうになっていることに気づき、スバルは頭を抱える。油断するとこうだ。それに感情だけでなく、思考回路まで支配されそうな感じもする。
「……行きましょう」
そんなスバルの様子を見て、オットーは一刻も早くこの場を去ることに決めたようだった。皆も異論はない。
カンテラを持ったオットーが元来た道の方へゆっくり歩き出す。多少落ち着いたスバルが小走りでそれに追いつき、並んで進む。その後ろをパトラッシュに乗ったラムとアナスタシアが着いてくる。
一行はここまでの道のりが徒労だったことに心身ともに疲労を感じつつも、危機を脱したというほのかな安心感を抱え、砂の空洞を一歩ずつ進む。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
引き返す道のりも半ばを過ぎた。自分の制御が利かなくなるあの感覚はある程度薄れてきた感覚がある。もっともさっきまでもスバルは自分をまともだと思っていたわけなので、この自己認識がどの程度まともかはわからないが。
そうなってくると気になるのは、さっきまでのラムとの言い合いだ。冷静になれば、ラムの言い分もわかってくる。そして、スバルがそれに苛烈に反応してしまったことも。
言い合いのそもそもの原因はスバルの『死に戻り』だ。今回のスバルは二周目だったから、はぐれたレムやエミリアやベアトリスたちを心配する言葉をかけなかった。ラムたちがそれを知らないことを既に知っていたから。
「その、なんだ、さっきは悪かった。言い訳にしかならんが、俺がどうかしてた」
「……バルスだけのせいじゃないわ」
スバルが歩きながら後ろのラムに声をかけると、彼女の方からは少し気まずそうな返事が返ってきた。彼女の方も先ほどのやり取りのことを考えているのだろうか。いまいち距離感を掴みかねている気がする。
「おいおい、気を遣うのはよせよ。……いつも通りのお前じゃないと気持ち悪い」
それはスバルの本音だった。屋敷の事件のループで、一度親しくなった相手に忘れられた記憶はスバルの中のトラウマの一つだ。今回のそれも、状況は違えど関係値が大きく変動してしまったようで、そのことにスバルは不安を感じていた。
「……バルスがおかしいのは今に始まったことじゃないわ」
「そう、それそれ。これでこそ姉様……ってこれじゃ俺が姉様に罵倒されたがってるみたいじゃねぇか!」
「いやらしい」
「これに関しちゃあ俺にも悪いところがあったよ!」
身振り手振りを交えて勢いよく突っ込み終わると、スバルは表情を緩める。
まだ少しぎこちない気はするが、段々といつもの調子に戻りつつある。
「……けれど、レムやエミリア様たちのことを心配しなかったバルスに不信感があったのは本当よ。これは分かれ道の前から考えていたことだもの」
「ラムさん、その話は――」
「いや、いい。話させてくれ」
さっきの言い合いが再開するのではないかと危惧するオットーが会話を止めに入るが、スバルはそれを断る。一番の理由は、今のある程度正気に戻った状態でも、レムのことを気にしていなかったと勘違いされたままでいるのは腹が立つからだ。スバルとしてはここでちゃんと答えておきたかった。
……それとも、今のこの考えもさっきの思考に影響された結果なのだろうか?
「とは言ったものの、どう説明したものか。正直全部をうまく伝えられる自信はないんだが……」
「バルスの説明が足りないのはいつものことよ。――聞いてあげるから話しなさい」
「――だな。ありがとよ」
スバルは頭の中で伝えるべきことと伝えられることを整理しつつ、言葉を選ぶように話始める。
「まず、ラムの共感覚でレムが無事なことはわかってた。だったら俺が取り乱すのは無駄だと思った。レムがいつまで無事なのかもわかんねぇからな。どんだけ不安だろうが感情なんて脇に置いて、最速でエミリアたちと合流して、最速でレムを探しに行くのがベストだと思ったんだ」
「――――」
「それに、お前にわざわざレムのことを意識させるのも、この状況だと良くないと思ってな。言わなくても不安がって焦ってるのはわかる。なら俺が言っても余計に不安にさせるだけだ。……そう思って、俺は内心心配してることを黙ってた」
正直に言えば、二周目でラムたちに問いただしても何もわからないと知っていたというのが黙っていた理由だ。だがそれを知っていたから、彼らを無駄に質問攻めにすべきでないと判断したのは本当だ。
「――そう、バルスがそんなに気が回るとは思っていなかったわ。今後はそういう考えが出てきたら一人で早合点しないでちゃんと話しなさい」
「そうだな。気を付けるよ」
全部は伝えられないが、納得はしてもらえたらしい。不和を避けるための納得のポーズではないと信じたいところだ。
「エミリアたちについても、そうだな……お前らが誰も何も言わなかったから、みんな知らないんだと思った。そんな状態で質問攻めにされても困るだろ? 最後に起きたのも俺みたいだし、皆はすぐに出発したいんじゃないかと思ったってのもある。今になって思えば、みんなを心配する気持ちくらい、隠さずに共有しておけば良かったって思うけどな」
と、スバルは過去の失態に伏し目になる。『死に戻り』で情報のアドバンテージはあっても、先を知っている分同じ不安を共有できないというのは問題点となり得るのだ。今後は気を付けなければと思う。もちろん『死に戻り』をしなくて済むのが一番ではあるのだが。
そんなことを考えていたスバルに、後ろから呟くような声が聞こえる。
「……誤解して悪かったわ。バルスはラムの次にレムを愛しているものね」
「いいや、俺の方が愛してる自信があるね」
スバルはラムの方に顔を向け、決め顔で言ってのける。
アナスタシアの持つカンテラで薄く照らされているラムの顔は相変わらず無表情だが、付き合いの長いスバルには、それが限りなく普段通りの彼女であることがわかった。
「いやらしい」
「なんでだよ、愛してるのはいやらしくないだろうが」
スバルへの接し方も、普段通りのようである。
「けど、姉様に真正面から謝られるなんて思わなかったぜ」
「ハッ、バルスと違ってラムは自分の悪いところくらい素直に認められるわ」
「俺だってさっき謝りましたけど!?」
いつものノリで話せるようになったことを感じ、スバルはようやく胸をなでおろす。外的要因により一度は衝突したが、それは致命的な決別にならなかった。
やっぱりラムがあんな態度をとるなんてまともじゃなかった。身体の不調があるだけでは、あんなふうにはならない。そのことが今理屈ではなく直感で理解できた気がした。
「やっぱり俺の方こそ悪かった。お前ともっと話しておけばこうはならなかった」
「いや、それはどうでしょうね。きっとさっきの場所に居たら何かしら理由をつけていさかいが起こっていた気がしますよ」
反省するスバルに、オットーが思案顔でそう言う。確かにさっきまでのスバルたちなら、何かにつけて言い争いを始めていてもおかしくないと自分で思う。箸が転げても笑うお年頃ならぬ、箸が転げても怒る空間である。
「そうかもな。ともかくあんな体験は二度とごめんだ。オットーも、あの場所で冷静でいてくれて助かった」
「……実を言うと、僕も冷静だったとは言い難いですね。事前に想定していなければ対処できていなかったと思います」
「そうなのか?」
「はい。僕はアウグリア砂丘に向けての準備で、瘴気については可能な限り調べておきました。主にマナの循環に異常をきたし体調を崩すというものでしたが、その影響で思考に影響を与えるという報告もありました。ナツキさんもご存じの通り、プリステラでその脅威についてはわかっていたので、対策することにしました」
「さすがオットー! いや、マジで助かった」
スバルのヨイショに苦笑しつつも、オットーは話を続ける。まあ今回に関してはスバルもかなり本音で褒めているのだが。
「対策と言っても、そう難しいことではありません。口数が普段と比べて減ったり増えたりしていないか、地道に見ておくだけです。普段と違えば、何か不調があるということです」
「確かに、言われてみればラムさんは口数が少ななってたし、ナツキくんもちょこっと喋りすぎやったかもしれんね」
「そういうことです。行商人の知恵というやつですね。長旅で心身に疲労が蓄積すると、些細なことで言い争いになって、取り返しがつかないことになる場合もあるんです。だからこうやって把握しておくのが有用なんです」
オットーは「まあ僕の場合は一人旅が多かったので、長いこと使っていない知恵でしたが」と気恥ずかしそうに言う。
「なるほどな。『憤怒』の権能には使えないかもしれねぇけど、客観的事実から異常に気付くってのは他にも結構使えるかもな」
この世界には、魔法やら加護やら権能やら、とにかく反則みたいな手が多すぎる。『死に戻り』こそあるが素が凡人であるスバルとしては、その反則には勝てずとも、何か抗える材料が一つでも欲しい。それは『死に戻り』で得る情報を増やすことに繋がる可能性があるからだ。
「オットー、そういうテクニックが他にもあるなら、俺に教えて欲しい。というか、共有しておくべきじゃねぇか?」
「それはもちろんいいですけど――ここを出てからにしましょうか」
スバルの体感時間が正しければ、分かれ道はもうすぐだ。
左の道は罠だった。だが右の道もまた別の罠だった。となると次にどうすべきか、スバルにはわからない。
だがさっきのように、話せるだけ話して、あとは頼れる仲間と議論しようと思った。スバルだけで決めても碌なことにならない。
左の道を突破するには、スバルが『死に戻り』で持ち帰った魔獣の情報が不可欠だろう。さっきの事件で頭から飛びかけていた情報をかき集め、攻略の糸口を探る。
右の道の往復にかけてしまった時間は長く、これが他のメンバーの安否とどう関係してくるかは不安だ。ラムの共感覚からすると、レムはまだ無事なようだが。
――もしレムに何かあれば、スバルは『死に戻り』してでも取り戻す。
その覚悟だけは揺るがなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「生き返る……って感じでもねぇが、抜けると露骨に気分が良くなったな」
「相対的に、という程度ですがね」
あれからスバルたちは衝突もなく、なんとか分かれ道まで戻ってくることに成功した。
右の道から出ると、あの重たい感覚はなくなっていた。だが相変わらず右の道に感じる本能的な忌避感だけは残っていた。前回のループを参照すれば、左の道を進んでしばらくすればそれもなくなるはずだが。
「で、ここまで戻ってきたわけだが」
「もう一方の道なら安全、とも思えないわね」
問題はこれからどうするかという話だ。言外にスバルがそれを呟くと、ラムが意図を汲んで続ける。
左に行った場合に出くわす可能性が高い脅威について伝えておくのはスバルの仕事だ。あのケンタウロスについても、必ず出くわすとは限らないが、対策なしで向かうのは愚策も良いところだ。
「そうだな、右側が精神的な罠だったし、勘だけど俺も左側の道に行ったら今度は物理的に危険な目に遭う気がするぜ。具体的には超危険で狡猾な魔獣がいそう」
ペナルティに抵触しない程度に、スバルはそれとなく左側の危険を伝える。
ここからうまいことスバルの持つ情報を伝え、あのケンタウロスの対策を練りたいところだ。さっきもスバルが知る限りの情報は伝えてある。だが本格的に攻略するなら、奴がこの道の先にいる可能性が高いということを言う必要がある。その場合、スバルがなぜそんなことを知っているのかと不審がられることは想像に難くない。
最終手段として、またスバルの勘で押し通すこともできそうではあるが……。
「そうですね、休憩がてら色々あり得る危険について想定しておきましょうか」
そんなスバルの考えを知ってか知らずか、ここで腰を据えて話し合う流れに持ち込むオットー。スバルとしてはありがたい申し出だ。
ラムとアナスタシアもパトラッシュを降り、話し合いに加わろうとする――そのときだった。
「――ッ!」
突如パトラッシュが嘶き、左の道を睨みつける。
その辺に腰を落ち着けていたスバルも、それに気づくと慌てて立ち上がり、腰につけた鞭を手にとり警戒する。
「何か……足音が聞こえるそうです」
パトラッシュの言葉を翻訳したオットーが、声を潜めてそう伝える。
それから緊張に満ちた静寂が場を支配する。耳の良いパトラッシュには何か聞こえているようだが、スバルにはわからなかった。
ちらと視線を向ければ、ラムも左の道の方に杖を構えているのが見えた。
まずい、もし対策前にあのケンタウロスに来られたとすればスバルたちに勝ち目はない。
どうにかして撤退する? 馬の足を持ってる奴から逃げきれるか? パトラッシュなら可能かもしれないが、四人全員乗せてはまず無理だろう。
他の方策を話し合おうにも、奴の目の前で会話をすれば位置をこちらから見せびらかすようなものだ。それはできない。
どうすれば、どうすれば、どうすれば――
全力で思考するスバルだったが、時間は無慈悲に過ぎる。
何の解決策も思いつかないまま、ついに左の道からの音がスバルにも微かに聞こえてくる。踏みしめた砂が崩れるサーッという音だ。だが一向に明かりの類は向こうから見えてこない。
それがわかると、今度はスバルの頭に疑問符が浮かぶ。スバルはてっきり例のケンタウロスがやってきたのかと思っていた。だが奴なら暗闇で隠しようもない赤い炎を纏っているはずだ。あれは敵がいないときも展開している可能性が高い。それがないということは、この先にいるのはケンタウロスではない。
と、その足音は徐々に駆け出すようにテンポが速まっていく。
まずい、こちらの光で気づかれたか?
目が見えない洞窟性の魔獣を想定していたために、カンテラを消すのを忘れていた。
今からでも消すか? いや、向こうは明かりなしでここまで来た。視界が失われる分だけこちらが不利になる。
ちらと見れば、オットーも同じことに思い当たったのか、結局カンテラは消さずにいるようだ。声で意思疎通はできないが、スバルが視線を向けると、オットーは僅かにカンテラを持ち上げるような仕草をした。そのままでいろということか。
音は近づき、やがて足音がゆっくりになる。そして、その姿がカンテラに照らし出される。
現れたのは人間だった。
「――――」
一歩進むと、その顔が暗闇に浮かび上がる。
女、だった。
砂の上に立つ足は大胆に腿まで剥き出しで、女の下腹部を守るのはギリギリまで切り詰めた裾の短いズボンだけ。そのすぐ上にはやはり露出した女の腰とへそがあり、細くくびれた胴の上には乳房を隠す胸当てのように黒い布が巻かれるばかり。
ただ、肩からはフードがある黒いマントのようなものを羽織っており、それが白い肩と露出する体の大部分をかろうじて覆っている。
髪は闇に同化しそうなほど黒に近い褐色で、長く伸ばしたそれを一つに纏めたポニーテールにしている。
その女は一行を見回すと、スバルに目を留める。その双眸はひどく濃密な感情を孕んでいるように見えた。
やがて薄い唇が横に裂け、女は獣性を帯びた笑みを浮かべ、言った。
「――見つけた」
それは紛れもなく人の言葉だった。であれば少なくとも対話はできそうだ。ならまだやりようが――
「――お師様」
「……は?」
まったく聞き覚えのない単語と、それを言った彼女の表情が物語るまったく身に覚えのない感情。それを投げかけられたスバルは、この状況で呆けるしかなかった。
「バルス?」
「いや知らねぇよ」
ラムが何事かとスバルに端的に問いかけてくるが、スバルからしても何が何だかわからない。目の前の人物に見覚えはない。なのにあちらはこちらを知っている?
会話はできるようだし、ここはひとまずあちらに話を聞くべきだろう。そう思ってスバルは彼女に詳しいことを聞こうと試みる。
「なぁ、悪いけど人違いじゃないか? 俺の方はお前に見覚えが……むぐっ!?」
「お師様ぁ! もうもうもう! 待ってたッスよ~!」
言葉の途中で、感極まった様子で飛び込んでくる女に抱きしめられる。というより、飛び込んできた女のタックルを食らい、押し倒される形だ。
相手が会話できる存在だとわかった油断からか、誰もそれに反応することは叶わなかった。もっとも反応できたとて何かできたかと言われれば怪しい。――この女の異常な怪力の前では。
「ま、待て! 待て待て! 何なんだよその怪力!」
あまりの抱擁の強さに、スバルの関節が軋む音すらする。このままでは冗談ではなくへし折られてしまうのではないか、そう感じさせるほどの力だった。
「いやらしい」
「言ってる場合か!」
だがラムはその言葉の調子とは裏腹に、その女に杖を向けたまま警戒しているようだった。ひとまず相手に敵意はないのを見て取ったのか、すぐさま攻撃しようとは思っていないようではあるが。
そもそもスバルとあまりに密着しているので、風の魔法を使えばスバルごと真っ二つだ。この女の強さを考えると、最悪の場合スバルだけが真っ二つだ。それは避けたい。
その様子を見て、オットーは右手を懐に突っ込んだまま固まっていた。その右手にはしっかりと火の魔石が握られている。だがそれをここで投げればスバルごと焼いてしまう。スバルに飛びつく前に咄嗟に反応できなかったのが悔やまれる。
固まる体とは対照的に、オットーの思考は勢いよく回り続けていた。
この人物は何者なのか。砂丘にいるならあの『賢者』なのか。それにしては想定と印象が違いすぎる。先ほどまで一行を光で攻撃していた人物がこうも手のひらを返し友好的になることなどあり得るのか。スバルのことを『お師様』と呼んでいたからには、スバルの何かが友好的になる条件を達成したのか。それを踏まえて第一声は何とすべきか。
しかしまずはスバルにこの人物を落ち着かせてもらう必要がありそうだ。今話しかけてもスバル以外眼中になさそうだ。それに、スバルだけが特別で、依然として他は全員抹殺対象という可能性すらある。
「ナツキさん、頑張ってその人物を落ち着かせてください」
「お前、とにかく、離れろ……お前らも見てないで手伝えよ!」
オットーには、そう叫ぶスバルを固唾を飲んで見守ることしかできなかった。
【本編第11,12話との相違点】瘴気から生還。ケンタウロスに立ち向かうことなくシャウラと合流に成功。
今回の話はなろう版原作第六章14、15あるいは本編11,12に相当しているifルートです。
なお本編13話は12話の続きとして展開していきます。
ちなみに今後もこういうifルートはたまに書くつもりです。少なくとも現時点で一か所分岐させたいルートを考えていますので、お楽しみに。
それともう一点、これまでは週1、2回更新を目標にしていましたが、今後諸事情で難しくなるかもしれません。完結させる気持ちはもちろんありますが、ある程度更新が不定期になってしまうことをお許しください。
以下蛇足かもしれませんが、考察と本編ルートに決めた理由を書いておきます。
まずシャウラとの合流について。なろう原作では三度目のループで餓馬王から逃げる途中でシャウラと出くわします。これはおそらく空洞の出口から探し始めたシャウラと合流した形でしょう。
このルートでは、右の道の往復でかなり時間経過しているので、あらためて左に進み始めるより前にあちらから見つけてくれた形です。
次に右の道について。12話のあとがきに詳しく書きましたが、本編では瘴気に侵されると精神の異常にすら気づけなくなる効果がある、といった考察に基づいて話を展開しました。
しかし何かの切っ掛けでその異常性に気づき、引き返すことに成功していれば、全員が生存したまま右の道から帰還することも可能なのではないかとも考えられます。そういう解釈も素敵だと思ったので書いてみました。
憤怒の権能よりは強制力が弱いというか、その人の中の感情に根差した異常なので、何かきっかけがあれば突破も可能だと思えます。スバルの場合はまさに憤怒の権能に支配された記憶がトリガーになり得ると思ってこのようなルートを考えました。スバルも精神に作用する系統の攻撃の経験がなければここまで疑念を抱くことはできなかったのではないでしょうか。
このルートを本編として採用しなかった理由も三つほど書いておきます。
一つ目は、引き返したからといって精神状態が元に戻るとは限らないからです。これは推測にすぎませんが、戻すためには長い時間が必要で、それはラムのタイムリミットより長くなる可能性が高いと考えました。最悪の場合、本当に死に戻り以外で元に戻す方法がない可能性すらあります。
二つ目は、ラムが抗えなかったものならオットーも抗えないだろうと思ったからです。確かにオットーはどんな状況でも何か手を探る男ですが、それは正常な思考ができる状態を前提としています。あの状態でそれを期待するのは酷でしょう。
三つ目は、餓馬王の攻略(?)をさせたかったからです。このルートのように、時間をかけて右の道に進んだ後に引き返してくると、分かれ道までシャウラが迎えに来ると推測されます。シャウラはスバルたちを探しに来ているわけなので、時間をかければあっちから来てくれるわけですね。すると餓馬王はスキップできてしまいます。プロット的な問題ですが、ちゃんとスバルたちにここを突破してもらいたいと考え、一度全滅させることを決めました。
そんな理由があり、本編では一旦全滅ルートを採用することになりました。まあ、オットーがいる状態での瘴気全滅ルートを描写したかったというのが一番大きい理由ですが......。
以上蛇足でした。