Re:ゼロから始める異世界生活6章オットー同行if   作:樫ハット

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アニメ四期盛り上がってますね!
私は原作読んでたのにきつかったです。

こちらのスバルくんは救われるでしょうか?


【13】不和の残響

 目が潰れ、周囲のことを音でしか認識できなくなっていたスバルにも、最期の瞬間に聞こえた音だけははっきりとわかった。

 脳に突き刺さるような壊れた眼球の痛みに覆い被さるようにして、文字通り頭が割れるような痛みがあった。乾いたパキリという快音とともに砕かれたのは頭蓋骨だ。

 頭蓋骨の内側には脳が入っていたはずだ。それはほんの一瞬前までは意識と記憶を司っていた大事なもので、今はただの灰色の肉の塊に過ぎない。鋭い牙で何度も咀嚼され、ぐちゃぐちゃになっていく。

 

 なぜ物を考える脳がぐちゃぐちゃになっているのに、スバルはこうして考えているのだろうか。痛みを感じる部分だってとっくのとうに潰れているはずなのに、なぜ痛いのだろうか。なぜ苦しいのだろうか

 

 全部パニックに陥ったスバルの恐ろしい幻覚なのだろうか。

 だってそうだ。記憶を溜め込む脳が流れ出し、考えるための器官は潰れ、そもそも生命の維持に必要な部分が根こそぎ失われて、そうなったらどうなるかなんて誰でもわかることだ。

 

 そうなってしまえば、人間は『死』を迎えるのだ。

 だから、当然、自分も――。

 

 

「――ルス。バルス。しっかりしなさい」

 

 茫洋とした意識の首根っこが掴まれ、無理やりに明るい場所へ連れ出される。

 戻った最初に感じたのは、耳元で聞こえる誰かの切羽詰った声だった。声には音の震えだけではなく、軽くではあるが頬を叩かれる感触も伴っていて。

 

「バルス、いい加減に起きないと、瞼を焼き切るわよ」

 

「――っ」

 

 寝起きの頭に恐ろしい発言を聞かされて、意識が急速に浮上する。

 瞼、そうだ、目だ。

 瞼を開けば目が見えるはずだ。さっきまでの恐ろしい暗闇も、これで――

 

 

「――バルス、起きたの?」

 

「――――」

 

 声に呼ばれるままに暗黒の世界を抜け、意識は水面に顔を出すような形で息苦しい環境を抜けた。焦るような気持ちで瞼を開けると、そこには薄紅の瞳を細めるラムの顔があった。薄暗いが確かに光が見えた。

 

 ラムの顔はスバルのすぐ眼前にあった。息遣いが届き、少し顎を持ち上げれば唇の触れ合いそうな至近距離だ。無論、そんな色めいた事情があってのことではない。ラムがこうまで顔を寄せているのは、そうでもしなければ互いの顔の細部が見えないほど周囲が暗いから、それだけだ。

 

 視覚があることに気づくと、今度は尻の下の感触などに意識が移る。細かい砂の粒子の上に体が転がり、スバルは砂海に大の字になっていた。

 一息、スバルの口から呼吸が漏れると、ラムはスバルの瞳の奥を覗き込むようにしばし見つめ、それからゆっくりとカンテラを片手に体を離した。オレンジ色の光が彼女の手の中で闇を切り裂き、スバルは自分が未だ、砂の迷宮に囚われたままになっていることを――否、『死に戻り』したことを理解した。

 

「俺、は……」

 

 暗がりのあたりを見回し、スバルは時間をかけて何があったかを思い出す。

 恐ろしい暗闇に囚われていた記憶だけは鮮明だった。痛い、熱い、暗い、恐怖。『死』の直前の衝撃はあまりにも鮮烈で、それ以外は些事だとでもいうかのように、その前の記憶は揺さぶられて曖昧だ。それを引っ張り出すためには、何か指をかけるとっかかりがいる。

 恐怖だ。何にあそこまでの恐怖を感じていたのか。あのときの感覚は、『憤怒』の大罪司教に恐怖を増幅させられたときにも似ていた。感情の増幅――

 

「――あ」

 

 ラムの顔と、記憶が重なった。

 瞬間、脳裏に蘇ったのは、カンテラに照らされたラムの憎悪の形相だ。そして、鏡合わせのようにスバルの内側にもあったはずの憎悪。その不自然で鮮烈な感覚は消え、それがかえって直前までの記憶のいびつさを物語る。

 

「……気持ち悪い」

 

「バルス?」

 

 訝しげな顔をするラムの前で、スバルは思わず口に手を当てた。

 脳をこねくり回されたかのような感情。それに違和感を覚えられなかった気持ち悪さ。何より、それを皮切りにフラッシュバックのように次々と蘇る陰惨な記憶。

 

 発端はラムとの罵り合いを発端とした、何の意味も意義も見当たらない殺し合いだ。それをさらに殺人で上書きして止めようとした襟ドナ。その彼女が迎えた悲惨な最期。

 首を絞められた人間が苦し気に身をよじって悶え、苦しむ表情。地竜に頭をかみ砕かれ、頭蓋の中身を全部ぶちまけた凄惨な死体。それを差し向けたオットーが目を見開き死に至らしめようとする形相。

 

「うぶ……っ」

 

 それら全てが一挙に脳裏に蘇り、スバルは嘔吐感を抑えられない。

 

「うっ、え……げぇっ」

 

 『死に戻り』によりまともな思考能力を取り戻し、そのために次々と推測で事実が浮かび上がってくる。

 

 ――スバルを殺したのはパトラッシュだ。

 

 それだけでなく、音で認識していた限り、オットーも殺された。

 そしてあの場にパトラッシュがいたということは、どうにかラムを撒いてきたはずだ。となると、彼女も殺していた可能性が高い。

 それらは全て、スバルにとっては最も信を置いている存在の一つでもある、パトラッシュの手で行われた惨劇だ。

 

 おそらく、そのトリガーとなったのはオットーの指示でアナスタシアを殺したことだ。それに加え、あの場の狂気が歯止めを利かなくしてしまった。

 ――そうでもなければ、パトラッシュがあんなことをするはずがない。

 

『でもバルスのそれは希望的観測でしょう?』

 

 どうにか気を保とうとするスバルの脳内に、前回のラムの言葉が入り込む。

 それがあの憎悪と殺意を再び呼び起こすように思えて、恐怖とともに、スバルはそれを振り払おうとする。

 

「……ぉ、げぇ。げほっ、がほっ」

 

 だが思い出すまいと必死になるほどに、意思に反して記憶は鮮明に蘇ってくる。

 致命傷のラムを当たり前のように置き去りにした自分の思考。その後怒りに任せてオットーを殺しかけたこと。そして、その激情の中で自分を疑うことができなかったこと。その結末。全ての記憶が、嘔吐感を伴って脳裏に浮かび上がる。

 砂に向かってえずくスバルだが、喉と胃袋は『死に戻り』の衝撃から立ち直りきっておらず、痙攣するばかりでスバルの意思に従おうとしてくれない。

 

「げほっ、えほっ……!

 

「……目覚めたかと思ったらいきなりそれ? 情けないわね」

 

 地面に手をつき、必死に胃の中身を吐き出そうとするが何も出てこない。口の中は渇ききり、涎の一滴も流れ出てこないのだから驚きだ。

 カンテラを片手にこちらを見るラムの表情は見えないが、懸命になって喘ぐスバルに彼女が呆れているのはその声音から十分に伝わってきた。

 

 やめてくれ。

 

 と、スバルは思った。彼女の冷たい態度が、またあの暗い衝動を呼び起こし始めたのが自分でわかったから。一度それが始まれば、また歯止めが利かなくなってしまう。

 

 いや、そうなったとしてそれは仲間内で不和を引き起こそうとする奴の自業自得で――

 

「――噛むんじゃないわよ」

 

「――っ」

 

 ついさっきまで使っていた思考回路をなぞり、誤った結論を導き出そうとしていたスバルの思考を遮ったのは、ラムの一言だった。彼女は一言そう前置きすると、スバルの傍らに腰を下ろし、その頤を持ち上げた。

 跪いていたスバルがとっさのことに驚くと、ラムはそんなスバルの反応を意に介さずに口を開かせ、心底つまらなそうな顔のまま――自分の白い指を、スバルの喉の奥へと突っ込んだ。

 

「……!? ぉ、えぉっ」

 

「バルスの不器用は筋金入りだと知っていたけど、ここまでだと赤ん坊同然ね」

 

 他人の指に喉を犯され、スバルの食道が乱暴に凌辱される。

 すると、それまで嘔吐の邪魔をしていた胃袋や喉は新たな驚きを受け入れ、今度は一致団結して胃液と唾液を押し出すために必死に働き始めた。

 そのまま涙目になり、スバルは嘔吐感に任せるままに砂の上にそれをぶちまける。胃液と水分を吐いただけだが、それでも嘔吐の前よりずっと楽になった。

 

「えほ、げほっ……はぁ、ふ……悪ぃ、もう、大丈夫……っ」

 

 嘔吐の衝撃で、悪い方向に流れかけた思考が中断される。袖で口元を拭うスバルは、半ば自分に言い聞かせるようにそう口に出す。

 そう、大丈夫なはずだ。前回も前々回も、この段階で思考がおかしくなることはなかった。だから、大丈夫なはずだ。

 

「そう? 満足できたみたいでよかったでちゅね」

 

「お前な……」

 

 それを見て、ラムが肩をすくめながら幼児言葉で返す。

 その態度に思うところはあるものの、赤ん坊レベルの粗相をしでかしたのは事実だ。反論する余地などないし、今もラムの掌はスバルの背中を優しく撫でている。

 わかりづらく、辛辣な心遣いだ。

 

「手、もういいって。それより、ここは……」

 

「結界が解けて、砂海が目の前で割れたことは覚えているでしょう? そこに竜車ごと呑み込まれて、投げ出された結果がここよ」

 

 ラムの配慮を振り切り、スバルが周りを見ながらそう言った。それに対する彼女の受け答えを聞いて、スバルは『死に戻り』地点の継続に安堵と不安のどちらを抱けばいいのか判断に迷う。

 ひとまず、仲間同士で殺し合う最悪の事態はリセットされた。だが、選択次第ではまた同じ事態に陥る可能性があるということだ。それを避けるためには、まずあり得る事態を共有しておくべきだ。

 その判断に従い、言葉を続けようとして――、

 

『地下で目を覚まして、バルスはレムのことを心配した? エミリア様のことは? ベアトリス様のことは? 見当たらない誰かのことを、ちゃんと心配した?』

 

「――ぅ」

 

 脳裏に蘇ったのは、ひどく鋭く心を抉ったラムの言葉の刃だった。

 前回の終局を招いた不和――味方同士で殺し合ったあの状況は、明らかに異常だ。

 自分のことに違いないが、回想した自分が正常な精神状態にあったとは到底思えない。そもそも、切っ掛けが異常だ。虫の居所が悪かった程度のことが積み重なって、罵り合いから殺し合いになるなど、あまりに馬鹿げている。

 

「バルス?」

 

 言葉が出てこないスバルの様子に、ラムが首を傾ける。

 前回のことは、異常な事態が招いた不和だ。だから当然、あんな状態で発されたラムの言葉に不安がる価値はない。――ただ、全て嘘と言い切ることは、スバルにはできなかった。

 通常ではありえないほど増幅されていたことは事実でも、スバルがラムに感じた不満や憤りは偽物ではない。何もかもが嘘だったわけではないのだ。

 

 ならば、エミリアたちを心配しないスバルの態度に、ラムが言葉にし難い不快感を抱いたことは事実なのだろう。その感情に配慮するなら、スバルはここで形だけでもエミリアたちの心配をすべきだ。

 実際、心配しているのだから、そう振る舞うのは嘘でもなんでもない。

 ただ、心配したところで何も得られないと、それがわかっているだけで。

 

「――――」

 

 心配しているのは嘘ではない。だが心配の言葉を口にするのは欺瞞だ。

 今のスバルがそれを口にすることは、不和を避けるための打算でしかない。だからそれを口にしてラムを欺くようなことをするのを躊躇ってしまう。

 スバルの良心などを気にしている場合ではない。そうわかっているのに、スバルは言葉に詰まる。

 

「その……みんなは……」

 

「――そんなに自分を責めても無駄よ。誰の責任か、なんて追及することに意味なんてないわ。そんな時間の無駄より、優先すべきことがあるはずだわ」

 

 しかし、スバルが心配する言葉を口にする前に、ラムの方がスバルの感情に勝手な帰結を得た。というより、深刻な顔をするスバルの表情を読み違えたというべきか。

 ラムの洞察力からすれば珍しい事態だ。時に人の心を見透かしたような言動をする彼女の誤りは、内心、彼女がそれだけ焦っている証拠でもある。

 

「ただでさえ、バルスがゲロ吐いていた時間を無駄にしているんだから」

 

 もちろん、ラムはそんな自分の心の荒れ模様を見せるような真似は決してしない。実際スバルもそれと知らなければ気づけないくらいには、普段通りの態度だった。

 スバルが何も言えずにいるのを同意と受け取ったのか、ラムは言葉通りにさっさと動き出す。彼女はスバルの口に突っ込んだ指を拭うと、カンテラを迷宮の奥へ向けた。

 

「グズグズしていられないわ。レムと……それに、エミリア様たちと合流しないと」

 

「わ、かってる……その、ここにいるのは?」

 

「ラムとバルスを除けば……ちょうど、戻ってきたところのようね」

 

 内心を取り繕うようにラムに返事をすると、薄暗い空洞の奥を見透かそうとしている彼女の視線を辿る。

 迷宮の向こうからは、オットーが手綱を握って先導するパトラッシュと、そのパトラッシュに乗るアナスタシアが現れた。闇に溶ける漆黒の地竜を遠目に見て、スバルの眼球が微かに震える。

 

 ちらちらとオレンジの光に照らされる、その凛々しくも凶暴で美しい顔立ち。

 閉ざされた口の中に並ぶ、刃と見紛う牙の列が、恐らくここにいる全員の命を奪って――。

 

「落ち着け、ナツキスバル」

 

 小刻みに震え出す奥歯を噛みしめ、スバルは冷静さを取り戻そうと努める。

 あの異常な不和の中なら、パトラッシュとておかしくなっていたはずだ。今この状況で殺そうとなんてするはずがない。異常なときの行動で評価するなんて、そんな理不尽なことをすべきでない。

 第一スバルだってラムに殺意を抱いていたではないか。オットーに向けても、殺意ではないにしろ害意は持ってしまっていた。それを仕方なかったなどと誤魔化すつもりはないが、そんなスバルが他者を評価するのはおこがましいだろう。

 

 確かにパトラッシュに殺されたことは、スバルにとっても癒えない傷として心に刻み込まれた。それでも、スバルは自分を殺した存在と向き合うことを繰り返してきたはずだ。

 

「そうだよ。レムだってラムだって、最初は……さ」

 

 今しがた、温もりを覗かせたラムだって。

 あれだけスバルを献身的に支え、許してくれたレムだって。

 最初の関係は最悪だったし、命を狙われたことも、奪われたこともあったのだ。

 それと比べれば、本意ではなかった先の出来事など、可愛いものだ。

 

 状況さえ違えば今のように親しくもなれるし、殺し合いにもなってしまう。それは今まで何度も『死』のループを繰り返してわかっていたはずだ。

 その悲しい結末を迎えさせないために、スバルが未来を選び取るのだ。

 

「そうだ。そうだろ。……そのはず、なんだ」

 

 自分の肩を抱き、スバルはまるで寒さを堪えるように肌を擦る。

 砂海の地下、砂と闇に支配されるこの場所は確かに寒い。しかし、寒気を感じる理由は決して、外気のそれとは原因を異にしている。

 

「ナツキさんも、ようやくお目覚めみたいですね」

 

「寝坊助さんやね。ナツキくんが一番最後やなんて」

 

「お帰りなさいませ、アナスタシア様、それとオットー。それで、周囲の様子は?」

 

 正面、ラムとオットーとアナスタシアが言葉を交わしている。

 この砂の迷宮の攻略方針と、今しがた得てきた情報のすり合わせを行っているはずだ。本来、スバルはそこに混ざり、伝えなくてはならないことが多くある。

 それなのに、今は心を落ち着けることを優先しなくては、膝が動かない。

 

「ナツキさん?」

 

「……悪い、ちょっと考え事だ。まとまったら話し合いに混ざるよ」

 

 一人膝を抱えるスバルを見て声をかけたのはオットーだった。スバルは心配をかけないようにそれとなく誤魔化すが、

 

「そうでしたか。何か気づいたことがあれば言ってください。――ナツキさんの気持ちが落ち着いてからで結構です」

 

 オットーはお見通しのようだった。

 思えば聖域のときもそうだった。何でもない風を装って一人で問題を抱え込んでいたスバルに、痛い一撃を食らわせてくれたのはオットーだ。

 

「悪いな……いや、ありがとよ」

 

 不甲斐なさとありがたさが入り混じった苦笑を返すと、オットーはひとまず納得したようで、二人との会話に戻る。

 

 ラムに気遣われるくらいには顔に出ているのだろう。実際、『死に戻り』を経ても依然としてあのときの恐怖が浮かび、あの瞬間の激情が蘇るのは確かだ。

 だがスバルがそんなことではいられない。みんなを不安にさせないためにも、スバルは気を張らないといけない。

 

「馬鹿か、俺は……いや、馬鹿だ俺は」

 

 そこまで考えてスバルは自嘲的な笑みを浮かべる。そもそもの不和の原因は、こうした不安や不満をギリギリまで隠そうとしたからだったじゃないか。

 できもしないのにスバルがそんな真似をすれば、いずれ綻びが生じる。なら、最初から素直に打ち明けてしまえばいい。弱いスバルだからこそ、強い仲間に頼る。これまでだってそうしてきたじゃないか。

 

 吹っ切ることはできない。それだけの衝撃はあった。それでも進むしかない。

 情けなかろうがなんだろうが、進むためならみんなを頼る。今のスバルは、それを恥だと思わない。

 

「よし」

 

 一度頬を張り、スバルは立ち上がる。まだ少し膝は笑っている。だが、立てる。

 話せることは全て話そう、そんなふうに考えながら、話し合いを続ける三人に合流するのだった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

「漠然とした説明しかできないんだが……ちょっと今、被害妄想が激しい」

 

「被害妄想、ですか?」

 

 話し合いに参加し、現状に関して情報を持ち寄る会話が一段落したところで、スバルの精神に生じた不調を打ち明ける。だが三人ともピンと来ていないようだ。オットーも軽く首を傾げ思案顔だ。

 

「そうだ。何っつーか、自分が裏切られるとか殺されるみたいな妄想が勝手に頭の中に出てくる」

 

「……瘴気の影響でしょうか?」

 

「ああ、俺はそうだと踏んでる」

 

 この状況で精神へ影響を与える原因として、オットーは即座に瘴気に思い当たったようだ。事前に下調べや対策などをしていたのだろうか。

 それならなぜあのとき事前にこの脅威を申告していなかったのか。先に言われていればスバルだってあの不和の中で多少は冷静でいられたはずで――。

 

「ストップ、ストップだ……」

 

「思ってたより深刻なんやーってことはわかったわ。……これ、うちらも今のナツキくんみたくなるかもしれんってこと?」

 

「可能性はあります。とはいえエミリア様もベアトリス様もおられないので、瘴気の対処法はないに等しいです」

 

 なんとか悪い方向に膨らむ思考を押しとどめようとするスバルを見て、アナスタシアも事の深刻さに理解を示す。客観的におかしい、と認められると安堵と不安が同時に湧く。

 ようは彼女らの選択肢の中に、スバルを排除するというものが生まれたわけだ。そうなる前にこそ、いっそ――。

 

「俺、超めんどくせぇ」

 

「これ、もしかして本気でふん縛って運んだ方が楽なんとちゃう?」

 

「それでは根本的解決にならないでしょうね。この様子だとかえって事態を悪化させてしまう可能性すらあります」

 

 顔を赤くしたり青くしたり、一人で百面相するスバルにアナスタシアが匙を投げる。それを真面目に検討するオットーとのやり取りを見て、ラムは思わしげに眉を寄せる。

 

「ラムたちも無関係ではありません。ひとまず脱出を急ぐべきでしょう――それに、レムのこともあります」

 

 ラムは強い意志のこもった瞳で三人を見回す。

 スバルたちが瘴気にやられるタイムリミットもあるが、レムが無事でいられるタイムリミットも依然としてあるのだ。スバルは『死に戻り』の知識から、一時間ほどの間はレムが無事でいてくれることを知っている。だが空洞を出てからも捜索にどのくらい時間がかかるかわからない以上、早いに越したことはない。

 

 だが、レムについてラムがこうまで敏感に反応するとは思わなかった。

 もちろんスバルにとって、ラムがレムのことを気にかけるのは良い兆候だ。元と同じ関係とまでは行かないだろうが、ラムは限りなく親身に近付こうとしている。

 

 無論、レムの記憶が彼女の中に残っていないのは、この一年で嫌というほど思い知らされた事実だ。ただその一方で、ラムが自分と瓜二つのレムという少女の存在を、『スバルから知らされた真実』以上に重く受け止めていることも間違いない。

 そしてどうやらその感情は、スバルが『想像を超えたと想像していた』以上の実感をラムにもたらしているらしい。

 

 もしかするとこれは、レムとラムの共感覚が関係しているのだろうか。お互いの存在を心のどこかで認識し続けているなら、そのことが影響していてもおかしくはない。

 だがそれにしても、彼女の情はおそらくスバルの考える以上に深いことは確かだろう。そのことは先の迷宮の不和――その切っ掛けとなった、スバルの配慮に欠けた言動への爆発からも窺える。

 

「……いやらしい」

 

「いや、いやらしくねぇよ。そんな目じゃねぇよ。それこそ被害妄想だよ!」

 

 そうして軽口を交わす間は安心できる。その間だけは、誰かを憎まずいられるからだ。

ともあれ、そうしてばかりもいられない。

 

「ともかくだ、俺のせいで歩みを止めてられねぇ。被害妄想については……まあなんとか抑えてやれるつもりだ。おかしくなったら止めてくれ」

 

「バルスがおかしいのはいつものことよ。ラムたちは今更気にしないわ」

 

「……そりゃありがてぇ」

 

 ラムなりの気遣いだとわかっていながらも、その毒にスバルは心がささくれ立つのを感じた。だが今はちゃんと理性が働いているようだ。

 スバルは一度深呼吸する。お世辞にも良い空気とは言えないが、ひんやりとした空気が鼻を抜けるのは悪い気分じゃなかった。

 

「行こう」

 

 スバルは奥の道へカンテラを向け、出発を促す。

 オットーは横に並び、ラムとアナスタシアはパトラッシュに騎乗する。これまでのループと同じ陣形で、一行は空洞を進む。

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 自分たち以外の仲間の姿を求めて、スバルを先頭にした集団は冷たい闇の中をゆっくりと進む。カンテラで通路を照らし、道端に倒れている影がないか、誰かが残した目印がないか、目を凝らしながら進む。その歩みは遅々として、もどかしいほどだ。

 

「――――」

 

 本音を語れば、スバルはこの道中の確認作業を省略してしまいたい。

 

 すでにスバルにとって、このあたりは二度通った道のりだ。見渡せる範囲にエミリアたちが転がっているはずがない。かといって、それを後ろの二人に訴えかけることに意味はないし、見落としがあると言われれば抗弁は不可能だ。

 

 それに、スバルは仲間たちの不安になるべく寄り添うことに決めたのだ。スバルは納得していても、みんなが納得しなければ、誰かがずっと不安を抱えることになってしまう。ただでさえ不安の多い状況だ。そうなることは避けたかった。

 そうして彼らが安心するためだけの、無駄とわかっている確認行動を許すことはスバルの欺瞞に過ぎないのでは――

 

「――ッ」

 

 スバルは頬の内側を噛み、思考と感情の暴走にブレーキをかける。

 あの右の道のように歯止めが利かない感覚こそないが、気を抜けば負の衝動に引っ張られそうになる。

 

 しばらくの間スバルは会話に加わることを控え、こうして気持ちを落ち着けることを優先していた。必要な情報は共有していたし、スバルの不用意な言動で歩みを止めることの方が大きな妨げになると思ったからだ。

 

 それに、本当に共有したい情報は、この後説明した方が良い。

 この先に分かれ道があるなどと口走れば、不審な目で見られること間違いなしだからだ。

 

「――分かれ道、ですか」

 

 スバルと共に一行を先導するオットーが、カンテラで照らし出された分かれ道を見てそう呟く。どうやら着いたようだ。

 

「これは……ナツキくんがああまであからさまに影響受けた理由もわかる気がするわ」

 

「アナスタシア様もお気付きですか」

 

「これを無視しろって方が難しいと思いますけどね」

 

 口調は普段通りだが、三人とも警戒の面持ちで右の道を睨みつけている。その道からは、相変わらず強烈な負の感覚が垂れ流されていた。

 

「瘴気の原因は、この先やね」

 

「メィリィの話だと、バルスの体臭は魔獣を呼び寄せるそうだし、そうだとすると元々相性が悪い……いえ、良いのかしらね」

 

「やっぱ、これって瘴気なのか?」

 

「状況からすると、その可能性が高いでしょうね。砂丘の奥に『魔女の祠』があるのは周知の事実です。何らかの理由でそこと繋がってしまい、瘴気が漏れ出していても不思議ではありません」

 

「魔女……か」

 

 この先に魔女が封印されている。そのことを意識すると、スバルの中に一つ不安が生じる。

 

 ――スバルの胸の内側には、依然として右の道への快哉を叫ぶ何かの存在がある。

 

 そのことと魔女は、おそらく無関係ではないだろう。未だに謎の多い『死に戻り』と合わせて、魔女の存在を意識することは、スバルに言いしれない不安を呼び起こすのだった。

 

「砂海が解けたことが原因になった可能性もあるわね」

 

「何にせよ、とんだ近道になった、言うことなんかなぁ」

 

 オットーが述べた可能性を、ラムとアナスタシアも肯定する。精神を掻き乱し、殺し合いを呼ぶほどの不和を生んだ原因を、三人は瘴気だと断定したようだ。

 スバルとしては賢者が仕掛けた罠である可能性をまだ捨てきれていなかったが、こうまで状況が揃えば瘴気でほぼ確定か。

 

 ともあれ今優先すべきはどちらへ進むかを決めることだ。

 二手に分かれる分かれ道、右からは瘴気が漂い、左にはケンタウロスの巣。

 無論、左の道に進むことになれば、そこに潜む脅威についてこの後でうまく話すつもりではあるが――どちらへ進むかは、今ここで決める必要がある。

 

「それで、皆さんはどちらに進むのが正解だと思いますか?」

 

 オットーの問いかけに、スバルとラムとアナスタシアは交互にお互いの顔を見合わせる。

 そして、寸分の狂いもなく声を合わせ、言った。

 

「――左」

 

 そういうことになった。




【第13話での相違点】死に戻り後のスバルの不安が少し軽減される

今回の話はなろう版原作第六章16に相当しています。
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