Re:ゼロから始める異世界生活6章オットー同行if   作:樫ハット

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【19】知識

「解決編って言ったはいいものの、これで俺の推測が間違ってたらちょっと恥ずかしすぎるな」

 

「せっかくかっこよかったのに、スバルは締まらんかしら」

 

 大見得を切った後で予防線を張ったスバルにベアトリスはやれやれと首を振る。それに苦笑いを返し、スバルは真剣な顔でベアトリスを見つめる。ベアトリスはそこに信頼の視線を向け、スバルの手を握り返す。

 

「ベア子、一つお願いがある――ムラクで、ちょっと高くジャンプしたい」

 

「……何をする気かしら?」

 

「モノリスを見下ろせば、俺の答えに確信が持てる。それを確認したい」

 

「――わかったのよ」

 

 スバルの意図がいまいちわからず首を傾げたベアトリスだったが、それ以上追求しようとはしなかった。そこにある確かな信頼に感じ入るものはあるが、今はそれは置いておく。

 ベアトリスは小さく吐息をこぼすと、握った手をより強く引き寄せ、

 

「ムラク、かしら」

 

 淡く、薄紫の波動がベアトリスの詠唱に従い、スバルの肉体を薄く包む。

 重力の影響を遠ざけ、身軽さを先鋭化させる魔法だ。軽く跳ねるだけでも一メートルほど浮かび、力一杯に床を蹴れば――、

 

「よ、っと!」

 

 ベアトリスの手を掴んだまま、スバルの体が高々と部屋の上へ飛び上がる。その高さは六、七メートルほどに及ぶが、天井に頭をぶつけることはない。

 元々遠近感が掴めない白い空間だったが、どうやら想像以上に天井は高いらしい。おそらくその高さは塔の外見と釣り合っておらず、魔法か何かで拡張されているのだろう。高く飛び上がったスバルは、部屋を上空から見下ろした。

 

「――思った通りだ」

 

「何かわかったかしら?」

 

「ああ、わかったぜ。この謎解きの答えと――ついでにこれの作者が最高に性格悪いってことがな」

 

 腕の中、呟きを聞きつけたベアトリスの視線に、スバルは頬を歪めて頷いた。

 そのまま、二人の体は垂直に地面に向かってふわりと落下する。スバルは何の問題もなく着地し、お姫様だっこしていたベアトリスを床に下ろすと、

 

「英雄の名前、わかったよ」

 

「ホントに!?」

 

 思索と跳躍を見届けたエミリアに、スバルは得た確信のままにそう言った。その言葉にエミリアが驚き、アナスタシアとオットーも目を丸くする。

 その声を聞きつけ、シャウラと話していたユリウスたちも、スバルたちの方へと集まってきた。

 

「お兄さん、わかったのお?」

 

「解けたぜ。意地悪な試験官の考え諸共、ひとまずな」

 

「さすがお師様ッス! 痺れるッス! 憧れるッス!」

 

 親指を立てて答えると、メィリィを背中に乗せたシャウラが大仰に頭を揺する。それを横目に、ユリウスがモノリス群に目をやり、

 

「今さら君を疑うつもりもない。どういった風に答えを出したか教えてくれ」

 

「オットーの言う通りだった。これが解けないのはお前らが悪いわけじゃない。解ける可能性のある奴が、そもそもずっと少ない」

 

 オットーは『試験』をスバルのような有資格者を選別する目的だと考えていたが、どうやらその推測は正しそうだ。この問題を解けるのはスバルだけではないだろうが、実質的にほぼスバルくらいのものだろう。

 その上でこの出題の仕方は、明らかにミスリードを誘っており、その点も意地が悪い。

 

「シャウラに滅ぼされた英雄、その名前はオリオンだ」

 

「オリオン……?」

 

 スバルの口にした単語に、全員が怪訝なものを浮かべてシャウラを見る。が、当のシャウラはその視線に、「知らないッス!」と懸命に首を横に振った。

 

「いやいやいや、あーしの知らない人ッスよ。仮に殺してたとしても、そもそもここまで辿り着けない人が英雄なんてちゃんちゃらって話ッス。だからあーしは悪くないと思うんスよ。どうッスか、この理論武装! あーし賢いッス!」

 

「見たまま賢くないこいつの記憶頼りの謎解きってのが、そもそもおかしな話だったんだ。――この問題の『シャウラ』ってのはこいつのことじゃない」

 

「何言ってんスか! シャウラはあーしだけッスよ! お師様に貰った名前ッス!」

 

「そのお師様がお前に付けた名前にも、そもそも元ネタがあったって話」

 

 反発するシャウラの鼻面に指を突き付け、詰め寄った彼女を背後へ押しやる。それからスバルは歩み出て、最初のモノリスの前に立った。

 

「シャウラの名前の由来って……もしかして、またスバルだけが知ってること?」

 

「俺だけってわけじゃないけど、みんなが知ってるわけではないね。――俺の地元の星の名前に、『シャウラ』ってのがある。意味は『針』なんだけど、それが何の針かっていうと『サソリ』の針なんだ」

 

 スコーピオンテール、とシャウラが自分の髪型を強硬に主張していたが、あれはある意味でヒントだったのか、それともシャウラの天然なのか。いずれにせよ、『シャウラ』=『サソリ』=『針』を想起させる情報はいくつかあった。この塔の名前が『プレアデス』監視塔なことも、星座を示唆する情報の一つだ。

 

「言い伝えによると、英雄オリオンは調子づいたことが理由で、嫌がらせに派遣されたサソリに刺されて死んで星になった。で、オリオンを殺したサソリもその功績で星になって、今でも空じゃオリオンはサソリにビビってるって話なんだが……」

 

「……ナツキさんの話によると、『シャウラに滅ぼされし英雄』がオリオンを指すということはわかりました。では、『彼の者の最も輝かしき』とは?」

 

「そう、そこもポイントだ。まず星を人とか動物とかの形に例えた星座って考え方がある。アステリズムって考え方でもいいけどな。オリオンも星座の一つで、要はオリオン座ってのはいくつかの星でできてる」

 

「なるほど! つまりオリオン座の中で最も明るい星が『彼の者の最も輝かしき』になるわけですか」

 

 スバルの説明を聞いてするすると理解し、答えに納得した様子のオットー。横で聞くユリウスとベアトリスもスバルの説明を聞き頷く。

 

「……一つ聞いておきたいのですが」

 

「なんだ?」

 

 先ほどの喜ばし気な顔から一転し、オットーは真剣な表情でスバルに問いかける。何か問題でもあっただろうかとスバルは内心不安になりながら目を合わせる。

 

「この謎解きができる人は、ナツキさん以外に誰がいますか?」

 

「……そうだなあ、まず大前提として同郷って条件がいるけど、俺の地元でもここまで知らない人はいるんじゃないかな」

 

「ナツキさんの地元の知識で、かつそこでも全員が知っているわけではない、知識ですか。誰か現時点で解けそうな人は思いつきますか?」

 

「うーん、これを作ったフリューゲルは当然として、アルが解けてもおかしくないんじゃねぇかな」

 

「プリシラ様の騎士、ですか」

 

「あいつも同郷、ってのは王都に行ったときに直接聞いてわかったからな。星に興味がないタイプだった可能性もあるけど……あ、そうそう。もしかしたらホーシンも知ってた可能性があるって俺は予想してるんだが」

 

「『荒地のホーシン』がナツキくんと同郷? 詳しく聞かせてもろてええかな?」

 

 聞き捨てならない名前が聞こえてきたのにアナスタシアが反応する。ぽろっとこぼしただけの推測に思った以上の食いつきを見せられ、スバルは両手を振って自信の無さをアピールする。

 

「いや、確証があるわけじゃねぇよ。ただ、俺の地元にあったような物とかアイデアとかを使ってたからさ。……あー、言ってて思ったけど、案外これもフリューゲルの入れ知恵なのかもしれねぇな」

 

 なにせ自分の功績をシャウラに押し付けたような奴だ。自分の知識をホーシンに渡し、自分は陰からそれを操る、ってのはいかにもありそうな話だ。

 アナスタシアは微妙な顔をしているが、それ以上スバルに根拠がないとわかると引き下がった。一方でオットーは顔を上げ、多少不安は晴れたように見えた。

 

「なるほど。とりあえず、納得しました。これがナツキさんだけを狙い撃ちする謎解きであればかなりきな臭いところでしたが、他にも該当者がいるとなれば多少は納得できます」

 

「言いたいことはわかるけど、そんなに危険か?」

 

 むしろ唯一の該当者なのであれば優遇してくれてもおかしくない。そう思ってオットーの懸念に疑問を返したスバルだったが、オットーは「あのですね」と少々呆れたように切り出し、

 

「ナツキさんだけが来ることを想定していれば、ナツキさんだけを確実に仕留める罠が存在していたっておかしくないんですよ。この『試験』だって、より中枢に誘い込むための罠かもしれない。そういう可能性を常に考慮してですね――」

 

「あー悪い悪い、確かに俺が馬鹿だったわ」

 

 半ば強引にオットーの説教を切ったが、確かにスバルが浅慮だったのはその通りだ。

 スバルには『死に戻り』の権能があるが、それは万能ではない。例えば味方と長時間切り離されてしまう罠があれば、取り返しがつかなくなる可能性もある。実際砂丘の地下に分断されたときはそれに近い状況だった。

 考えなしにずんずん進むのは危険だ。だが虎穴に入らずんば虎子を得ずということわざもある。それにシャウラを縛る塔のルールのこともあるし、結局後戻りはできないのだ。警戒は必要だが、先に進まないという選択肢はない。ひとまずそう思っておくことにした。

 

 オットーは「あんた、本当に理解しているんですかねえ?」とでも言いたげな顔をしていたが、結局自分が警戒していなければならないのだなと理解したのか、一つため息をついて引き下がる。

 

 ひとまず話が終わり、一人考え込むオットーを横目に、エミリアは「はい、私も質問があります」と手を挙げる。スバルが「エミリアたん、どうぞ」と発言を促すと、

 

「『試験』の問題は『彼の者の最も輝かしきに触れよ』、だったわよね。……どうやったらそのお星さまに触れられるの?」

 

「その点も抜かりないぜ。さっき上からモノリスを見下ろしてわかった。――このモノリスは、星座を形作ってる星に相当してるんだ」

 

 ベアトリスの魔法で身軽になり、跳躍してモノリス群を見下ろした。

 白い世界に、黒く点在するモノリス――本来の色味としては真逆だが、それは白い世界に浮かび上がる黒い星々の連なりであり、知った形だ。

 

 最初のモノリスと同じだけの大きさ、そのモノリスが全部で八つ。

 オリオン座を形成する、主要な星々のそれと数も配置も一致する。

 

「そっか! じゃあ一番明るいお星さまに対応してるモノリスに触ればいいのね!」

 

「その通り、って言いたいとこなんだが、最も輝かしき、ってのが意外と曲者な言い回しだ。実は星は光り方も色々あって、ずっと明るいのもあれば、たまに強く光るのもある。そういう意味だと、オリオン座には最も輝くってのに該当する星が二つあって……」

 

 真上から見下ろしたとき、左上に位置するオリオンの右肩『ベテルギウス』に相当するモノリスと、右下に位置するオリオンの左膝『リゲル』の二つが存在する。

 恒常的に明るいのは『リゲル』だが、『ベテルギウス』は時折強く光る変光星だ。

 どちらともとれる、という問題への解答は美しくないが――、

 

「俺だったら、『リゲル』の方を取るかな」

 

 ベテルギウスって名前には、似た名前で嫌な思い出もあるし。

 

「――――」

 

 そうして自分の中で答えを結んで、スバルは歩いて行き、オリオンの左膝『リゲル』のモノリスに触れる。

 これが答えとは限らない。だが、おそらく正解のはずだ。

 

 そして同時に理解する。

 この『試験』を考えた人間の底意地の悪さと、二層と一層に待ち受ける障害の、その高さと険しさへの覚悟を。

 

「――――」

 

 眩く、白い部屋は光に包まれる。

 音も景色も置き去りにして、何もかもが吹き荒び、やがて――。

 

「……おお」

 

 

 光が晴れたとき、スバルたちは石造りの空間――塔の延長上の建物の中、無数の書架に囲まれた部屋の中心に立ち尽くしていた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 周囲の白い空間が消え去って、眼前に出現したのは石造りの部屋と無数の書架。

 触れていたはずのモノリスの存在が掻き消えたことを確認して、スバルは自分の辿った思考の帰結が、おそらく正しい答えだったのだろうと判断する。

 

「やったわ! スバル、すごいわ!」

 

「ありがとうエミリアたん……けど、オットーの言う通り、この塔のきな臭さがいよいよ無視できなくなってきたな」

 

 三層『タイゲタ』が解放されるのを見届け、エミリアは歓喜の声を上げる。スバルとしても最初の『試験』が突破できたのは嬉しいのだが、さっきの話を聞くと手放しで喜ぶ気分ではなくなる。

 これで、この塔はスバルの元いた世界、地球の知識を前提としていることがはっきりした。それを『試験』として設定していることから、スバルか、アルあたりの人物が招かれているということも。

 

「最初はただ性格悪いだけかと思ったけど、こうなってくると質が悪いというかなんというか……」

 

「まあまあ、ここはナツキくんのお手柄ってことでええやん。それに――」

 

 呟くようにぼやくスバルに、アナスタシアが気分を切り替えようと促す。彼女はそう言いながら、周囲へぐるりと視線を巡らせて、

 

「うちとしてはここの書庫としての役割が気になるところやね。どんな本があるんか、興味深いわ」

 

 見渡す限りの書架には、その全てに本がみっしりと詰まっている。事前の説明では、ここは書庫ということだった。そこにどのような知識が収められているのか――その中にレムを救う手立てがあるのか。

 

「シャウラ嬢の説明では、知りたいことであれば何でも知れる知識の宝庫――といった説明でしたが」

 

 アナスタシアの疑問に首肯し、ユリウスがちらりとシャウラの方を見る。が、シャウラは自分の過去の発言など忘れた顔で、その剥き出しの肌に遠慮なく触れているメィリィと戯れている。

 期待度は最初から低いが、シャウラからこの『タイゲタ』の書庫の説明を受けることはほぼほぼ無理と考えてよさそうだ。

 

「アレの反応からして、そもそも『タイゲタ』が開かれたのが初めてのことなのよ。見て回って確かめてみるしかないかしら」

 

「そうだな。どういう本があるか気になるところだ」

 

 失われた魔術の本とかがあれば、レムの治療が叶うかもしれない。さすがにそれは都合が良すぎるにしても、何か手がかりが見つかれば御の字だ。あるいは大罪司教の弱点でも書いてあればありがたいのだが……。

 

 書庫にいるからか心なしかウキウキして見えるベアトリスを微笑ましく思いながら、スバルは本棚へと歩みを進める。

 この三層には所狭しと書架が並べられており、背の高い本棚には無数の本がぎっしりと詰め込まれている。部屋には円形の段差がいくつもあり、スバルたちのいる中央が一番低く、外に向かうにつれて段差が高くなる。

 蔵書は気が遠くなるほど多く、ベアトリスの禁書庫も相当なものがあったが、単純に本の数だけでいえば物量ではこちらが圧倒しているだろう。

 

「……これは、安易に触って良いものでしょうか」

 

「誰かが試してみるしかないだろ」

 

 本棚の目の前で本に手を伸ばすことを躊躇したスバルの内心を読んだように、横に並んだオットーがそう言う。スバルも自分ではそう言いながら、踏ん切りがつかずにいる。

それを誤魔化すように振り向けば、エミリアたちもそれぞれ本棚に歩み寄っていた。だがなかなか手に取る勇気を持てずにいる様子だ。視線に気づいたエミリアは、

 

「その、解いたのはスバルでしょう? だから、スバル以外が触っても平気なのかなって」

 

「あー、確かにどうなんだろうな。でも、正答者しか読めない形式にするなら、解くのを見てただけのエミリアたんたちまで書庫に入れるのがおかしくないか?」

 

「あ、そっか。ここに入れた時点で、許可が出たみたいに考えていいんだ」

 

「うん、そうだと思う――けど、エミリアたん!?」

 

 警戒していたエミリアにスバルが推測を述べると、彼女は納得した顔で頷く。それから彼女は無警戒に、すぐ目の前の本棚から一冊の本を抜き出した。

 そして言っておいて驚くスバルの前で、ぺらぺらと中身に目を通す。

 

「んー、普通の本……かしら。スバル、どうしたの?」

 

「いや、いいんだけど、エミリアたんのクソ度胸に驚き惚れ直しただけ。大丈夫じゃないかなーって言ったの俺だけど、むしろ俺だよ?」

 

「――? スバルが言ったから、大丈夫でしょう? え、変なこと言った?」

 

 本気でよくわかっていない顔のエミリアに、スバルの方が言葉を無くす。スバルは言葉にし難い感情に掌で顔を覆って、「うあー」と呟いた。

 

「なんだろ、信頼の眼差しが痛い」

 

 さっき自分が躊躇してしまった分、エミリアの思い切りの良さに己の情けなさを思い知らされた気がする。勝手に複雑な気分になっているスバルにユリウスは肩をすくめ、

 

「それが君が積み上げてきたもの、ということだよ。それに事実、君は誰にも解けなかった『タイゲタ』の謎を解き明かした」

 

「こんなもんまぐれ当たりみたいなもんだよ。たまたま俺だっただけだ……いやむしろ、塔の設計者に仕組まれて解くべくして解けたってのが近いか」

 

「君はそう謙遜するがね、だとしても君の功績は損なわれたりはしないさ」

 

 そういうものだろうかと、スバルはユリウスの言葉に目を逸らし、誤魔化すように本棚に向き直った。

 エミリアの信頼、ベアトリスの親愛、ユリウスの誠意――いずれも、スバルの望んだものに違いないのに、それが与えられることに違和感が晴れない。

 そうされるだけの価値を、スバルは常に自分に疑い続けている。

 

「エミリア様のおっしゃる通り、見た目も機能も普通の本に見えますね。内容は……物語、でしょうか?」

 

 気づけばオットーも一冊手に取り検分している。エミリアの毒見的積極性があって、他の面子も次々と本に手を伸ばし始めたようだった。とはいえ、膨大な本の一冊二冊で全てが知れるほど、世の中簡単にはできていない。

 

「ベア子、どうだ?」

 

「見たところ、本の規格は統一されてるかしら。でも、タイトルは全部違うのよ。これは『ノア・リベルタス』。こっちは『リブレ・フエルミ』。……並べ方も無茶苦茶な風に見えるかしら」

 

 司書の血が疼くのか、本の適当な並べ方にベアトリスは不満げだ。あまり禁書庫で彼女が整理整頓していた記憶はないが、分類はされていたかなと思う。

 そんなベアトリスの憤慨はさて置き、スバルは本の背表紙を見ていて気付く。

 

「この本のタイトルだけど……ひょっとして、全部、人の名前か?」

 

「ん……と、そうみたい。これは『パルマ・エウレ』、こっちは『コヨーテ』」

 

「伝記……でしょうか? それにしては見慣れない名前ばかりですが……」

 

「あまり見識の深いとは言えないが、私の知る限りで見知った名前はないな。無論、ちゃんと見回れば別と思うが……」

 

「お前が知らないんなら、たぶんここの奴は誰も知らねぇよ」

 

 本気なのか謙遜なのかわからないが、最近歴オタっぽさが露呈しつつあるユリウスが見てわからないなら、この場の他の人が知っている可能性は低いだろう。となると人名タイトルは適当につけられたと思われてくるが。

 スバルも適当な本を手に取って中を見てみるが、羅列する文字は普通に『イ文字』や『ロ文字』に『ハ文字』など、この世界特有の言語だ。

 

 これが福音書になると、正式な所有者以外には読めない幾何学的な文字で描かれていたりするが、これらの本にはそういった小細工はされていない。

 文字が細かすぎるのと、文章自体が退屈すぎるせいか、読んでも読んでも頭に内容が入ってこないが、それは興味のない本によくある問題だ。

 

「木を隠すには森の中……ひょっとしたら重大な情報の詰まった本が、この書架のどっかに埋まってるかもしれねぇとしたら、探し出すのにどれだけかかることやら」

 

「そもそも何を探すべきかもよくわかりませんね。意味のある人名を見つければ良いのか、あるいはこの中に隠されている人名以外の本を探せば良いのか」

 

 無意味な人名に偽装された重要な本があるのではないかという最悪の可能性が頭に過ったが、スバルは心の中で否定する。これを口に出してしまえばフラグになってしまいそうな気が下から、心の中にしまっておくことにした。

 

「でも、これで一歩前進よ。解けない謎解きより、片っ端から探せば何かが見つかる本探しの方がずっと前向きじゃない。頑張らなきゃ!」

 

 膨大な量の本を前に、早くも先々の不安にスバルの心が折れかける。そんなスバルにエミリアが小さく拳を固め、気合いを入れるように呼びかけてきた。

 そのエミリアのガッツポーズを真似して元気を分けてもらいつつ、スバルは書架に向き直る。並ぶ人名タイトルはいずれも記憶にないものばかり。せめて、知っている名前にでもぶつかれば確かめる欲求も――と、背表紙に指を当て、本をなぞっていると。

 

「……?」

 

 なぞる途中、ふいに掠めたタイトルにスバルは指を止めた。

 その本の背表紙に指を掛け、ぎっしりを詰まった書棚から傾けて引き抜く。本のタイトルにあるのは知った名だ。

 なんとなしに手に取って、スバルは本を開く。そして、知人の名前が入った本の中身に目を通し――直後、それがきた。

 

 ――意識が、暗転する。

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 それが起きたのは突然のことだった。

 

「づぁ――ッ!!」

 

「ナ、ナツキさん!?」

 

 隣で唐突に上がった苦し気な声に咄嗟に振り返ったオットーは、目を見開き苦しみ喘ぐように呼吸するスバルを見て慌てて駆けよる。

 

「スバル!」

 

「――はっ!」

 

 横合いから声が突き刺さり、同時に腕に鋭い一撃が打ち込まれる。踏み込み、エミリアが手刀でスバルの手首を叩いたのだ。衝撃にスバルの手は弾み、そこから握りしめていた本が落ちる。本は開かれたまま逆さに床に落ち、スバルはよろよろと本棚に寄りかかった。

 咄嗟に対応できなかった自分を呪いつつ、オットーは肩を支えながら、スバルの状態を確認する。

 

「お、おぉ?」

 

「ナツキさん、何がありました? まだ苦しいところはありますか?」

 

「多分、大丈夫……か? なんとか持ってかれずに済んだ……と思う」

 

 焦った表情のまま支えるオットーに頷きかけ、スバルは息を整える。走ったわけでもないのに心臓は弾み、息は落ち着かずに荒れたままだ。

 バクバクと心臓の鳴り続ける胸に手を当てて、スバルは深呼吸を繰り返す。その瞳はあちこちにさまよい、最終的にエミリアに留まって落ち着いた。

 

「平気?」

 

「何とか、な。まだちょっと気が動転してるけど、もう大丈夫だ」

 

 半ば自分に言い聞かせるようにそう言うスバルを見て、ひとまず苦しみの原因は取り除かれたものと判断したオットーは、スバルが先ほど手放した本に視線を向ける。

 

「原因は……この本ですか」

 

 そう言いつつ、オットーはそれに触れようとせず、遠目に見るだけだ。そうする理由は、

 

「ベアトリス様、それに皆さんも、不用意に触れない方がよろしいかと。――ここにある本は、危険です」

 

「原因を探る必要があるかしら」

 

 手を伸ばそうとしたベアトリスをオットーが手で制止し、皆に呼びかけるが、ベアトリスも必要なことだと頑なだ。二人はしばらく視線を交わしていたが、オットーはふと目をつむり、「わかりました」と言うと、

 

「では、僕が確かめます。ナツキさんも、そんな顔をしないでください。ちゃんと考えがあります」

 

 未だに動揺し、エミリアに支えられているスバルだが、危険な行為をしようとしているオットーに抗議の目を向けた。だがオットーはそれに気づいてたしなめる。

 

「何があったかを詳しく聞かせてください」

 

「……その本を開いたら、多分、その表紙の名前のやつの人生を、追体験したんだと思う」

 

「人生を、追体験? この一瞬でですか?」

 

「そうだ。なんつーか、そいつの主観で、まるでそいつになったみたいな視点で、人生を丸っと体験させられた。それで……自分が自分じゃなくなりそうになってた」

 

 説明しつつも、スバルはさっきまでの感覚を言葉で言い表すには到底足りていないと思った。

 

 ――脳裏を過るのは、いやに鮮明な感覚で体感した『女』の記憶だ。

 

 臭いがあり、空気に味があり、足裏に大地の感触があり、砕いた命の重さがあった。

 それだけ濃密に『誰か』の記憶を追体験して、引き返せたのが奇跡だ。

 

 あるいはあのまま、他人の人生に呑み込まれる。自分という存在が上書きされる。

 そんな埒外の恐怖と嫌悪感が、あの体験には確かに存在したのだから。

 

「……なるほど、気分が悪くなるほどの没入感、といった感じでしょうか。問題はどうしてこの本に触れたときだけそれが起こったか、ですが」

 

「――テュフォン。スバルは知ってる名前なのかしら?」

 

 ちょうど閉じられる形で落ちた本の背表紙を覗き込み、ベアトリスがそこに書かれている名前を読み上げる。

 

「あ、ああ……」

 

「スバル、このテュフォンって人とどこで?」

 

「説明がムズイ……いや、エミリアたんには難しくないのか? 知らないってことは会ってないんだろうけど、墓所にいたんだよ」

 

「墓所――」

 

 その響きに、エミリアとベアトリスが同時に動きを止める。

 『墓所』はスバルだけではなく、エミリアにとってもベアトリスにとっても因縁のある場所だ。ただ、あの墓所で繰り広げられた『魔女の茶会』を思えば、二人がテュフォンを知っていてもおかしくないと思うのだが……この様子だと知らないらしい。

 

「テュフォンは、過去にいた『魔女』の一人だ。『傲慢の魔女』で、見た目はベア子ぐらいの褐色ロリ。ただ、無邪気の残酷って言葉が具現化したみたいな子だった」

 

 無邪気の残酷。我ながら言い得て妙だ。

 『魔女の茶会』で垣間見えた彼女の異常性の根幹が、今ならわかった気がする。無論、それが即座に理解に繋がるかといえば、それは全く別次元の問題だが。

 

 考えてみれば、こうして人の記憶を追体験するのは、なんだか墓所の『試練』のようだ。『試験』という名称も、対になることを意識しているように思えなくもない。

 

「となると、知っている相手の本を手に取った場合のみ、記憶を追体験できるようになっている……といったところでしょうか。その資格がナツキさんだけにある可能性もありますが」

 

「おい待て、不用意に触るんじゃ……」

 

 言いながら急にテュフォンの本に手を伸ばしたオットーを咎めるようにスバルが注意する。しかしオットーは覚悟を決めた表情でその本を拾い上げる。

 

「ナツキさんの心配はごもっともです。しかし、調べなければならないことでもあります。仮に記憶を追体験することになっても、そのことがわかっていれば、ナツキさんの場合よりは多少ましなはずです。それに僕の推測が正しければ……」

 

 スバルが止める間もなく、オットーは拾い上げた本を開く。エミリアが心配そうに息を呑むが、オットーは何事もなかったかのように本を閉じ、こちらに向き直る。

 

「……やはり、僕は開いても何ともないようです」

 

「勝手に危ないことするなよ。こっちがヒヤヒヤさせられるぜ」

 

「ナツキさんがそれを言いますか」

 

 無意識にこわばっていた肩の力を抜いてスバルがそう言うと、オットーは苦笑しつつ反論する。なるほど、誰かが無茶をしているのを見るのは心臓に悪いものだ。だからといって、必要なときに無茶をやめられるものでもないが……。

 

「少なくとも、知識として相手のことを知ったとしても、この本が読めるようにはならないようですね。おそらく直接会ったことがある相手である必要があるのでしょう。あとはナツキさん以外も読めるかどうかですが……」

 

 オットーは顎に手を当てで何か計算するように考え込む。

 確かに危険ではあるが、検証しておきたいことは色々ある。スバル以外が読めるのであれば、その負担をスバルだけに強いることがなくなる。何かと多くの人と知り合う機会があるユリウスやアナスタシアの力もいざとなれば借りられることになる。だがそれが検証のために本人に味わわせるだけの価値があることなのか。

 自分で確かめることが最も後腐れないと、そう判断し口にしようとしたオットーの耳に入ったのは、

 

「そのことについてだが、私が確かめても構わないだろうか?」

 

 見れば、ユリウスが一冊の本を両手で丁寧に抱え、こちらへ歩いてくるところだった。聞き返すまでもない。彼は自分がその実験台になろうと進言しているのだ。

 

「――バルロイ・テメグリフ。ヴォラキア帝国の、元将軍だ。彼とは面識がある。ですが……すでに亡くなった人物だ。検証にはうってつけだと思うが」

 

「こちらとしては欲しかった情報ですが……大丈夫なのですか?」

 

「ああ……言っておくけど、多分お前の想像以上だぜ、この体験。せいぜいひっくり返らないように気を付けろよ?」

 

「ご忠告痛み入る。よければ先駆者たる君から助言をいただきたいところだ」

 

 オットーの心配とスバルの忠告を受けても、ユリウスの覚悟はゆらがないようだった。

 

「一々鼻につく言い回しだな……きついのは、元の自分に戻ってくるときだ。心を本の人物から引きはがさないといけない。……コツってほどでもないけど、俺の場合は名前を読んでくれたのが助かった、かな」

 

「なるほど……自分を確かにもつことが肝心か。私信を捨て、主に仕えることを理想とする騎士の在り方とは異なるが――必要とあらばそうしよう」

 

 ユリウスは一度優雅に目を瞑り、ゆっくりと見開く。緊張からかわずかに表情を変えると、

 

「では、本を開きます」

 

 本を開いた直後、ユリウスは目を見開き、顔をこわばらせた。

 

 「――っ」

 

 堪えるような苦鳴。しかしユリウスは一度ふらりとした後、アナスタシアに肩を支えられ、辛うじて直立を保った。

 

「ユリウス、しっかりしぃ! あんたはユリウスや! うちの声、聞こえるやろ?」

 

「……アナスタシア、様」

 

「そう、それでええ。ゆっくり、深呼吸して。……ん、大丈夫やんな?」

 

 先ほどのスバルと全く同じように、もしかすると少し余裕を見せ、ユリウスの意識が現実に帰還する。

 

「無事か?」

 

「ああ、君の助言のおかげで、なんとか。確かに気持ちの良い体験ではなかった」

 

 そう言うと、アナスタシアに感謝を述べ、自分の足でしっかりと立ち直る。

 その様子を見ていたオットーは、

 

「ユリウスさんのおかげで、ここにある本の性質がわかりました。……ありがとうございます」

 

「礼には及ばないとも。苦難から人々を守ることこそ騎士の務めだ」

 

 落ち着きを取り戻したように見えるユリウスは、軽く前髪をかきあげてそう言ってのけた。いつもなら気障ったらしいと思うところだが、同じ体験をして激しく動転したスバルとしては、この時ばかりは少し尊敬の念すら湧いてくる。

 

 ともあれ、これでスバル以外もこの本を読めることがわかった。おそらくこの書庫に関する権限は、スバルだけでなく全員にもたらされたとみて良いだろう。

 考えてみれば『試験』の問題が謎解きである以上、一人が答えを知ってしまえば他の人も自ずと答えがわかるはずだ。一人一人を試す必要などないというのは納得できる対応だ。

 

 そんな思考を遮ったのはアナスタシアだった。

 

「おおよそ、書庫の本の意味はわかった。わかったけど、ウチの怖い話してええ?」

 

「あんまり聞きたくねぇけど、なに?」

 

「この書庫にある本、全部に人名が書いてあるわけやろ? それも故人の本があるわけや」

 

「――――」

 

「ここにある本、過去から今に至るまでの世界中の人間の名前があるんとちゃう? そうやとしたら……目的の誰かの本を探そなったら、どれだけかかるんやろね?」

 

 

 ――訂正。この書庫の創造主、性格が悪いわけではない。

 ――性格、最悪なのだ。




【第19話での相違点】オットーによるスムーズな情報共有

今回の話はなろう版原作第六章22後半、23に相当しています。

『死者の書』の描写は、なろう版原作に準拠しました。文字が暴れて読めない設定でも別に良かったのですが、私にとってのわかりやすさ優先で原作準拠に統一しておこうと思います。

テュフォンの『死者の書』の体験はコピペしかできないので省略します。気になる方は原作第六章23をご確認ください。
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