Re:ゼロから始める異世界生活6章オットー同行if 作:樫ハット
「あっちも探してみたけど、ずっと本棚があるだけだったわ」
「そっか。ありがと、エミリアたん」
「追加で何冊か読めそうな死者の書が見つかった以外、収穫はなし、ですか……」
手分けして広大な三層『タイゲタ』のあちこちを探索したが、見渡す限り本が並んでいるだけで、特に変わった点は見つけられなかった。
なお記憶を追体験できる本については、書棚に収まった無数の本が死者の記憶を呼び起こすものだとわかり、『死者の書』と呼ぶことになった。縁起の良い名前ではないが、わかりやすさ優先だ。
新たな死者の書を探すのも成果ではあるが、今探しているのはそれよりむしろ、
「上の階に上がる階段って、一体どこにあるのかしら」
「今のところ、手掛かりゼロだからなぁ……」
首をひねるエミリアと、反対側に首をひねってスバルは嘆息する。
今、一同が揃って頭を悩ませているのが、三層『タイゲタ』の『試験』を越えて、次に出題される問題――ではなく、そもそも二層へ挑戦するための階段の所在だ。
死者の書を使えば理論上失われた知識の全てが手に入るため、その中から『暴食』や『色欲』の被害者を救い出す手立てが見つけ出せる可能性はある。だがそれを探り当てるためには膨大な時間と運が必要だ。
本を読むためには死者と面識がある必要があるという条件が何とも厳しい。その上書庫に収められている本の並びに規則性などもない。この状況下で望む本を見つけ出すのは天文学的な時間と運が必要だ。
「けど、上層をクリアできれば、もっと良い方法が見つかるかもしれねぇ」
オットーが挙げた仮説として、さらに上層の『試験』をクリアすることでより書庫の使い勝手が良くなる、という考えもあった。これは希望的観測が混じってはいるものの、膨大な知識を管理する場所として、その機能が備わっていないというのは考えにくい。
何でも書いてある本があったとして、どこに何が書いてあるのかわからなければ実質的に何の情報もないのと同じだ。いくら創造者の底意地が悪いからといって、造ったものを運用する方法はさすがに何か考えているだろう、と踏んで、目下上層に至る階段を探しているわけだ。
ちなみに三層が死者の書なら、二層以上には失われた魔術の本とか強力なミーティアがあるのではないかという予想もあったが、結局行ってみないことには捕らぬ狸の皮算用だという結論になった。
「――スバル、少しいいだろうか?」
期待ともどかしさを抱えるスバルに声がかけられる。相手はスバルたちと反対側の書庫を荒らしていたユリウスだ。隣にアナスタシアを連れた彼がこちらへ歩み寄ってくるのを見て、スバルは片手を上げる。
「ん、何か見つかったのか?」
「残念ながら、収穫はないよ。最初の一冊以来、見知った名前の本を探り当てることもできていない。上層へ至るための手がかりも、残念ながら見つけられなかった」
「ユリウスたちも階段は見つけられてないんだ。ホント、すごーく困っちゃう」
現在も全員で手分けしての捜索は続いているが、成果はないに等しい。読めそうな死者の書も、スバルが『怠惰の魔女』セクメトの本を見つけたくらいのものだ。何かのヒントになればと読んではみたものの、彼女への理解が深まり、気分が悪くなるくらいの効果しかなかった。
「……この書庫にある本の中に、上層へのヒントが隠されている可能性はないでしょうか。この書庫が本当に、過去から今に至るまで全ての死者の名前を記録していると考えられる以上、あまり想像したくない可能性ではあります。その場合、本来国を挙げて捜索すべき事案ですが……」
「シャウラの言う塔の決まり事ってやつで、増援を呼びに行くこともできない、と。……ほんと性格最悪だなこの塔造ったやつ」
ユリウスが述べた最悪な可能性を聞き、何年も塔に閉じ込められて本探しをする羽目になることを想像し、頭を抱えるスバル。しかしその会話を聞いていたオットーは、
「推測の域を出ませんが、なんとなく、この塔は人海戦術で解けるようにはなっていないように思えます」
「理由を伺っても良いだろうか?」
「ええ。例えば三層の『試験』を思い出してください。当てずっぽうでモノリスに触れても、『試験』は突破できませんでした。そもそも軍勢を率いてこの塔を目指しても、到達はできませんでした。その上で一時的に塔を抜け出して助けを呼びに行くことすら禁じられています。となるとこの先も、正しい答えさえ見つければ、それで突破できるような仕掛けになっている可能性が高い」
オットーの答えに、スバルとユリウスとエミリアはなるほどと頷く。
謎解きを設定するとして、しらみつぶしにやることが想定解なのだとしたら、そもそも謎解きである必要がない。そうである以上、力押しだと無駄に苦労するどころか、失敗に終わるように仕掛けがなされている可能性すらある。
だがそう考えた直後、スバルの頭により最悪なパターンが過ってしまった。
「……この塔造ったやつが性格最悪で、そういうミスリードを誘って延々とこの塔に閉じ込めようとしているとしたら?」
「まあその可能性ももちろん否定はできませんね。しかしその場合いずれにせよ僕らにはどうしようもありません。実際がどうであれ、まずは正攻法で解けると仮定して考えた方が効率的かと」
「……それもそうか」
まともな問題じゃないと考えて全てを放棄するよりは、まともな問題である可能性に賭けて取り組む方が現実的だ。……解答に地球の知識を持ち出してくる問題がまともかと言われれば答えに窮するが。
オットーの考えを聞くと、スバルはその場に胡坐をかいて座り、目を閉じて考え込む。
「だとすると、結局どうすりゃ二層に行けるんだ?」
「落ち着いて、これまでに出ている情報を整理してみましょうか」
「一つ、シャウラは謎解きの助けにならない。二つ、この塔造った『賢者』は謎解きに俺の地元の知識を持ち出してくる。三つ、『賢者』は性格最悪!」
スバルが半ば愚痴のようにそう言うのを聞き、オットーが横で苦笑する。が、ちらと目をやると、エミリアはスバルの言葉を聞いて考え込むように顎に手を当てていた。
「どしたの、エミリアたん。何か思いついたことがあったら何でも言って欲しいところだけど」
「……私、少しだけ思ったんだけど」
スバルの問いかけにエミリアは視線を上げて口を開く。彼女は少し自信なさげに首を傾げ、その唇に指を当てると、
「性格の素直じゃない人が、塔を作ったってところでずーっと考えてたの」
「随分オブラートに包んだ言い回しだけど、そんで?」
スバルの相槌に軽く頷くと、エミリアは「えっと、だから」と言い、
「階段の場所なんだけど、ひょっとして――」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「やっぱり、この塔作った奴の性格、クソ最悪だな!!」
高く長く伸びる階段――二層『エレクトラ』へ向かうそれを前に、スバルは堪え切れない怒りを盛大に吐き出した。
二層への階段、エミリアが思いついた、その隠し場所は――、
「四層とか五層の、今まで見てないところに出てくるかもって思って」
当たって嬉しいような複雑なような、そんなエミリアの言葉。
彼女の推測はばっちり当たって、二層への階段は四層の、ラムやレムの待っている緑部屋のすぐ隣室――その空白のスペースに出現していたのだった。
「……僕らは皆この階段の存在にずっと気づいていなかったのでしょうか」
「三層の『試験』をクリアした瞬間に出てきた、って考える方が自然だろうな」
――二層『エレクトラ』への階段は、大階段とでも呼ぶべき威容を誇っていた。
六層から五層、そして四層へと上がるまでにあった長い長い螺旋階段と比較して、その大階段は横幅も、一段の高さもかなり大きい。部屋が丸ごと階段部屋へと書き換わったと表現されるような、そんな巨大さだった。
それゆえに、そんな階段をこれまでの探索で全員が見落としていたことは信じがたかった。
「確かに、これだけあからさまな階段を見落としていたとは考えにくい。――ただ、この部屋だけに限定した場合、その見落としも否定できないな」
「ってーと?」
スバルが一人で納得しようとしたところで、ユリウスが口を挟む。スバルが無理解の表情で首を傾げると、エミリアが「はい」と手を上げ、
「スバルが寝てる間のことなんだけど、私たちはこの四層に集まったりしてたの。レムとパトラッシュが緑部屋で休んでるのもあるし、三層の謎解きにも挑戦してたから。それで、どの部屋に荷物を置くか、みんなで歩き回ってたんだけど……」
「そのとき、この部屋はなんとなく全員が避けたのよ。無意識のことだったけど、今にして思えば……」
「なんか、認識阻害的な方法で遠ざけられてたんじゃないかって?」
エミリアの言葉をベアトリスが引き取り、その結論をスバルが口にする。その推測にエミリアとベアトリスが揃って頷く。
大階段を発見して、初めて全員が「そういえば」と気付く類の認識阻害――だとすれば、この部屋には最初からこの大階段があったのかもしれない。何らかの魔法で階段が見えないようにされていて、気付けないカモフラージュか。
「確かに、いきなりこれだけでかい階段を作るよりは、最初から作っておいて、『試験』を突破するまで入れないようにしておいた方が簡単だわな。……にしても魔法が絡むと考える可能性が多すぎて困るぜ」
「まあまあ、これも一つの情報だと前向きに捉えましょう。少しずつ、あちらのやり方が見えてきたところです」
オットーは口ではそう言うが、自身も少し苦い顔をしている。『賢者』の掌の上で転がされている気がして良い気分がしないのはスバルも同じだ。
ただ単に『試験』のクリアまで開かない扉であればわかりやすいのに、『試験』のクリアまで存在を認識できない部屋を用意してくるのだから意地が悪い。まるで三層の書庫で階段が見つからず足踏みさせることを想定しているかのようだ。
その底意地の悪さに腹が立つのと同時に、
「どうしよう、俺次の『試験』突破できる気がしなくなってきた」
そんな嘆きが出てくるのも仕方がないことだろう。
はっきり言って、スバルが三層『タイゲタ』の『試験』をクリアできたのは、たまたま星や星座に関連する内容で、スバルの知識にクリティカルしたからだ。
星座――それも、スバルの知る元の世界の知識が必要となる難題。その事実に、スバルはこの塔の設計者であるフリューゲルが、スバルと同じく異世界へと召喚された現代人であると当たりを付けている。
その点に限れば、二層の『試験』の内容が現代知識を必要とするものという可能性が高く、そこではスバルが役立てる可能性はあるが、また別の知識が要求されればスバルはカバーしきれない可能性もある。
そんな内心を知ってか知らずか、スバルの嘆きを聞き付けたエミリアはこちらを励ますようにガッツポーズをとり、
「大丈夫、スバルならきっとへっちゃらよ。それにスバルだけで悩む必要なんてないわ。みんなも、もちろん私も頑張るもの」
「へっちゃらってきょうび聞かねぇな……けど、ありがとう、エミリアたん。そうだよな。俺だけじゃ足りなくても、みんなで解決すりゃいいんだ……」
「何か思いついたら共有してください。それさえしてくれれば、僕らも力になれるはずですから」
エミリアに励まされ、オットーに暗に頼れと言われ、スバルはまたしても自分が馬鹿だったことに気づかされる。
たまにうまく行っただけで、すぐ自分だけでどうにかしようと考えてしまうのはスバルの悪い癖だ。これまでだって自分一人で成し遂げてきたことの方が少ない。自分の力でどうにかできると思いあがっていた。
次の『試験』に向けて気合を入れなおす目的も兼ねて、スバルは自分の頬を両手でパチンと叩く。そして、目の前の階段の威容を見上げ、
「よし、文字通り、次への階段が真ん前にあるんだ。ここでいかなきゃ男じゃねぇ。さぱっと挑んで、ズバッと攻略してやるぜ」
「生憎、この場にいるのは私と君を除けば女性ばかりだがね」
「心意気の問題なんだよ、水差すな! よし、いくぞ、ベア子!」
「んきゃーなのよ!」
ぐっと拳を固めて、意気込みを語ったところに水を差される。それに舌を出して言い返し、スバルはベアトリスを引っ張り上げると、軽い体を抱えたまま階段に足をかけ、一気にそれを駆け上がり始めた。
「あ、スバル、待って!」
勢いよく駆け上がるスバルを追って、エミリアが慌てて走り出す。その様子にやれやれと肩をすくめ合い、オットーとユリウスとアナスタシアも続いた。その後ろから、メィリィを背中に抱えて軽やかに階段を駆け上がるシャウラも続いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「う、お――!?」
「ひゃ」
明かりのない、石造りの階段通路を駆け上がっていたつもりが、突然に白い光に迎えられてスバルとベアトリスは一緒に声を上げた。
思わず、踏鞴を踏んで前のめりになりながら足を止めれば、いつの間にやら唐突に階段が終わり、新たな階層へと足を踏み入れている。
そこは――、
「白い部屋、再び……ってか」
「かしら」
立ち止まり、ゆっくりとお姫様抱っこしていたベアトリスを床へ下ろす。
膝に手をついて呼吸を荒げるスバルの背中を撫でながら、床で爪先を叩くベアトリスが部屋を見渡す。その視線を追いかけ、スバルは唾を呑み込んだ。
階段を上りきった二人が到達したのは、三層『タイゲタ』での『試験』が行われた情景にそっくりな白い空間だ。そのあまりの一様な白さに床も天井も果てなく広がっているように感じられ、遠近感が根底から狂わされる不可思議な構造。
正しく、この白い空間が場所として固定されている印象を抱けるのは、やはり三層と同じように階下と繋がる、ぽっかりと空いた階段部分だけだった。
「わ、またこの部屋?」
その階段部分から続々と、スバルたちに続いてエミリアたちが姿を現す。彼女らは出迎えの白い景色に同じように驚いて、一様にげんなりと肩を落とした。また『試験』が始まるのだと、わかりやすく提示されたような気分になったのだろう。
「三層とそっくりだけど、どうやらちゃんと違う階層らしいな。その証拠に――」
ベアトリスの視線の先、階段を上がって、ちょうど正面に当たる場所、そこで存在感を主張する物体をスバルが指さすと、皆の視線がそこに集まる。
三層『タイゲタ』でも、やはりああしたものが部屋の中央に陣取っていた。それに触れた途端、『試験』が始まる。ここも同じ条件ならば、おそらくはあの――、
「モノリスではないな。――剣だ」
黄色の瞳を細め、部屋の中央に突き立つ『それ』を見つめ、ユリウスが言った。
彼の言葉通り、白い空間に存在する『それ』は三層で目にしたモノリスではない。
――『それ』は、剣だ。
鞘から放たれた抜き身の剣が、その先端を白い床に突き刺し、立っている。
柄を上に向け、真っ直ぐに突き立つその剣は、ひどく美しくスバルの目に映った。
華美な装飾があるわけではない。素材の良し悪しなどスバルにはわからない。
ただ、過剰な装飾もなく、最低限の鋼に留まるその在り方が、美しく見えたのだ。
「雰囲気からして、さながら『選定の剣』ってとこか……」
それに触れれば『試験』が開始されることは間違いなかろう。……いや、これまでの傾向を見るに、ここでも一ひねり加えてきそうなのがこの塔を造った『賢者』だ。一概にそう考えておくべきではないかもしれない。
そんな疑念と、ひょっとしたら何か知っているかもしれないという薄い期待も込め、スバルはひとまずシャウラへ目を向ける。彼女は自信満々の顔で、豊満な胸を誇示するように腕を組んでいた。
その表情には「何を聞かれてもわからないと答える準備は万全ッス!」と書かれていたため、スバルは一つため息をつき、ついに何も聞かずに前に出る。
「ナツキさん」
「大丈夫、だとは思う。三層の例を考えると、いきなり即死系の罠が起動するってことはないだろうから」
「……そう思わせて誘い込み、ここで仕掛けるというのは絶好の機会に思えますが」
「疑心暗鬼になる気持ちはわかるけど、だとしたら回りくどいにもほどがあるってもんだろ。それに、どっちにしろここを探らない手はないぜ?」
「なら僕が――」
「――いや、俺がやるよ」
進んで試し役を買って出ようとするオットーをスバルが制止する。オットーはなおも譲らずスバルの目を真っ直ぐ睨む。
「三層の『試験』をクリアしたのは俺だったし、俺が起動するべきじゃないかって、そう思うんだ」
実のところ、この手のギミックにスバルが一番に手を触れようとするのは、仲間が犠牲になることが怖いからだ。仮に即死のギミックであれば、その知識を持ち帰れるスバルがやるべきだ。……と、そこまで後ろ向きに覚悟を決めているわけではないが、やはりスバルとしては譲れない部分があるのだ。
それを隠し、もっともらしい理屈を述べてオットーを説得しようとする。それはなんだか騙しているようで気が引けるが、これはこれで嘘ではない。もしスバルだけが『有資格者』なのであれば、スバルが触れることで特別な反応があるのではないかという期待もある。
それを聞いたオットーは目を伏せたが、なおも食い下がる。
「っ、それは、そうですが」
「心配いらねぇ……って言いきれはしねぇけど、俺はあんまり心配してない。一人じゃないからな。いざってときに、守ってくれるってわかってる」
「――――」
それだけは、スバルの偽らざる本心だった。いざとなれば皆が全力を賭して守ってくれる。もちろんスバルも協力して、みんなの危機をみんなで脱する。そうして背中を預けられるだけの信頼が、ここにある。
「大丈夫。スバルはちゃんと私が守るから」
「ああ、守られるぜ」
「……わかりました。エミリア様、もしものときはナツキさんを守るように即座に氷の防壁を。ベアトリス様も、防御魔法で脱出までの時間を稼ぐのにご協力いただければと」
「わかったわ」
「わかったかしら」
親指を立ててエミリアに応じたスバルに、オットーは渋々折れることを決めたようだった。警戒を促し、非常事態に向けて指示を飛ばすと、固唾を飲んで成り行きを見守る態勢に入る。
騙したようで申し訳なさはあるが、気を取り直してスバルは選定の剣へと歩みを進めた。
手を伸ばせば触れられる距離まで来た。この時点で、剣は確かな現実感を伴ってここにある。モノリスのように、不可思議な物体といった印象もない。
「とはいえ、塔ができた頃から刺さりっ放しの剣ってことになるからな。それが劣化してないだけ、十分に異常事態だ」
選定の剣を前に呟いて、スバルは軽く一呼吸――そして、剣の柄に手を伸ばした。
ぐっと掴み、微かな抵抗があるのを感じつつ、上へ力を込める。
「――――」
ほんのわずかに力を込めた途端、床に突き立つ先端があっさりと抜けた。抜けない可能性も考慮していたために少し肩透かし感を食らいつつも、それは鞘から剣を抜き放つが如く、流麗に抜かれた。
その直後に、それがくる。
『――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ』
「――ッ!」
鼓膜を通り越して、脳に直接響くような声が『試験』の概要を告げる。
三層で経験済みであり予想できていた展開だけに、握った剣を取り落とすような無様こそ晒さなかったが、相変わらずの不思議現象に居心地の悪さは味わわされた。
やはり、脳に響くこの声は『自分』のそれによく似ている。そして、前回と同じであればこの声はおそらく
「これ、今のはみんなにも……」
「みんなにも聞こえているのか」、と聞こうとして振り返ったスバルは気づく。
「――――」
――全員が息を詰め、一点に目を向けていることに。
「――――」
その視線につられ、スバルはそちらへと目を向ける。視線が向いていたのは、スバルが引き抜いた選定の剣のさらに正面――ちょうど階段から剣までの距離と、同じだけ剣から距離を置いた場所だ。
そこに、一つの影が出現していた。
「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」
その声は、今度は目の前の存在から発せられていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」
ぼそりと、呟かれただけのはずのその声にオットーは本能的に身をすくめそうになった。
剣を抜いた瞬間頭の中に響いたのと全く同じ文言。しかし、それは今度は脳に直接響く自分の声ではなく、紛れもなく正面の人影から発された他人の声だった。
「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」
機械的に、一定に繰り返されるその文言と、それを乗せる声色の対比に、不気味なものを感じざるを得ない。何か、おかしなことが起きている。それが良い方向にはたらいているようには思えなかった。
「――――」
感じる身震いは、目の前の人物への恐怖が原因だろうか。その感情は本能的なものであり、生物として絶対的な差がそれを生み出しているように思った。
心理的な理由からどうしても目の前の人物から目が逸らせないまま、どうにか意識だけをやや横に向け、そこにいるエミリアやユリウスを認識する。オットーからすれば圧倒的に強い二人も、目の前の相手には何らかの畏怖を感じているようだった。
ユリウスは脇に差した剣の柄に手を添えたままの状態で固まっている。スバルを助けるために動くべきとは言えない状況だ。何が奴を刺激してしまうかわからない。
そこまで考えて、目の前の人物の恐ろしさの一端が、その飢えた獣のような、抜身の剣のような鋭さにあるのだと気づいた。
「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」
――それは、赤い、長髪を無造作に背に流した男だった。
身長は、かなり高い。それなりに背が高いオットーよりも上背があり、その上オットーとは比べ物にならないほどのたくましい筋肉が男の肉体を覆っている。
その身に纏うのは鎧ではなく、防護の役割に何ら寄与しない紅の着流し――右腕の袖を抜いて剥き出しになった裸身、その胴回りに白いさらしが巻かれているのが遠目にわかった。
不思議とそれが彼にとって当たり前なのだとわかった。彼に鎧など必要ないのだ。それが威圧感を根拠とする理解なのか、脅威に直面して直観を飛躍させられたからなのかは、判断がつかなかったが。
燃ゆる炎の色をした髪は背中の真ん中に届き、その左目は不細工な文様の入った黒い眼帯が覆っている。そして、眼帯のない右目は届かぬ天を映した空色だ。
髪色と目の色にどこか既視感を覚えつつも、そのことに気を回す余裕はない。目の前の男への警戒だけで、オットーの思考は手いっぱいだった。否、思考そのものが、既に警戒心で圧迫されていた。
きっと、静謐に悠然と佇んでいれば、見るもの全てが振り返り、絵画に残したくなるほど整った美貌――それを、野蛮で残酷、狂気的な笑みが台無しにする。
それは、あまりにも美しい姿をした、獰猛な獣だ。
その威圧感に、本来撤退を指揮する立場にあるオットーは、口を開くことを躊躇う。まるで蛇に睨まれた蛙のように、ただその嵐のような脅威が去るのを願うことしかできない。
「ひ」
時間が止まった錯覚の中、その静止を最初に割ったのは呻き声だった。
とすん、と軽い音がして、直後に「きゃっ」と少女が声を上げるのが聞こえた。動かせぬ視界、その端にかろうじて見えたのは、尻餅をつく黒髪の女――シャウラが床にへたり込み、その傍らでメィリィが目を白黒させる状況だ。
「ひ、ひ……」
ともすれば、シャウラは失禁しかねないほどに動揺していた。
ただでさえ大きな目を見開いて、美少女が決してしてはいけない顔で驚きと、その心中に吹き荒れる狂乱の大きさを表現している。
可能であれば、本能の訴えに任せるままにこの部屋から飛び出していたはずだ。
ただ、震える足がそれを許さなかっただけで。
――あの餓馬王すら一方的に始末したシャウラが、怯えて動けない?
「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」
誰かが自分以上に動揺しているとかえって自分は冷静になることがある。それと同じことが起きたのか、金縛りが解けたように、オットーはどうにか思考を回すことができるようになったのを感じた。
同時に、シャウラの反応から、目の前の男への警戒が事前の想定以上に膨れ上がった。
だがシャウラがオットーたち以上の威圧感を感じているとは考えにくい。もし強い者ほど強烈な感覚を抱くのであれば、ユリウスやエミリアもシャウラに準ずる恐怖反応を見せているべきだ。
あるいは魔獣だから、という可能性もある。いや、塔のギミックなのであれば部屋に入れないようにすれば良いだけだし、そもそもこの感覚は目の前の男が原因だ。可能性は低い。
シャウラは、何か未知の反応を起こしている。それが何なのかは判然としないが、少なくともシャウラの手を借りる手はなくなった。それどころか、シャウラがいたとしてもどうしようもないであろうことがわかってしまった。
ここまでの思考を一瞬で回し、結論が出ないことは放り投げて、まずは目の前の危機を脱することを試みる。
生き延びるためには、敵を倒す必要などない。スバルを下がらせ、どうにか階段下まで逃げ込む。これが『試験』である以上、この部屋の外にまでその影響が及ぶことは考えにくい。
相手が意思もなくただ文言を繰り返しているだけであれば、恐らく撤退だけなら容易だ。そう頭で理解したところで、自分の視線が男に定まって動かせないのは問題だったが。
あちらはシャウラとメィリィが不意に上げた悲鳴に反応する様子もない。そのくらいの刺激ならば、問題ないのかもしれない。
「――撤退です。なるべく刺激せずに、ゆっくりと」
声を微かに震わせつつも、小声で指示を飛ばす。
頷く余裕もないのか、目の前のスバルとエミリアとベアトリスは、黙って一歩ずつ後ずさる。
「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」
距離が開く。なおも、男は動かない。ただ、それを繰り返す。まだ、大丈夫なようだ。
「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」
身体をこわばらせながらもスバルたちは下がり、へたり込むシャウラの傍へ辿り着いた。シャウラは相変わらず恐怖の顔を強張らせ、メィリィは彼女の腕を掴んで動けない。
「ユリウスさん、二人を」
先ほど抜いた剣とベアトリスとで手が塞がっているスバルはそのまま撤退させる。手が空いていて、かつ力も強いユリウスに、シャウラとメィリィを頼む。いざとなったときの戦力の手が塞がるのはまずいが、剣術より、魔法で対応できるエミリアとベアトリスを残しておくべきと判断してのことだ。
必要な隙は一瞬である。その間に逃げ込めれば良い。その時間稼ぎに、エミリアとベアトリスの魔法はうってつけだった。
ユリウスは微かに顎を引くと、男から目を離さないまま、そろりそろりとシャウラの脇に移動する。
「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」
繰り返される言葉、文言、それは二層『エレクトラ』での『試験』の提言。
撤退の目途が立って、ようやくそれに思考を割くことができた。おそらくは、『試験』の内容を示しているのだろう。
『天剣に至りし愚者』というのは、目の前の人物を指しているのだろうか。抜身の剣をそのまま人間にしたようなこの男は、『天剣』と言われればしっくりくる気がする。『愚者』というのはよくわからないが、こうして文言をただ繰り返す様を形容しているのだと思えば――、
「――天剣に至りし愚者、彼の者の……ゆる、しを……」
「――――」
オットーがそう思考した直後、変化は起きた。
撤退に向けて動いていた各々も動きを止め固唾を飲んでそれを見守る。
「天剣、愚者の……許し、をぉ……あ、ああお、おーおー、あー」
「な、なんだ? なんだなんだ、何が起こる?」
スバルが思わず呟いた直後、
「あ、あ、ああああああ――ッ!!」
「ぴぎぃっ!」
「どわぁっ!?」
棒立ちでいた男、その発言におかしな停滞が生まれ、次の瞬間に爆発する。男は自分の頭に手を当て、乱暴に髪を掻き毟りながら絶叫した。
視界の端、ついにこらえきれなくなったのかシャウラがスバルに飛びつく。だがスバルはその勢いに負け、受け身も取れずに床にひっくり返った。その間にも鼓膜には男の絶叫と、スバルの腰にしがみついて嫌々と首を振るシャウラの泣き言が飛び込んでくる。
「あああああ――!!」
「ひやぁぁぁ! お師様お師様お師様助けてぇっ! いやッス! 助けてぇ!」
「今のうちに逃げ――」
「――るっせえぞ!! 二日酔いの頭に響くンだよ! 喚くンじゃねえ!」
「あふっ……」
嫌な予感を察し、即座の撤退を提案しようとしたオットーを、男の叫びが遮る。思わず肩を跳ねさせるが、男の視線の先にいるのはシャウラだ。
そのシャウラはというと、ついに限界を迎えたようで、呆気なくぐるりと白目を剥き、スバルの腰にしがみついたまま動かなくなった。精神の均衡を失い、失神したのだ。
「嘘だろ、お前……」
「ぶくぶくぶくぶく……」
これで、シャウラは完全に戦線を離脱した。
だが気絶する間際に何か口走っていたのをオットーは反芻する。彼女はスバルに、いや、『お師様』に助けを求めていた。つまり目の前の存在が脅威であると知っているのだ。
この男が危険なことは誰にでもわかる、と思うかもしれないが、そうではない。オットーたちはこの男の危険性を、雰囲気でしか知らない。シャウラの反応は、それと比べて明らかに過剰だった。
――つまり、シャウラはこの男について、何かオットーたち以上に知っている。
「只者ではないと、そうお見受けする」
「あぁン?」
その思考は、更なる状況の変化によって中断される。
高い靴音とともに響いた声に、男が不機嫌に唸る。ユリウスはその手に、ひっくり返った拍子にスバルが手放した剣を拾い、その男に歩み寄る。
そのユリウスを目にして、男はその口の端を苛立たしげに歪めた。
「なンだ、オメエ。つーか、ここどこだ。ふざけてンのか、オメエ」
「いいや、ふざけてなどいない。こちらも、戸惑ってはいる。突然にこの場に貴方が現れたのだ。――警戒も、やむを得ないと思ってもらいたい」
「なンだ、オメエ。ややこしい喋り方してンじゃねえぞ、オメエ。オレの子分と似た喋りしてンじゃねえぞ、オメエ。オメエ、オレの子分かよ。違えよな。違えンなら紛らわしい真似するンじゃねっつーンだよ、オメエ」
ユリウスの、あくまで礼節に則った上で警戒を露わにした物言いに、男はますます不機嫌を強めた様子で舌打ちする。
一応、会話が通じることは確認できた。オットーはこの男のあまりの獣性に、シャウラと同様に魔獣が変化した姿なのではないかという考えがあったが、少なくとも人語は通じるようだ。もっともシャウラもそうだったので、何の判断の足しにもならないが。
とはいえその応答は、うまく会話が成立しているとは言えない印象だった。
「――いい女、いい女、エロい女、ジャリ、ジャリ、子分、雑魚、雑魚」
「残念だが、私は君の子分ではない」
「かっ! その言い方、ますます子分そっくりじゃねえか、真似すンじゃねえ」
ユリウスの反論に、初めて男が上機嫌に笑った。
異常に白い歯と、異様なまでに整った美貌と、異貌の狂気が混ざり合い、鮫のような笑みだった。
「――――」
どうやら愉快に思ったことに笑うほどの人間性はあるようだ。何を愉快に感じるかの基準は判断しかねるが、恐らくユリウスの言動に何かしらの滑稽さを見出したのだろうか。
だがその姿は到底、肩を組んで笑い合える人間のそれではなかった。
「おう、オメエ。説明しろや。なンだ、ここ。オレに何してくれてンだ、オメエ。上等くれてンじゃねえぞ、オメエ。ちゃきちゃき話せや、オメエ」
「いきなり、現れて……ずいぶん、偉そうだな、お前」
「ナツキさ――」
「あぁン?」
剥き出しの胸元に手を突っ込んで、無造作に自分の胸を掻き毟る男。その男に向かって、ようよう体を起こしたスバルが、絞り出すように言葉をぶつけた。
肝を冷やしたオットーが止めようとするが、男に遮られ、萎縮するほかない。オットーはスバルに「勇気と蛮勇は別物ですからね!」とよっぽど言ってやりたかったが、オットーには蛮勇がなかったため押し黙り成り行きを見守ることしかできなかった。
スバルの言葉を受け、隻眼の右目を見開く男が、寝転ぶスバルを睨みつけて、
「なンだ、オメエ。何寝てンだ、オメエ。いいご身分かよ、オメエ。エロい女侍らせて肉布団ってか、オメエ。そこ代われ、オメエ」
「生憎、当人の意思を尊重して、そのお願いは却下だ……」
強がるだけならやめてくれ、とオットーは思った。見ればわかる。スバルの膝が震えている。この場はユリウスに任せておけばいいのに、ここでもこの人は大人しくしていない。
スバルの行動に歯噛みしつつも、目の前の男は意外と凶行に及んでいないことに気づく。もしかすると、琴線に触れさえしなければ御しやすい人物なのかもしれない。しかしそのような計算高い行動を嫌うであろうことも想像がつく。
であればここでオットー・スーウェンがとるべき行動は何だ?
男はスバルの発言を無視し、その隻眼で白い部屋をぐるりと見渡す。そして「おーおー、はいはい」などと納得した風に頷くと、
「わかった。――ンじゃ、始めっか」
「始めるって……待て! さっきから、お前勝手に話進めすぎだろ!?」
「るせえな、オメエ。さっきっから散々、オレが寝言で説明してやっただろうが、人の話はちゃンと聞けや、オメエ」
「さっきからって……」
「――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ」
状況についていけず、目を白黒させるスバル。それに代わり、何度も繰り返された文言を一言一句違わず呟いたのはエミリアだ。かろうじて、彼女たちの硬直も解け始めたようだった。
「かっ! そっちのいい女は雑魚とは違えな。生身だったら今夜の相手だ、オメエ。……よく見たらやべえな、オメエ。なんだ、その面、マブすぎンだろ、オメエ」
「まぶ……?」
「お前が! ここの試験官! そういうことで、いいんだな?」
この状況で何を気にしているのかと言いたいところだが、割って入ったのはスバルだった。スバルが男に指を突き付けると、男は鮫のような笑みを深め、
「――知らねえ。他人の付けた肩書きになンざ興味ねえよ。オレはオレ。オメエはオメエ。それ以上に何がいる。オレとまともにお話したけりゃぁ、こっからオレを一歩でも動かしてみろや、オメエ」
「――それができれば『試験』は合格ですか?」
「あぁン? そう言っただろうが、オメエ。人の話くらいちゃンと聞いとけや」
どうにか口を挟んだオットーに向けられたその視線だけで慄きそうになるが、毅然とした態度で『試験』の合格条件を確認する。
――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ。
少なくとも、何をすればいいのかはわかった。問題は、恐らくその難易度がとてつもなく高いことだ。
だから、これだけは確認しておくべきだと思った。
「他にも合格となる条件はありませんか? 例えば――」
「一々細けえこと気にすンなよ、オメエ。そりゃ無粋ってもんだろうが、オメエ。オレがいいと思ったらいい。ンなもんそんときの気分だ、気分」
男は舌打ちすると、鬱陶しそうにしながらもそう教えてくれた。一見すると答えになっていないが、これはこの男なりの真実なのだろう。どうしようもなく自分勝手に思えても、それがこの『試験』においては絶対なのだ。
オットーは内心、これは恐れを呑み込んで聞いた甲斐があったと思った。
――それなら、まだやりようがあるかもしれない。
「ルグニカ王国、近衛騎士団所属。ユリウス・ユークリウス」
今回の『試験』の条件を満たすべく、ユリウスが礼儀に則って自ら名乗り上げた。それは対等に、これから雌雄を決する相手への最低限の敬意だ。
それを受け、男はその青い隻眼を楽しげに細め、異常な剣気を垂れ流しながら、
「名乗る名なンざねえよ。――オレは、ただの『棒振り』だ」
――試験、開始。
【第20話での相違点】オットーが密かに『試験官』の情報を得ている。『試験』の合格条件の本質を聞き出せた。
今回の話はなろう版原作第六章24、25に相当しています。
後半の会話文にコピペが多いですが、オットーの内面を描写したかったのでお許しください。