Re:ゼロから始める異世界生活6章オットー同行if 作:樫ハット
「初手から、全力でいかせてもらおう――!」
ユリウスの宣言を合図とし、プレアデス監視塔、二層『エレクトラ』での『試験』が始まる。
直後前傾姿勢となり踏み込んだユリウスは、選定の剣を赤毛の男の足下に投じる。オットーは一瞬困惑するが、
「なンだ、オメエ。オレに剣、投げ渡すなンざ何のつもりだ。死にてえのか」
「生憎、無手の相手に斬りかかるような無粋、騎士として恥ずべき行為だ!」
「かっ! 笑わせやがる。――素手じゃねえよ、よく見ろ、オメエ」
スバルもユリウスも、この非常時に何を気にしているのかとオットーは歯噛みする。何か思惑があるのかとも思ったが、どうやら本気で対等な条件で戦いたいらしい。
男は投げ込まれた剣を乱暴に蹴りつけ、ユリウスの心遣いをはっきりと拒絶する。
それは正面、踏み込んだユリウスの真横を挑発的に通過し――、
「――っ! その言葉、後悔しないことだ!」
頬を硬くしたユリウスが騎士剣を抜き放ち、雷光のような刺突が迫り――、
「な……っ、馬鹿な」
「見たもンそのまンま信じろや。まずはそっからだ、そっから」
男の胴を穿たんとした刺突、それがまさしく雷鳴のような音を立てて止まる。
それを止めたのは――、
「箸だ、箸。ツマミ喰うのにいンだろうが、箸。だから、持ち歩いてンだよ」
男は鮫の笑顔で、こともなげに箸で剣先をつかみ、一級品の剣技を止めてみせた。
スバル流に言えば弘法筆を選ばず、だろうか。しかしその程度が度を越している。指で書道大会に殴り込み優勝をかっさらうような無法さだ。
オットーは慌てて男の評価を上方修正する。これでほぼ確定したが、相手は流法の使い手だ。シャウラのように魔獣由来の怪力である可能性も考えたが、先ほど『言霊の加護』を使って話しかけても人の言葉だったので、恐らく人間だと思われる。
その上、木でできた箸で金属の剣を受け止めるなどという離れ業をやってのけるだけの技量がある。仮に箸すら使わせなかったとして、まず勝てないであろうことはわかる。それどころか、壊れやすい箸で相手をしているのは手加減ですらあるかもしれない。
そこからの流れは、素人目にも圧倒的だった。無論、男の方が圧倒しているのである。
武闘派内政官などと揶揄されることもあるが、オットーは所詮武人ではない。それ故剣戟や攻防はほとんど目で追いきれなかったが、趨勢は誰にでもわかった。
ユリウスを蹴飛ばし、それに追いついて箸で斬撃を加える。ユリウスも必死で防ぐが、男の異常な剣技はその防御をやすやすとすり抜け、ユリウスの胴体へ箸を突き刺す。
いたぶるように、もてあそぶように、なぶるように、じわじわと体を破壊していく。さすがのユリウスも苦痛に顔を歪め、必死の形相で反撃を試みる。しかしその反撃は最小限の動きでかわされ、箸による倍の反撃を食らう。
「ジワルド――!!」
隣から聞こえた声に振り向けば、アナスタシアが向けた指先から、男に向けて白い熱線が飛び出す。
その熱線は直線的で避けやすそうにも思えるが、速度が尋常ではない。それは視認したのとほぼ同時に着弾する。さしもの『棒振り』も、第三者による光の一撃には何の抵抗も――、
「――オレの剣は光も斬るぜ、オメエ」
嘯く声が聞こえるより早く、放たれる箸撃が熱線を正面から切り裂いた。
それは想像を超えた光景、ありえない幻影に誰もが目を剥く。ただ、男だけがそれを当然と嘲笑い、なおも空いた片手でユリウスを嬲るのを継続する。
おちょくるように――否、事実、盛大におちょくりながら。
「――ッ! ジワルドぉぉぉ――!!」
その事実に目を血走らせ、詠唱が重なる――。
――まずいことになった。
ユリウスには悪いが勝敗はもはやだれの目にも明らかだ。なのに男は戦い、否、蹂躙を止めない。遊びのようにユリウスをいたぶっている姿を見る限り、男に殺すつもりはないと見ることもできるが、それは希望的観測だ。
オットーには武人が感じるような殺意というものはわからない。その上目の前の男の思考回路は常人のそれではない。今はそうは見えずとも、気分次第で容易く殺される可能性すらある。
続く詠唱により、アナスタシアの両手の指、合わせて十本の先端から、それぞれ熱線を同時に放射、十条の死線が一斉に『棒振り』目掛け踊りかかった。
だが『棒振り』はそれを、
「かっ!」
こともなげに箸で切り払う。と、ユリウスの鳩尾に箸の先端を当て、そのままユリウスを地面に擦り付けるようにして走り出した。
このままでは、ユリウスの命が危うい。
「考えろ、オットー・スーウェン」
オットーはそう口の中で呟く。
一瞬気を逸らせれば十分だ。その間に階段に逃げ込めれば良い。あるいは、相手に戦う意思を失くさせれば良い。
この男は何者で、何を望む?
商人にとって重要なのは、相手が何を望み、それにどれだけの値段をつけるかを理解することだ。そこを外すことは、すなわち大損を意味する。
相手が何を望むかがわかれば、そこには交渉の余地が生まれる。
――交渉?
表には出さないが、自分の中で生じたその思考を、自ら一笑に付す。
目の前の相手に真っ当な交渉など通用するはずがない。この方向性は却下だ。
『――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ』
交渉はできないにせよ、相手を知ることは重要だ。『許し』という曖昧な条件を満たすためには、相手の思考を深く理解する必要がある。
そのためには、まず相手が何者であるかを知る必要がある。
これまでに得た情報を引っ張り出し、推論を積み重ねる。
最初に引っかかったのは、シャウラの反応だ。彼女は明らかに目の前のこの男のことを知っている。だからこそ、一目見ただけでその脅威を理解した。おそらく、武に優れたユリウスでさえ、この男の実力がここまでとはわからなかったのではなかろうか。
であれば必然、あのような劇的な反応を示したシャウラは、この男と面識がある。
シャウラの記憶力のなさには定評があるが、それがむしろヒントとなる。かのシャウラにすら鮮烈な記憶を残すほどの大人物。
これまでシャウラが知っていると言った人物は、『賢者』フリューゲル、『神龍』ボルカニカに、『初代剣聖』レイド・アストレア。あまりに少なすぎて、この中にいない誰かである可能性も――
そのとき、男の燃えるような赤髪と、澄んだ青い瞳が視界に入った。
そして、男を最初に見たときの既視感の理由に気づいた。
「――レイド・アストレア」
「あぁン?」
呟くようなオットーの声に、男は蹂躙の手を止める。オットーは恐れずにその視線を受け止め、確かな確信を得た。
ユリウスは地面に背を付けたまま、苦しそうに咳き込む。すぐに立ち上がり撤退することは難しいかもしれないが、興味を引くことには成功したようだ。
「あなたは初代『剣聖』レイド・アストレアとお見受けします」
当代の『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアと同じ、燃えるような赤い髪と、空を映すような青く澄んだ瞳。それを見れば、『剣聖』の家系であることを推測するのはそう難しいことではなかった。
そして、本来あり得ざることだが、死者の書の機能を見せられた後であれば、あり得ないとは言い切れない。
――一度死んだ人物が、こうして蘇ることなど。
果たして、男は舌打ちし、不愉快そうに顔をしかめる。
「なんだオメエ。また無粋か? せっかく人が名乗らねえでいたってンのに、つまんねえことしやがる。オメエはもう無粋雑魚だ、オメエ」
「これは失礼いたしました。ご高名な『剣聖』にお目通りが叶った光栄に、つい心が躍ってしまいました。ご無礼をお許しください」
「かっ! ちったあオレのすごさがわかるやつがいたか」
男は鮫の笑顔で愉快そうに笑ったかと思うと、直後、一変して心底つまらない目をしてオットーを見下す。
「……とでも言うと思ったか? 心にもないこと言ってンじゃねえよ、オメエ。そういうご機嫌とりがつまンねえって話だろうがよ、オメエ」
その不愉快そうな視線に射貫かれ、オットーは固まる。
予想通りではあるが、おべっかが通じるような相手ではなかった。『天剣に至りし愚者』とは何を指しているのやら。この男は明らかに馬鹿ではない。どころか、その目に射貫かれれば、己をどこまでも深く見透かされているような気すらする。
真剣を向けられているような圧力にオットーが何も言えずにいると、不意にその圧力は消え、男は無造作に頭をかきながら言った。
「ま、バレちまったもんは仕方ねえ。オメエの言った通り、オレの名はレイドだ。名前なんざ知ったところで、オレの何がわかるって話だがな」
そう言った後、露骨に興が覚めたという感じで、男――レイドはその場に胡坐をかいて座り込む。
そして、自身の斜め後ろに横目を向け、
「で、オメエは何のつもりだ?」
レイドの背後、ユリウスはふらふらと立ち上がり、肩で息をしつつ、剣先をレイドに向けて静止している。それはまるで、オットーとレイドの会話が終わるまで待っていたかのようで――、
「貴殿を初代『剣聖』と知らずの無礼、謝罪させていただきたい」
「ンなこと問題にしちゃいねえ。何で斬りかかってこねえンだ、オメエ。勝つ気がねえなら帰れよ、あぁン?」
ユリウスの眼前、レイドが無防備に背中を見せながら、苛立ちを隠さない声色でそう告げる。さすがのレイドといえど背後に目を向けることはできないはずである。だがその言葉とともに向けられる圧力は、視線などなくとも刺さるような殺意を伴っていた。
「――それは、騎士道に背く行いだからだ」
ユリウスは剣を握る手に力を込める。それは言外に正々堂々の立ち合いを要求するものだ。
オットーの当初の作戦では、この隙にユリウス共々逃げ、あらためて作戦を練ってから再戦する腹積もりだった。だが何を考えているのやら、ユリウスはこの満身創痍な状態で再戦を申し込もうとしている。
普通ならどう考えても勝ち目はない。誰かを逃がすためならともかく、今のレイドに殺意はない。その戦いに、何の意味があるのか。
――よもや、騎士の誇りのためなのだろうか。
「舐めてんのか、オメエ。オメエにゃオレは斬れねえよ。それが正々堂々だあ? 笑い話にもなンねえ。オメエは勝つ気がねえ。甘えてんじゃねえよ、オメエ」
「――――」
視点は違えどレイドからしてもユリウスの行動は無謀にしか見えていないらしい。普通に考えればそうだ。さっき箸だけで一方的にやられた相手だ。寝首をかくくらいの作戦でなければ勝てそうにない。もっとも目の前の男にはそんな戦法すら笑ってこともなげに反撃されてしまう気すらするが。
「オメエのその態度が気に入らねンだよ、さっきから。お利口さんか、オメエ。オレが余所見したくれえで隙になると思ってンのか? 命張って戦って勝つ気がねンだろ。だからオメエの剣はつまんねえンだよ」
顔を向けようとすらせず、心底つまらなそうにレイドはそう言う。
レイドは、なりふり構わず自分を仕留めにくることを望んでいたのだろうか。そういう心意気にこそ好感を抱く、というのは使える情報かもしれない。だが今は、
「オメエと遊ぶのはやめだ。このままやってもつまンねえ。オレがレイドってわかった途端に震えたオメエじゃ、遊び相手にもなンねえよ」
「――っ!」
「はっ、怒りまでお利口に隠しやがる。なおさらつまンねえ。さっさと帰って女に慰めてもらえよ。やわっけぇ膝でも借りて、泣いて甘えろ。出来損ないの不細工剣士が」
正面から侮辱されたユリウスは、しかし僅かに顔を歪めたが、直後それが見間違いだったかのように冷静な表情に戻る。そこに一瞬よぎった感情が何だったのか、それを他人が窺い知ることはできない、
その雰囲気を目を向けることもなく把握したレイドは、ユリウスとの戦いの終わりを宣言する。
そしてまだ何か言いたげなユリウスに、レイドはようやく振り向くと、
「じゃねえと――こっから先は遊びじゃ済まさねえぞ?」
「――――」
その直後、言葉通りこれまでの激闘が遊びであったと思えるほどの殺意がレイドからほとばしる。直接あてられていないオットーたちですら、その剣気に震えあがり、身をすくめる。
それは有無を言わせない最後の忠告だった。それに逆らえば、今度は殺される。そのことが直感でわかった。その一線を越えてしまえば、目の前の男は『試験官』ではなくなる。
先刻の残酷なまでの蹂躙すら、彼にとっては手加減であったのだと、否応なしに理解させられるものだった。
ユリウスは剣を構えたまま、レイドを正面に捉え、一歩ずつ後ずさる。スバルが見れば、熊から逃げるときと同じ対応だと言ったかもしれない。自然と、見守っているだけのこちらにも緊張とともに汗が吹き出すような光景だった。
「念のため聞いておきますが、先ほどのあれば『一歩動かした』には該当しないのでしょうね」
「かっ! 無粋雑魚にしちゃあよくわかってンじゃねえか、オメエ。ありゃあオレが動かされたンじゃねえ、オレが動いただけだ」
階段の近くで仲間とともにレイドの動きを警戒しつつ、オットーが問いかける。もしうっかりで動いてしまったのであって、これで『試験』の合格を認めてもらえるのであれば一番良かったが、そううまくは行かないようだ。
彼の性格上そのような返答は想定していた。そもそも一歩動かしたら勝ちというルールも、彼が気分で決めたものだ。この『試験』の本質は最初に告げられた言葉にあるとオットーは考えている。
――天剣に至りし愚者、彼の者の許しを得よ。
つまり、細かい要件は気分で告げられるが、とにかくレイドの許しを得られればそれでいいともとれる。見るからに価値観が常人と異なるレイドを納得させるのは難しそうだが、多少はその性格もわかってきた。もし心からレイドに認められれば、本人の言動などとは関係なしに『試験』は合格となる可能性もある。それも、一つ可能な方法として頭の片隅に留めておこう。
「んな屁理屈……」
「あれで勝ちを認めろって方が屁理屈だろうが、オメエ。なンならもっとわかりやすくしてやってもいいぜ、オメエ」
隣から納得が行かないという声色でスバルが文句を言うが、レイドは言外にこれは譲歩だということを匂わせる。
もしこちらが下手にごねれば、レイドを殺すこと、なんて無茶苦茶な条件を『試験』の合格のために要求してくる可能性がある。それこそラインハルトでも連れてこなければ勝ち目がない。
それを察したのか、スバルも押し黙る。そんな様子を興味なさそうにさっさと視界から外し、レイドは首を鳴らす。
「さって、次は……」
次の相手? 冗談じゃない。このままで勝ち目なんてない。もっと綿密に計画を練り、レイドの思考を理解しなければならない。
撤退だ。そう宣言しなければ。
その思考に従い口を開きかけたオットーは、一歩歩み出た彼女に気づき、呆けた表情のまま固まる。
「――アイスブランドアーツ、アイシクルライン」
「――――」
それは、白い空間に光が舞ったかのようだった。
青白く煌めく光の乱舞、かろうじて目に捉えることが可能な氷の粒子――エミリアの絶対魔力が生み出した、氷雪結界『アイシクルライン』。
「次は激マブがやってくれンのか? いいぜ、相手してやるよ。ついでに今晩付き合えよ、オメエ」
「ごめん、ちょっと何言ってるのかわかんない。それに私はエミリア、ただのエミリアです」
堂々と宣言したエミリアは、周囲にマナをほとばしらせながら、レイドの前に立つ。
「あなたを一歩でも動かせたら私たちの勝ち、ってことでいいのよね?」
「かっ! ノリで言っただけだがな、いいぜ。ここで自分の言ったことひっくり返しちゃカッコがつかねえ」
エミリアが多少お気に召したのか、レイドは先ほどの様子から一転し、多少愉快そうに返答する。
その様子を見ていると、エミリアはそう悪いようにはされない気がしてくる。
だが、とオットーは考える。先ほどユリウスを拒絶したときのあの雰囲気の変わりようは尋常でない。あんなふうにコロコロと雰囲気を変え、さらには喜怒哀楽のように殺意さえ当たり前のように何の抵抗もなく露にする相手だ。気が変わった場合何が起こるかわからない。
「エミリア様……!」
「大丈夫、危なかったらちゃんと降参するから。それに――」
そんなオットーの心配の表情に、エミリアは微笑を返す。
そしてレイドに向き直ると、その表情は覚悟とともに、
「ユリウスを傷つけられて、私だって怒ってるんだから」
仲間が受けた仕打ちへの確かな怒りがあった。
レイドはその負の感情の発露を受け止め、わずかに口角を上げる。
「おもしれえ。やってみろよ、オメエ」
レイドは両手で箸を構える。もはや戦いは止められない。
エミリアは火のマナを巧みに扱う上に、身体能力もオットーやスバルたちとは比べ物にならないほど高い。尋常な相手なら心強いが、相手があの初代『剣聖』である。一歩動かすことと倒すことにどれほど難易度の差があるかはわからないが、先ほどのユリウスとの戦いを見ていれば、失礼ながら勝算は低いように思えた。
戦いの火ぶたが切られる前に、何か少しでも勝率を高める策を進言できないだろうか。
刻一刻と場に高まる膨大なマナの奔流。それを肌で感じつつも、オットーは思考を止めない。
エミリアが生み出した氷を見て考える。レイドを動かすだけなら、足元に氷を張ることで踏ん張りが利かなくする、というのはすぐ思いつく。だがこの男のことだ、氷に足を突き刺すなどして普通に対策されて終わりだろう。
アナスタシアが使った熱線の魔法を思い出す。途中の仲間の横やりも、普通の方法なら受け止められて終わりだ。だが、仲間の乱入が禁止されていないのは、何かに使えるかもしれない。
仲間を見回し、何か使える手がないか考える。頼みの綱のシャウラもユリウスも今はダウンしている。ベアトリスなら、あるいは――。
過去の戦闘を思い出そうと記憶をさかのぼる。そして、このルールにおける切り札があることに気づいた。それは、むしろオットーの記憶に新しいことで――、
「――エミリア様、僕から一つだけ、助言させてください」
「ええ、聞かせてちょうだい?」
この場に満ちていく冷気は、離れているオットーたちすら身震いするほどだった。オットーはその中を確かな足取りで進み、エミリアに耳打ちする。
エミリアは表情を変えずにそれを聞き届けると、一つ頷き、再びレイドへと顔を向ける。その間レイドは一言も発さずじっとそこで待っていた。
耳打ちする仕草にスバルが場違いな嫉妬と憤慨を微かに抱えていたのを感じたが、それは無視することにした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
スバルは大したことができないまま、その戦いをただ傍観していた。
眼前、距離をとったエミリアが、レイドに対して一方的に魔法を叩きつけている。
それはただの氷の塊ではなく、武器の形をとっていた。
剣があり、槍があり、斧があり、矛があり、矢があり、無数の武器がある。
アイスブランドアーツ、アイシクルライン――エミリアの膨大な魔力を使った、限定的な絶対破壊空間、スバルの考案した絶技である。
「えい、や!!」
と気の抜けるような掛け声とともに、常人にはひとたまりもないほどの威力の武器が飛びかかる。全方向から襲い掛かるそれを、しかしレイドは両手に持った箸で美しく切断していく。
氷による圧倒的な暴力に四方八方を絶え間なく囲まれながらも、レイドは鮮やかにそれを退ける。宣言通り、一歩も動く気配がない。
距離をとっているのもあり、エミリアは険しい表情をしつつも反撃を受けることなく攻め続けている。だが先ほどのユリウスの様子を見ていれば、不安にもなる。戦況がしばらく膠着しているのにしびれを切らし、スバルは小声でオットーに話しかける。
「……オットー、作戦があるなら――」
「これを」
作戦があるなら早いうちに、と言うつもりだったが、それを遮るようにオットーが差し出したのは一枚の紙だった。
意図はすぐにわかった。レイドに作戦の内容を聞かれれば対策されかねないからだ。
常人離れした身体能力をしている人物は地獄耳である可能性も高いとスバルは何となく思っている。であれば氷が箸で砕かれる轟音の最中でも、聞かれないとは限らない。
手をつないでいるベアトリスにも見える位置まで紙を持っていき、そこに書かれた短いメッセージを見る。
隣から覗き込んだベアトリスは、直後目を上げてスバルと見つめ合う。その瞳を覗き込めば、彼女も即座にこの作戦を理解したのだと見て取れた。
スバルがオットーに紙を返すと、オットーは後は任せたとでも言うかのような視線を送り、目の前の戦いに目を戻す。
スバルはベアトリスともう一度だけ視線を交わす。お互いの表情が物語る信頼だけ見て取ると、少し強く掌を握り、二人はレイドに向き直る。
あとは、タイミングを待つだけだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「えい! や! とりゃ! うりゃ! うりゃうりゃ! うやぁ!」
遠距離攻撃から作戦を変え、エミリア自身が武器を持ち、その膂力をもってレイドに叩きつける。
矛の一撃が、双剣の一閃が、長剣の斬撃が、刀の居合が、鞭の音速が、斧の打撃力が、叩き込まれるありとあらゆる攻撃が、男の前には容易く防がれる。
オットーの言葉は頭の片隅に残っているが、それが原因で動きが精彩を欠くことはない。オットーは必要なことだけを伝えるよう配慮してくれた。
オットーがエミリアに伝えたメッセージはこうだ。
『隙を見てこちらから援護します。そのときに、下から突き上げる攻撃をしてください』
だから、そのときまでは何も考えず自分なりに攻め続ければ良い。
エミリアはオットーのことを信頼している。必ずや、そのときが来たらわかるように目印か何かがあるものだと思っている。
「かかっ!」
現状は芳しくない。レイドはエミリアの攻撃を、壊し、いなし、受け止め、避け、芸術的なまでに全てに対処している。
エミリアなりにやり方を変えつつ攻めているが、手ごたえはない。だが、その程度のことでエミリアは諦めない。彼女は天性の戦闘センスをもって、レイドを追い詰めるべく攻撃の陣形を様々に変化させ続けている。
その膠着状態は、急激に終わりを迎える。
「――ムラク」
ベアトリスがそう呟くと同時、レイドは顔をしかめ身体に生じた違和感を瞬時に把握する。だがその一瞬は、この戦いにおいて致命的な一瞬だった。
「こりゃあ……」
「てりゃ!」
すかさずエミリアの打ち上げるような氷のハンマーの一撃がレイドに迫る。彼はそれを箸で受け止める。一体木製の箸をどう使えばこんなことになるのやら、レイドの離れ業により、直後氷のハンマーは砕け、勢いが逸らされる。
しかし正面衝突は免れても、逸らした勢いはそのまま襲い掛かってくる。いかなレイドといえど物理法則には逆らえない。衝撃を消し切ることはできず、重力のくびきから解き放つ魔法により、レイドの身体は浮かび上がる。
スバルとベアトリスが受け取った紙に書かれていた指示はこうだ。
『隙を見てムラクを』
それを見た瞬間、スバルはオットーの作戦を理解し、内心舌を巻いた。
単純ながら効果的な作戦だ。今はレイドを一歩でも動かせれば良い。であれば、レイドを動かすためにより力を込めるのではなく、レイドそのものを動かしやすくしてしまえば良い。
問題はレイドが魔法をむちゃくちゃな方法で破壊してしまわないかという部分だったが、どうやら賭けには勝ったようだ。
眼前、ふわりと浮き上がったレイドはしばし空中を漂う。あのハンマーの一撃は、まともに食らえばムラクの効果と合わせて空の彼方まで吹っ飛んで行ってもおかしくない威力をしていた。それが少し空中を漂う程度に抑えられているのは敵ながら感嘆せざるを得ない離れ業だ。
「それが狙いか」
レイドは空中で一つ舌打ちすると、「ふん」と鼻を鳴らし、箸を振るった。
直後、普通の落下速度に戻り、少し離れた地面に音もなく着地する。
「……無理やりムラクを切られたかしら」
「箸で魔法斬るとか……無茶苦茶すぎんだろ」
レイドの対応は、この方法は二度は通じないということを暗に示しているかのようだった。だが――、
「一歩、動いたな」
試すような視線でオットーを睨んでいたレイドは、その声を聞くと隣のスバルへと視線を移す。
「約束通り、私の勝ちね」
魔法を解除したエミリアが、少し息を切らしながらそう告げる。
「お前は、どう出る?」
レイド自身が設定したルール上、これは疑いなくエミリアの勝ちだろう。だがスバルは目の前の男の往生際をそこまで信じていない。ここまでのやり取りで、彼に潔さを期待するのが難しいのは自明の理だ。
この負けに憤慨し、ついには制限を捨ててこちらへ襲いかかり、一連の『試験』の流れを全てなかったことにしたとしても不思議ではなかった。
そんな警戒に、スバルの額を一筋の汗が流れ落ち、頬を伝ったときだ。
「あー、仕方ねえ。言ったことは言ったことだ。それを覆すのは男じゃねえ。――オメエの勝ちを認めてやらあ、激マブ。通してやるよ」
横やりが入ったのは話が違うだとか、今のは浮いただけで一歩動いたうちに入らないとかごねられることも考えていたスバルだったが、レイドはあっさりと負けを認める。
「み、認めるのか……!?」
「オメエ、オレを何だと思ってやがンだ。ここで食い下がったら、せっかくカッコつけたオレの株が下がンだろうが、オメエ。取り返しつかねえだろうが、オメエ。そンなことになって、責任取れンのか、オメエ。女寄り付かなくなンだろ、オメエ」
がりがりと乱暴に頭を掻いて、『棒振り』は堂々と自らの敗北を認めた。
潔いのか潔くないのか、わけのわからぬ口上。しかし、その宣言が出た以上は、スバルもこれ以上は食い下がるつもりはない。
「やった! オットーくんとベアトリスのおかげよ!」
「エミリアの頑張りあってのことかしら」
「ベアトリス様のおっしゃる通りです。僕はちょっと悪知恵を働かせただけです」
あらためて喜びを分かち合うエミリア。誇らしげなベアトリスとオットーを見て、ようやくスバルにも『試験』に合格したのだという安心感が舞い込む。
ユリウスの負傷と、アナスタシアの消耗は無視できない。だがユリウスに関してはおそらくは緑部屋に運び込めば十分に回復が見込める範囲だ。
オットーのナイスアイデアに助けられたとはいえ、第二の『試験』としては、あまりに手応えがないように思えるが――、
「――で、次は無粋雑魚がやンのか? それとも、ジャリ二人のどっちかかよ」
「え?」
上の階層へ向かえる。
その理解に思考を走らせていたスバルは、続く男の言葉に目を見張った。その反応に男はゆっくりと立ち上がり、着流しの左肩――剥き出しになっていた右肩同様に、左肩を抜いて、こちらへ向き直る。
――空気が、焼ける臭いがした。
それが、男から迸る桁違いの剣気――ユリウスを拒絶したときに垣間見せたそれと同じ、劇的な変化。それに対する本能の訴えが、そのような錯覚を生んでいるのだ。
「塔にいンのが、全部で八人……抜けたのが、オメエの女がまず一人」
「――――」
「次は、誰がオレを抜いてくれンだ。――なぁ、オメエよ」
レイドは歯を剥き出しにし、挑発的に、楽し気に、スバルたちを眺める。
それは明確に、エミリア以外を通さないということを意味していた。
「……ベアトリス様も、合格ということにしていただけないでしょうか?」
「かっ! 随分都合がいいことばかり言いやがる。激マブの独力じゃねえのを見逃してやってンだ。これ以上寛大になンのは無粋ってもンだろうが、オメエ」
レイドは剣気を前になおも食い下がるオットーに少し愉快げに笑いつつ、それはそれとして横着は許さない。
オットーはちらりとスバルに目をやり、「言うだけ言ってみましたがやはりだめでしたね」と言うかのように肩をすくめた。
大図書館プレイアデス、第二層『エレクトラ』の試験。
――達成者、エミリア。
――未達成者、スバル、ベアトリス、ユリウス、アナスタシア、メィリィ、ラム、オットー。
――『試験』、続行。
【第21話での相違点】レイドの正体がすぐ看破される。オットーの行動でユリウスが気絶させられる前にレイドが止まる。『試験』の突破方法が別。エミリアが『試験』を突破するところをユリウスが見届ける。
今回の話はなろう版原作第六章26に相当しています。
身体的には原作より傷つけられていませんが……ユリウスの心情やいかに。
ちなみにムラクの発動条件に対象との接触が必要なのではないかと思い調べてみましたが、原作第六章79にて手を掲げるだけで遠隔発動している描写がありました。というわけでめでたく戦術として採用いたしました。