Re:ゼロから始める異世界生活6章オットー同行if 作:樫ハット
「異世界召喚ってヤツ――ぅ!?」
スバルの叫びを聞いての反応は様々だった。真っ先に反応したのは、
「スバル?」
すぐ目の前にいる銀髪の美少女だった。彼女はどうにか現況を整理しようとするスバルの頬を、白い両手でガッと掴んだ。
――正直なところ、どえらい美少女だった。
月光のように煌めく長い銀髪、宝石を嵌め込んだ紫紺の瞳。
長い睫毛を震わし、心配げにこちらを覗き込む美貌は常軌を逸しており、世界中の芸術家が揃って筆を折るほど突出した神なる芸術品かと錯覚するほどだ。
そしてそんな美貌の少女は、心なしか不安気に、息がかかるほどの至近距離でスバルの顔を覗き込む。不安そうな表情も絵になる、と場違いな感慨を抱いてしまうほどだった。
「スバル?」
「は、はひ、ナツキ・スバルです」
再度、銀鈴の声音に名前を呼ばれて、スバルは引きつった笑顔で答えた。
顔だけでなく、声も震えていたかもしれない。あと、笑顔もキモかったかもしれない。どういった理由かは不明だが、この美少女はスバルにやけに親しげだ。でなければ、こんな風に超至近距離で見つめ合ったり、話しかけたりしてくれないだろう。
名乗る前にスバルの名前を知っていたのは、
「ん、スバル……よね。ごめんね。なんだか、ちょっと変な風に見えたから」
「そうですね、ベアトリス様の見立て通り、怪我の類はなさそうです」
「当然かしら。そんなものがあったらベティーが見逃すはずないのよ」
青年ともう一人の美少女の方も、スバルの顔を心配そうにのぞき込んでいた。
美少女だらけの中で、この青年の顔を見ると安心する。何というか、スバルからすると親しみやすい感じだ。青年は「何か失礼なこと考えていやしませんかねえ!」とでも言いたげな表情をしていたが、差し迫ったことがあるらしく、それを口にすることはなかった。
「それで、先ほどナツキさんが言っていた『異世界召喚』ですが、それがさっき起こったということですか? 死者の書を読んだ途端、別の世界に飛ばされた?」
「別の世界に飛ばされた? それって大丈夫なの? ねえ、スバル」
「死者の書……ってのが何かはわからねえけど、別の世界から来たってのは本当だ。……ってかこういうのって異世界から召喚した側がわかってるもんじゃないのか?」
もしや現代の人間には仕組みすらわかっていない古代魔術か何かでスバルは召喚されたのだろうか? だとしたらこの反応にも納得が行く。その割には異世界召喚という言葉が通じたのはやや不思議ではあるが。
まあ、そんな話は後でできるだろう。ここで優先すべきは第一印象だ。
スバルは寝かせられていたらしいベッドから勢いよく立ち上がり、三人に向き直る。
「色々話したいことはあるだろうけど、まずこれだけさせてくれ」
スバルは一つ、「おほん」と咳払いを入れて仕切り直し、ゆるりと居住まいを正す。
訝しげな顔をする二人の少女と、何だか焦ったような表情の青年と、背後に丸くなる黒い巨大トカゲ、その全員が視界に入るように一歩下がり、
「――改めまして自己紹介をば。俺の名前はナツキ・スバル!」
びしっと指を天井に突き付け、反対の手を腰に当てながらポージング。
スポットライトもディスコミュージックもないのが残念だが、それにめげず、スバルは歯を光らせて、己にできる全力を尽くして言った。
「無知蒙昧にして、天魔不滅の風来坊! 不束者ですが、どうぞよしなに!」
「――――」
名乗りの口上を高らかに述べると、それを聞く三人と一匹が呆気に取られる。
その様子を正面に、スバルはリアクションがあるまでポーズを続行。と、十秒しないうちに、知らぬ間に顔を青くした青年がおずおずといった様子で右手を挙げた。スバルは右手の指先を向け、発言を促す。
「さっきの会話は覚えてるぜ。名前呼ばれてたオットーってお前のことだろ? いかにもオットーっぽい顔してるしな。美少女だらけで苦労してそうだけど、よろしくな!」
そのまま右手を友好の証の握手の形に変えたスバルだったが、相手は一向に動かない。もしやこの世界では握手の文化がないのかもしれない、と思いつつ視線を上げると、そこにはさっきにも増してどんどん青ざめていく青年の顔があった。
「あれぇ!? 俺今なんかまずいこと言った!?」
美少女は二人のやり取りを見て相変わらずきょとんとし、美幼女の方は何か唖然とした表情にじわじわと切り替わっていく。
青い顔で頭を抱える青年――推定オットーが印象的な、そんな初対面だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「レイド・アストレアの死者の書がある可能性は否定できませんが、必ずあるとも言い切れないかもしれませんね。なにせ状況が特殊すぎます」
夜中にスバルと出くわし、爆弾情報を今更共有されて叱ったオットーだったが、スバルが思いついた作戦は妙案で、それを実行すべく現在は二人書庫に向かっている。その妙案というのが、レイド・アストレアの死者の書を読み、二層の『試験』突破に役立てようという作戦だ。
書庫に向かいながらスバルと二人で作戦を詰めていたが、オットーはレイドの死者の書が例外的に存在していない可能性もあると思い至った。
歴史によればレイドは人間であり、その寿命はとっくのとうに尽きているという話だ。これだけ考えれば死者の書はあってしかるべきだ。
だが現に今ここにレイドは何らかの方法で再現されている。ベアトリスの推測によればそれは魂を利用した方法とのことで、同じく魂を利用していると思われる死者の書が存在していないことも考えられた。
だがここに来て冴えてきた様子のスバルは、懸念を述べたオットーに即座に返答する。
「だったらフリューゲルの死者の書だ。俺らは読めねえけど、シャウラなら読めるだろ。シャウラにちょっと頑張ってもらって、この塔を造ったときの想定解を読み取ればいい」
オットーはなるほど、と頷く。確かにそれならばかなり可能性がある。
性格の悪い『賢者』のことだから自分の死者の書だけは用意していない可能性もあるが。
それに、うまく行けばフリューゲルの死者の書だけで、ついでに一層の『試験』の解き方までわかってしまうかもしれない。そう考えるとこれは魅力的な案だった。
三層へ続く階段を上りきると、見渡す限りに本が並ぶ空間――タイゲタの書庫に到着する。
「じゃあ、手分けして探すか」
「ええ。見つけたら一人で読まず、まず僕のところに持ってきてくださいね」
「ああ、そうするぜ。読んでる間にひっくり返って怪我したらかっこ悪いしな。……オットーも、眠くなったら遠慮せず言えよ。明日もあるんだから」
「そうします。少し探して見つからなければ、明日全員で探しましょう」
何かと抱え込みがちなスバルのことだ。放っておくと一人で本を探して一人で読んでしまいかねない。こうして釘を刺す意図が伝わっていれば良いのだが。
ちなみにオットーは最初、明日全員が起きてから探そうと言ったのだが、気が急いているのか、スバルは少しだけでも俺たちで探そうと返した。
何なら一人でも探しに行くと言い出しかねない様子だったので、眠いのを押してオットーも付き合うことにしたのだった。
……もしかすると、ユリウスとのことをあまり考えたくなかったのかもしれない。だから気を逸らすために、こうして別の目的に没頭している、ということはスバルの性格上あり得ることだった。
オットーは、何かあれば自分がユリウスとの間を取り持とうと考え、目の前の書架へと意識を戻した。
「オットー、いるか?」
「ここです」
しばらくしてスバルに大声で呼びかけられたオットーは、声を上げて自分の場所を示す。その場で待っていると、スバルは何も手に持たずにオットーのところまでやってきた。
もうレイドかフリューゲルの死者の書を見つけたのかと少し期待していたのだが、別件だったようだ。
「何かありましたか?」
「いや、大したことじゃないんだ。たださっき、あっちでメィリィに出くわしてな」
「メィリィちゃんが? ……ああ、なるほど」
彼女も『試験』突破のために密かに行動しているのかと思って一瞬驚いたが、すぐに別の理由に思い至る。
「? 何か思いついたのか? 俺は夜更かしするなよってだけ言って返したんだが」
「ここに来る理由なんて一つでしょう。誰かの死者の書を探していたんですよ。それも多分、個人的な理由で」
「――――」
そこまで言うとスバルも理解したようで、無言で表情を引き締める。
その様子はメィリィのことを本気で憂いているようで、オットーからするとそれがスバルの美点であり、弱点だ。未だにメィリィのことを信用しきれないでいるオットーからすると、それが少し眩しいと思うこともある、とは本人には言う気がないことだが。
ともかく、
「メィリィちゃんが知っている死者といえば、エルザ・グランヒルテです」
「……メィリィの両親って可能性は?」
「ないとみていいと思います。メィリィちゃん本人が、両親の名前も知らないと言っていましたから」
それすらブラフ、というのはさすがに考えすぎだろう。メィリィが両親の名前も知らない以上、死者の書を探すのは不可能だ。
「言っておきますが、探すのはこの塔の攻略が終わってからですからね」
「――バレたか」
スバルはオットーの言葉に驚き、照れるように頭をかいた。
もしかするとそう思っているかもしれない、と考えての発言だったが、どうやら図星だったらしい。本当に、仕方のない人だ。
「塔を攻略してから、大人数の人海戦術で目的の本を探す。このやり方が合理的です」
「オットーの言う通りだな」
そもそもレイドかフリューゲルの死者の書という大人数想定の探し物をこれからしようとしているわけだが、まあその点は仕方ない。運が良ければ何かショートカットがある可能性もある。
ひとまず納得したようで、本探しに戻りかけたスバルだったが、ふと足を止めて振り返った。
「なあオットー」
「なんですか?」
「メィリィがエルザの死者の書を探してる理由って、何だと思う?」
本棚からスバルに視線を戻すと、その表情は少しの不安と、後悔に彩られていた。聞くまでもない、この人はまたそうやって、背負い込もうとしている。
「最初に言っておきますが、あの場でエルザを殺さない手はありませんでした。ナツキさんが納得できなくても、僕がそう指示を出しました」
「――悪い、気ぃ遣わせたな。んで、理由の方は何だと思う?」
スバルだけの責任にはさせない、というこちらの気概が伝わったのか、少し気が晴れた様子だ。
そうして改めて問われたことを考えるが、あまり予想が立っていないというのが正直なところだ。というのも、彼女の思惑を推測するには致命的なほど彼女のことをよく知らないからだ。
「正直、僕は彼女のことをよく理解していません。ですから、詳しい理由は知りかねます」
むしろ彼女を気にかけて定期的に座敷牢に話しに行っていたスバルの方がよく理解しているんじゃないだろうか。
だが、推測してみることはできる。
「一般論として、死別した誰かが遺したものを知りたいと考えるのは、その故人と親しく、何らかの思い入れがあったからでしょう。――そんな顔をしないでくださいよ」
「悪ぃ、続けてくれ」
メィリィと親しい人を奪ってしまったのだという推測に目を伏せるスバル。一般的な感覚として、殺し屋を逆に殺して撃退したことで気を病む必要などないと思うのだが、難儀な性格だ。
「……ともかく、感傷的な理由としては、エルザの軌跡に触れたい、といったところでしょうか」
「エルザの軌跡に、触れる……」
「実利的な理由として、彼女の暗殺者としての経験を習得したい、という可能性もありますが」
それが良いことかはわからないが、故人が何を思っていたかを知りたいと考えるのは自然なことだ。思い出すだけではなく、軌跡を辿ることで故人を偲びたい、と考えるのはあり得る話だった。
「……いや、やっぱ推測だけで考えても仕方ねえ。明日にでもメィリィと直接話すべきかもな」
「随分と直球なやり方ですねえ。……まあ、それがナツキさんらしいといえばらしいですが」
「家に上がるときは靴を脱ぐのに、人の心には土足でずけずけ上がり込むのが菜月家の家風だ」
堂々と宣言したスバルに、オットーはやれやれと首を振る。
実際、エルザのことについてメィリィと深く話すのを避けてきたのは事実だ。この辺りで腹を割って話しておくのは良いかもしれない。
「それで、今日の死者の書探しは中断しますか?」
「いや、もうちょっと続ける。疲れたならオットーは帰っててもいいぞ。俺はさっきちょっと寝てたから平気だ」
「……そういうことなら、僕も残りますよ」
この人を一人で放っておくのはやはり不安だ。
今度こそ引き返し、書架を巡り始めたスバルを確認し、オットーも本の背表紙を片っ端から確認する作業に移る。
話が動いたのは、その直後だった。
「オットー!」
「ここですよ。今度は誰が――」
誰がいたんですか、と聞き返そうとして、オットーは次の言葉に息を止めた。
「――レイドの死者の書を見つけた」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……確かに、どこからどう見てもレイド・アストレアの死者の書ですね」
「だろ?」
声を上げたスバルに、開かないように十分注意するように言い含めて、書庫の中央の広場に持ってこさせた。その本の背表紙を念入りに確認し、偽装がないか他の死者の書と見比べ、どうやら本物らしいという確信を得る。
「読まない、って選択肢はないわな」
「……ナツキさんが読むつもりですか? それなら僕が――」
「いや、俺が読むべきだと思う」
スバルはもう十分に死者の書を読んだ。ここくらいは自分が読むべきだ、と主張しようとしたオットーだったが、スバルの鋭い視線に言葉を遮られる。
「……納得できません。言わせてもらいますが、作戦を立てるなら僕が読んだ方が効果的だと思います」
「……ありがとな、そうまでして俺の負担を減らそうとしてくれて」
「――――」
スバルは微かに笑い、オットーへと感謝の視線を向ける。
露悪的になってまで、スバルが一人で背負い込むのを止めようとした魂胆は、あっさりと見透かされたようだ。
仕方ない、とばかりにため息をつき、オットーは問いかける。
「理由を、聞かせてください」
「理由、か。読み慣れてる俺が読んだ方がいいだろうってのは一個ある。それと、三層の『試験』をクリアしたのが俺だったからってのもあるが、ユリウスが読めてた以上、気にしなくていいのかもしれない」
「なら――」
「でもな、やっぱりこの塔は、俺が突破するべきなんだと思う」
スバルがそう主張するのも、わからないではない。三層の『試験』は、聞いたところスバルの知識がなければだれも突破できそうにないものだった。だから二層の『試験』でもスバルが中心的な役割を担うことが想定されている……という論理は理解できるが。
「ならせめて、明日にしましょう」
「いや、今の方がいい」
「どうしてですか? また今のようなやり取りをしないために?」
「それもあるけど……」
そう言うとスバルは顔を上げ、書架をぐるりと見渡して言った。
「ここの本、知らないうちに置き場所が変わってるんだろ。なら、この本も勝手にどこかに行く前に、読んだ方がいい」
スバルはレイドの死者の書を軽く指で叩き、そう言った。
それは、昼間の検証でわかっていたことだった。
タイゲタの書庫は、死者の書が整理整頓されていないのみならず、その配置さえ時々刻々と変わっていくのだ。一旦は取り出した本も、部屋を出た隙にまた本棚に戻される可能性がないとは言い切れない。
「……決意は、固いようですね。ならもう止めません。――ナツキさんに任せます」
「おう、任された」
そう言うとスバルはレイドの死者の書に向き合う位置にどっかりと腰を下ろし、胡坐をかく。そして一度頬を両の掌でパチンと叩くと、
「行くぜ。倒れたら頭ぶつけないように支えてくれ」
「ええ、そっちは任せてください」
オットーも準備万端だ。スバルの真横に控え、いつでも手を伸ばせるように待機している。
それを横目で確認したスバルは、意を決して本を開く。
「――――」
スバルの目から意識の光が消える。死者の書を読み終わるまでの一瞬が何秒もの長さにも感じられる。
……いや、おかしい。
――数秒経ってもスバルの意識が戻らない。
「? っ! ナツキさん!?」
オットーは慌ててスバルの肩を掴み、揺さぶる。手を離すと、スバルは力なく床に倒れこみそうになる。そこをどうにか支え、柔らかく床に寝かせる。
想定外のことが起こった。
オットーはパニックになりそうな思考を無理やり押さえつけ、現状の把握に努める。
普通、死者の書を読むのは一瞬で終わる。死者の記憶を追体験する過程は、外部から見れば一瞬だ。それが、数秒どころか、十数秒経っても一向に終わらない。それが今スバルに起こっている異変だ。
スバルは意識を失ったまま、一向に目を覚まさない。
この状況でできることは何か。
「まずは……」
原因となっている死者の書を、自分が読んでしまわないように細心の注意を払いつつ、手を伸ばして閉じる。スバルを見やる。だが、スバルの意識は戻っていないようだった。
その状況に歯噛みしつつも、オットーは懐に入れたロープを取り出し、念入りにレイドの死者の書を縛る。それがどう動かしても開かないようになったことを確認すると、懐にしまい込む。
死者の書の持ち出しが書庫への不敬に当たらないことは、確認済みだ。
「次は……緑部屋」
原因不明だが、スバルには今なんらかの身体的な問題が発生している可能性がある。であれば、緑部屋の精霊の力を借りてこの状態が回復する見込みがある。
――例えば死者の書を読みすぎて脳に重大な損傷が発生した可能性。
これまで死者の書を読んで後遺症が残ることはなかった。だから油断していたのだ。そのことを考えると、オットーは後悔してもしきれない。オットーだけは、もっともっと悲観的に、懐疑的になっているべきだった。
こんなことならまだ一冊も死者の書を読んでいない自分が読めば良かった、という強い後悔の念が湧き上がる。
だが、と自分でその思考を止める。原因はまだ何もわかっていない。勝手に自分の責任にして後悔に浸り、行動を止めるべきではない。今は一刻も早く、スバルの回復に向けて行動するべきだ。
そう考えるが早いか、スバルの腕をつかみ、肩を支え、意識のないスバルを引きずるように連れ出す。
商人として身を守るために最低限の体力はあるものの、意識のない人を運ぶのはオットーにとって重労働だ。階段を下りながら、汗が滴る。途中、筋力の限界を感じて最低限休むが、今は一秒でも惜しいと、休憩もそこそこに緑部屋へと急ぐ。
スバルを引きずるオットーを、エミリアとベアトリスが見つけたのは四層に着いてからだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「つまり、スバルは……何にも覚えてないの? この塔のことも、プリステラであったことも……ううん、それどころか、ラムたちも、ベアトリスも。……私の、ことも?」
「えーと……はい、あの、そのようです、はい」
「――――」
膝を畳み、恐縮して答えるスバルに美少女が瞠目する。瞳に浮かぶ激しい動揺、それを目の当たりにして、スバルも強烈な罪悪感を味わった。
そして、スバルの返答にショックを受けたのは美少女だけではない。
「記憶が……ない? まさか、そんなことあるはず……」
呟くのは、顔を蒼白にした美幼女だ。
あるいは美少女以上に混乱した顔で、幼女はその衝撃を受け止められていない。
蔦で編まれたベッドに腰掛けるスバル、その隣に座った幼女はそっとその袖を摘んでいる。細い指先が微かに震えていて、やはりスバルの心は痛んだ。
「……僕の、せいです」
「オットーくん?」
激しく動揺しつつも、美少女はオットーに視線を向ける。そして、オットーが青い顔で頭を抱えているのを見て、気遣わしげな視線を向ける。
「経緯は、さっきお二人に話した通りです。僕とナツキさんは二人でタイゲタの書庫に向かい、レイドの死者の書を見つけました。ナツキさんは、それを読んで意識を失い……おそらく同時に、記憶を失くしました」
オットーの説明に、美少女二人は息を呑む。
スバルはいまいち話が読めていないが、どうやら禁書みたいなものを読み、記憶を落っことしてしまったらしい。
「あのとき、僕が死者の書を読むのを止めるべきでした……」
「……話がいまいち読めてねぇんだけどよ、最終的に俺が読むって決めたんだろ? ならオットーがそんな気に病むことないって。俺がしくじっただけだろ」
無理やり読まされた可能性もあるが、スバルが目覚めた瞬間にこれだけ心配して見せた相手がそんなことをしてくるとは思えない。おそらくスバルが向こう見ずにも危険な本を読もうとしたのが原因とか、そういうところだろう。なぜそんな危険を冒したのかについては後々詳しく聞きたいところだが。
とにかく、そんな行動の原因を全てオットーに押し付けるなんてことを、スバルはしたくなかった。そう思っての発言だったが、オットーはゆるゆると首を振り、
「あの場でナツキさんの行動を止められたのは、僕しかいませんでした。代わりに本を読むことができたのも、僕だけでした。少しでも危険がある選択肢をナツキさんに委ねるべきじゃなかった」
悔し気なオットーに対し、美幼女はやや鋭い視線を向け、
「色々考えた末での行動だったのはわかったかしら。スバルが記憶喪失になるなんて、誰も予想できないことだったのよ。……けど、スバルが危ないことをするのは今に始まったことじゃないかしら。オットーが止めなきゃ、スバルは勝手に突っ走って大怪我しちゃうかしら」
「ベアトリス……」
「落ち着きのない子供扱い!? 何、記憶失くす前の俺ってそんなに危なっかしかったの!?」
美少女はオットーに気づかわしげな視線を向ける。美幼女の言い分は、いささかオットーの責任を追及するニュアンスが強かったからだろう。
スバルとしても、自分の行動の責任くらい自分で取ると言いたいところだが、話を聞く限り記憶を失くす前のスバルはこの手のことに対して相当信用がなかったらしい。
スバルの叫びを聞き流し、美幼女はなおも目を伏せるオットーへと目を向ける。そして、その視線に気づいたオットーが顔を上げたのを見て、
「ただ、スバルから目を離さなかったことだけは、評価してやるかしら」
「――――」
美幼女はそう言い切ると、先ほどまでの動揺を表情から排し、決意に満ちた目でスバルを見つめる。
それを見届けた美少女も、一つ頷くと、スバルに向き直る。
「そうよね。スバルが一人で倒れてたらもっと大変だったかもしれないもの」
そう言うと美少女は「えいっ!」と言いながら自分の頬を両手でパチンと叩く。白い肌に微かに赤みが差す。
「顔に似合わず、めちゃくちゃ勇ましいなこの子……」
美少女は先ほどとは打って変わってきりっとした表情になり、呆気に取られるスバルを横目に、オットーへ視線を向ける。
「オットーくんだけの責任になんてさせないわ。スバルの記憶のことは、みんなで解決しましょ!」
「エミリア……様……」
オットーの先ほどまでの沈み切った表情が、今度は美少女の行動への驚きに塗り替えられる。
そうして呆気に取られるのが終わると、今度はオットーはその場にゆっくりと立ち上がった。そして不意にその両手で自分の頬をパチンと叩く。
「申し訳ありません。僕としたことが、過去を悔いてばかりで……」
「そういうときは、謝るんじゃなくて、ありがとう、って言えばいいのよ」
美少女がそう告げると、オットーはスバルからすると初めて、微かな笑顔を見せた。
「……ありがとうございます。僕としたことがナツキさんが一番困っているということを、見失っていました」
「ううん、オットーくんがびっくりしちゃったのも仕方ないわ。――ほら、ベアトリスも!」
美少女はそのままの勢いで、今度はスバルの隣で固まる美幼女へ声をかけた。
その美少女の剣幕にドレスの少女は少し気後れしていたが、
「スバルは……今、困ってる、かしら」
「……まぁ、そう言えなくもない、かな?」
ちっぽけな意地と軽口がスバルにそう言わせた。しかし、美幼女はその言葉に納得していない。だからスバルは頭を掻いて、
「あー、正直、そうだな。うん、助けてほしいと思ってる」
「――――」
素直に追い詰められた心境を伝えると、美幼女の瞳が驚きに見開かれる。薄く、青い瞳に浮かぶ奇妙な瞳孔――それが、スバルには何故か蝶の羽ばたきに見えて。
「……ああ、もう、まったく! スバルは本当に仕方のない契約者なのよ!」
直後、蝶の羽ばたきが竜巻を起こしたように、美幼女の態度が大きく変化する。短い腕を組み、呆れたと言わんばかりに幼女がそう声を張り上げた。
その勢いに美少女が微笑み、スバルは肩を跳ねさせる。と、そんなスバルの鼻面にびしっと、幼女が指を突き付けた。
「いつもいつも、面倒事ばっかり持ち込まれてベティーはいい迷惑かしら! こんなことはこれっきりにしてくれないと、いい加減、ベティーも愛想尽かすのよ!」
「お、おお……えと、それは、つまり?」
「素直に助けてって言えたのに免じて、今回だけ目をつぶってあげるかしら」
怒涛の展開に目を白黒させていたスバルだったが、沈んだ顔をしていた子が顔を上げたのは素直に良いことだと、自分の状況はさておき少し安心したのだった。
正直、スバルはまだ、この状況を穏当に受け入れたとは言い難い。
混乱は収まらず、現実とは向き合い切れず、説明を事実と鵜呑みも難しい。
だがそれでも、ひとまず、彼女たちの心意気は伝わってきたから。
「俺の名前はナツキ・スバル。右も左もわからねぇが、たぶん君たちのお友達。図々しいとは承知の上で、一つ君たちに頼みがある」
改めて立ち上がり、スバルは天井に指を突き付けて名乗った。
それから最後に、揃って顔を上げた三人に手を差し伸べ、首を傾げる。
「――君たちの名前を、教えてほしい」
「――――」
その言葉に、何故か美少女は喉を詰まらせ、美幼女が目を瞬かせる。オットーは呆気に取られたように、口を開けて固まる。
しかし、それも一瞬のことだ。
三人は一度間を置くと、ゆっくりとそれぞれの笑みを浮かべて、
「私の名前はエミリア、ただのエミリアよ。またよろしくね、スバル」
「ベティーは大精霊ベアトリス、スバルはベティーの契約者なのよ」
「僕はオットー・スーウェンです。ナツキさんの――友人です」
と、そんな風に名前を教えてくれたのだった。
【第24話での相違点】オットーがスバルの記憶喪失前後の状況を把握している。エミリアとベアトリスがその情報を共有している。スバルがオットーの顔を見て内心少し安心する。
今回の話はなろう版原作第六章34前半に相当しています。
あのオットーがそんなにすんなりスバルに死者の書を読ませるだろうか、とも思ったのですが、ここまで数冊スバルが死者の書を読んできてなんともなかったのでかなり油断してます。ちょっと負担を肩代わりしようくらいの気持ちで自分が読むことを提案しましたが、結局スバルの決意が固そうなのでその役割を譲りました。
こうなることはさすがに誰にも読めないでしょうし、オットー以外誰もオットーを責めません。スバルが普段から勝手に危ないことをしすぎ、とも言えます。
ちなみにここのオットーは『言霊の加護』のおかげでスバルの聞き慣れない日本語(異世界召喚など)の意味を理解できるという設定です。この世界に完全な対応物となる既存概念がない場合はそれっぽく翻訳されてそれなりに理解されているイメージです。