Re:ゼロから始める異世界生活6章オットー同行if 作:樫ハット
ここまで多くの方に見ていただけるとは思っておりませんでしたので感激です。
本作を読んでくださっている皆様方に、重ねて感謝申し上げます。
お気に入り、感想、評価、ここすき等も、とても励みになっております。
そして申し訳ないのですが、ここから数週間は諸事情で不定期更新になってしまうことを先にお詫びします。
ちょうど筆が乗ってくる展開部分なだけにもどかしい……。
「……朝食の席での説明は、僕がしようと思います」
「そうね、何があったか一番わかってるオットーくんにしてもらった方が安心だわ。説明も私たちより上手だもの」
「スバルの様子はベティーたちで見ておくから安心するかしら」
「心配しなくても急に部屋飛び出したりとかしないぜ、俺!?」
左手はベアトリスとつなぎ、右手はエミリアにがっしり腕を掴まれているスバル。そんなに心配しなくても皆に並んで歩いて行くことくらいはできると主張したいところだったが、たった今記憶喪失が判明した不安定な相手が何を言っても納得させられないだろう。
というわけで、この微妙に歩きにくい状態に甘んじているのだった。……決して両手に花で役得だなどと思っていたりはしないのである。
一方彼女らとは対照的に、オットーは一見冷静そのものの様子で顎に手を当て思考を重ねている。内心が冷静でないとわかっているのは、さっきスバルの記憶喪失を把握し散々取り乱したことを知っているからだ。
何ならスバル含めた四人の中で一番動揺していたのがオットーだったが、今は一転して冷静だ。その切り替えの速さは素直に勝算に値すると思った。元々自責の念からの動揺が大きかったようなので、その熱量がそのまま解決に向かっているのだろう。
そういう問題と向き合う強さは、自分が持ち合わせていないもので、スバルにはそれが眩しく見えた。
「……確かにこれ、コンビニ出た直後の体じゃねぇんだよなぁ」
などと、人を冷静に観察する思考はある意味で現実逃避だ。スバル自身は今も混乱の最中にある。
ひとまずこの三人はスバルのことを心から心配してくれた、信頼できる人物だと思う。だがそれはそれとして、認識上コンビニ帰りのスバルにとっては、処理しきれない新しい情報だらけだ。
この体の異変も、その一つである。
スバルは自分の右腕を持ち上げ、拳を開閉する。
心なしか、ややたくましさを増した腕がそこにあった。掌にも、覚えのないマメがいくつも増えている。竹刀の素振りでできたマメではないし、そもそも竹刀の素振りだって一年以上ご無沙汰だったはずだ。
それに、腕の変化はそれだけにはとどまらない。
「グロいな……」
持ち上げた腕をひっくり返し、手の甲側に目を向け、顔をしかめる。
少したくましくなった腕だが、それ以上に見た目がかなりグロテスクになっていた。右腕の肘から先、手首にかけた黒い斑の紋様――血管のようなものが浮き出て、趣味の悪いタトゥーのように腕を覆っているのだ。
「……スバル?」
「あ! いやいや、何でもねぇよ? ただちょっと、こんがりウェルダンに肌焼きすぎてんなーって思っただけ。記憶失くす前俺が何してたのか気になって」
美少女の憂える声に軽口で誤魔化したスバル。グロテスクな腕にショックを受けたのは確かだが、幸いと言うべきか、スバルはそれほど自分の体の傷に頓着する方ではない。
スバルの興味はむしろ、何をどうしたらこんな体になるのか、という点にあった。
それに答えたのはオットーだった。彼は少し悔しそうにしつつも、口調だけは淡々と説明する。
「その腕は、『色欲』の大罪司教によって変化させられたものです」
「『色欲』の大罪司教?」
早速の聞き慣れない異世界用語に首を傾げるスバル。色欲に大罪とくれば、スバルのオタク知識からすると七つの大罪だろうかと想像がつく。それがわかったところで、どういう仕組みで腕がこんな状態になるのかは皆目見当がつかないが。
「大罪司教というのは、魔女教の幹部です。魔女教というのは……えーっと」
「色んな人に迷惑をかける、困った人たちよ」
「困った人、というのはいささか控えめすぎる表現ですがねえ」
オットーが説明するごとに無理解に眉をひそめていくスバルに気づき、オットーは次々補足説明をしていく。
横から説明のアシストをしてくれたのはエミリアだが、オットーの反応を聞く限り、魔女教という奴らは相当質が悪い連中らしい。できれば関わり合いになりたくないものだ。
「まあ、俺にこの世界の常識が全然ないってのはわかったよ。んで、そんな連中が何をすれば俺の腕がこうなるんだ?」
「……ナツキさんの腕に『龍の血』が垂らされたからです」
「お、おう。また知らないワードだ」
『龍の血』、か。聞くだに既に治まったはずの厨二心がくすぐられるアイテムだ。だがオットーの暗い表情を見るに、単に超強力な強化アイテムというわけではないのだろう。
「『龍の血』はとてつもない力を秘めていると言われています。ですが、ナツキさんの体はそれに耐えられなかったようで、このような姿に変貌してしまいました。幸い、痛みなどはないようですが……」
「何だその設定! ……もしかしてそれで人間離れした力が発揮できたり?」
「は、しませんね」
「なんだよ! 期待して損した!」
オットーのすげない返答にスバルはわざとらしく肩を落とし残念がる。自分で手を動かした感覚として、通常以上の力は出せそうにないことはわかっていたのだが。
「ってか、痛みもないし別に力も普通だし、この腕ってぶっちゃけ見た目がグロいだけ?」
「わかっている限り、ナツキさんの場合は、見た目以外普通の腕とほぼ同じですね」
「怪我したら普通に痛みがあるので気を付けてくださいね」とオットーが念を押すのを聞きながら、スバルはその発言にあった微かなニュアンスを逃さなかった。
「俺の場合は、ってことは……同じことが起こってるやつが、他にいるのか?」
そう問いただした瞬間、オットーの眉がピクリと動いたのをスバルは見逃さなかった。オットーはその後ため息をつき、「すみません、エミリア様、ベアトリス様」と言うと、スバルに向き直る。声をかけられた二人はキョトンとし、ピンと来ていないようだったが。
「本当は、ナツキさんが落ち着くまでは伏せておくつもりだったのですが、ここで隠す方が不審がられるでしょう。この際ですので少しだけ説明しておきます。――この塔に来た理由にも関係することです」
「塔に来た、理由?」
いくらか鋭さの増したオットーの視線と言葉に、スバルは思わず唾を飲む。
この塔に来た理由。その発言はつまり、ここは彼らの居住区ではないということを意味していた。半ば想像はついていたことだが、この塔は彼らにとってダンジョン、つまり攻略すべきものなのだ。
何らかの目的があって、この塔に来た。その中で、スバルが記憶を失くした。
脳内で推論を重ねるスバルに、オットーは指を立てて説明した。
「この塔には、知識を求めて来ました。ナツキさんのその腕のように、『龍の血』の力によって、今も苦しめられているお方がいます。その方の治療法を探すことも、目的の一つです」
『龍の血』の力によって、今も苦しめられている人がいる、か。急すぎて、スバルはその話に現実味を感じることができなかった。
だが、少なくとも記憶を失う前のスバルは人を救うために動いていたらしい。そのことを考えると、妙な胸騒ぎがした。
ナツキ・スバルとは、そうやって誰かのために動ける人間だっただろうか、と。
この世界の経験で強くなったのだろうか。残念ながら、今のスバルにその強さはない。自分のことで手いっぱいだ。今の自分との乖離を感じ、情けなさと焦りが入り混じったような感覚に陥る。
そこから目を背けるように、スバルは質問を続ける。
「一つ、ってことは……」
「ええ、他にも目的はあります。どれも大罪司教らによる問題を解決すること、とだけ説明しておきます。ですが、詳細は後ほどゆっくりとお話ししましょう。ここまでの情報だけでも、ナツキさんには負担が大きかったでしょうから」
「……まあ、正直言うと、そうだな。ここまででお腹いっぱいだ」
とりあえず、大罪司教という奴らがスバルの想像以上に質が悪い連中で、スバルと彼らはその問題を解決するためにこの塔に来た、とだけわかった。
問題は、スバルがその役に立つどころか、記憶喪失になって皆の足を引っ張ってしまうことだ。
……というか、
「俺って何でこの塔までのこのこついてきたわけ? やっぱ俺に秘められたスーパーパワーが戦闘の役に立つとか?」
「ううん、そういうんじゃないの」
「ずこー!」
エミリアがバッサリと切り捨てる。またしても期待を裏切られ、スバルは大げさにずっこける。
『龍の血』に体が負けたと聞いた時点で半ばわかっていたことだが、どうやらスバルに異世界召喚ギフトですごい力が与えられたわけではないようだ。
「だが、俺はまだ諦めないぜ! スーパーパワーはダメでもとんでもない魔法の才能があったりとか……!」
「スバルには陰魔法の才能があったかしら」
「陰魔法!? なんか聞くだにマイナーそうな魔法だけど、それって強いの?」
ここで火とか水の魔法に適性がない辺り、スバルのひねくれ具合が表れていて、らしいといえばらしいかもしれない。などと、スバルは自分の中で勝手に折り合いをつける。
が、マイナー能力で無双するという話も異世界物にはまあまああることだ。そんな内心の期待を込めて聞き返されたベアトリスは、
「希少性はある、とだけ言っておくからしら。けどスバルよりベティーの方がよっぽどうまく使えるのよ。それに、スバルはベティーがいないと一人で魔法も使えないかしら」
「魔法もダメなのかよ! ってか一人じゃ使えないってどゆこと!」
「魔法の行使に必要なゲートを、スバルは無茶して壊しちゃったかしら」
「おぉ、それってまさか強大な魔法を発動する代償に二度と魔法を使えなくなった的な……」
「スバルが使ったのは初級魔法かしら。それでゲートを壊したのよ」
「俺、初級魔法の使いすぎで魔法使えなくなったの!? なんだその理由、ダサすぎるだろ!」
「……本当に、困った契約者なのよ」
夢だった魔法ももはや使えなくなっているという事実に頭を抱えて残念がるスバル。
幸いベアトリスがいれば魔法は使えるらしいが、これは魔法で活躍などできなさそうだ。異世界もそんなに甘くないらしい。
なおベアトリスがそんなスバルを、同情と、愛情と、少しの誇らしさのこもった目で見ていることに、スバルは気づかなかった。
「身体能力もだめ、魔法もだめとなると……残ってるのは現代知識無双くらいか?」
自慢ではないが、引きこもっている間に手に入れた雑学の幅広さには自信がある。例えば粉塵爆発なんか、効果的に使えたらスバルの身体能力でも通用しそうではないか。
あとはアイデアを商品にして売り込めば莫大な利益を手にしたり……そこにスバルの活路はあるのではないか。
「そこんとこどうなのよ」、とずばりスバルがオットーに指を突き付けると、彼はエミリアたちと顔を見合わせて微妙な表情をしている。こりゃまた空振りか、と肩を落とす準備をしていると、
「それは、半分正解かもしれませんね……この塔内に限っては」
顎に手を当て考えながらそうゆっくりと告げたオットーを見て、スバルは「おや」とオーバーリアクションを取りやめる。
オットーの言葉にエミリアも、
「そうね、三層の『試験』はスバルの知識がなかったら突破できなかったわ」
「マジで!? キタコレ!」
我が世の春が来たとばかりに喜びガッツポーズをとるスバルに、おずおずと声をかけたのはオットーだった。
「ですが、それは多分ナツキさんの言う『現代知識無双』とは違っているかと……」
「あ、やっぱだめ?」
「以前ナツキさんが同じような考えで提案した『粉塵爆発』という作戦も、不発に終わりましたし」
「うわ恥ず! ってか我ながら考えること同じすぎだろ!」
身に覚えのない自分の失敗に身もだえして恥ずかしがっていると、オットーはそれを自然にスルーして続ける。
「ですが、この塔の三層の『試験』の突破に、ナツキさんの地元の星の知識が必要だったのは事実です。そして、今後もナツキさんの知識が必要になる可能性はあります。……今は『試験』どころではありませんが」
「星の、知識?」
スバルが得意分野と自負する知識が役に立ったことは喜ばしい。だがこれまた妙な知識のセレクトだと思った。
普通こういうときは異世界人が知らない科学の知識が役に立つものと思っていたのだが。星の名前とは、どちらかというと文化知識の方が役に立ったらしい。
ともかく、ぱっと思いつくスバルの活躍の可能性はこれくらいだ。あとは裁縫とか女装とかは得意だが、それらがこういう場面で役に立つようには思えない。
スバルには、一体何ができるのか。
体感では転移してまだ一時間もしていない。それでここまでの無力感を味わわされるとは思わなかった。
この世界に来ても、スバルは結局その程度の男なのか――。
「ならなおさら、なんで付いてきたんだよ、ナツキ・スバル……」
そうこぼすようにぽつりと呟いたスバルの声を、オットーが拾う。
「……ある少女を、救うためです。さっきの部屋にいた、眠ったままの少女を」
「――――」
オットーの言葉に、エミリアとベアトリスも雰囲気を変える。きっと、彼女らとも無関係な人物ではないのだろう。
オットーはどこか不本意そうな表情だった。スバルにはその奥の思考を読み取ることができなかったが。
「今は詳しく話しません。記憶がなければ実感もないでしょうから。……ですが、それがナツキさんがここに来た理由です」
そう言い切ると、オットーはスタスタと先へ急ぐ。
その言葉をどう処理したらいいのかわからず立ち止まったスバルは、追いかけるように少し遅れて歩き始める。
それがなんだか、ナツキ・スバルの幻影に追いつけない今の自分を表しているようだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
さて、そんなこんなでひとまず、エミリア、ベアトリス、オットーとの二度目の初対面と言うべきイベントをこなしたスバルは、三人と共に朝食の席へと向かった。
そこで待ち受けていたのは、何ともいたたまれない空気の報告会兼会議だった。
場に同席してくれているのは、当然ながらエミリアとベアトリスとオットーの三人。そしてそれ以外にも、五人の男女――男女比がちょっと偏っているが、男女がいる形だ。
エミリアたちの説明によれば、彼女らはスバルと同行し、この塔――内部からではさっぱりわからないが、共に塔の攻略に切磋琢磨する仲間たちらしい。
そのいかしたメンバーを端から順番に説明すると、やたらとエロい格好のグラマラスな美人、年齢のわりに妖艶な雰囲気の美少女、可憐な顔にきつめの眼光がチャーミングな桃髪の美少女、はんなりと柔らかな雰囲気を纏った幼い顔立ちの美少女、それからやけに整った顔をした貴族っぽい雰囲気の青年――以上だ。
全員美形で、この時点でスバルは異世界の凄まじさを思い知っている。
そんな様々なメンバーの中で、スバルに起こった事態を報告しているのはオットーだ。オットーとスバルに交互に向けられる視線を見ていると、スバルは報告するのが自分でなくて良かったと場違いな安心感を得てしまいそうだった。
「……それで、この事態の原因となったのが、これです」
そう言ってオットーが机に置いたのは、一冊の本だった。
黒い装丁で、何だか見るからに禁書っぽいという印象を受けた。肝心の表紙だが、スバルが見たこともないような文字で書かれていて、読むことができなかった。
「文字は、日本語じゃないのか……」
スバルは口の中で誰にも聞こえないくらいの声でそう呟く。
てっきり日本語が通じたから言語の問題はないものと思っていた。だが文字の問題があるとは、中々想定外だった。
そんなスバルの内心と関係なく、話は進んで行く。
「――レイド・アストレア」
「そうです。二層に出現している、彼の死者の書、のはずです」
最初に反応したのは、桃色の髪の少女だった。それに対し、オットーはなぜか歯切れ悪くそう答える。
「はず、というのは?」
「ナツキさんはレイドさんの生前の記憶を読めなかったどころか、数時間意識を失った上に記憶を失いました。……となると、これが何の変哲もない死者の書、とは思えません」
どうやら死者の生前の記憶が書いてある不思議な本がこの世界にはあるらしい。スバルもそれを読んだが、イレギュラーがあって記憶を失った、ということだろうか。
「あの子はラム。お屋敷のメイドで……メイドって、言葉はわかる?」
「それは問題なく……でも、お屋敷でメイドときたか。うん、了解した」
隣のエミリアがさりげなく桃髪の美少女――ラムのことを説明してくれる。メイドがいる時点でエミリアが結構な身分と予想されるが、そんなスバルの内心を余所に、ラムはスバルへと薄紅の視線を突き刺し、
「にわかには信じがたい話ね。悪ふざけならこの辺にしておきなさい、バルス」
「そう疑われるのは仕方ねぇと思うが、マジな話だ。あと、俺の名前が目潰しの呪文になってんぞ。……お前が、あのベッドに寝てた子のお姉ちゃんか」
「――――」
唐変木な呼び方に顔をしかめて応じると、ラムの瞳がすっと細められる。
話題に挙げたのは、スバルが目覚めた緑色の部屋――通称『緑部屋』とそのまんまなネーミングの部屋で、エミリアたち以外に存在した少女のことだ。
明るい青の髪に、ラムとそっくりな顔立ち――眠ったまま、あれだけの騒ぎに我関せずと眠り続けた少女の存在は、『二度目』の初対面を乗り越えたスバルが、エミリアたちに最初に事情を尋ねた人物だった。
「妹を起こしてやりたいタイミングで、俺が面倒事になったみたいで悪い。けど、俺も正直いっぱいいっぱいなんでな。文句は、記憶が戻ったあとの俺に盛大に頼む」
「……その物言い、本当に忘れているの? その軽薄な態度も口調も、普段のバルスと何にも変わってないようにしか思えないけど」
「記憶喪失については大マジだ。けどまぁ、人の性根はそう簡単には変わらないってとこで、新しい俺とも前とおんなじ感じで接してくれ」
空元気なのもあるが、気負いのないスバルの態度にラムは訝しげな様子だ。
変化がないと、彼女がそんな疑問を抱く程度にはこれまで通りのスバルができている。それは記憶の喪失とは別に、悪くない事実だとも思えた。
少なくとも接し方の面で、変な気遣いをさせる心配はないのだろうし。
「お師様、またあーしのこと忘れたッスか? ホントに懲りないし飽きないッスね~」
「懲りる飽きるの次元の話じゃねぇし! 別に好きでこうなったわけじゃないんだが!?」
スバルの記憶喪失を知り、次に反応したのはグラマラスな黒髪の美女だった。
「……あ、えーっと……」
「シャウラッス、お師様最愛の教え子にして、このプレアデス監視塔の星番ッス!」
「星番……? それに、お師様ってのは俺のこと……?」
「はいッス!」
彼女をどう呼ぶべきかスバルが迷ったのを見てとり、自分から名乗りを上げたシャウラ。
彼女は太陽に匹敵する明るい笑顔で、自分を指差すスバルに頷く。あまりに屈託のない笑顔に、スバルの中で彼女の印象がすっかりひっくり返った。
外見だけで言えば、この中でも一番妙齢に思える美女、格好も相まって非常に大人びた色香があるかと思えば、その態度はまるで子どものようだ。あるいは、構ってもらえるのが嬉しくて仕方のない子犬、といったところか。
「ってか、流しかけたけど、俺ってそんな何回もぽんぽん記憶が吹っ飛んでんの!?」
よもや異世界転移の影響で記憶が飛びやすくなっているのか、はたまた異世界の風土病で記憶喪失になっているのか。だとしたら、生きにくいどころの話ではない。
「ベティーが知る限り、スバルが記憶を失くしたのはこれが初めてかしら。シャウラ、お前もあんまりスバルを混乱させることを言うんじゃないかしら」
嘆息し、シャウラをじろりとじと目で睨んだベアトリスに、シャウラの方がぎゃーぎゃー反論し始める。
そんなやり取りを横目に、
「本当、お兄さんってばあ、すっごく困ったさんよねえ」
甘ったるい声で幼い少女がそうコメントした。
外見はベアトリスと同年代だが、妖精と見紛うベアトリスと違い、まだ人間の範疇にある可愛らしい顔立ちの少女だった。濃い青の髪を三つ編みにして、その外見に見合わない艶っぽい流し目をこちらへ送ってきている。
「育てた親に一言物申してやりたい佇まいだな、ベイビー。……それで、君の名前も教えてくれると助かるんだが」
「お兄さんは絶対ママと相性が悪いからやめた方がいいと思うわあ。……わたしはメィリィよ、お兄さん」
メィリィと、軽やかな声でそう名乗った少女は、薄く微笑んでなんだか生暖かい視線を向けた。
その様子を見てスバルたちとどんな関係だったのか想像しようとするが、高貴な立場にもメイドにも見えなかった。そう思って隣のオットーに視線を向け、
「ラムが屋敷のメイド、シャウラがこの塔の星番、そんでメィリィはどういう立場なわけ?」
「ナツキさんやベアトリス様を殺しに来た暗殺者です」
「どういう冗談!? ……冗談だよな?」
なかなかヘビーな冗談だと声を上げたスバルだったが、何故か誰もそれを否定しないのを見て不安になる。困惑するスバルに気づいたオットーは、
「冗談なら良かったんですがね……色々あって、その能力を買ってこの塔までついてきてもらうことになりました」
「色々ありすぎだろ……」
その疲れた表情がなんだか板についているオットーに同情を覚えつつ、スバルは「子どもの暗殺者なんていかにもファンタジーだな」などと場違いな感慨を抱いていた。
この塔という閉鎖環境で拘束もなく生活しているところを見ると、どうにか懐柔はしたのだろう。
……懐柔されているのだろうか?
メィリィを見ても、彼女も薄く微笑んでひらひら手を振るだけだ。その軽さがなんだか空恐ろしい気がしたのは、彼女が元暗殺者だと聞いたからだろうか。
「で、ラムにシャウラ、メィリィと自己紹介が続いたわけだが……」
メィリィの諸問題を棚上げして、スバルは視線を残りの二人――薄紫の髪をした襟巻きの美少女と、秀麗な面立ちをした青年へと向ける。この場において、スバルの事情説明にまだ一言も発していないのはその二人だけだ。
「――――」
黄色い瞳を震わせ、口に手を当て押し黙った青年の様子には鬼気迫るものがあった。それは容易に言葉をかけるのを躊躇わせる雰囲気があり、スバルもなかなか切り出せない。
読んだ空気をあえて壊すことに定評のあるスバルだが、それにしても、彼の様子は踏み込むのを躊躇わせるには十分なものがあった。
あるいはこの室内で、最も衝撃を受けているのは彼なのではと思わせるほどに。
「少し……」
「ん」
「少し、彼に落ち着く時間を与えたい。構わないかな?」
その青年に代わって、軽く手を上げて言ったのは襟巻きの美少女だ。他のものと比べて厚着した少女は、その可愛らしい外見に見合わぬ男っぽい口調――いわゆる、ボクっ子っぽい雰囲気で切り出した。
固まった空気に困っていたスバルを横目にオットーは、
「もちろん構いません。時間が必要なのはナツキさんも同じですから。――それで、あなたのことは、何とお呼びすべきでしょうか」
訳知り顔でそう問いかけるオットーに、その少女は微かに息を呑む。その表情の変化は一瞬で、直後柔らかい無表情へと戻り、
「……まさか、あの場の会話を君も――」
「いいえ、そのあとでナツキさんと偶然会って話を聞いただけです。皆さんには本人から説明していただくべきだと判断し、まだ誰にも言っていません」
「なるほど、その配慮に感謝するよ。――ナツキくんにも、説明に協力してもらうつもりだったのだがね」
なんだか理解できない会話に目を白黒させているスバルは、そう言葉を切った少女と目が合い、曖昧に視線を返すことしかできなかった。
夜中に偶然出会ったオットーと共に書庫に行ったといういきさつは聞いているが、どうやらそれ以外にも昨晩はひと悶着あったらしい。そこにどれくらい自分が噛んでいたのかはわからない。後でオットーに詳しく聞いておこうと、その場ではそう考えるにとどまった。
そしてそのやり取りに、エミリアやベアトリスも困惑したような顔をしていたのも気になった。二人の会話の内容が彼女たちにもわかっていない――のとは、少しだけ違った風な印象を受けたが。
「改めて、今はアナスタシア、と名乗っておこうか」
「……ああ、わかった」
何だか色々ありそうな人物の紹介が続き、スバルはどんな表情をしていればいいのかわからなくなってきた。
曖昧な返事をしたスバルに続いて話を進めたのはオットーだった。
「ユリウスさんのためだけでなく、朝食の準備のためにもこの辺りで一度休憩にしたいところです。ですが、その前に僕から一つだけ、皆さんにお願いがあります」
そう言って見回すオットーに、エミリアは頷き、ベアトリスも表情を引き締め、各々視線を向ける。視線が集まったのを見て取ると、オットーは机に手を伸ばし、黒い装丁の本を手に取り。胸の高さに持ち上げる。皆の緊張感が、一段階高まったのを肌で感じた。
「詳細は不明ですが、状況から考えて、ナツキさんの記憶喪失の原因は『死者の書』にある可能性が高いとみています。ですから、この原因が明らかになるまで、全員『死者の書』を読まないようにお願いします。特にこのレイドの『死者の書』だけは、誰も読むべきではありません。
事情をあまり深く知らないスバルからしても、妥当な判断だと思った。そもそもなんでそんな見るからに禁書みたいな本を読むことになったのか、スバルはいまいち把握していないのだが。
「わかったわ。みんながスバルみたいになったら大変だものね」
「ラムは一概に賛成できないわ」
「……理由をお聞きしても?」
勢いよく頷いて賛成の意を示したエミリアと対照的に、ラムが鋭い表情で意見する。オットーの問いに顎を引くと、彼女は説明を始めた。
「そうやって消極的な態度をとることこそ、『賢者』の思惑通りの可能性があるわ。基本的に読まないことは賛成だけど、最低限検証は必要よ」
「……わかりました。話し合い、必要だと判断した場合は、その限りではないとしておきましょう」
一理ある、と頷いたオットーだったが、「しかし問題は……」と続け、
「誰が読むか、ですね」
「――――」
それは生贄を用意することに等しかった。検証のために一人の記憶を犠牲にする必要がある、というのはあまりにも大きすぎるコストだった。そのような大事を、果たして話し合いで決められるかは怪しいところだった。
そう考え、皆が押し黙る場で、ラムは表情を変えず、
「バルス、その時が来たらまた読みなさい」
「いや、俺ももう懲り懲りだわ! 確かにこん中だと一番被害小さく済むかもしれねぇけどさぁ!」
「冗談よ」
ラムはそう言って引き下がったが、表情が読めないためにどこまで本気なのかわからず微妙に怖いところだ。スバルは苦笑しつつその様子を見つめる。
スバルとしても、今度こそ異世界の記憶だけでなく日本の記憶さえ失ってしまうのはごめん被りたい。
「というか、そもそも俺この世界の文字読めなさそうだし」
言葉は通じるのに、文字は読めないなんて中途半端だなとぼやいていると、ラムがピンときたようで、
「そういえばバルスは最初、文字が読めなかったわ。あれからせっかくラムが教えてあげたのに、鳥頭のバルスには難しかったようね」
「いや今は忘れてるだけだから! ……そうだよな? 俺、ちゃんと文字くらい読めるようになってたよね?」
言いながら不安になった様子のスバルに、エミリアが「大丈夫、スバルならまた覚えられるわ!」と微妙に慰めになっていない慰めをしてくる。
「『死者の書』は特別かしら。文字が読めないことは問題にならないはずなのよ。……けど、ベティーはスバルが読むのには断固反対するかしら」
「ですが、表紙の人名まで読めないのは不便かもしれませんね。他にも何か書き置きとかをするときに困りそうですし」
オットーはそう言いながら、懐から取り出した手帖から一枚紙を破り取り、そこに何かを書き始めた。覗き込んだところ、相変わらず見慣れない見た目だが、それがこの世界の文字なのだろう。
オットーは書き終わると、それをスバルの前に差し出した。
「これが基本のイ文字の表です。最低限これだけわかっておけば十分でしょう。どれがどの音かは……地道に覚えてもらうほかなさそうですが」
「それならいい考えがあるぜ。ちょっとペン貸してくれ」
規則的に並ぶ五十一個の文字を見てピンときたスバルは、オットーにそう頼む。少し怪訝な顔をしつつもペンを渡してくれたオットーに、さらに問いかける。
「オットー、この文字の読み方は?」
「それはイですね」
「なるほどなるほど。次々読みあげていってくれると助かる」
「? その図形は?」
イ文字とやらの隣に何やら書き込んでいくスバル。その様子に疑問符を浮かべるオットーに、スバルは胸を張って得意げに告げる。
「ここのとは違うけど、俺の地元にも文字はあった。それさえ書いておけば一個一個照らし合わせて俺でも読めるって寸法よ」
それを聞いて、ラムでさえも珍しく驚きに表情を変えたように見えた。
先ほどからスバルが書いているのは、日本語のひらがなである。偶然か必然か、この世界の文字は日本語の五十音と対応してくれている。であれば、対応するひらがなをイ文字とやらの隣に書いていけば、イ文字速習表の出来上がりである。
驚きを見せる皆の反応に得意になり、スバルが最初に綴った言葉は、
「エミリア。どうだ、これで書けてるだろ?」
エミリア。それは記憶を失ったスバルが、この世界で初めて目にした存在だった。最初に文字に起こす単語として、これ以上にふさわしいものはないだろう。
眼前に見せつけるようにスバル渾身のイ文字を突き付けられたエミリアは、最初紫紺の瞳をパチクリさせていたが、やがて破顔し、
「ええ、よく書けてるわ」
「甘やかさないでください、エミリア様。これでは『エミリカ』と読み間違えられる可能性があります」
「エミリアばっかりずるいかしら! スバル、ベティーの名前も書いてほしいかしら!」
エミリア以外もその紙を覗き込み、やいのやいのと賑やかに言い合い始めた。
その様子を見ていると、少しだけ今後の不安が払拭される気がして、スバルも自然に目を細めるのだった。
【第25話での相違点】オットーが色々説明してくれるので、スバルが状況把握しやすい。スバルがこの世界の文字を把握する。
今回の話はなろう版原作第六章34前半に相当しています。
もっと話を進めるつもりだったのですが、どんどん書きたいことが思いついて展開がゆっくりになってしまいました。