Re:ゼロから始める異世界生活6章オットー同行if   作:樫ハット

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長らくお待たせしました!
しばらくはまた毎週更新できるかと思います。

それと私事ですがリゼロ十周年展に行ってきました。楽しかったです。
展示を見ていると色々と作中の記憶が蘇って泣きそうになりました。
スバルとオットーのキーホルダーを買ってきました。


【26】喪失

「バルスの字が汚いのは後で改善させるとして、そろそろ朝食の準備をしましょう。……各々、状況を整理する必要もあるでしょうしね」

 

 やいのやいのと話に収集がつかなくなりかけたタイミングで、目を伏せため息をついたラムが、視線をユリウスに向けつつそう提案する。彼に時間を与えたいというアナスタシアの発言を尊重した形だろう。

当のユリウスの方は、未だ顔をしかめ、懊悩しているようだった。スバルとしてはどういう状況でああなっているのか気になるところだが、さすがに今はそっとしておくべきだと判断する。

 

「そうだったわ! ラム、お願いできる?」

 

「えぇ、今日の当番はラムですから。ところでエミリア様、バルスを水汲みに借りても?」

 

「え?」

 

 ラムは立ち上がり、膝を払いながらそう言う。

 彼女からすれば不毛な会話をさっさと切り上げたかっただけかもしれないが、スバルの腹具合的にも朝食を準備するのは賛成だ。スバル的にはもう少しこの様子を眺めていたかった部分がないではないが。

 しかしそこでスバルが駆り出されることになるのは予想外だった。この通りエミリアも驚き顔だ。身体的には健康とはいえ、記憶喪失のスバルを水汲みに同行させるとは。

 

「スバルはまだ記憶もあやふやだし、休ませてあげた方が……」

 

「休ませたところで、記憶が戻る目途は立たない。バルス自身が言ったことです。体が健康なら、ロズワール様の使用人としての役割を果たすには十分でしょう。ちょっと物忘れがひどくなったぐらいで、サボれると思われてはたまりません」

 

「なかなか辛辣だなぁ、ラムちゃん……ラムさん?」

 

「――――」

 

 じろりと睨まれ、スバルは肩を縮めて萎縮した。

 とはいえ、ラムの言い分にも一理あるのかもしれない。スバルも現状、難しい立場に置かれている自覚はあるが、過度に気を遣われるのも居心地が悪い。使用人か小間使いか知らないが、いつも通りの仕事を振られた方がお互い多少は気楽だろう。

 そう思って腰を上げかけたスバルだったが、ラムは「でも、そうね」と言いつつ部屋を軽く見渡し、スバルの隣に目を留める。

 

「エミリア様のご心配も最もです。バルスだけでは不安ですから――オットーも来なさい」

 

「……ええ、わかりました」

 

 一拍置き、オットーが仕方なさそうにそう言って承認する。彼はそそくさとレイドの死者の書を懐にしまい込み、スバルの方に「行きますよ」という視線を向ける。

 

 ……一瞬オットーとラムの視線が交錯したように見えたのは、気のせいだっただろうか。

 

 まあスバルとしても、男同士なのもあり現状一番気楽にやり取りできるオットーがいてくれると助かるので、文句など言わないが。

 

「あ、私たちも……」

 

「甘やかしすぎても、バルスのためになりませんよ」

 

 不安そうにちらりとスバルの方を見たエミリアが、自分も同行すると提案するが、ラムがそれを制止する。

 その言葉にエミリアは言い返そうとしたが、「まあまあ」とスバルが割り込み、

 

「ラムの言葉にも一理ある。ラムが言った通り、頭の中身はともかく、体に問題はないんだし、聞いたところじゃ俺は使用人? 小間使い? そんな感じだったみたいだし、ここは一つ、水汲みぐらいは職務復帰させてくれよ」

 

「……スバルは使用人じゃなくて、私の」

 

「私の、なに? ――! もしかして、あの、その、こ、恋人的な……」

 

「ううん、全然そんなじゃないけど」

 

「全然そんなじゃないんだ! まぁ、そうだよね……」

 

 鼻息荒く、期待を込めて言ってみたが、エミリアにすげなく撃墜された。

 好み一直線なのは間違いないが、高嶺の花すぎて手が届くはずもない。記憶の有無に関わらず、スバルがこれだけ可憐な花びらに触れられるものか。

 

「ともかく、俺はいいから、あっちをお願い。戻ってくるまでに、ちょっとは立ち直っててくれるといいんだが……」

 

「……うん、そうよね。わかった。何とか、話してみる」

 

 冗談はさておき、スバルは声を潜めてエミリアに青年の方を指差して告げる。青年は何やら、アナスタシアと言葉を交わしている様子だが、立ち直り切れてはいない。

 

「ベティー、お前にも頼む。頼りにしてるぜ、契約っ子」

 

「――。その呼び方は、やめてほしいのよ」

 

 何となくシャウラとメィリィには期待しない方がいい気がしたので、エミリアとベアトリスに後のことを託す。

それだけの意図のつもりだったが、ベアトリスはスバルの呼びかけに小さく反論した。

 

「――? そうか? じゃあ、ベアトリス?」

 

「……ひとまず、それでいいかしら。スバルの頼みは任されたのよ」

 

 どうやら何かを選び間違えたらしいとスバルは思ったが、それ以上は掴めない。ひとまず及第点は得られた感触があったので良しとする。……急がないとラムとオットーに置いて行かれそうだったのも理由の一つだが。

 

「おっと、忘れるところだった」

 

 「さっさとしなさい、置いていくわよ」とばかりの鋭いラムの視線に焦りつつも、机の上の異世界五十音表を回収し、ポケットにしまい込む。

 スバルは少し駆け足になりつつ、扉に向かう二人を追いかけるように部屋を後にした。

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

「……あれって、どういうことなのか聞いても大丈夫か? えーと、ラムさん?」

 

「――――」

 

「……ラム?」

 

 部屋を出て少し離れてからのこと。ここからなら声が聞こえることもなかろうと思ってした質問だ。

 聞いたのは、言葉も発せなくなるほど衝撃を受けていた青年のこと。スバルの読みでは、彼が落ち着くためにしばらくスバルがあの部屋にいない方が良かったとラムが判断して連れ出したと見ているが、果たして。

 一度目は返事を得られなかったので、もう一度呼び方を変えて問いかけると、ラムはため息をつき、

 

「騎士ユリウスのこと? それは、ずいぶん残酷なことね、バルス」

 

「残酷なのか……」

 

 二人の距離感はこれで合っていたようだが、返ってきた答えは不穏だ。残酷とは、いまいち意図を受け取りかねる。

 わかったことは青年の名前がユリウスと、名前までスマートな印象を受けるということぐらいか。

 

「あの人のことはエミリアやベアトリスに任せるとして、わざわざこんな風に連れ出したんだ。まさか、ホントに水汲みだけが目的ってわけじゃないだろ?」

 

 部屋から少し離れたあたりで、スバルは直球でラムに切り込んでみた。

 

「――――」

 

 返ってきたのは無言。だがそれと対照的に、これまで沈黙を貫いていたオットーが切り出す。

 

「僕もそのことは気になっていました。あの目配せも、何か意図があってのことでしょうし。……ですがその前に」

 

 そこまで言うと、オットーは一度言葉を切り、ラムに向き直る。自然と二人は向き合った状態で立ち止まる。

 

「ラムさん、先ほどの冗談はいただけませんでしたね。嘘でも、ナツキさんをまた危険に晒そうと提案するなんて」

 

 表情はあくまで冷静に、しかし口調には確かな憤りを込め、オットーはそう突き付けるように言い放つ。

 そのときスバルの脳裏に過ったのは、ラムがスバルにもう一度レイドの死者の書を読むよう冗談を言った場面だ。スバルとしては真剣にとらえていなかった場面だが、オットーからするとそうでもなかったらしい。

 

 どうにかオットーを諫めるべく口を開きかけたスバルだったが、それはラムが「ハッ」と笑い、重ねるように憤りを露にする姿にかき消された。

 

「その言葉、そっくりそのままお返しするわ。不愉快な冗談に付き合わされて、ラムの寛大さにも限度がある、と暗に伝えたつもりなのだけど」

 

「冗談? 何のことですか?」

 

 覚えのない怒りを向けられ、毒気を抜かれたように疑問符を浮かべるオットー。

それを見てラムはさらに苛立ちを募らせ、

 

「まだ白を切るつもり? バルスが文字を読めないふりをした理由も、ラムは察してあげたわ。あの場はあれで良かったのでしょう?」

 

「……なるほど、そういうことでしたか」

 

 オットーは得心したようだが、かえって苦し気な顔をしているのはなぜだろうか。何もかも、スバルが置いてけぼりだ。

 一方でオットーが主張を理解したと見て取ったラムは、僅かに表情を緩め、追求を続ける。

 

「そういうことよ。わかったらとっとと作戦を話しなさい」

 

「待て待て、何の話だ? 作戦って?」

 

 さすがに耐えきれず、スバルが口を挟む。この塔のことも、ここにいる人々の関係性もよく知らないスバルには、二人が交わす言葉の意味がまるで分からない。自ずとスバルの言葉には、自分だけが置いて行かれていることへの焦燥が混ざる。

 

 困惑するスバルに気づいたオットーは、目を伏せ、より一層表情の影を深めつつ、スバルに告げる。

 

「ラムさんは、ナツキさんの記憶喪失を演技だと思っているようです」

 

「……え?」

 

 予想していなかった答えに、スバルは呆けた顔をラムに向ける。

 それを受けたラムは、スバルに真っ直ぐな視線を向け、もどかしいとでもいうかのように数瞬の沈黙を破る。

 

「どうせ、バルスのことだから、またろくでもないことを思いついて、オットーと一芝居打ったんでしょう。オットーにできる程度の演技、ラムならわけないわ。だから……ラムにぐらい、何を企んでいるのか明かしておきなさい」

 

 ――そうすれば、いざというときに対応しやすい。

 

 そんなニュアンスを込めて、ラムはスバルに淡々と言い放った。

 それを受け、スバルは目を泳がせると、自分の黒髪を黒い右腕で力なく掻く。オットーは思わず目を背け、その表情はスバルからは見て取れない。

 

「ええと、だな。ラム、お前の言い分はあれだ。わからなくはないんだが……」

 

「だが?」

 

「悪ぃけど、これって演技とか芝居とか、悪巧みとかじゃねぇんだよ。俺は本当にすっぽりと記憶が抜けてんだ。こればっかりは信じてもらうしかねぇ。俺の記憶喪失は作戦でもペテンでも――」

 

「バルス」

 

「うん? ……って、おい!?」

 

「ラムさん!?」

 

 一歩、彼我の距離を縮めたラムが腕を振るい、スバルが左手に持っていたバケツを突然に払い落とした。金属が石の床に打ち付けられ、高い音が廊下に響く。

 驚き、声を荒げかけるスバルと、慌てて止めに入ろうとするオットー。しかし彼が間に入る間もなく、

 

「うおっ」

 

 胸倉を掴まれ、気付いたときには体勢を崩されて壁に押し付けられていた。

 背中を打った痛みに苦鳴が漏れ、スバルはそれが、すぐ真正面にいる小柄な少女にやられたのだと遅れて気付く。

 遅れて気付いたが、その狙いはわからない。

 

「お前、何のつもりで……」

 

「いいから全部話しなさい! いい加減にしないと、ラムにも考えがあるわよ、オットー!」

 

 スバルの胸倉を掴んだまま、ラムは刺すような視線をオットーに向ける。あくまで強情なスバルを見て、交渉相手をオットーに変えた、というところだろうか。それは全くの勘違いなのだと、いい加減に我慢の限界がきたスバルが怒鳴りつけようと口を開いたその瞬間――、

 

「もう、やめてください」

 

 スバルとラムの耳に入ったのは、場違いに平坦な声色だった。そのある種の異様さにラムの手が緩む。スバルも思わず声の主へと顔を向ける。

 見ればオットーは、先ほどの報告会でのように、あくまで冷静にラムを見据えていた。

 

「もうやめてください。ラムさんも、本当はわかっているんでしょう? ――ナツキさんの記憶喪失は、嘘でも何かの作戦でもありません」

 

「っ! まだそんなことを――!」

 

 その言葉の意味を理解したラムは、怒りの矛先をオットーへと向ける。スバルの胸倉を掴んでいた手が緩み、ずり落ちそうになったスバルは足を踏ん張って何とかその場に立つ。

 

 ラムは一歩ずつ詰めるようにオットーに迫りつつ、責め立てるように言葉を紡ぐ。

 

「バルスがレムのことを忘れるなんて、そんな馬鹿なことあるわけがない! 高々死者の書を一度や二度読んだくらいで、レムのことを、忘れるなんて……!」

 

「ラムさん、話を――」

 

 レム、その名前を口にするラムには、悲痛な響きがあった。そんなラムの勢いとは対照的に、あくまで冷静に事情の説明を試みるオットー。

 だがラムはそれを頑なに認めようとしない。その裏にある感情に、鈍いスバルもようやく気づく。その怒りは、必死さの裏返しなのだと。スバルは何か、とんでもないことをやらかしてしまったのだと。

 

「ならオットーは、どうしてそんなに平気な顔していられるの!」

 

 必死の形相で迫るラムの、その言葉は劇的な効果を生んだ。

 

「――平気なわけ、ないじゃないですか」

 

「――――」

 

 先ほどまで平静を保っていたように見えたオットーの雰囲気が、その一言で一変した。顔を俯かせ、肩を震わせ、歯を食いしばり、オットーはそこに立っていた。

 怒りなのか、悔しさなのか、悲しさなのか、そのどれでもあるかのような感情。声を荒げないオットーの激情は、それを誰にもぶつけまいとしているかのようで――。

 

 その変化に思わずラムも足を止め、オットーの顔をまじまじと見た。やがて、オットーと同じように、顔を下げた。

 

「僕がどれだけ後悔したか、言っても伝わらないんでしょうね」

 

「ラムは――」

 

「……いえ、八つ当たりでした」

 

 困惑している様子のラムが顔を上げ、何か口にしようとするが、オットーがそれを遮る。

 そのときには、オットーはまた冷静な表情に戻っていた。さっきの感情の発露が嘘だったかのように、冷静だった。

 

「もう一度言います。ナツキさんの記憶喪失は、嘘でも何かの作戦でもありません」

 

「――――」

 

 オットーのその宣言に、ラムは力なくよろめいたかに見えた。そして、悲痛な顔で再び俯く。先ほどまでの怒りに乗せた焦燥は、行き場を失くし、ラムの内側に渦巻く。だがオットーは容赦なく続ける。

 

「これは全て僕の失態です。僕を責めるなら、甘んじて受け入れましょう。ですがラムさん――あなたには前を向いてもらわなくては困ります」

 

「――――」

 

 オットーはラムに指を突き付け、そう宣言する。その瞳に宿った静かな決意が、ラムを射貫く。

 

「僕たちは……いえ、僕は失敗しました。だから、協力してください。ナツキさんの記憶を取り戻すために」

 

 スバルとオットーの視線が交錯する。状況にも、感情にもついていけていないスバルは目を白黒させつつも、それを受け止める。

 しばしの沈黙の後、ラムが「ハッ」と息をつき、腰に手を当てながら、

 

「オットーのくせに生意気ね。言われるまでもないわ。――聞いていたわね、バルス」

 

「お、おう、もちろん」

 

 気づけば先ほどまでの悲壮感は既に表情の奥に押し込められたようで、ラムは元の仏頂面だ。二人のやり取りに置いて行かれつつあったスバルは、なんとか返事をするが、いまいち何を期待されているのか掴めなかった。

 そんなスバルの内心を知ってか知らずか、ラムは再びスバルに迫り、言葉を投げかける。

 

「レムのこと、絶対に思い出しなさい。ラムも協力するのだから、諦めることなんて許さないわ」

 

「……あぁ、思い出すよ。ずっと記憶喪失のままじゃいられねぇ」

 

 今のスバルでも、自信をもって言えることだ。しっかりとラムの目を見て答える。ラムの鋭い視線を向けられても、これだけは目を逸らさずに言える。記憶がないままで、いいはずがない。

 何より、目の前の少女のあの悲痛な表情を見て、放っておけるはずがない。体感としては会ったばかりとはいえ、それで他人面できるほど、スバルは合理的でも冷血漢でもない。

 

 ……その表情をさせた原因が自分にあるというのは、まあ記憶を失くす前のスバルに責任転嫁させてもらうとしよう。

 

 スバルの返答を聞き、やがてラムはまた一つため息をつくと、バケツを拾い上げながら独り言のように言う。

 

「ラムと約束しなさいと言いたいところだけど、バルスとの約束なんて、破られそうだからやめておくわ」

 

「記憶なくす前の俺の評判、どうなってんだ!?」

 

 先ほど取り落としたバケツをラムに突き付けられ、受け取りながらもそう文句を言う。ラムからの返事はなかった。代わりにラムは一人スタスタと水場へ歩いて行く。数歩遅れて、スバルもその背中についていく。

 ラムが納得はしていなくても理解はしていると見て取ったオットーも、バケツ片手に二人についていく。

 

 しばらくしてスバルとオットーが横に並んだ形になる。さっきのあれもあり、若干気まずい沈黙に耐え切れず、スバルは口を開く。……これだけは言っておかなければ、と思ったのも理由ではあるが。

 

「なあオットー、話を聞いただけだが、死者の書ってのを読むって決めたのは俺なんだろ? 俺が言うのもあれだけど、オットーだけが責任に思うことないって。前にも言ったけど、むしろ記憶を失くす前の俺の軽率な行動を責めるべきだと思うんだが」

 

「……あのとき、ナツキさんの行動を止められる人がいるとしたら、それは僕だけでした」

 

「オットー……」

 

 少しはオットーの後悔を和らげられるだろうという打算があっての発言だったが、反応は芳しくない。むしろ負い目を強くしている気すらする。

 内心で失敗に焦るスバルを尻目に、オットーは顔を上げ、しみじみといった様子で語る。

 

「記憶を失くしても、ナツキさんは変わらず優しいんですね」

 

 突然の褒めにスバルは少し照れ、無意識に頭をかく。が、スバルのしたことと言えば口だけで少し慰めたくらいのものだ。対して気の利いた言葉もかけられなかったし、考えれば考えるほどそう褒められたものではないと思えてくる。

 誰だって、スバルと同じ状況に置かれれば、きっとこのくらいのことは言うだろう。

だが、記憶を失くしてもスバルらしい振る舞いをできていることに、そこはかとない安堵があった。

 

「そんなことないと思うけどな。これくらい、誰だって――」

 

「こんなことなら、僕が読んでおけばよかった」

 

 その瞬間、オットーの口調の変化は劇的だった。感情を押し殺すように、それでいて何かを嘲るように、黒いものがにじみ出てくるような、そんな声色だった。

 それに乗せられた言葉の意味を、一瞬遅れてスバルは理解する。

 

 オットーは、自分が死者の書を読んで、記憶喪失になっていればよかったと、たった今そう口にしたのだ。

 

「何、言って……っ! そんな、誰かが代わりに傷つけば良かったなんて、俺は思えねぇよ!」

 

 理解と同時にスバルは口走る。

 ふざけるな、誰かが代わりに犠牲になっていればよかったなんて、そんなわけないだろうが。理想論かもしれないが、それでもスバルはそんなことを許したくなかった。

 何より、スバルの身をここまで案じ、自分を追い詰めているような人に、これ以上自分を傷つけてほしくなかった。

 

「……ナツキさんの言う通りです。忘れてください」

 

「悪いけど、お前が俺のこと心配してくれてる、ってのだけは覚えとくよ」

 

 そんなスバルの想いが伝わったのかは定かでないが、それでもオットーの黒い雰囲気は、少し払拭されたようだった。

 それに乗っかるように、先導するラムが口を開く。

 

「そうよ、オットー。一人で全部背負い込むなんて、バルスみたいな馬鹿なことはやめなさい」

 

「わざわざ俺を引き合いに出してくれてどうも! ……でも、ラムの言う通りだな」

 

「……本当に、そうですね」

 

 ラムの方も、軽口を叩くくらいの余裕は出てきたらしい。それは一つ収穫かもしれない。

 相変わらず冷静なオットーの内面は、スバルには結局見通せなかったが。

 

「さっさと行くわよ。あまり時間をかけると、エミリア様方に不審がられるわ」

 

 横目でこちらを見やりスタスタと歩みを進めるラムに置いて行かれないように、スバルとオットーの二人も、黙って歩き続けた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

「――スバルは、忘れられることがどれだけ辛いのか知ってる。だから、誰かを忘れるなんて、冗談でも絶対に言ったりしないわ」

 

「――――」

 

 部屋に戻る直前、室内から聞こえた声音にスバルは思わず息を詰めた。 姿形は見えないが、美しい銀鈴の声音はエミリアのものだ。

 

 声に込められた強い信頼、それと同じぐらい大きな嘆願。

 それはエミリアが、『ナツキ・スバル』へ向けているものだ。断じて、『菜月・昴』へ向けられたものではない。それを思うと、スバルの胸はチクリと痛んだ。

 だがその痛みは、彼ら彼女らの心中の痛みとは、比べるべくもないだろう。

 

「……冗談でも言わない。そうね。珍しく、エミリア様の方が正しいわ」

 

 その声を聞きつけ、自嘲げに呟くのはスバルと同行するラムだ。

 

「ラム……」

 

「益体のない戯れ言よ、聞き流しなさい。さっきのことも、エミリア様たちにご心配をかけるだけ。ラムの名誉のためにも、二人とも黙っていることね」

 

 それだけ言うと、スバルが思案する暇さえ与えず、ラムは部屋へ足を踏み入れる。

 ラムがこうも頑ななのは、彼女なりの意思の表れだろうか。ならばスバルも、それに言及しない程度の心遣いはあった。

 

「――お待たせして申し訳ありません。戻りました」

 

 彼女に遅れてスバルも部屋に戻れば、室内には多少なり無理の気配が広がっていた。

 それでも、スバルの衝撃的な告白の直後に比べれば幾分もマシだ。

 それを証明するように、戻ったスバルに「ご苦労様」とエミリアがねぎらったあと、声をかけてきたのは――、

 

「……先ほどは、醜態を晒してすまなかった。改めて、いいだろうか?」

 

「お、おお。こっちこそ、なんつーか驚かせて……ああ、いや、話の腰を折っちゃ悪いな。承ります」

 

「そう硬くならないでくれていい。君に畏まられるのはいささか落ち着かない。……改めて、ユリウス・ユークリウスだ。こちらにいらっしゃるアナスタシア様……彼女の騎士を務めている」

 

 そう言って、紫髪の美青年――ユリウスは薄く笑みを浮かべる。

 先の、スバルの告白直後には顔を蒼白にしていた人物だが、エミリアとベアトリスがうまくやってくれたのか、見るに、会話を交わすぐらいの気力は取り戻してくれたらしい。

 ただ、通路でのラムの言葉もある。――ユリウスのことを聞いたとき、彼女はスバルに残酷だと、そう言った。それがいったい、どういう意味だったのか。

 

「そして君とは友人……の、ようなものだ」

 

「そうか、よろしく……なんで、そこに自信なさげ?」

 

「そんな心配しなくて大丈夫よ。スバルとユリウスはすごーく仲良し。それは、ちゃんと一緒にいた私たちが保証してあげるから」

 

 言葉の端々に騎士然とした優麗さを感じるが、スバルとの関係となると彼は言いよどんだ。だがエミリアが割り込みつつこう言ってくれた以上、一定以上関係の深い間柄だったのだろうとは想像がつく。

 それはそれとして、ユリウスのどこか鼻につく気障な態度を見ると、記憶をなくす前の彼への初対面の印象は悪かろうということは何となく想像がつく。

 

「そうねえ。別にそれは心配する必要ないんじゃなあい? 騎士のお兄さんにとっての問題ってえ、それどころじゃないんだしい」

 

 と、そこにメィリィがどこか悪戯っぽい眼差しで茶々を入れる。

 スバルが記憶を失くしたことだろうかと思い、気まずさに口を閉じたスバルには気づかず、ユリウスがメィリィの意をくんだように説明する。

 

「そう、だな。メィリィの言葉通りだ。スバル、君に起こった異変についても話し合わねばならないが、我々が抱える問題はそれだけにとどまらない。そのことについても、ここで説明させてほしい」

 

「それは、今朝から様子のおかしいアナスタシア様に関係があること?」

 

「……ご明察だ、ラム女史」

 

 壁に寄りかかるラムの言葉に、微かに目を伏せたユリウスが応じる。それを受け、ラムは細めた目をアナスタシアへ向けると、小さく吐息をこぼした。

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 ――アナスタシア・ホーシンと名乗った少女の肉体は、現在は全く別の存在によって支配され、その精神は深い眠りについている。

 

 早い話、アナスタシア――エキドナと名乗った精霊の説明はそうした内容だった。

 その事実はエミリアやベアトリスにとっても衝撃的だったようだが、スバルにとっては衝撃的というより、わけがわからない状況を加速させたも同然だ。

 

 エキドナという名前にエミリアとベアトリスが少し過剰に反応したのは、過去に会ったエキドナという名前の別の存在との因縁が原因らしい。そっちのエキドナとは、スバルもひと悶着あったらしいが。

 

 ともあれ、元々アナスタシアに対する認識が頭に残っていないスバルだ。それを、最初の挨拶でアナスタシアと説明された人物が、実は別人だったんですと言われても、

 

「……そ、そうなのか。それはなんだ。ええと、大変、だよな?」

 

 皆と一緒に朝食を食べながら聞いているスバルには、他人事のような感慨を漏らす以外にリアクションができない。

 無論、これが非常に深刻な事態であることは、自分以外の周囲の反応からも想像がついた。そもそも、この塔とやらにきた目的が目的だ。

 

 眠り続ける少女を、何らかの病にかかったらしき人々を、救う手段を求めてこの塔へやってきた。――そう、聞いていたはずだったのに。

 

「いざ、塔へついてこれからというタイミングで、肝心のこちらが満身創痍……バルスはなけなしの記憶を失い、アナスタシア様の意識は深淵の中」

 

「あ、明るい条件が見えない……」

 

 端的にまとめたラムの言葉に、スバルは頭を抱えたい気持ちになる。

 問題は山積み――第一、スバルはスバル自身の問題にすらまだ向き合い切れていない。そんな状況で、次から次へと難題ばかり突き付けられても動きようがない。

 これでは――、

 

「みんなで、下ばっかり向いててもしょうがないと思うの。うんと悩みたい気持ちは私もわかる。わかるけど……でも、落ち込むだけじゃダメ」

 

「――――」

 

「私たちは、たくさんの人の期待を背負ってこの塔まできたのよ。今、スバルとアナスタシアさんが大変なことになったのは、はっきり言ってとっても大変。だけど」

 

 両手を叩いて、全員の視線を集めたエミリアがそこで言葉を切る。

 そして、一拍の間を開け、エミリアは紫紺の瞳で全員を見回すと、

 

「足は止められない。――諦めちゃダメって、ずっと教わってきたもの」

 

 強い口調で言って、エミリアが順繰りに部屋の中の面子の顔を見る。その視線が最後にスバルへと向けられ、美しい紫紺に射抜かれて喉が詰まった。

 自然と、胸が熱くなる。彼女のその視線には期待があった。それを受け、スバルは目を閉じて一呼吸し、

 

「エミリアちゃんの言う通りだ。山積みの問題の一角になってる俺が言うのもなんだが、凹んでばっかじゃいられねぇ」

 

 辛気臭い顔をしたくもなる状況、それはわかる。だが、答えの出ない難題に頭を悩ませるばかりでは前進はない。そのことも、スバルの経験上、間違いなかった。

 スバルだって、一人だったらこんな状況、きっと途方に暮れていたに決まってる。でも、スバルは一人ではない。スバルの側に記憶がなくても、スバルのためを思って声をかけてくれるエミリアたちがいる。それなら――、

 

「確かに、俺の記憶がすっぽ抜けてみんなに迷惑かけてるのは申し訳ない。でも、考え方によっちゃあ、今の俺ならこの世界の固定観念に囚われない斬新なアイディアが湯水のように湧き出すかもしれねぇ。要はピンチをチャンスに変えようぜって話だ!」

 

「……それはまた、ずいぶんと前向きな意見だね」

 

 勢い任せの発言に、苦笑するアナスタシア――否、エキドナ。空元気の口から出任せには違いないが、今の空気は壊す必要がある。

 そんなスバルの考えを受け、難しい顔をしていた面々にも変化が生まれた。

 

「でも、スバルらしい意見かしら」

 

「ありがと、スバル。――うん、良かった。やっぱり、スバルはスバルなんだ」

 

「――――」

 

 そっと、豊かな胸を撫で下ろしたエミリアの囁きにスバルは虚を突かれた。

 

 ――やっぱり、スバルはスバル。

 

 彼女のこぼした、心底からの安堵の一声に、スバルもまた安堵する。

 これでよさそうだ、とそう思えた。

 彼女の、エミリアの知るナツキ・スバルとの齟齬を少しずつ埋めていける。そうすればきっと、ぎくしゃくとぎこちない関係も円滑にやっていけるはずだ。

 

「……やれやれ、楽観的なことだ。記憶の有無に関わらず、君が勇猛と無謀の区別がつかない一声を上げるところは変わらないのだね」

 

 肩をすくめ、そう口にしたのはユリウスだ。彼の口ぶりに、スバルは口角を上げて言い返す。

 

「そっちこそ、やけに板についた嫌味ぶりじゃねぇか。さては、そっちがあんた……いいや、お前の素ってわけか。ユリウスさん……ユリウス、だな」

 

「……なるほど。エミリア様のおっしゃる通り、記憶の有無など些細なことなのかもしれないな。どうあれ、そうそう人の根は変わるものではないと」

 

 剣呑というほどに険しくはなく、友好というには刺々しいやり取りを交換する。しかし、スバルはこれがユリウスとの距離感だったのだと確信が持てた。

 最初に抱いた印象に間違いはない。スバルとユリウスとの初対面は、お互いに印象は良くなかったはずだ。その後、どういう経緯で塔へ同行するような流れを許容するに至ったかはおいおいだが――、

 

「とはいえ、君に記憶を失われたままでは困る。手がかりはレイド・アストレアの死者の書だが、肝心の記憶を取り戻す手立てについては白紙のままだ」

 

 ユリウスが顔を険しくし、そう切り出す。その言葉に隣のエキドナも頷き、

 

「君の記憶喪失という事象は、ボクたちとも無関係ではない。レイド・アストレアの死者の書以外でも同じことが起きる可能性は十分にある。その境界を探らなければ、おちおち塔内を探索することもままならないだろう」

 

 スバルもそれに頷きつつも、良い解決策は浮かんでくるはずもない。スバルにとっては、まだ情報が少なすぎるのだ。

 強いて言うなら、地球の知識からすると記憶喪失は大抵一過性のもので、何かきっかけがあれば一気に蘇るというのは聞いたことがあるが……。

 

「その件なのですが……」

 

 これまで会話の成り行きをじっと見守っていたオットーが、スッと手を挙げる。そこに皆の注目が集まるのを待って、オットーは切り出す。

 

「ナツキさんの記憶喪失の原因については、さっき水汲みに行く途中でもずっと考えていました」

 

「原因ったって、レイド・アストレアとやらの死者の書を読んだので決まりじゃないのか?」

 

「ええ、原因はそれでほぼ間違いないでしょう。ですが、より詳細な条件などは、二人目の記憶喪失者が出るまで探りようがありません。そして、それを悠長に待つべきでもない」

 

 スバルの率直な疑問にも、オットーは丁寧に返す。他に疑問が出ないと見ると、オットーは話を続ける。

 

「そこで、少し考え方を変えてみることにしました。どうして記憶喪失が起こったのか、ではなく、どうやって記憶喪失が起こったのか。それをまず明らかにするべきだと、そう思いました」

 

 そこでオットーは一度言葉を切り、スバルとラムにちらりと視線を向けた。その意図がわからないでいるうちに、オットーは続けた。

 

「結論から話しましょう。あくまで推測ですが――ナツキさんの記憶喪失には、『暴食』の権能が関わっている可能性があります」




【第26話での相違点】ラムが少しだけ冷静になる。オットーが記憶喪失の仕組みを推測する(?)

今回の話はなろう版原作第六章34後半、35前半に相当しています。

オットーは内心かなり(自分に対する)怒りや後悔が渦巻いていますが、この場面でそんな感情は役に立たないので冷静になろうと努めています。
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