Re:ゼロから始める異世界生活6章オットー同行if 作:樫ハット
『――ナツキさんの記憶喪失には、『暴食』の権能が関わっている可能性があります』
「――――」
その瞬間の部屋の空気の変化は劇的だった。
ラムが一気に殺気立ち、ユリウスは顔をしかめ、エミリア、ベアトリス、エキドナも不穏さに眉をひそめる。
「待ちなさい。この塔の中に『暴食』の大罪司教が潜んでいる可能性があるということ? ならこんなところで無駄話をしている暇はないわ」
「落ち着いてください。僕の推測ではその可能性は低いと思います。もし潜んでいるのだとしたら、ナツキさんと一緒にいた僕が無事であるはずがない。他にも根拠はありますが……順を追って説明しますから、まずは座ってください」
いち早く立ち直り、否、殺気を込めて立ち上がったラムが、オットーに真意を問いただす。オットーはそれを丁寧に説き伏せ、ラムは渋々といった様子で着席する。……視線は未だにオットーを刺すようだったが。
「状況を整理しましょう。まず、こうなった原因はほぼ間違いなくレイドの死者の書でしょう。しかしこの死者の書の何がナツキさんを記憶喪失にさせたのか、それがわかりません」
そう言いつつ、オットーは懐から黒い装丁の本――紐でがっちり縛られ開けられなくなっている――を取り出す。
それを見て皆一様に顔をしかめる中、エミリアが「はい!」と言いながら手を挙げ、発言の許可を求める。オットーが「どうぞ」と言うと、エミリアは紫紺の瞳に憂いを浮かべながら、
「スバルが無理して死者の書を読みすぎちゃって、負担がかかっちゃったんじゃないの?」
「その可能性もありますが、低いとみて良いでしょう。理由は、ナツキさんはこれまで数冊読んでいたにも関わらず、急にこの死者の書を読んだタイミングでこの現象が起こったからです。死者の書そのものの効果、つまりレイド以外の死者の書でも起こりうる現象、という線は薄いでしょう」
「確かに……」
「じゃあオットーは一体全体何が原因って疑ってるわけよ」
オットーの説明に納得するエミリア。だがスバルは話が読めないとでも言いたげに、オットーに疑問を投げかける。
オットーは一つ頷くと、この話の核心を打ち明ける。
「レイドの死者の書に、『賢者』が細工をした可能性です」
「――――」
「順を追って説明しましょう」
オットーの言葉に各々思考に沈みかけたのを見て、彼は頭の中で順序を組み立てながら説明を開始する。
「僕の知識の範囲では、記憶喪失というのは頭部に強い衝撃が加わった場合に起こります」
「俺の知識だと、トラウマ的な体験をしたとき、その出来事の記憶がすっぽ抜けるって場合もあるけど……今の俺の感じだとそれとはちょっと違う気がするな」
「ええ。いずれにしても、今回のそれは一般的な記憶喪失とは起きた状況が違いすぎます」
スバルが補足するが、言いながら自分でその線はないなと判断する。オットーも同意だ。この記憶喪失はそうした普通のものではない。不自然な点が多すぎるのだ。
「僕は記憶を失う直前からずっとナツキさんから目を離していませんでしたが、衝撃が加わった様子はありませんでした。ここから一つ考えられるのは、これが通常の記憶喪失でない可能性です」
「……それで『暴食』の権能、というわけね」
「ええ、記憶喪失がやつらの専売特許ではないにしろ、一つの可能性として疑うべきです」
得心とともに視線の鋭さを増すラムに、オットーも頷き返す。
記憶の問題が出てきたとき、真っ先にその可能性を疑っておくべきだった。当初オットーが無意識に可能性を除外してしまっていたのには、いくつか理由があるのだが……。
「あー、話を遮って悪いんだが、さっきから出てきてる『暴食』の権能ってなんじゃらほい」
一方でスバルは、話についていけていないようで、申し訳なさそうにしつつも手を挙げて疑問を述べる。
「端的に言えば、対象の記憶を奪う、対象をこの世界の全員から忘れさせる、対象を意識不明で誰からも忘れ去られた状態にする、といったことを可能にする能力です。その上記憶を奪った相手の知識や技量を再現できる」
「……何だよそれ、反則だろ」
微かに怒りを滲ませつつ説明するオットーに、スバルも同調する。
オットーも同意見だ。悪辣で下劣で反則的な能力。許せないという気持ちだけで殺せるのならそうするが、今はそんな感情を抱いても持て余すだけだ。
「待ちなさい、オットー。その推測には穴があるわ。バルスの様子は、とてもバルス自身に関する全ての記憶を失ったようには見えなかったのだけど」
「私からも、一つ疑問がある。『暴食』の大罪司教がその能力を発動するためには、相手に手を触れ、名前を呼ぶ必要があったはずだ。オットー君は、そうした場面を見てはいないのだろう?」
スバルに説明をしている間に、思考を重ねたラムとユリウスが、オットーの推測の穴を指摘する。二人の指摘は最もだ。オットーも最初は無意識にそう判断していた。だから、可能性を除外してしまっていた。
「お二人の指摘はごもっともです。僕も自分の推測に確証が持てているわけではありません。ですが、僕なりに筋の通る仮説があります」
そう言うとオットーは、懐疑的な目で彼を見ているラムの方へ向き直り、説明を始める。
「『暴食』の権能の一つ、周囲に忘れ去られる効果。これが、なぜかナツキさんには効かないことは、皆さんご存じでしょう」
「え、そうなの?」
各々様々な感情を浮かべつつ皆が頷く中、スバルは辺りを見渡して目をぱちくりさせる。
それを見たエミリアが、悲しそうに、でもなぜか少し誇らしげにしつつ、
「そうよ! ここにいるユリウスだって――」
「エミリア様」
エミリアが饒舌に語り始めるかと思いきや、それをユリウスが止める。エミリアは意図を捉えかねていた様子だったが、緊迫感のこもったユリウスの表情に目を向けると、はっとした様子で自分の口に手を当てる。
「ごめんなさい、ユリウス! 私ったら勝手に……」
「……いえ、いずれは話さねばならないことでした。むしろ、良い機会と言えるでしょう」
エミリアの謝罪ユリウスはゆるゆると首を振り、やがて覚悟を込めた表情でスバルに向き直った。
「ユリウス、もしかしてお前――」
「言葉を切って悪いが、このことは私の口から話させてもらえないだろうか」
「……あぁ、いいぜ。聞かせてくれ」
おおよそ事情に察しがついたらしいスバルだったが、それをユリウスが遮る。その辺りは、しっかりと自分の言葉で伝えたいのだろう。
少し話が逸れたが、一つわだかまりを解消できそうだと内心オットーは胸をなでおろす。
「――私は以前、『暴食』の大罪司教に名を奪われた」
「――――」
「しかし、私の存在を唯一記憶し、ここにいる皆との絆を繋ぎなおしてくれたのは、他ならぬ君だったのだ、ナツキ・スバル」
数多の感情を乗せたユリウスの瞳が、真っ直ぐにスバルを射貫く。その重みに耐えかねるかのように、やがてスバルは視線を下ろし、
「……それを、俺は、また」
「君が言いたいことはわかる。だが謝罪など必要ない。君も忘れっぱなしでいるつもりはないのだろう?」
二度目の初対面のときの、ユリウスのあの動揺を思い出したのだろう。スバルは事の重大さを理解し、申し訳なさそうに瞳を揺らす。
だがそんな、何に対してかすらよくわかっていない謝罪の言葉を、ユリウスが聞き届けることはない。彼はどこか挑発的な声色で、スバルに発破をかける。
「……あぁ、その通りだ。俺はお前のことも思い出すよ、ユリウス」
「期待しているよ、スバル。……もとより、思い出さないでいることなどラム女史が許すはずがないだろうからね」
目を伏せ、そう言ってのけたユリウスに、ラムは返事代わりに「ハッ」と息をつき、視線を逸らした。言葉で否定しない辺り、肯定しているも同然である。……そんなことを考えていたらラムに殺気を向けられ、オットーは慌てて苦笑いでやり過ごす。
……おそらくユリウスは、さっき通路でした三人のやり取りを知らない。それでも『暴食』と来れば、同じ被害者であるレムにすぐに思考が行くのは当然というわけか。
「そういうわけだ。話を遮ってすまなかった。続けてくれ、オットー君」
「……えぇ、僕が言いたかったことは、ナツキさんが『暴食』の能力に対して一定の耐性があるという点です」
話の主導権を返されたオットーは、一つ頷くと、焦点をスバルの特異性に戻す。
この話をした時点で、数名はなるほどと目を瞑ったのが見えていた。
「つまり、ナツキさんは『暴食』の権能で記憶を奪われて尚、ある程度の記憶を残すことができた、という仮説を立てました」
「……その点は理屈としてはわかる。だが、『暴食』の権能の発動条件を満たしていない、ひいては『暴食』の大罪司教そのものと遭遇していない事実についてはどう説明する?」
エミリアなどが一拍遅れてなるほどと頷く中、ユリウスは顎に手を当て思案しつつ、かねての疑問をぶつけてくる。
その疑問こそが、今回の推測の核心とも言える。オットーは改めて論理を確認しつつ、口を開く。
「ユリウスさんのおっしゃる通り、僕に『暴食』の大罪司教と遭遇した記憶はありません。もちろん、ナツキさんに奴らが手を触れたところも見ていません。事後に記憶を消去された可能性はありますが、なら僕を殺す方が手っ取り早い」
自説を自分で否定するような物言いに、眉をひそめたラムが追求する。
「ならオットーは、『暴食』がどうやって権能を発動したと思ってるの? まさか手を触れるのははったりで、実はそんなもの必要なしに発動できるとでも?」
「さすがにそこまで疑い出したらキリがありませんし、可能性は低いと思います。そこまで万能なら、奴らのこれまでの行動に説明がつかない」
もし権能の遠隔発動が可能なら、わざわざ本人が出張る必要はない。直接剣を交えたいという思惑がないとは言い切れないが、それにしてはプリステラでの行動は不自然だった。あそこまで追い詰められて、奥の手を使わないのは非合理的だ。
あとは直感だが、何の代償もなしに能力を発動できるような代物だとは考えにくい。
それに、奴らの性格的にそんな小細工を弄するようには思えない。基本的な傾向として、大罪司教たちは自らの権能に胡坐をかいている。わざわざまどろっこしいことをしなくても、勝てると思い込んでいる。
「なら――」
「話は変わりますが、本来死者であるレイドさんが、『試験』のために生前の姿で再現されていましたね。それも生前相当の強さで」
「……ええ、それがどうしたっていうの?」
何が言いたいのか、さっさと結論を言えとばかりに前のめりになるラムに若干気圧されつつ、オットーは核心へと切り込む。ラムが虚を突かれたように固まるが、気にせず続ける。
「そこで僕は考えました――『賢者』の知識をもってすれば、『暴食の権能』を再現することも可能なのではないか、と」
「――――」
『賢者』による『暴食の権能』の複製利用。それが、本来あり得ざるスバルの記憶喪失を説明する、オットーの推測だった。
「レイドの死者の書は、おそらく特別製です。レイドが『試験』の根幹に組み込まれているのが理由でしょう。レイドの記憶を読まれてしまっては『試験』の意図に不都合がある。だから、『賢者』は細工をした」
「レイドの記憶を読もうとした者の記憶を消失させるために、『暴食の権能』、あるいはそれと似た力を罰として用いた可能性。つまりレイドの死者の書には、『暴食』の力が込められている。それが、僕が推測する、ナツキさんの記憶喪失の仕組みです」
場に衝撃と沈黙が訪れる。その手ごたえと、次なる反応を待ち、オットーは固唾を飲む。
いち早く衝撃から回復したのはラムだった。
「その仮説には穴があるわ。罰を与えて遠ざけるくらいなら、最初からレイドの死者の書を読ませなければいい。書庫に配置しないのが手っ取り早いわ。――その辺り、お師様とやらから何か聞いていないかしら、シャウラ?」
「むぐっ……あーしッスか? 元々書庫に具体的に何があるかは聞いてなかったッス。聞かれても困るッス」
口いっぱいに食事を頬張っていたシャウラは、突然のラムの問いかけに驚きつつも何とか咀嚼し、そう答える。
オットーとしたことが、シャウラを頼るという手段を忘れていた。だが結局、シャウラから有効な情報を引き出すことはできそうになかった。もとよりそれ続きだったから、シャウラに頼ることを無意識に諦めていたのだが……。
シャウラの返答に仕方ないと肩をすくめつつ、オットーは自分の推論を話す。
「書庫の仕組み上そうできなかった、という可能性もあります。ですが僕は、むしろこれが合理的な思考に基づいて配置された罠である可能性を疑っています」
ラムの指摘は最もで、そこはオットーも考えたことだった。書庫が自動的に全ての死者の書を生成してしまい、破棄することが不可能、という可能性はある。しかし他でもない書庫の創造者がそのくらいの問題を解決できなかったとは思えない。
なら、可能性は他にもある。
「わざと一度罠を踏ませるというのは、ある意味でそもそも行動を縛るよりも、制限を強めます。罠があるかもしれない、と思わせるだけで、僕らはこれまでにも増して行動しにくくなるからです」
オットーは内心歯噛みしつつそう言う。
現状が既にそうなっている。『タイゲタ』の書庫を自由に探索することは、今回の事件で実質的にできなくなってしまった。これが『賢者』の思惑というのであれば、してやられたと言うほかない。
「あー、それならいかにもお師様がやりそうッスねー」
「お前のお師様性格悪っ!」
「お師様、自分の悪口言うのはやめるッス」
「そういや俺がお師様なんだっけ? ……え、ほんとにそうなの?」
「シャウラが勝手に言ってるだけよ」
シャウラがそれとなくオットーの推測を肯定する。それをきっかけにスバルも騒がしくなるが、ため息をついたラムがそれに終止符を打つ。
そして、してやられたという様子のオットーに、ラムは眉をひそめつつ、
「まるで賢者が『試験』を突破させる気がないと思っているみたいね」
「その可能性も、あるということです」
ラムの指摘は図星だった。彼女の言う通り、オットーは既にこの塔そのものが罠である可能性に傾いている。
しかし『試験』を突破できなければシャウラが魔獣となり敵対し、こちらを殺しに来る。罠とわかっていても、進まなくてはならない。相手の掌の上で転がされている。そこまでわかっていて、現状では対抗策が見当たらないのだ。
「一つ確認しておきたい。再現されたのは『暴食の権能』であって、『暴食の大罪司教』ではないと君は考えていると、そう理解して良いだろうか?」
「確証はありません。ですがあの場に大罪司教は現れなかった。そもそも属人的な能力は装置としては扱いにくい。なら権能のみの再現である可能性が高いと、そう考えています」
続いて衝撃から回復したユリウスが疑問を述べる。続く指摘の鋭さに心強さを感じつつ、オットーは根拠を話す。
本そのものが大罪司教である可能性に気づき、それを懐に抱えていることに一度ゾッとしたこともあったが、その考えもすぐ自分で否定した。もし本そのものが大罪司教なら、オットーが無事であるはずがない。
本を開き、機能させることが発動に必要なのだろう。死者の書の本来の機能に乗せるか上書きする形で『暴食の権能』が存在している。それが現時点でのオットーの仮説だ。
あくまで推測だ。故にユリウスも完全には納得していないようだったが。
「……にわかには信じがたい話なのよ。権能はそう簡単に複製できるものではないかしら」
この手の知識に精通しているであろうベアトリスが、疑いを込めてそう反論する。
こうして疑ってくれる人がいるのは、オットーとしてもとてもありがたい。そもそも今回持ち出した推測は、『暴食の権能』が関わっているということ以外、根拠が薄すぎる。
しかし権能の複製に根拠がないわけではない。
「ベアトリス様がそうおっしゃるのもわかります。ですが――」
「――『暴食』の大罪司教は複数いる」
オットーの言葉を切り、ラムが無表情に、しかし確かな殺意を滾らせながらそう言い切る。
「ロイ・アルファルド、ライ・バテンカイトス、そしてプリステラで出現したルイ・アルネブ……既に三人いるなら、権能の複製も、一概にあり得ない話とも言い難いのよ」
我知らず、オットーは己の足に手を伸ばしかける。
直接交戦したライに加え、激痛で薄れ行く意識の中で目撃した、ルイ・アルネブを名乗る存在。忘れようとしても忘れられない明確な敵。それがオットーの仮説を支える根拠だった。
「オットーの言いたいことはわかったわ。……けど、仮定が多すぎる。一応筋は通るというだけで、根拠がないわね」
「ええ、それは僕も自分で感じています。現状では、あまりにも情報が少なすぎる。……ですが、大枠としてこれでひとまず説明がつくはずです。どこかが間違っているにしても、たたき台としては悪くない案だと思いませんか?」
「その点は私も同意しよう。『賢者』の思惑や細かい仕組みはどうあれ、『暴食』の権能による罠がこの塔に潜んでいる。そう考えて行動するのが良いだろうね」
やや不満げなラムと議論をまとめるユリウスに頷き返しつつ、オットーは少し考える。実はオットーの仮説を元に考えると、一行にある希望が芽生えるのだ。そのことを伝えるべきか、オットーは迷っていた。
『賢者』の知識をもって『暴食の権能』を利用できるなら、『暴食』の被害者を救済することが可能かもしれない。
これはあくまで『賢者』が『暴食の権能』を使いこなしていたと仮定した場合にのみ成り立つ結論だ。そもそも権能の機能をそう都合よく使いこなせる保証もない。
そう考えると、ぬか喜びさせるよりは、黙っておくべきかもしれない。オットーは一人そう考え、このことについては口をつぐむべきかと思案していた。
「えーっと、悪いけど、今のもっかい説明してくれない?」
そんな内心の葛藤は、申し訳なさそうに手を挙げそう言ったスバルに断ち切られたのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「なるへそ。『賢者』とやらがこの塔の創造者で、そいつが死者の記憶を追体験できる『死者の書』ってやつを作った。けどレイドってやつの『死者の書』は特別製で、記憶を奪う能力が付与されている疑惑あり。おまけに『賢者』も『塔』も何やらきな臭いときてるわけだ」
「推測混じりですが、概ねそのように認識しています」
オットーに丁寧に説明してもらい、スバルはどうにか理解することができた。新情報が多すぎて処理しきれていないところもあるが、状況の悪さだけは伝わってきた。
ちなみにその間皆には朝食を食べ進めてもらっていた。考えることが多すぎて若干気もそぞろという人も、自分には関係ない話だとずっと口を動かし続けている人もいたが。
「……問題は次に何するかってとこだが」
「なるべく早くスバルの記憶を取り戻したいけど……今のままじゃどうすればいいのかがわからないわ」
「ありがとう、エミリアちゃん! けど、結局どうすりゃいいのかわからねぇんだよな。『暴食』ってやつの被害には、これまでも打つ手なしだったんだろ?」
スバルのことを優先してくれるエミリアのその姿勢には心が温かくなる。だが話を聞く限りでは、原因がわかったところでどうしようもないように思える。
内心頭を抱えるスバルだったが、そこでエキドナが軽く手を挙げるのが目に入った。
「そのことだが、記憶喪失が塔の仕組みの一つであるのなら、順当に『試験』を突破することが、記憶を回復する手立てになる、とは考えられないだろうか?」
「なるほど、ありそうな話だ」
この記憶喪失が塔によるペナルティなら、それを取り消す方法が用意されていてもおかしくない。それが『試験』のクリア報酬というのは、いかにもありそうな話だった。
「……じゃあ私だけでも一層に向かってさっさと突破しちゃう?」
「いつでも行けるわよ」とでも言いたげなエミリアだったが、オットーが首を振り、
「現状、わからないことが多すぎます。最悪の場合、エミリア様まで記憶を失いかねません。……いえ、『暴食』の権能なら、全ての人から忘れられてしまう恐れもあります」
「――――」
「その危険は、冒せません」
そう、オットーはきっぱりと言い切った。
本音を言えばすぐにでも記憶を取り戻したいスバルだが、下手に危険を冒せば事態が悪くなると来れば、さすがにその手は選べない。
それに、これだけスバルのことを考えてくれていて、スバルより賢い人がいてくれるなら、スバルが判断するよりよっぽど信頼できると思えた。
「俺もオットーに賛成だ。塔の罠がいよいよ牙をむいたってんなら、迂闊に動けばあっちの思うつぼだ」
「だがそう悠長にはしていられまい。ただ待って状況が良くなる保証はない」
スバルとオットーの消極的な姿勢に、エキドナが待ったをかける。彼女の言い分もよくわかる。
しかし、動こうにもあまりにも不確定要素が多すぎるのだ。ただでさえ混乱の最中にあるスバルには、一旦時間が欲しいというのが本音だった。
「……ここは折衷案と行きましょう。昼食時まで、各々考えをまとめる時間にしましょう」
そんなスバルの内心を知ってか知らずか、オットーがそう提案する。彼はその場で指を三本立て、続ける。
「ただし、三つお願いがあります。一つ目。『試験』攻略のために書庫へ向かうのは良いですが、死者の書を独断で読まないでください。読みたいものがあれば、昼食時に全員集まって了承を得てからです」
「私から異論はない」
思案し、肯定するユリウスに追随するように、皆頷く。
指を一本折り、オットーはまた口を開く。
「二つ目。二層へ独断で向かうことはやめてください。勝算がないままレイドに立ち向かっては、状況を悪くするだけです」
皆が一様に頷く。……その中でユリウスが目を伏せたように見えたのは、スバルの気のせいだっただろうか。
「三つ目。最低でも二人以上で行動してください。本人含め、最低限状況の説明ができる人が二人以上いることも条件とします」
「記憶喪失対策だね。確かに今回はオットー君がいてくれて助かった」
エキドナの肯定に、内心でスバルも同意する。もしオットーが一緒に居なければ、スバルの事情説明はもっとややこしいことになっていたことだろう。記憶喪失の原因がほぼ確定させられた点をとっても、オットーがいてくれたことは大きな価値があった。
「……異論はないようですね。ですがあくまで暫定的な意見であることを忘れないでください。事態が急変すれば、その限りではありません。できれば、こうして話し合いの場を設けてから取り決めたいところですが」
「ありがとう、オットーくん。こういうとき、すごーく頼りになるわ」
「もったいないお言葉ですが、エミリア様、それは……」
真っすぐな瞳でオットーを賞賛するエミリア。だがオットーはスバルにちらりと目をやり、浮かない顔だ。
こんな美少女に褒められたら、スバルなら飛び上がって喜ぶところだが……。
「これからも頼りにしてるぜ! うちのブレイン!」
「……では、これで朝食の席は解散ということで」
「まさかのスルー!?」
何か発言を求められているのかと、スバルも素直な賞賛を口にしたのだが、反応がこれである。これでもスバルは本当に助かったと思い、オットーのことを信頼しているのだが……。
もしかすると、スバルらしくない受け答えだったのだろうか。
そんな不安を抱えながら、スバルは空になった食器を台所へと運ぶ。これが、記憶を失くす前のスバルの仕事だったのだろうから。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「エミリア様、ベアトリス様、ちょっとこちらへ」
「うん、わかった」
解散し、皆が席を立ち各々の会話でがやがやし始めたところで、オットーはエミリアとベアトリスを手招きする。
「何かしら? ベティーはできるだけスバルの傍に居たいのだけど」
「ええ、まさにそのことです」
同室内とはいえスバルから距離を離すことにやや不満げなベアトリスにそう告げる。首を傾げる彼女とエミリアに、オットーは頼みを伝える。
「ナツキさんを、一人にさせないでください。目を、離さないでください」
記憶を失くしたスバルを一人にさせない。それがオットーの頼みだ。
理由はいくつか、否、いくらでもある。だが今この状況では特に、スバルを一人にすることは危険なだけでなく、スバルの心のためにも良くない。
オットーはスバルの内心をある程度理解できていると自負している。
今スバルの内心に吹き荒れているであろう感情は、困惑と不安だ。状況がわからないまま、こんな危険な塔にいきなり連れてこられて、不安でないはずがない。恐くないはずがない。表面上取り繕っていても、オットーにはわかった。
だから、スバルが信頼できるであろう二人を選んだ。何があってもスバルを守ってくれるであろう二人を。
「何を頼まれるかと思ったら、言われるまでもないかしら。スバルを一人にしたりなんてしないのよ」
「言っておきますが、ナツキさんからの頼みであっても、ですよ。それがナツキさんのためです」
「――――」
オットーの念押しに、二人は息を呑む。オットーとて、スバルを信頼していないわけではない。早まった行動をするとも思えない。
だが、スバルはこの塔が今どれだけ危険なのか、おそらく理解していない。
レイドの死者の書を読んでから、スバルの意識が戻らないと気づいたときの、あの恐ろしさを、オットーは忘れられない。過保護と言われようが、スバルに軽率な行動をとらせる可能性の芽は摘んでおきたいと思った。
「ナツキさんがどうしてもというなら、お二人のどちらかが僕を呼んでください。その場で判断します。僕はしばらく四層にはいるつもりですが、見つからなければゾッダ虫に話しかけてください」
「ベティーはなるべくスバルの意思を尊重したいかしら。……けど、それがスバルのためになるなら、わかったのよ」
「わかったわ。オットーくんがそう言うなら、きっとそれがスバルのためなのよね」
渋々聞き入れたベアトリスと、少し考えてしっかり頷いたエミリアに、オットーは胸をなでおろす。
だがエミリアはその後、紫紺の瞳に憂慮を浮かべ、
「……その間、オットーくんは何をするつもりなの?」
そう問いかけた。オットーはそれに淀みなく答える。
「ご心配なく。――何人かと、少しお話しするだけですから」
「……うん、わかった。スバルのことは私たちに任せて」
「頼みました」
力強い二人の眼差しを確認すると、オットーは部屋の外へ向かう。次なる手は、今後に備えた準備だ。
「ラムさん、早速ですが僕が外に用事があります。ご同行願えますか?」
「ええ、いいわ。ラムもちょうどレムの様子を見に行くつもりだったから」
自分で決めた安全策を徹底すべく、オットーは油断なくラムに同行を願い出る。彼女はちょうどいいとそれに乗る。
まずはゾッダ虫の配置から取り掛かろうと、オットーは廊下へ踏み出す。
【第27話での相違点】スバルの記憶喪失の原因として、暴食の権能にあたりをつける。それに伴い監視塔に対する皆の警戒度が高まる。ユリウスの動揺の原因をスバルが知る。
今回の話はなろう版原作第六章35後半、36(?)あたりに相当しています。
スバルの記憶喪失の原因に対するオットーの推測は、当たらずとも遠からずという感じにしてみました。これ以上はさすがに今の材料からは推測できないでしょうからね。
ちなみに本作では、アウグリア砂丘にも虫くらいならいるという設定にしています。魔獣の死骸を漁っている肉食昆虫が比較的瘴気が薄い場所に生息しているイメージです。
生存力が高いゾッダ虫も元気に生きてます。