Re:ゼロから始める異世界生活6章オットー同行if 作:樫ハット
メイザース領の本邸の東棟の地下は、屋敷の中でも異質な雰囲気の階層だ。石造りの冷たい空間には、貴族屋敷の地下部分という要素に、わかりやすい目的が付随している。座敷牢だ。
スバル、エミリア、ユリウス、アナスタシアの四名は、座敷牢に軟禁されている人物と交渉すべく足を運んだ。
「ってなわけで、これが今回、魔獣関係のアドバイザーとして話を聞かせてもらうことになる、うちの屋敷の捕虜のメィリィだ」
「汚されちゃったよお、お兄さんに傷付けられちゃったあ……しくしく……」
件の人物――メィリィは、座敷牢で一人人形遊びをしているところを目撃されるという辱しめを受けてむくれているところである。
その原因となったスバルの行動をユリウスがたしなめ、スバルの新作パンダぬいぐるみを渡して機嫌を直してもらったところで、話はやっと本題に移る。
「竜車でも話したけど、元々この子の素性はエミリアとか俺たちを狙ってきた……ええと、殺し屋みたいなもんだ。それはいいよな?」
「その時点ですでによくない気はするが、先を聞こう」
「含みのある言い方だな……とにかく、殺し屋なんだよ。で、メィリィがこの小さい体でどんな働きをするのかっていうと、早い話が魔獣を操る。『魔獣使い』だ」
「そう、私と悪い動物さんたちはすごく仲良しなの」
えへん、と言いたげに胸を張るメィリィだが、その語った内容は魔獣をある程度知る人には驚愕の一言だろう。そもそも魔獣とは、決して人には懐かない人類の害敵だというのが通説だからだ。
スバルはメィリィに向き直り、彼女に視線の高さを合わせる。
「そこのところを見込んで、お前の力が借りたい話があるんだ。付き合ってもらっていいか?」
「……いいわあ。お兄さんに付き合ったげるう」
頼み込むスバルに、メィリィは静かに頷いた。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「アウグリア砂丘なら、二回だけいったことあるよ?」
スバルたちの説明を聞き終えて、自分のお下げを弄りながらメィリィが言った。
彼女は記憶を回想するように目をつむり、
「手札の魔獣さんたちを補充しようって寄ったの。あそこ、魔獣がたくさんいる場所だったからすごい捗ったけどお……」
「けど?」
「お兄さんたち、本当にいくの? たぶん、私以外の人って死んじゃうよ……?」
彼女の経験からしても、スバルたちの行いは無謀に映るらしい。口ぶりからはそこがどれだけ魔獣の入れ食い状態だったのかが読み取れた。だが、
「経験者の経験談は大いに参考にしたいんだけど、いくと死ぬよって意見はもう散々議論されてるから今さらなんだよ」
やると決めたらあとはなるだけ可能性を高めるために努力するほかない。スバルはそう考えている。
「それに砂漠の迷路っぷりだけなら、突破する方法はひとまずこっちで準備してある」
「はいな、うちのことやね」
ひらひらとアナスタシアが手を振り、自分の案内役ぶりをアピールする。
アウグリア砂丘踏破に立ちはだかる問題は主に三つ、『砂漠の迷路』『魔獣の巣窟』『賢者の目』だ。そのうち『砂漠の迷路』はアナスタシアの案内で突破できる。
メィリィにはその二つ目、『魔獣の巣窟』を突破するために協力してほしいというわけだ。
「それで、砂丘の魔獣たちをどうにかして突破する方法が欲しいんだが、魔獣の専門家であるメィリィ先生に何か良案はあるか?」
実のところ、オットーからは『魔獣の巣窟』の現実的な突破方法を既に提案されている。それは、メィリィをアウグリア砂丘まで連れ出して、周囲の魔獣を抑えておいてもらうというものだ。
だがスバルとしては、メィリィのような子供を危険な場所に無理に連れていくのはできれば避けたいと思っている。本人がただでさえ外を怖がっているのだからなおさらだ。だからこうして、他に方法はないかと先に問いかけることにしたのである。
「そうねぇ、囮の人をいっぱい用意するとかかしらあ。魔獣ってみーんな、生き物の方に飛びつくからあ、その隙に通り抜けることはできるかもしれないわあ」
「そんなの絶対にダメ! 反対! 私、反対です!」
「そんな躍起になって反対しなくても、誰も選ばないから大丈夫だよ。ちなみに襲いかかってくる魔獣を片っ端から倒して進むのって、お前から見て可能だと思うか?」
「たぶん、ダメだと思う。お姉さんたち、休まずに一週間ぐらい魔法使えるう?」
「そんな末期の塹壕戦みたいな状況が求められんの!?」
「や、やってみる……?」
「いいよ! これは無理な話の流れだよ! エミリアたんの髪と肌がガサガサになるからやめよう! はい、却下!」
それだけの長時間気を張って戦闘し続けることなど、ラインハルトにだって無理だろう。
……いや、やっぱりラインハルトならやりかねない気がしてきたので、彼を引き合いに出すのはよそう。
それはともかく、無理やりに中央突破する案は、そもそもの内容として無理があるらしい。
メィリィが実際に見た光景がどれほどのものかは知れないが、子どもらしい過剰さで語っていないとすれば、決して無茶は犯せない。
その後スバルが用意しておいた「魔獣の血で誤魔化す作戦」、「空を飛んで攻める作戦」、「大軍勢で数の暴力作戦」を投げかけるも、この場で話す限りどれも解決策とはなりそうになかった。
ああでもないこうでもないとスバルたちが頭を悩ませていると、
「――もお、しょうがないなあ」
「あん?」
メィリィが立ち上がり、座っているスバルたちの前で小さく首を横に振ると、
「私、一緒にいってあげてもいいよ。私が一緒なら、魔獣さんたちのことはどうとでもしてあげる。遠ざけるのも、ペットにするのも、殺し合いさせるのも、賢者って人を食べさせるのも自由」
「いや、後半は全部やるなよ!? っていうか……」
メィリィ自身が外に出ても構わないと、これまで決して口にしなかった意見を自ら口にしたことには驚きだった。
最悪こちらから土下座なりなんなりして頼み込むことになるかとばかり思っていた。
「外、出るの怖いんだろ? 大丈夫なのか? それに、これはちょっと外を散歩してくるようなのとは危険度が全然違うんだぞ?」
スバルは選びたくない、否、選ばせたくない選択肢ではあった。もちろん協力が叶えばこちらは非常にありがたいというのは間違いないのだが。
「ママに見つかるのは怖いけど、お屋敷の外に出たら近所もアウグリア砂丘も変わらないわあ。それに、一生、中にいるわけにもいかないんだしい」
いずれは出なくてはならない、という意識がメィリィにあったことが驚きだ。
だが、それも当然かもしれない。この座敷牢で一人でこもっている時間はいくらでもあった。きっとその間一人であれこれ考えて、ずっとこのままじゃいられないと考えていたのだろう。
それはここにいる誰よりも、スバルに共感できることだった。
「スバル……」
メィリィの胸中を想像しているスバルの袖をエミリアがそっと引いた。彼女の考えはスバルにもわかる。オットーを交えてエミリアとはこの可能性を話し合っていたし、その際スバルと同じ結論に至っていたからだ。
「楽しいお出かけになるわけじゃないぜ。案内はあるけど砂漠越えだし、お前はいるけど魔獣の巣穴を通る。おまけに怖い賢者が見てるかもって状況だ」
「久しぶりのお散歩には、ちょうどいいんじゃなあい?」
あくまでも強気に、メィリィは上からの視線でスバルにそう言ってのける。その言葉のどこまでが虚勢で、どこまでが本音かはわからないが――、
「魔獣の問題に対する切り札、そうよね?」
「ああ、そうだな。正直お前が来てくれるとすげぇ助かる。よろしく頼むぜ、メィリィ」
「言われなくても、そうしてあげるわあ」
エミリアとスバルが顔を見合わせ、それからメィリィに頷きかける。それを受けた少女はやや背伸びした風にそう言って、腕の中のパンダをギュッと抱いた。
スバルの交渉の結果を見届けたユリウスが一言、感心した顔で腕を組み、
「こう言ってはなんだが、君は本当に少女を口説くのが得意なようだね。……あまり風聞のいい特技とは言えないが」
と言ったのにスバルが猛反発したのは言うまでもない。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
こうして魔獣の巣窟でもある砂の迷宮を抜けるため、心強い味方としてスバルたち一行に『魔獣使い』メィリィが加わった。
事の次第をロズワールに話し、あらためて彼女を連れ出す許可を求める。
「ああ、問題なーぁいとも。事前に話していた通り、スバルくんとエミリア様が外に出すって決めたんなら、私はそれでいいと思っているよ。仮に判断違いでその子が悪さを働いたとしても、それで狙われるのは君たちだろーぉしね」
実にロズワールらしい返答と言わざるを得ないが、とにもかくにも最初の会議の結論通り許可は得られたのだった。
スバルとしては、てっきりオットーはかつて屋敷を襲った危険人物を連れ歩くことに反対するのではないかと思っていたが、むしろ逆だった。オットーは最初からメィリィを連れ出すことを作戦として提案していた。
オットーの名誉のために言っておくが、彼はメィリィのような少女を危険地帯に連れ出す案を平気で出すような人物ではない。ただ、彼はそれ以上に砂丘の脅威を高く見積もっているだけのことなのだ。
準備に臨むオットーの様子を見ていると、『砂漠の迷路』『魔獣の巣窟』に対して対抗手段を手に入れたからといって一切油断はできないと、スバルも身が引き締まる思いだった。
何はともあれそんなわけで、メィリィは無事、一年ぶりの解放と相成った。
彼女には半身内のような形で使用人階の一室が宛がわれた。彼女はそこに、これまで座敷牢に溜め込んでいた数々の私物を運び入れて、自分の部屋へと配置していく。
仮初の部屋であり、長居するかどうかも、戻ってくるかどうかもわからなくはある。ただ、自分の部屋を与えられた少女が、心なしか弾んだ足取りで室内を歩き回る。そしてお気に入りのぬいぐるみを置いて回る姿には十分、年頃の少女が初めて自分の部屋をもらった――そんな、弾んだ調子が見え隠れしていて微笑ましいのだった。
その後スバルはまず、再会したときの約束通り、ペトラとちゃんと話をしに行くことに決めた。
スバルたちが『賢者』に会いに行くつもりであることも当然共有済みである。すでに一ヶ月、プリステラ関係で放置された上に、加えて二ヶ月の放置が確定しているペトラが激しくへそを曲げてしまっていたのは容易に想像できることだった。
スバルはそんなペトラに平謝りし、どうにか機嫌を直してもらおうと言葉を尽くし態度を尽くさなければならなかった。
拗ねる少女を慰めるように両手を開いてみせる。と、ペトラは少しだけ躊躇う仕草を見せてから、スバルの腕の中に飛び込んできた。小さい体を抱きしめてやり、労うように頭を撫でる。
「わたし、心配です。スバル様っていっつもそう。初めてお屋敷にきて、村で会ったときからずっと。あんなにたくさん大変そうなのに、また休みもしないであちこち駆け回って……」
彼女は二か月置いていかれることよりも何よりも、彼女はスバルの身を案じているのだ。スバルはそれが嬉しく、同時に申し訳なさも大きい。
「まぁ、ペトラの言い分もわかるよ。ちゃんとな。そりゃ、賢者の塔に向かうまでには魔獣もいるらしいし、砂漠の迷宮ぶりは半端ないって話だし、そもそも塔に近付くと癇癪起こした賢者に狙われるってとんでもなこったけど……それでも、誰かに任せようって気にはならねぇんだよな」
申し訳ないとは思う、が、決意は揺らがない。
「――やっぱり、これは俺がやりたいことなんだろうな。もっと適任がいるのかもしれなくて、そっちの方が可能性が高いってわかってても、俺がやりたい」
「どうして?」
「恥ずかしい話……目が覚めたとき、最初に見るのが俺であってほしいからだ」
「――――」
誰が、とは言わなかった。言わなくても、ペトラにも伝わっただろう。
今もなお、深い眠りの中にある少女――『賢者』の塔で、その彼女を眠りから目覚めさせる手段が見つかるのならば、それを掴むのは自分でありたい。
適任者が他にいるかもしれなくて、自分以外の誰かの方が可能性が高いのかもしれなくても、こればかりは譲れないし、譲りたくない、スバルのエゴだ。
「感情抜きで、理屈だけの話をするならさ……目覚めさせるのは、誰でもいいと思うんだよ。でも、そこに感情をぶっ込んだら、過程も俺の手でやりたい。俺が助けてやりたい。俺が起こしてやりたい。俺の全部で、全部を救ってやりたい」
――だから、ナツキ・スバルがいくのだ。
もっと強い人間なら、いくらでもいる。
もっと頼れる人間なら、いくらでもいる。
もっと賢い人間なら、いくらでもいる。
もっと素晴らしい人格者なら、いくらでもいる。
だけど、その全部を自分のエゴで蔑ろにして、ナツキ・スバルがいくのだ。
彼女を救い出して、彼女に称賛されたい、ただそのためだけに。
「自分勝手で、がっかりさせてごめんな」
申し訳なさを込めた苦笑いを向けられたペトラは、
「――ホントに、がっかりしちゃった。今のでなんにも変わらない、わたしに」
と、スバルには聞こえづらい声でこぼした。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
後顧の憂い、というほどのことではないが、屋敷に残した問題を解消して回っていたスバルが最後に足を運んだのはその一室だった。
「――――」
この部屋に上がり込むときだけは、自然とスバルも息を詰め、足音を忍ばせる。
そうしてしまうのは、その部屋の寝台に横たわる少女の眠る姿が、あまりにも見るものの心に儚げな疼痛をもたらすから、と考えるのはスバルの感傷に寄りすぎているだろうか。
スバルは寝台の横に椅子を引き、腰を下ろす。
そうして一ヶ月ぶりに足を運んだ部屋の中、以前と――一年前から一向に様子の変わらないまま、今も眠り続けるレムの寝顔と再会した。
「帰ってたのに、顔出すのが遅れてごめんな。ちょっと色々と片付けてて……それで気後れしてるうちに、最後の最後になっちまった」
「――――」
当たり前だが、眠るレムからの返事はスバルにはない。だがスバルは構わず言葉を続ける。
「やっと、届くかもしれないんだ」
我知らず、スバルは膝に置いた手を強く握りこむ。
「期待、煽るだけ煽って駄目だったって可能性ももちろんある。賢者が名前負けのがらんどうで、知識が当てになりませんでしたごめんなさいって可能性も、ある」
「――――」
「だけど」
『暴食』を倒す以外で、やっと見つけられた解決策なのだ。
「俺は、お前を取り戻すよ、レム。――それは、俺の誓いだ」
レムの手に、自分の手を重ねる。
もし今回の遠征が失敗に終わったとしても、スバルは決して諦めない。
何があろうと、レムを取り戻すまで、諦めるつもりはない。
「俺が、お前を取り戻して見せる」
監視塔に向かう理由ならいくらでもある。都市プリステラで、レムと同じ被害に苦しむ大勢の人々――彼らを救うことだってスバルの願いだ。しかし、本音だけを語るのであれば、スバルを監視塔へ進ませるのはレムの存在、それだけに他ならない。
そして叶うことなら、それを自分の手で成し遂げたい。それがほかならぬスバルを『賢者』の監視塔に向かわせる理由だった。
「――痛い」
「――ッ!?」
決意を言葉にし、レムを見つめていたスバルはその声に顔を跳ね上げる。
まさかの驚きに目を見開いてレムを見るが、彼女は静かに瞼を閉じたままだ。
ならば今の声は――、
「放しなさい、バルス。手、見ていて痛々しいわ」
「……なんだ、ラムか」
無意識に指の節が白くなるほど握りしめていた手を慌てて離し、振り返る。すると部屋の入口に立つラムがスバルの方を冷たい目で見つめていた。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「そろそろ、レムが自分の妹だって実感は芽生えたかよ?」
この部屋にラムと一緒にいると、自然と話題はレムのことになる。
「実感なんて、そうそう芽生えるものじゃないわ。記憶にいないだけならまだしも、ラムはこの子が起きているところに出くわしたこともないんだから」
けど、と凛とした視線でレムを見つめるラムは続ける。
「目覚めたら、いくらでも話ができるわ。仮に思い出せなかったとしても、目覚めてくれさえすれば、いくらでも」
記憶がなくても、思い出が失われても、絆までもが消えるわけではない。
仮に消えたとしても、また紡げないわけでもない。そう思った。
「まぁ、そこんとこは任せておけよ。『賢者』の監視塔、バッチリ攻略して、きっとレムを起こしてきてやらぁ。そしたら、姉妹感動のご対面ってやつだ」
だから、殊更に大きい声で、スバルは馬鹿に明るくそう言ってみせた。
神妙な空気は、少なくともスバルとラムの間には似合わない。
ただ、ラムはそんなスバルの発言に、怪訝な顔で振り返る。
「何を言っているの、バルス」
「あん?」
困惑するスバルを見て、ラムは小馬鹿にするような目つきになり、こう言った。
「今回の旅、ラムも同行するんだから、その言い方は恩着せがましすぎるでしょう。感動の対面になるなら、ラムの方で勝手にやるわ」
「初耳なんですけど!?」
――ラムとレム、姉妹揃っての同行確定。
『賢者』シャウラに会うための、プレアデス監視塔攻略ツアー。
都合、参加者は合計九名の大所帯、そういう塩梅になりそうであった。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
さて、色々と話し合いやら同行者決めの紛糾やら、残される人員への別れの挨拶などで問題は多発したものの、ようよう、出発の朝が訪れる。
腕を組み、スバルは今回の『賢者の塔攻略ツアー』の同行者を眺めやる。
陣営としてはエミリア陣営とアナスタシア陣営の二つ。エミリア陣営は当然、スバルとエミリアとベアトリス。そこに眠り続けるレムと、彼女に同行するラムの五名。アウグリア砂丘の案内役のアナスタシアと、その騎士であるユリウス。砂丘に存在する魔獣の群れをやり過ごすため、『魔獣使い』であるメィリィが加わる計八名だ。
スバルは内心、思った以上の大所帯になっちまったな、と考える。
スバルとしては、頼れる仲間が多いのは頼もしい一方で、いざというとき守る手が足りなくなるのではないかという不安もある。
ロズワールとの契約がないにしても、スバルはここにいる誰のことも諦めるつもりはない。そのためならいくらでも命を払う覚悟はある。
だが昨日久しぶりにレムと再会したからか、どうしても考えてしまう。――あのときのようにまた手遅れになってしまうのではないか、と。
「何か不安なことでもあるの? スバル」
スバルの不安が顔に出ていたのか、エミリアが気遣うように声をかける。
「目的地のこと考えれば不安は尽きないよ。そういうの抜きにしても……危ないところに大所帯でいくのがおっかない感じ。守る相手、多いと手が回らなくなるし」
「そうかもしれないわね。今回はレムとラムも一緒だし、メィリィとアナスタシアさんに、スバルのことも守らなきゃいけないんだもん」
「あれ!? さらっと非戦闘員扱いされてる!?」
「やだ、スバル。冗談に決まってるじゃない。もう、本気にするんだから」
拳を固めるエミリアにスバルの声が裏返ると、堪え切れずに彼女が笑い出す。スバルもその反応に遅れて笑うが、微妙に笑みが強張るのはご愛嬌だ。
彼女なりの冗談でこちらの不安を解きほぐそうとしてくれたのは、いくら鈍いスバルでもわかる。
「俺が弱気になってる場合じゃねぇ。ちゃんとしろ、ナツキスバル」
内心で自分に 責すると、スバルはちらと正面に目を向ける。
場所はすでにロズワール邸の前庭で、出発のための準備が粛々と進められている状態だ。そしてスバルの視線の先、十名近い人員を運べる大型の客車がある。竜車を引くための地竜が二頭連結されており、どちらも長距離移動に適した種族だ。
問題はその竜車の隣、身軽な状態で佇む漆黒の地竜と、その地竜と鼻面を突き合わせて睨み合う小さな影だった。
その様子に呆れた息を吐き、スバルは睨み合う両者の間に割って入る。
「魔獣使いって大袈裟な二つ名のくせに、地竜と仲良くもできないのか?」
「やだあ、お兄さん。勘違いしないでくれるう? 私が躾けられる動物ちゃんは、みいんな角のある悪い子だけなんだからあ。それ以外の動物ちゃんは、その子たちの臭いがついてる私のこと、好きになんかなってくれないわあ」
「どうやらそういうことみたいです。ここの地竜たちはみんな、本能的にメィリィちゃんの臭いに警戒してしまうようで」
そう説明しながらパトラッシュをなだめようとしているのはオットーだ。
「それにしても、パトラッシュちゃんの反応はちょっと過剰ですね。まあ言い分もわかりますが」
「確かに、気遣い上手で懐の深いパトラッシュが、こんだけ露骨に態度に出すの珍しすぎるな……本当に相性悪いらしい」
「それもありますが、かつて屋敷が襲われたときのことを覚えているんですよ。はっきり伝えていたわけではないのに、本当に賢い子です」
なるほど、メイザース家別邸の襲撃事件の下手人の一人がメィリィであることを理解して、警戒しているらしい。ここは一つ、スバルからも説明しておくべきだろう。
「パトラッシュ、ありがとうな。でもメィリィはもう半分身内みたいなもんなんだ。納得してもらうには時間がかかるかもしれないけど、まあなんだ、色々事情があったんだよ」
説明になっているようでなっていない説明をしつつ、スバルはパトラッシュの鼻先を撫でる。気位の高い雌地竜は、スバルが触れてくると露骨に手の臭いを嗅いできた。
まるで、目の前にいる少女の臭いをスバルの臭いで上書きしようとするように。
「それにメィリィのおかげでこれから行く先の危険がめちゃくちゃ減るんだ。ほんと、メィリィさまさまだぜ。だから、仲良くしてやってくれねぇか?」
スバルが頼み込むようにそう伝えると、パトラッシュは「しょうがないわね」とでも言いたげな吐息をもらし、ひとまず落ち着いてくれたようだった。
「それじゃあ私はその子の餌にされちゃう前にさっさと中に入っちゃうわあ」
「うちのパトラッシュはそんな怖いことしません!」
なお、『魔獣使い』として同行する彼女の荷物は少ない。元々、私物などほとんど持ち合わせていない少女だ。それでも、スバルの作成したパンダのぬいぐるみを持ち込んでいるあたり、可愛げがあるのは微笑ましい。
残りの人員にもそろそろ竜車に乗ってもらおうと辺りを見回していると、
「スバルくんとオットーくん、君たちもこっちで一応、話を聞いてもらえるかーぁな?」
と屋敷の玄関からスバルたちに呼びかけるロズワールがいた。見たところエミリアにユリウスまで集まって何事か相談しているらしい。
「皆さんには道中注意していただきたいことがあります。――ラムのことです」
そう言って切り出された話は、スバルにとって衝撃的な内容だった。
「本来、角が補うはずの肉体を動かす莫大なマナ――それを用意できないことで、体は常に苦痛と倦怠に蝕まれている。彼女の肉体は、注がれる才能を器が受け切れていない。あるいは才能という炎に見合った燃料を、肉体が用意できていないと言い換えてもいい」
「そんなことになってるの……!?」
「エミリア様が驚かれるのも無理はありません。あの子は気丈が過ぎる。一度だってそのことで、表情を曇らせたことはなかったでしょーぉから」
喉を詰まらせるエミリアに、ロズワールがゆるゆると首を振る。
エミリアの抱いた驚きはスバルも共有していた。ラムは角が無い、『ツノナシ』であることは知っていた。レムの言葉から断片的に、角を無くす前のラムの地力が図抜けていたことも。
ただ、角がないことで受けるペナルティが能力の低下以外にあり、それが今も彼女を蝕み続けていることまでは思い至らなかった。
「――なるほど。メイザース卿のお考えはわかりました」
と、話をそこまで聞いただけの段階で、ふいにユリウスがそう言って頷いた。
「鬼族の種族的な特徴は、莫大なマナを操る力と強靭な肉体の戦闘力です。その双方を支える骨子が、他種族には存在しない角。――その角が役割を果たせず苦しんでいるのであれば、何らかの手段で『角』の代わりに外部からマナを供給しなくてはならない。……それを、私たちに願い出るのですね」
「君の名前を覚えていなかったことが悔やまれるほど、なるほど、聡明だ。これだけでそこまで看破されると、気持ちのいいぐらいだーぁよ」
ユリウスの説明にロズワールが感嘆する。だがユリウスは、
「ですが、メイザース卿。その申し出ですが、引き受けるには私では実力不足かと思われます」
と言い、申し訳なさそうに首を横に振る。その態度にロズワールが目を細めた。
「メイザース卿のご期待は、おそらく私の周囲にいる彼女たちのことでしょう。私の蕾たちですが……今、彼女たちと私との間にあった繋がりは消えています。元の肩書きが今も名乗れていれば、申し出を受けることに何の躊躇いもありませんが」
聞けば、『暴食』に名を奪われたことでユリウスと契約する六体の準精霊との契約が断たれてしまい、その能力を行使することができなくなっているらしい。
ユリウスは一瞬だけスバルの方に目を向けてきたが、その視線の意図がとっさにわからず、スバルは困った顔をしてやるしかできなかった。
だがその空気を払拭するように、
「大丈夫。ユリウスができないなら、それは私に任せて」
とエミリアは胸を張って言った。
ロズワールによれば、ベアトリスの補助があれば、微精霊の力を借りたエミリアがラムにマナを供給することも問題なく可能らしい。エミリアはやる気になっているので、ベアトリスの方にはあとからスバルが話を通しておけば問題あるまい。
「三つほど、確認させていただいてよろしいでしょうか」
ここまで沈黙を保っていたオットーが軽く手を挙げ、ロズワールに視線を向ける。
「もちろんだーぁとも」
「ではまず、アウグリア砂丘の瘴気について。前提として、瘴気とは汚染されたマナのことです。ではこれがラムさんにとって問題となる可能性はないでしょうか」
「無論考えた上だ。その点は問題ないだろうね。むしろ角があれば周囲のマナを大いに取り込んで不調にもなるだろうが、誰かが供給する分にはその問題も起こらないだろう。もっとも他の人と同様、ゲートから取り込んでしまう分の影響はあるだろうけーぇどね」
「えっと、瘴気ってのはそんなに危険なやつなのか?」
「スバル、瘴気を甘く見ちゃダメよ。瘴気は、ゲートから取り込むだけで生き物の体の中を悪くしちゃうの」
エミリアがスバルの内心を見透かしたように注意する。
「えぇ、聞いた話では、特にアウグリア砂丘の瘴気は一般的なそれと一線を画すらしいです。何でもひとたび取り込めば狂い死にするなんて言われているほどです」
「何それ怖い!?」
スバルはてっきり徐々に気分が悪くなる程度のものかと思っていたが、想像よりはるかにやばい代物らしい。
「ナツキさんには道中色々と勉強してもらう必要がありそうですね……では次の質問ですが、ラムさんは補給から最大でどのくらいの時間活動できますか?」
ロズワールは少し考えこむように視線を外しつつ返答する。
「ふむ……普段通りの活動であれば、二日間ほどはギリギリ可能なのではないかな。三日目となると……命を繋ぐことは可能だろうが、まず活動はままならないだろうね。私としては、そんな綱渡りにならないことを願うけーぇどね」
「わかっています。ですがどのくらいの猶予を想定しておくかによって、非常時の対応は変わってきます。ちなみに戦闘をした場合はどうなりますか?」
「それは、彼女次第と言えるだろうね」
「と、言いますと?」
「先に話した通り、ラムは才能に見合った燃料を肉体が容易できていない状態だ。だから彼女は、才能に枷をつけている」
「それって……ラムは常に力を制限してるってこと?」
「ええ、エミリア様のご想像の通りです」
ラムが戦うところは、スバルも何度か見たことがある。それを踏まえて、スバルはてっきりラムの力は角とともに失われたものだとばかり思っていた。だがそれは意識的に制限されたものだったのだ。
常に襲う倦怠感と苦痛だけでなく、行動の上でも自らを縛る窮屈な生活。それで音を上げないラムの気丈さに、スバルは内心で尊敬の念を抱く。
と同時に、そんなことを黙っていたことを問い詰めたくなってくる。知っていればスバルにだってもっとできることがあったはずだ、と思うのは思い上がりすぎだろうか。
「つまり、ラムさんの戦闘の強度次第では一瞬しか持たないということもあり得ると」
「その通りだーぁね」
「……わかりました。では最後の質問ですが、ロズワール伯でなくエミリア様がマナの供給を行うことで、何か普段と違う問題などは想定されますか?」
「おそらく問題ないはずだ。安定するまで私より時間がかかり、それが負担となる可能性こそあるが。マナの総量を十分供給できてさえいれば、巧拙は大して問題にならない」
「そうなのね。ラムのためにも練習しておかなくちゃ」
それを聞いて少し不安そうになったエミリアだったが、「悩むだけじゃ解決しないわ」とばかりにやる気へと変換する。
「……エミリア様は、本当にお強くなられた」
ロズワールは満足そうに頷く。
「ええ、することはたくさんあるんだもの。私ばっかりへこんでなんていられないわ」
スバルはエミリアにプレッシャーをかけるようなことを言うなとロズワールに文句をつけてやろうかと考えていたところだったが、どうやらその必要はなかったらしい。
「どうだロズワール。これが強くて美しい俺のエミリアたんだ」
代わりにロズワールにエミリアを自慢してやることにした。
するとエミリアは素早くスバルに横目をやり、
「私がスバルのなんじゃなくて、スバルが私の騎士様なんだからね?」
と堂々宣言した。
「おぉ、嬉しいけどなんか複雑……」
スバルより男らしいエミリアの物言いにたじたじになるスバルだった。
「まあそれはさておき、確認しておきたいことは聞けました」
オットーは疑問の答えを得て、少し吟味するような顔をしていたが、ひとまずこの場で聞きたいことは全部聞けたようだった。
「それなら良かった。――では皆さま、ラムのことは頼みました」
「なんだ、やけに殊勝じゃんか。そんな風に言うなんて珍しい」
「殊勝にもなるとも。ことは命に係わることだ。それに、――ラムが私の傍を離れようと言い出すのは、初めてだしね」
「――――」
それだけは茶化す雰囲気なく、真剣な声でロズワールは言った。
彼はスバルの顔から視線を外すと、青い空を見上げる。
「――そろそろ時間のようだね」
ロズワールが振り返り、会話は中断する。
彼の背後、屋敷の扉が開かれて、向こう側から現れるのは四名の少女だ。いずれも肩書きはロズワール邸のメイドであり、揃った姿はなかなか壮観である。
もっとも、その内の一人は眠りの中にあり、瓜二つのもう一人は旅支度を整えた姿であるので、華やかさはあと一歩足りていないが。
「旦那様、二人の準備が整いましてございますわ」
「ご苦労様。――ラム、道中気を付けて」
静々と報告するフレデリカに応じ、ロズワールが旅支度のラムに声をかける。ラムはそれを受けると、スカートの裾を摘まんで丁寧にお辞儀した。
「ロズワール様、わがままを聞き届けていただいてありがとうございます。そのお心に見合った成果、必ずお持ち帰りします」
「期待しているよ。とはいえ、無茶はしないよーぉうに。それから、エミリア様とスバルくんの二人に無茶もさせないように。それも君の役割だーぁからね」
「重々、承知いたしました」
スバルの視線は自然とラムの隣にいる低い人影に移る。 そこにいるのはレムだ。その姿は外出着に着替えさせられ、今はペトラの押す車イス――スバルが元の世界の記憶を頼りに再現したものに乗せている。
方向転換の邪魔にならないキャスター的な前輪、足場の存在とシートの改造、シートベルトと、頭部を守るクッションなどの工夫をこらした、スバル自慢の一品だ。ロズワールに無茶を言って、スバルの給金を注ぎ込んで作らせた一点ものである。
「気を付けてくださいね、スバル……様」
ペトラから車イスのハンドルを任される。受け取ってレムの後ろへ回ると、背負って進むより格段に楽だ。
「OK、うまくやれそうだ。ペトラとフレデリカも、十分気を付けてな」
「旦那様のお世話はお任せください」
「ガーフィールさんの面倒も、だよね」
「そうだな。留守の間は任せた」
旅の行程が二ヶ月ともなると、おそらくはプリステラにいるガーフィールも療養が終わってロズワール邸へ戻ってくるはずだ。
「それじゃ、名残惜しいけど出発するとすっか」
「どうしてバルスに指図されなくちゃいけないの。調子に乗るんじゃないわ」
売り言葉に買い言葉で言い返そうとしたところで、ラムが意味ありげにスバルの手元を見ていることに気づく。スバルの手元は今、レムの車イスを押しているところだ。
その視線の意図を察して、スバルは深々と息をついた。
「代わってほしいならそう言えよ……」
「ラムが同行する意味と目的を考えれば、そこは譲って当然のところでしょう。……言葉にされずに察したところは、少しだけ見直してもいいわ」
スバルが渋々場所を譲ると、ラムがスバルに代わって車イスを押す。眠ったまま座る妹を労わるように、ゆっくりと車イスは竜車に向かって前進していった。
その背を見送りながら、スバルは空いた手を理由もなく開閉する。と、その手がそっと横から伸びてきた小さな掌に握られた。
「ベア子か」
「情けない顔してなくても、あの娘を想う気持ちで姉に負けてるわけじゃないから心配いらないのよ。スバルはスバルで、やってやれることをやればいいかしら」
「そうですよ。ラムさんも口には出さないでしょうけど、ずっとレムさんを気にかけていたナツキさんのことは認めていると思いますよ」
「いやぁ、別にそういうつもりじゃなかったんだが……いや、そういうことなのかもしれないな」
空いた手で気恥ずかしさを誤魔化すように頬をかく。と、今度はそうしていた手が別の白い手に奪われた。
「もう一つ空いてる手は私が取っちゃう」
「おっふ、エミリアたん……」
「あの娘が起きたら、両手が埋まりやすいスバルがどうするか見物なのよ」
「あ、それ私も気になるかも」
エミリアとベアトリスの二人に挟まれて、スバルは困ったような顔で二人を見る。しかし、戻ってくるのはじと目と楽しげな視線の二つだけだ。
おまけに背後から突き刺さるペトラの視線と、ラムの冷たい軽蔑の眼差しまで投げかけられ、スバルは身をすくめる。
頼みの綱のオットーも苦笑いで外野面をしている。これは今度仕返しに三オットーくらいしてやるしかないな、と内心で決意するスバルだった。
ともあれ両手から伝わる温もりへの信頼と親愛、それに勝るとも劣らない不安がスバルの胸に込み上げてくる、そんな出発の朝であった。
【第3話での相違点】特になし
今回の話はなろう版原作第六章3、4、5に相当しています。同じような展開はコピーを避けるため省いていますので、その部分は原作をご確認ください。
オットーがいてもこの辺りの結論は同じなので、ほぼ原作のダイジェストとなってしまいました。
原作と大きく違う展開になるところまで、もう少しお付き合いください。