Re:ゼロから始める異世界生活6章オットー同行if 作:樫ハット
ずっと続きを書きたかったのでようやく更新できてスッキリしました。
『塔の外から何かが向かってきてるッス』
そう言うが早いか、スバルの制止も聞かずシャウラは書庫から一目散に飛び出した。
しばし呆然とする一同の中、オットーの立ち直りが一足早かった。
「ユリウスさん、エミリア様、シャウラさんを追いかけてください。ユリウスさんは確認を終えたら一度ここに戻ってきて報告してください。エミリア様は、可能ならヒューマで簡易防壁や迎撃の補助をお願いします」
「承知した」
「うん、任せて」
ひとまず動きの迅速な戦闘員を出動させ、事態の詳細によらず一定の効果を生む対応を指示する。ユリウスが戻ってくるまでに、ある程度予想を立てておく必要がある。猶予は数分といったところか。
いや、その前にもう一つあった。
「ユリウスさん、もう一つ確認していただきたいことがありました」
「何だろうか?」
オットーが駆け出したユリウスを引き留めるように呼び掛けると、彼は立ち止まり振り返った。
「これが今までもあったことなのか、それとも異常事態なのか、シャウラさんの経験からの判断を聞いてきてください」
「ああ、任せてくれ。なるべく早く戻る」
そう言うとユリウスは再び階段の方へと駆け出し、振り返ることなく、先に出て行ったエミリアを追うように向かっていった。
「オットー……?」
「僕にもわかりません。魔獣が数匹、シャウラさんの守備範囲内に侵入してきた、程度なら良いのですが……」
不安気にこちらを見上げるスバルに、肩をすくめて返す。
正直なところ、オットーにも何がどうなっているかはわからない。だがオットーは最大限の警戒をすることに決めた。スバルをこの危険な塔から脱出させるまで、油断はしない。
オットーはその場に立ったまま、顎に手を当て考え込む。
まず考えられる可能性は、魔獣の襲撃だ。当然、シャウラが普段追い払っていたような数なら問題ない。だがそうでない可能性もある。
「魔獣……あ、ベアトリス様、今のナツキさんから魔女の残り香はどの程度しますか? それが砂丘の魔獣を引き寄せている可能性はありますか?」
「今はかなり薄いかしら。塔内かごく周辺程度にしか届かないはずなのよ」
「となると、自然に引き寄せられた魔獣の可能性は低そうですね」
たまたま塔に近づいた魔獣ではないと仮定すると、何らかの作為が働いている可能性が出てくる。
となると気になるのはタイミングだ。『暴食』の大罪司教とレイドが接触した直後に起こった。これは偶然か必然か。
だが、塔のすぐ近くに潜伏していたのでない限り、接触直後に反応してシャウラに察知されるということはあり得ない。だから、さっきまで本の中にいたであろう『暴食』が襲撃に来たということはあり得ない。
ユリウスが悪い知らせを持ち帰ってくるまで、これは悪い想像でしかない。だが、最悪の想定は常に怠るべきではない。
それに多分、この領域におけるシャウラの勘は、信頼に値する。何らかの異常事態が発生していると、そう想定しておくのが定石だろう。
「残り香……って何?」
「……スバルについている魔女の匂いかしら。魔獣を引き寄せる性質があるのよ」
「え、俺って臭い?」
「そういう意味じゃないかしら! ……全く、そのせいでスバルは何度も無茶したのよ」
自分の身体を嗅ぎまわるのに忙しいスバルは、ベアトリスが向ける憂いの視線に気づかない。きっと、記憶を失ったこの人は、自分が囮になって魔獣を引き付けて回ったことがあるなど、想像もしていないのだろう。
そして、全てを忘れた今のこの人に、決して今の問題を背負わせてはならない。いや、今でなくても、背負わせるべきではないのだ。
……スバルが、記憶を失くしたのは――、
「あ」
塔に普通でない何かが近づいてきていると仮定する。その現象は魔獣単独ではなく、何らかの作為によるものである可能性が高い。つまり、それらを指揮する人がいる。だが、そんなことはあり得ない。
「エキドナさん。アウグリア砂丘の突破方法を、他に知っている人はいますか?」
「ボクが知る限りではいない。だが断言はできないな……オットーくん、何か気づいたのかい?」
「もし僕の推測が正しければ、まずいことになりました」
アウグリア砂丘の攻略法は、現状エキドナしか知らないはずだった。それが外部に漏れることはあり得ない。この旅のメンバーしか知らないし、対話鏡なども持ち込んでいない以上、絶対に漏れることはない。
だから逆に、情報の出所が絞り込める。
「結論から言いましょう――ナツキさんの記憶を奪った『暴食』が、その記憶を利用してこの塔に向かっている可能性があります」
「……そういうことか! 確かにそれならつじつまは合う」
「えっと……どういうこと?」
オットーの発言から推測し、理解した様子のエキドナは一気に険しい表情へと切り替わる。対照的に、事態を呑み込めていないスバルはキョトンとした表情だ。
「この塔に何かが向かってきているなら、それは人が主導している可能性が高い。そして、それが可能なのは現状、僕たちか、ナツキさんの記憶を奪った『暴食』の大罪司教だけ、というわけです」
アウグリア砂丘の外にいたとして、記憶を奪われてからのほぼ丸一日で到達が可能かと言われれば怪しいが、事前に情報を持っていて周辺に待機していたならあり得ない話ではない。
それに、相手は理外の権能を振りかざす大罪司教だ。進行の速さがスバル一行と同じだとは思わない方が良い。
侵入のための最後のピースである砂時間の攻略法を得て、ミルーラの街から向かってきたとしたら、十分以上にあり得る話だ。
「状況は、思ったよりも悪いです。『暴食』対策もまだできていない。シャウラさんという戦力を、どう生かすかの勝負になりそうです」
「最悪の可能性に最速で気づけたと、前向きに捉えよう。早速戦力の割り振りを――」
「ただいま戻った。――この塔に向かっているのは、大量の魔獣だ。そしてシャウラ女史の判断は、『これまでにない異常事態』」
ここからは時間との勝負だと、覚悟を決めて思考を回し始めたオットー。舞い戻ったユリウスが、そこに決定的な一言を持ち帰る。
これで、『暴食』の大罪司教に加えて、大量の魔獣との会敵がほぼ確定した。
「規模は?」
「地を埋め尽くすほどだ。現在シャウラ女史とエミリア様が遠距離から戦力を削っているが、塔への到達は時間の問題だろう」
「先頭に、『暴食』の大罪司教は確認できませんでしたか?」
「――その可能性が、あるのだね。すまないが砂煙で詳細な確認はできなかった」
オットーの問いに、ユリウスは一瞬だけ鋭く目を細める。端的に情報を伝えると、事態を最も把握しているであろうオットーの判断を待つように待機する。
「わかりました。ではメィリィさん、魔獣への対処をお願いします」
「もう、人使いが荒いんだからあ」
頬を膨れさせ、そう文句を言いつつも、メィリィは駆け足で階段を駆け下りる。
相手が魔獣の集団となれば、そこはメィリィの独壇場だ。もちろん事前に聞いていた加護の限界がある以上、一人で捌ききることは不可能だろう。シャウラとエミリアとメィリィの三人で、どうにか魔獣を抑えておく必要がある。
「問題は、魔獣だけじゃない」
『暴食』に対処しなければならないのに、魔獣にリソースを割かざるを得ない現状に、オットーは歯噛みする。どこかのタイミングで、シャウラかエミリアのどちらかは『暴食』戦のために引き抜く必要がある。
だがそれで魔獣との戦線が崩れれば、いずれ奴らは塔になだれ込む。圧倒的に、戦力が足りていない。
「『暴食』そのものが来ているのなら、ボクたちの名前を書いた紙は破棄すべきじゃないか?」
「今更そうしても無意味でしょう。あちらの手中にあるのは昨日までのナツキさんの記憶なのですから」
「……そうか」
考え込むオットーに、エキドナが一つ懸念を挙げるが、もはや事態はそれどころではない。この場にいる全員の本名を諳んじることなど、スバルの記憶があるなら造作もない。
オットーには真偽を確かめられないことだが、そもそもレムの記憶だけでも危うかっただろうと、そう想像している。
「どうする、オットー? 俺も動くか? 魔獣を引き寄せられるってんなら、俺がうまいこと囮になって……」
決意のこもった顔で、スバルが自らそう提案する。ベアトリスと繋がれていない左手は、ぎゅっと固く握られている。
オットーは内心驚いた。まさかそんな提案をスバルの方からしてくるとは思わなかった。記憶を失っても、この人はスバルなのだと、そう思わされた。この人は、いつだってそうやって見栄を張る。
だが、それではだめなのだ。――手が震えている、今のスバルでは。
「だめです。もはやそれでどうにかなる規模を超えている……そうですね、ユリウスさん?」
「ああ、多少減らせたとしても、あの波が塔にたどり着くころには飽和状態だろう。そうでなくとも、先導者がいるのなら魔獣を逸らすことは難しいはずだ」
二人でスバルを説き伏せると、スバルは「クソッ」と悔しげに吐き捨て、歯噛みした。
「仮にスバルが囮になって状況が良くなるとしても、ベティーは反対かしら。これ以上、スバルに傷ついてほしくないのよ……」
スバルと手をつなぐベアトリスは、スバルを見上げ、どこか懇願するように訴えかける。
それを受けたスバルは、悔しげにうなだれる。だがオットーは、それでいい、と思った。
「時間がない。私は今すぐ魔獣迎撃に向かうつもりだが、何か指示はあるだろうか?」
「……『暴食』が現れたら、そちらを優先してください。精霊術が使えない以上、大量の魔獣との戦闘はシャウラさんとエミリア様に任せるべきです。『暴食』との戦闘経験があるあなたが、一番勝率が高い」
「承知した。スバル――エキドナのことを、頼んだ」
「あ……」
オットーの指示を聞くと、ユリウスは矢のように階段を駆け下りていった。
スバルは何も言えないままそれを見送った。
ああは言ったが、オットーは内心『暴食』対ユリウスの勝負は、『暴食』に分があると思っている。ユリウスの名が奪われる前……つまり精霊術が万全に使える状態で尚、彼は一度『暴食』に敗北しているからだ。
だがただでさえ戦力が不足しているこの状況だ。たとえ負ける可能性の方が高くとも、それが最も勝率を高めるのなら、そうするしかない。ユリウスが過去の戦闘の経験から、『暴食』への有効な戦術を編み出せていることを祈るばかりだ。
「ならラムも行かせなさい。『暴食』だけはこの手で必ず殺してやるわ」
スバルの記憶喪失の原因が判明してからずっと殺気立っていたラムが、どこかにいるであろう『暴食』への確固たる殺意を込めて、オットーにそう要求する。
確かに『暴食』は複数いることが判明しているし、単独で来ているという希望的観測はできない状況だ。二人か三人いることは覚悟しておいた方が良い。
万全でないという不安こそあるものの、ラムの戦闘センスはガーフィールも太鼓判を押している。地下での餓馬王との戦闘でも、的確に角を折る戦果を上げた事例がある。ラムの風魔法が、最後の決め手になることは十分以上にあり得る。
「なら……ラムさんはまず緑部屋に向かってください。僕も行きます。そこでレムさんとパトラッシュちゃんを確保します。パトラッシュちゃんには僕が詳細な指示を出せますから、そのまま二人で『暴食』の迎撃に向かいます。奴の隙は、僕がなんとか作ってみせます」
即興の作戦をラムに伝えると、ラムは場違いなほどいつものように「ハッ」と息を吐き、
「オットーのくせにラムに指示するなんて生意気ね。せいぜいラムにこき使われなさい。――『暴食』は絶対に殺すわ」
「ええ――僕らに手を出したことを後悔させてやりましょう」
オットーは内心の不安を押し殺し、そう歯を見せて笑ってみせる。それだけ確認すると、ラムは振り返ることなく書庫を後にした。
「ベティーも、戦う覚悟ならとっくにできているかしら」
ベアトリスのその言葉は暗に、戦うなら自分も連れていけと告げていた。
本来ベアトリスにはこの書庫でスバルを守ってもらおうと考えていた。だがこの戦力差だ。確かに一人でも戦力は多い方が良い。陰魔法は、『暴食』との戦闘の際の切札になり得る。
「なら……危険を承知で頼みます。『暴食』との戦闘に協力してください。精霊騎士の経験があるというユリウスさんとの共闘なら相性が良いでしょう。マナに制限がありますが、ここぞというときに必ず有用なはずです」
「っ! ベアトリスが行くなら、やっぱり俺も……!」
スバルの言葉にベアトリスは瞳を揺らす。それから意を決したようにスバルの正面に立ち、両手を繋ぎ、スバルを見上げて言う。
「スバルには、ここで待っていてほしいかしら。そうして、戦いが終わったときベティーを撫でてくれれば、それでいいのよ」
そう言い終わると、ベアトリスは繋いでいた手をするりと離す。スバルは「あ……」という声を微かに喉から漏らし、手を伸ばすが、それはベアトリスに届かない。
ベアトリスは一度だけ愛おしげにスバルを振り返ると、階段の下へと歩き去って行った。
「それでオットーくん、ボクは何をすべきだろうか?」
「迷いますが、エキドナさんはナツキさんとともにここで待機してください」
「いいのかい? アナの身体のことを思えば戦わずに済むのはありがたいことだが……」
確かにエキドナが使用できる陽魔法は微力ながら戦力になり得る。だがそれは大量の魔獣相手には力不足だろうし、レイドとの戦闘の様子を見ても、超越者相手には通用しそうにない。
――だから代わりに、ある役割を頼むことにした。
「基本的には、ここで待機していてください。そして、もはやこの塔に残るのが限界だと判断したとき、ナツキさんと共にこの塔を脱出してください」
エキドナに託したのは、最後の手段だ。他の全員が死んでも、スバルとエキドナ、そしてレムだけは生き残れるための備え。そのための案内役を、エキドナに頼むのだ。
「だが、それをすればシャウラが――」
「シャウラさんが死ぬような危機が、あり得るということです」
「――――」
エキドナは塔のルールを破り、シャウラが敵対することを恐れている。確かに平時なら警戒すべき事態だ。だからこそ、これは最終手段なのだ。
「作戦は簡単です。僕の方でどうにかしてレムさんを乗せたパトラッシュちゃんを待機させておきます。ナツキさんとエキドナさんは、それを連れて例のバルコニーに行ってください」
「……なるほど、承知した。だがそこに行ってどうする?」
「エミリア様に頼んで、脱出用の滑り台を氷で作っておいてもらいます。そこから塔の外に脱出してください。上手く行けば、パトラッシュちゃんに乗って、砂丘から脱出できます」
「……随分と、賭けの要素が多い作戦に思えるが」
エキドナは頷いたものの、考え込み、その危険さに難色を示した。
だがオットーも、それは承知の上だ。
「ええ、ですからこそは最後の手段です。――頼めますか?」
「――ああ、ボクもアナの命がかかっている。全力を尽くすと誓おう。……そうならないように、そちらの方で何とかしてくれると助かるのだがね」
胸に手を当て、そう誓ったエキドナは、最後にちょっとした冗談をこぼす。オットーはそれにふっと笑い、直後表情を引き締める。
「いざとなればオドを削って魔法を使ってでも、脱出してください。――ナツキさんを、頼みました」
そう言い終えると、オットーは小走りで階段を降りる。
――これが、スバルにとっての最善だと信じて。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
スバルは、何も言えないままオットーが書庫を飛び出していくのを見ていた。
スバルは自分で自分を殴りたい気分だった。何もできない自分への怒り、だけではない。
――何もしなくていいと言われたとき、心のどこかでそれに安心していた自分への、怒りがあった。
「クソッ……」
右手で自分の髪の毛をかきむしり、そう吐き捨てる。だが気分は晴れない。
ベアトリス、あんなに小さな子まで戦っているというのに、スバルはここで何をしているのか。
戦闘力がないエキドナだって役目を託されたのに、スバルには何もない。ユリウスにエキドナのことを頼まれたのだって、言葉の綾みたいなものだろう。彼が頼んだのは、記憶を失くす前のナツキ・スバルにであって、今の『ナツキ・スバル』にではない。
今のスバルはただ守られるだけ。それに甘んじている自分とは何なのか。ユリウスの頼みに、強がりでも何か言ってやれなかったスバルとは、何なのか。
記憶を失ってからずっと、誰かに優しくされて、守られて、それだけだ。スバルはまだ何も、みんなに恩返しができていない。
「何か、ないのか?」
考えろ。スバルにできることが、何かあるはずだ。
記憶を失くす前のスバルならしていたはずのことが、何かあるはずだ。
「……ナツキくん? 何を――」
「わかんねえ。けど、何かしてなきゃ気が済まねえんだ」
書庫の中、急に歩き出したスバルにエキドナが疑問の声を上げる。返事をしながら、スバルは書棚に収められた本の背表紙を一つ一つ確認していく。
「何か、この苦境をひっくり返すための本が、一冊くらいここにあってもおかしくないだろ……?」
根拠があったわけじゃない。でもスバルは、この書庫にまだ何かあるかもしれないと、そう思うのだ。少し前まで、フリューゲルとかいう人たちの本を探していたからかもしれない。
人名以外の本もあるかもしれない。例えば強力な魔導書とか、魔獣を操る方法が書いてある本とか。そういうのがあれば一発逆転の可能性がある。
「わかってる。これが無意味な可能性の方が高いってことは」
それでも、スバルは何もせずにはいられなかった。ただの現実逃避かもしれない。それでもスバルにはこれしかできることが思いつかなかった。馬鹿なスバルには、オットーみたいに現実的な案を立てることなんて、できやしなかった。
「エキドナ……?」
「確かに、君の言う通りかもしれない、と思ってね。たとえ僅かにでも勝率を上げられる可能性があるのなら、きっとそれは無駄じゃない」
手元の異世界文字とひらがなの対応表を見ながら、がむしゃらに背表紙の文字をぶつぶつと読み上げていたスバルの隣に、いつの間にかエキドナが立っていた。
彼女はスバルよりも圧倒的に速く、次々に本の背表紙をさらっていく。
「……重要そうなキーワード、文字で書いてくれないか? 魔獣とか魔法とか。それ見ながらなら、俺もちょっとは速く調べられる」
「ああ、構わないよ」
そう言ってエキドナがスバルへと歩み寄ったときだった。
「――――」
突如ドォンという地響きのような低い音とともに、塔が揺れたのを感じた。ついに魔獣の波が塔へと衝突したのだろうか。
「……急ごう」
こうして、意味があるかすらわからない二人のささやかな抵抗が始まった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……これも人名か」
それっぽいキーワードが見つかったと思えば、それは名前の一部でしかない。そんな一喜一憂を何度も繰り返した。
「エキドナ、そっちは!?」
「だめだ、何も見つからない!」
少し離れたところで捜索を続けるエキドナに、こうして定期的に問いかけるが、あちらも今のところ戦果はなしだ。
あまり意識しないようにしていたが、これまでに何度か塔が揺れる音を聞いている。それはまだ戦闘が継続している証拠だととらえることもできるが、むしろ役目を果たし終えた魔獣が好き勝手暴れている音なんじゃないかと、嫌な想像が膨らむ。
――そろそろ、逃げるべきなんじゃないだろうか。
口には出さないが、既にここの二人以外が全滅しているというイメージが頭によぎる。
そもそも脱出を決めるための基準ははっきりしていない。スバルとエキドナの二人の裁量次第だ。もしかすると、まだ戦闘が続いているのに脱出してしまって、シャウラが敵対して戦線崩壊、なんてことだけは絶対に避けたかった。
だが、そろそろ無視することはできないほど、崩壊の足音が繰り返し聞こえていた。
「……」
同じく口には出さないが、エキドナもそろそろ同じことを考えているのではないだろうか。それでもお互いにそれを黙っている。そうしている間は、まだ皆のことを信じていられるような、そんな気がした。
半ば現実逃避のように、スバルは目の前の本のタイトルを読み進めていく。
これもだめ、その次もだめ、この列は全部だめ。
「……ん?」
またこれもだめ、そう通り過ぎようとした四文字の表紙の本が、やけにスバルの無意識に引っかかった。それはなんだか見覚えがある四文字だった。
「――――」
焦る気持ちのまま、スバルは異世界五十音表とそのタイトルとを行ったり来たりする。二文字目まで読んだ段階で、スバルの心臓は早鐘を打ち始める。
「そんな、わけ……!」
うるさい自分の鼓動を無視して、懐からもう一枚の紙を取り出す。『暴食』対策の、全員が名前を書き連ねた紙だ。その紙に未だ空白がないことは、誰も『暴食』の被害に遭っていないことを示唆していた。そのことにひとまず安心しつつも、スバルの心は休まらない。
「……は?」
その紙の中に、見つけてしまった。目の前の『死者の書』のタイトルと合致する文字列を。
――それは、スバルがこの世界に来て、初めて書いた言葉だった。
「違う、だめだ、そんなわけない!」
震える手に握られた紙にある名前と背表紙とを、視線が何度も往復する。何度見比べても、それらは同じだった。
その『死者の書』の背表紙には書かれていた――、
『エミリア』、と。
【第30話での相違点】オリジナル展開です
今回の話はオリジナル展開です。
この展開のために、スバルにイ文字を習わせる必要があったんですね。