Re:ゼロから始める異世界生活6章オットー同行if 作:樫ハット
善処しますが更新が滞ったら察してください……。
「スバル、落ち着いたかしら?」
「……あぁ、混乱はしてるけど、なんとか話はできるようになったぜ。というか、俺の方から聞きたいことが色々ありすぎる」
「スバルが、聞きたいこと?」
目を閉じてしばらく呼吸し、ようやく多少の落ち着きを取り戻したスバルは、心配そうに顔を覗き込むベアトリスになんとか微笑を返してみせる。同じく顔を覗き込みつつ疑問の表情を浮かべるエミリアをよそに、スバルはぐるりと周囲を見回す。
見慣れた、とは言わないが、見知った部屋の内装だ。
壁や床、天井までもが緑色の蔦で覆われ、スバル自身、蔦で編まれたベッドの上で体を起こした状態にある。
目の前ではエミリアとベアトリスが心配そうに、オットーが油断ない目でスバルをとらえている。ベッドのすぐ脇には巨大なトカゲ――パトラッシュが足を畳んで座った姿勢でこちらの様子を伺っている。部屋にあるもう一つのベッドには、目を閉じた青い髪の少女、レムが横たわっている。
どういうわけか、ここはプレアデス監視塔の緑部屋のようだった。
ひとまずの状況把握を終え、スバルは三人に向き直る。
そう、スバルが真っ先に聞きたかったのは、
「――あれから、何があった?」
スバルが何を指しているのか、言わずともわかったのだろう。エミリアとベアトリスはオットーに目を向け、それを受けたオットーが頷き、スバルと向き合う。
そう、あの一連の最悪を超えた出来事を迎えて、一体どうしてスバルたちがこうして無事に集まれているのか――、
「僕とナツキさんは二人でタイゲタの書庫に向かい、レイドの死者の書を見つけました。ナツキさんは、それを読んで意識を失い今の今まで眠ったままでした」
「いや、この場面でそういうボケとかいらねえって! その後のことだよ! 塔に何かが来て、みんなが出張って……」
至って真剣に、オットーはスバルの記憶喪失のところから話を始めようとしているようだった。もちろんスバル的にもみんな的にも大事件だったのは間違いないが、それが霞むほどの一大事がこのプレアデス監視塔には起きたのだ。
よもやスバルの不安をほぐそうとしてくれているのかと、いらない気遣いにやきもきしつつオットーを睨みつけるが、オットーは僅かに困惑の表情を見せるだけだった。
「何だよ、お前らも混乱してんのか? まず俺がレイドの『死者の書』読んでぶっ倒れて、ついでに記憶を失くして、それから――」
「ちょっと待つかしら! 今聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしたのよ!?」
「記憶を失くしたとはどういうことですか!? ナツキさんが!?」
前提からゆっくり確認しようと話し始めたスバルに、血相を変えた三人が詰め寄る。
わけがわからない。だが、何かおかしなことが起きているという感覚だけが、じわりじわりとスバルの中に広がっていく。
無意識が告げる嫌な予感に、我知らずスバルの背筋に冷たい汗が伝う。
「読んで字のごとくだよ。俺が記憶喪失になって……その、みんなの名前とか、何もかも一時的に忘れちまったんだよ。なあ、それなら覚えてるだろ? なあ!?」
「――――」
「嘘……だろ……?」
顔を見合わせ、驚愕の表情を浮かべるエミリアとベアトリスに、みるみるうちに顔面蒼白になっていくオットー。そんな様子を見て、スバルはようやく、彼らのとんちんかんな受け答えの原因がただの混乱や道化ではないことを理解した。否、理解せざるを得ないとわかってなお、それは理解しがたいものだった。
スバルは口を手で覆って俯く。何か考えなければと思いつつ、何も考えられていない。
スバルの思考は、ただ無理解と混乱だけが支配していた。
「ナツキさん、もしかして『死者の書』で何か体験して、混乱しているんじゃ……ナツキさん!?」
オットーの言葉は耳から入った端からすっぽ抜けていく。代わりにスバルはゆっくりと立ち上がり、オットーの襟をつかむ。スバルが何か怒っているのかと一瞬身構えたオットーだったが、ただ襟を開き、その中の何かを確認しようと覗き込む様子を見て、困惑へと変わる。
「オットー、お前の首、ちゃんとつながってるか?」
「縁起でもないこと言わないでくださいよ! それより今はナツキさんが――」
「……スバル?」
不安と困惑の表情から一変し、呆気に取られていつもの調子に戻りかけるオットー。彼からは、スバルの後頭部しか見えていない。だが、それを横から見ていたエミリアとベアトリスは、気づく。
「どうして……泣いているの?」
「……あ」
そう言われて初めて、スバルも気づく。スバルの頬に、涙が伝っていることを。
オットーの首には、傷一つない。エミリアもベアトリスも、ちゃんと生きてここにいる。幻覚じゃない。三人はちゃんと、スバルの背中に触れてくれていた。その温かさが、今のスバルにも残っている。
「意味がわからねえ……わからねえけど……」
張りつめていた心と体が不意に脱力し、オットーの襟から手を離したスバルは力なく座り込む。
「よかった、本当に……」
今のスバルには何もわからない。けど、今この瞬間は、これだけが大切だった。
「みんな、生きていてくれて……本当に……」
みんなとの思い出さえ失ってしまったこんなスバルのために、全力を尽くし、最後まで諦めず、命すら賭して戦ってくれた人たちが。不安だらけのスバルの心に寄り添ってくれた人たちが。生きていてくれて、本当に良かった。
何が起きたのかスバルにはてんで想像もつかない。魔法じゃとても足りない。奇跡だ。
今この瞬間、スバルは神様に感謝したい気持ちだった。
「……悪い夢でも見たのかしら」
「大丈夫よ、スバル。私たちはここにいるわ。どこにも行ったりしないから」
気づけば座り込んだスバルの隣に、同じ視線の高さに、エミリアがいた。
エミリアはそのまま、有無を言わさずスバルの頭を両手で優しく包み、自分の胸に引き寄せた。思わず驚きの声を漏らすスバルだが、エミリアに抵抗するだけの力を持ち合わせず、引きずり込まれる。
「私の心臓の音、聞こえるでしょ?」
ドクン、ドクンと、ゆっくり心臓が脈打つ音がスバルの鼓膜を打つ。それは嘘偽りのない、命の証明だった。
エミリアは、今ここに生きていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「さっきもちらっと言った通り、俺が記憶喪失ってのはマジだ。……ってかその反応、マジで誰も覚えてないのか」
「覚えていないも何も、そんな話を聞いたのは今が初めてですよ!」
「そうかしら。そんなとんでもない話、一度聞いたらベティーたちが忘れるはずないのよ!」
あれからエミリアの助けもあってどうにか気持ちは落ち着いた。若干気恥ずかしいながらも、再び蔦のベッドに腰掛けたスバルは、状況説明を再開する。
「スバル、全部聞かせてちょうだい?」
「オーケー、エミリアちゃん。つってもどこから話したらいいのやら……」
「ちゃん……」
「どしたの?」
「ううん、何でもないの」
一瞬、エミリアが悲しげに瞳を揺らしたように見えた。そのことに言いしれない心のつっかえを感じつつ、スバルは思考する。
「俺は気失ってたからよく知らねえんだが、レイドってやつの『死者の書』を読んで、何かが起きて、俺は記憶を失ったらしい」
「そこが気になっていました。ナツキさんは『死者の書』の中で、何を見たか覚えていますか? 記憶に不調があるなら、そこに原因がある可能性が高いはずです」
オットーの頼もしい視線を向けられ、スバルの中に少しだけ安心感が広がる。オットーはやはり、こんなときでも思考を止めないのだ。
そんなオットーの期待に応えられず申し訳ない限りだが、スバルはゆるゆると首を横に振り、
「悪いけど、そこはわからないってのが正直なところだ。何か見てたとして、多分そこの記憶も飛んでる」
「……なるほど、現状では原因は不明、と」
「あー、そういや俺はよくわかってないんだが、『暴食』の大罪司教ってやつが原因の可能性があるって聞いたら、ピンとくるか?」
「――――」
『暴食』、その単語を口にしたとき、三人は一様に警戒に目を鋭くした。
スバルはその様子を見ていた。そして何となくわかった。
今彼らは、スバルの記憶喪失の原因が『暴食』とやらにあることも知らない。思いついてもいない。
「それは、ナツキさんが『暴食』の大罪司教と出くわしていたということですか? 確かにそれなら記憶喪失の原因となり得そうですが、僕が見ていた限りでは、そんなはず……」
「そこんとこは記憶がねえからわかんねえよ。けど、やっぱピンとくるんだな」
ここまでの反応で推測できることは、いくつかある。
まずは、スバル以外の全員が記憶喪失になった可能性だ。その場合、約半日分程度の記憶だけ全員がきれいさっぱり忘れるという器用にもほどがある事態だということになる。それは考えにくい。聞いた話では、『暴食』の権能は基本的に記憶を根こそぎ奪うらしく、そんな器用な真似はできないはずだ。
もう一つの可能性は、
『……悪い夢でも見たのかしら?』
「あれは……少なくともただの夢なんかじゃねえ」
ベアトリスの言ったように、全てが意識を失ったスバルの夢である可能性もまた、否定できないと思っていた。だが、さっきの質問の答えでわかった。
『暴食』の大罪司教やら、『死者の書』やらってのは、どうやらスバルの夢や妄想ではないらしい。
記憶喪失のスバルが知らなかったはずの情報が、あまりに多すぎる。そもそも目の前の三人の存在を知っていることだって、そうだ。
なら、あれは予知夢か?
だがスバルは、内心その可能性はないとほぼ確信している。
「あの痛みが、夢だったはずがない」
無意識に自分の足首に触れつつ、スバルは回想する。
あのときスバルの足首が切り裂かれた痛みは本物だった。これまで経験したどんな痛みよりも上だった。絶叫で喉が塞がれるほどの激痛を経験したのは、あれが初めてだった。
あの痛みのことを思い出すと、スバルは今でも体が震えるような思いがする。
それと同時に、次々と仲間が死んでいく絶望感も浮かび上がってくる。最初に判明したのはエミリア、その次がオットー、そしてエキドナに、今思い返せばパトラッシュも。スバルが認識していない範囲では、もっとだろう。
「けど、今はみんな生きてる」
怪我を治した痕すら残っていない。魔法ならそこまで完全に消せるものなのだろうか。だとしても、魔法で死は覆せないと、エキドナがそう言っていたはずだ。
なら、もう一つの可能性は――、
「……確かめる、か」
確信はない。だがこの状況は、まるで。
――時間が巻き戻ったかのようで。
「なるほど、確かに『暴食』の権能が利用された可能性はありそうです。ところで聞きたいのですが……」
思考に沈んでいたスバルに、どうやら一旦結論を出したらしいオットーが問いかけてくる。慌てて顔を上げると、オットーが微かな困惑を滲ませてこちらを見ていた。
「ナツキさんは、いったいどこまで覚えているんですか?」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「それは……難しい質問だな」
この世界のことは一度全て忘れている。しかし前の世界、日本にいたときのことは覚えている。その上で、一度この塔での出来事を体験し、それは覚えている。あまりに奇想天外すぎて、そのまま説明しても伝わるとは思えない。
そもそも、スバル自身ですら、何が起きたのかは理解していないのだ。
しばらく考えて、スバルはやっとのことで言葉をひねり出す。
「なんつーか、この塔で一日だけ生活した記憶がある、って言ったら伝わるかな」
「それはまた、中々微妙な状況ですね……。それなら確かに僕たちのことや『暴食』のことを知っていてもおかしくありませんが……」
少し悩んだが、スバルはここの面々にはある程度素直に打ち明けることに決めた。こういった混乱した状況で誰よりも頼りになるオットーの頭脳を借りたかったのもあるし、純粋に誰かに打ち明けないと不安だと思ったというのもある。
だが全てを打ち明けることはしなかったのには、いくつか理由がある。一つ目の理由は、スバルが不確かな情報をもたらすことが混乱を生むと思ったからだ。現状では、スバル自身ですら自分のもつ記憶、情報をどこまで信じて良いものかわからないのだ。
そして、落ち着いて考えることができたスバルには、一つこの状況を理解するための作戦があった。いずれはスバルの持つ情報を出すべきか判断するときが来るはずだ。
「『暴食』の権能にナツキさんが一定の耐性を持つことを考えると、確かにこの中途半端な記憶の残り方はあり得るかもしれない、とは思います」
「ああ、その辺りは俺もよくわかってないところだ。……だから正直、みんなの力を借りたい」
我ながら情けない話だと思う。何もわかっていないから、助けてくれなんて。対価は何も差し出せないのに、一方的に頼ろうとしている。
それを彼らが断らないことまで想像して、こう切り出している。スバルはその浅ましさに自己嫌悪する。でも、スバルにはそれしかできなかった。ただ与えられる愛情に生かされているだけの存在だ。
――これじゃ、ここに来る前と何も変わっていない。
そう考えて、スバルは内心自嘲する。
そりゃそうだ。人は簡単には変われない。ナツキ・スバルという人間は、異世界に来た程度で変わったりしない。誰かの庇護と愛情の下で、何も恩を返さず生きているだけ。
スバルの一方的な言葉に、ベアトリスは力なく問いかける。
「……スバルは、ベティーのことも――」
「……ごめん。過去に何があったのか、今の俺は覚えてない。お前のことも、エミリアのことも、オットーのことも」
スバルの残酷な言葉に、彼女らは瞠目し、瞳に動揺を浮かべる。心のどこかで、少しは自分のことを覚えてくれているんじゃないかと、期待していたのかもしれない。そう思わせてしまったのは、混乱したスバルが口走ってしまったことが原因だ。その表情は、二度目であってもスバルの心を突き刺す悲痛さを持っていた。
むしろ二度目の方がずっと、スバルには辛かった。スバルは一度目のときよりもみんなのことを知っているから。
「けど、みんなが俺をどう思ってるかは、何となくわかってるつもりだ。それしかわからねえ。でも、それだけはわかってる」
それに、いざとなったらこんなスバルのために、命を賭けてでも戦いに行ってしまうということも。
「俺は、みんなのことをちゃんと思い出したい。だから、情けないけど頼む」
スバルは浅ましく情けない自分が許せない。だがそれ以上に、みんなにこんな表情をさせている自分の方が、もっと許せない。
だから、こうして頭を下げて頼み込むのだ。
そして、不意に「えいっ」という掛け声とともにパチンと音が鳴ったのが聞こえて、スバルは思わず顔を上げる。そこには白い頬を微かに赤くしたエミリアがいた。
「困ってるときに誰かを頼るのは、情けないことなんかじゃないわ」
「エミリア様のおっしゃる通りです。今一番困っているのはナツキさんでしょうから。――僕も、自分を責めてばかりじゃいられませんね」
「スバルのことは、みんなで解決しましょ! ほら、ベアトリスも」
「ベティーは……」
勇ましく決意をみなぎらせたエミリアに引っ張られ、オットーも気持ちの整理をつけたようだった。スバルとしてもオットーにこの件の責任を感じてもらうのは本意ではないので、エミリアに感謝したいところだ。
一方のベアトリスはというと、次々に迫る衝撃を処理しきれていないようで、少し気後れした様子だった。だがやがて、
「……ああ、もう、まったく! スバルは本当に仕方のない契約者なのよ! いつもいつも、面倒事ばっかり持ち込まれてベティーはいい迷惑かしら! けど、素直に助けてって言えたのに免じて、今回だけ目をつぶってあげるかしら」
と、スバルの鼻先に指を突き付けて堂々宣言したのだった。
ベアトリスが不安と困惑の殻を突き破ったことにひとまず安堵しながら、スバルは同時に強い自己嫌悪も抱く。
ナツキ・スバルが築いた絆と信頼を利用し、今のハリボテのスバルが利用することに。
ハリボテ。その言葉が妙に心に引っかかった。
今のスバルがハリボテ? 今までナツキ・スバルがハリボテでなかったことなど一度だってあるのか?
「――――」
エミリアとオットーとベアトリスの、優しくも心の痛む決意を見届け、スバルは奥歯を噛む。
スバルは一度同じ日を経験していることを、三人にはっきりとは打ち明けていない。
一つの理由は、本当に自分がタイムリープしたと確信が持てていないからだ。
だからスバルは、これから起こることを見て、これが本当にタイムリープなのか確かめる算段だ。出会いの時点でスバルが色々と違う振る舞いをしてしまったが、それでも確かめられることはある。例えば塔の他のメンバーの様子を一旦確認したい。そして最終的には、塔の襲撃についての情報を確定させたい。
時間が巻き戻ったとしたら、現時点で襲撃を知っているのはスバルだけだ。だが、敵が同じ行動をしてくるとは限らない。スバルが偽の記憶を植え付けられていて、共有することが敵に利することに繋がる、なんてこともあり得ないではない。
だがそうした考えは、結局のところ言い訳の一つでしかない。
スバルがこの推定タイムリープのことを黙っていたのは、もっと強い直観に従ってのことだ。
スバルは前回目が覚めた直後、まずは現状把握に努めた。その際にエミリア、ベアトリス、オットーに、スバルが何か能力を持っていないのかと聞いた。だが答えは否、スバルは何の能力ももたない常人であると、彼女らはそう答えたのだ。
ここまでの付き合いからして、皆がスバルを騙すような人だとは考えにくい。何か理由があってスバルの能力を隠したという可能性も考えたが、あの襲撃時点で明かさないとは考えにくい。
そこから推測されることはたった一つ――ナツキ・スバル自身が、その能力を明かしたことが一度もないということだ。
「……何を考えてたんだ、ナツキ・スバル」
自身の名を、もはや別人のような感覚でスバルは呼ぶ。
――否、もはや別人のような感覚なんて言い方は誤りだ。別人なのだ。
スバルにとって、『ナツキ・スバル』は存在も知らない未知の人物だ。
記憶を失ったことで、致命的な不連続性ができてしまった。故にその考えを推し量ることはもはやできない。
『スバル』は何故、エミリアたちに自分の力のことを話していないのか。
よもやエミリアたちのことを信頼していないのか。それとも何か、言えない理由が、言いたくない理由があるのか。
いずれにしても、今のスバルにはそんな選択肢をとった『ナツキ・スバル』の気が知れなかった。
そこに、何かがあるのだろうか。今のスバルとの違いが、エミリアたちとの絆が生まれた鍵なのだろうか。だとしたら、今のスバルがエミリアたちとの絆に縋るのは間違っているのではないか。
スバルと『スバル』への不信感が、沸々と湧き上がってくる。
「お前は……」
――何を考えてたんだ、『ナツキ・スバル』。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その後の展開は、やはりおおよそ、記憶の通りに事が運んだ。メンバーも同じだし、それぞれの発言も、おおよそ記憶の通りだ。
「……それで、この事態の原因となったのが、これです」
「――レイド・アストレア」
オットーが中心となって事態を説明する。黒い装丁の本を机の上に出すと、ラムが視線を鋭くして表紙の名前を読み上げる。
「これが何の変哲もない死者の書、とは思えません。何か、細工があると考えるのが順当でしょう……それが何かまではわかりませんが」
そう言いつつ、オットーはちらりとこちらを見やる。スバルはそれに視線を返す。
傍から見れば、混乱するスバルとそこに気を遣うオットーでしかないだろう。だが、その視線には別の意味が込められている。
『ちょっと、確かめたいことがある。原因が『暴食』かもしれないって話、朝食の席までは一旦伏せといてくれ』
この部屋まで歩いてくる間、スバルは三人にそうお願いしていた。ここまで既にスバルは状況把握のためとはいえ、明らかにおかしなことを口走りすぎた。せめてこの三人以外のそのままの反応を確認するため、朝食の前の席でだけは何事もなかったかのように振舞ってもらうことにした。
エミリアとベアトリスは困惑して顔を見合わせていたが、オットーは一人「分かりました」と頷いた。その反応は、オットーだけはスバルの何かを知っているのではないかと思わされるほどだった。
そうして――、
「にわかには信じがたい話ね。悪ふざけならこの辺にしておきなさい、バルス」
ラムに、スバルの状況が悪ふざけなのではないかと疑われ――、
「お師様、またあーしのこと忘れたッスか? ホントに懲りないし飽きないッスね~」
記憶をなくしたスバルの言動を、シャウラがあっけらかんとした態度で仕方ないと受け入れてくれて――、
「本当、お兄さんってばあ、すっごく困ったさんよねえ」
興味があるのかないのか、メィリィは混迷する状況を楽しむように悪戯に微笑み――、
「少し、彼に落ち着く時間を与えたい。構わないかな?」
スバルが記憶をなくした事実に動転するユリウスを気遣い、エキドナがわずかな休息の時間を設けようと提案した。
それを受け入れ、ラムの誘いに乗って、スバルとオットーは水を汲みに部屋を離れる。
そうして三人になって、ラムはスバルを問い詰める。
「どうせ、バルスのことだから、またろくでもないことを思いついて、オットーと一芝居打ったんでしょう。オットーにできる程度の演技、ラムならわけないわ。だから……ラムにぐらい、何を企んでいるのか明かしておきなさい」
ラムは、スバルたち四人がしている隠し事に勘づいたわけではない。ただただ、スバルの記憶喪失が嘘だと、そう疑っているのだ。それは些細な隠し事に気づけないほど、衝撃を受けていることの証左で……。
「ナツキさん……」
「……お前の言いたいことはわかったよ、ラム。けど、俺の記憶喪失は作戦じゃねえ。ただ、全部忘れたってわけじゃねえし、お前らの名前くらいならなんとなく覚えて――」
「そんなことが聞きたいわけじゃないわ……!」
視線を送るオットーに頷き、スバルはラムには早めに『暴食』のことを伝えてしまおうと、そう決意した。
だがその話の半ばで、ラムは声に隠し切れない激情を混ぜて、スバルの言葉を遮る。
「待て、話を聞――うおっ!?」
ラムが一瞬で距離を詰め、スバルの胸倉を掴んで壁に押し付ける。背中を打った痛みに苦鳴を漏らすが、目は彼女から離さない。
だから今回は気づく。彼女の焦りにも似た激情を。
「そんなことが聞きたいわけじゃない! バルスがレムのことを忘れたなんて、そんな馬鹿なことを言う理由は何なのか、話しなさい!」
「もう、やめてください」
それをさらに遮るのは、場違いに平坦な、オットーの言葉だった。ラムが目を向けるのにつられるように、スバルもそちらへ顔を向ける。
「ナツキさんがレムさんのことを忘れる理由なんて、一つしかないでしょう。ナツキさん、もういいんですよね?」
「何が言いたいの……!」
「――『暴食』の大罪司教」
「――――」
オットーがその言葉を告げた瞬間、ラムにどれだけの衝撃が走ったのか、スバルにはわからない。推し量ることすらできないほど、スバルはラムのことを知らない。
ただその瞬間、ラムは先ほどまでの勢いをなくし、力なくよろめいたかに見えた。そのときの、信じられないとでも言いたげで、だが信じざるを得ないとどこかで理解してしまったような、そんな表情が、スバルの記憶に焼き付いていた。
オットーのたった一言で、ラムは何かを理解したようだった。
それからラムはスバルに必ずレムのことを思い出せと発破をかけ、そこからは前回と同じ流れだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
皆が待つ部屋に戻ったスバルは、改めてのユリウスとエキドナの自己紹介を受ける。その爆弾発言らしい報告に重ねるような爆弾情報で恐縮だが、スバルにはここで明かさねばならないことがある。
どうやらスバルは本当にタイムリープしているらしい。ここまでの皆の振る舞いで、そのことは十分以上にわかった。スバルが知り得ないことまで、あまりにも正確に繰り返されている。
スバルがこのことを皆に打ち明けていなかったことも気になるが、今はそうも言っていられない事態だ。これがスバルの能力なのであれば、全員の知恵を借りて、最大限活かさなければならない。
――そうしなければ、全員が死ぬ。
頭の中にフラッシュバックしそうになる過去の記憶を振り払い、スバルはテーブルについた全員を見回す。
「衝撃の発言に重ねて恐縮なんだが、俺から打ち明けなきゃならないことが何個かある」
「それは、これまで君が何か隠していたということだろうか?」
「人聞きの悪い言い方だな。これはただ……自分でも確証が持てなかったから言ってなかっただけだ」
自分のことを棚に上げてスバルを揶揄するエキドナ。この流れで人の隠し事に敏感になる気持ちは、まあわからないではないが。
それはさておき、スバルは唇を湿らせ、一つ目の隠し事を打ち明ける。
「まず一個目。多分だけど――俺の記憶喪失の原因は、『暴食』の大罪司教だ」
「――――」
「この推測は、エミリアとベアトリスとオットーには、先に打ち明けてた。ただちょっと、俺の方の事情でみんなに伝えるのが遅れた。それは謝る」
ラムを含め、事前にその可能性を知っていた面々以外は、スバルの言葉に瞠目し、不穏さに眉を顰める。
「それは、スバルが『暴食』と会敵したということか? 確かに、君の『暴食』の権能への謎の耐性を考えれば、この状態はあり得ない話ではないが……」
「そこんところだが、俺の方に会った記憶はないし、多分この塔に潜んでるってわけでもない。ただ、レイドの『死者の書』が怪しい。詳しいことはわかんねえけど、その『死者の書』を読もうとすると『暴食』と出くわしちまう、ってのが俺の推測だ」
警戒心をあらわにし、ユリウスはスバルへと問いかける。それに対しスバルは、前回のオットーの考えの受け売りだが、最も可能性が高い推測だ。
「ふむ、根拠がないと退けることもできるが、検討する価値はありそうだ。どうやら、オットーくんも納得しているようだしね」
「ええ、一応筋が通る仮説もないではないですから」
エキドナはスバルの発言を慎重に吟味する。オットーは、スバルに話を聞いてから自分で何かと考えていたのか、スバルの発言を肯定することに決めたようだった。
この辺り、すんなり理解してもらえてスバルは内心安心している。もっともこれに関してはオットーの受け売りで説得することもできる領域だ。
本当の勝負は、次を信じてもらえるかだ。
「そんで、そのことも大事だし話し合いたいところだが、俺に言わせてもらえばもっと差し迫ったことがある。これは、確証がなかったからまだ誰にも言ってなかったことだ。けど、これだけは言わなきゃならねえ」
スバルは一度深呼吸し、目を開ける。
「この塔に、襲撃者が向かってきてる」
「――――」
「大量の魔獣と、多分『暴食』の大罪司教も一緒だ」
そんなスバルの突拍子もない告発に、皆衝撃を隠せない様子だった。ラムは無表情ながら殺気立ち、ユリウスは瞳を揺らし、オットーは口を手で覆って瞠目する。エミリアとベアトリスはスバルを信じたいと思いつつ、受け止めかねている様子だ。
「信じられないと思うかもしれねえけど、聞いてくれ。このままじゃ勝てないかもしれない。だからちゃんと準備しないといけない。そのために、協力してほしい」
言い切って、スバルはまたぐるりと皆の顔を見回す。ふと、視界の端で手を挙げたのが見えた。エキドナだ。スバルはそこに視線を向け、無言で頷く。
「一つ聞かせてくれないだろうか。――ナツキくんはどうやってその情報を?」
当然の疑問だ。いくら仲間とはいえ、根拠もなしに急にそんなことを言われて、信頼できるはずがない。故に、こう聞かれるであろうことは、想定していた。
だが気がかりなのは――、
「俺は言うぜ、『ナツキ・スバル』……!」
記憶を失う前の『ナツキ・スバル』が、この『やり直し』をみんなに黙っていたことだ。そうした理由は、やっぱりわからなかった。
けど、スバルが動かなければ、また同じ結末が来ることは、もう痛いほどわかった。
――だからスバルは、賭けることにした。
もし『ナツキ・スバル』がみんなを信じられないことを理由にこの情報を伏せていたのなら、今のスバルはもう躊躇しない。みんなが信じられることは、文字通り命をもって証明されているのだから。
「……みんなには信じてもらえないかもしれねえけど、俺は――」
「俺はこの日をやり直してる」と言おうとしたとき、唇の動きが止まった。
写真で一瞬を切り取ったように、視界は鮮やかで、ただ、髪の毛一本の動きすら、完全に止まっていた。指一本動かせず、瞬きすら、目の動きすら許されないまま、スバルの意識は、ただその光景を見ていた。
何が起きたのかと問いかけようとする唇すら動かない。スバルが止まっているのではない、世界が止まっているのだと、そう妙に冷静な思考が走る。
全てが止まった世界の中で、一つだけ動くものがあった。
「――愛してる」
――それは、たぶん、黒い女だった。
黒い、全身を黒一色で染め上げた、すらりと細い肢体を持つ女だ。
黒が女の形をしているのか、女が黒を纏っているのか、どちらか定かではないし、それを決めることに意味があるとも思えない。
とにかく、それは黒い女だった。まるで、花嫁衣裳のような黒い装束を纏い、内からも外からも顔を覗くことのできない黒いヴェールが顔貌を隠す。
「――愛してる」
ただ、黒い女の唇が紡ぐその言葉には、想像を絶するほどに強い感情が乗せられていた。
何年の重み、どんな経験を煮詰めれば、その感情に近づくのだろうか。
およそ、『愛してる』という言葉を口にするものが世界にどれほどいるかは知れないが――その、全ての『愛してる』を含有すれば、きっとこの女の『愛してる』になる。
そして、愛を囁く女はゆっくりと、その黒い腕をこちらの胸へと向ける。
何か、とてつもなく恐ろしいことが起きようとしている。スバルの意識はそのことに気づき暴れ始めるが、今は心臓の鼓動すらその感情を反映し得ない。
やめてくれと心の中で必死に叫ぶが、それはこの止まった世界に何ら影響を及ぼさない。
無慈悲に、細い指先が胸板を、皮を、肉を、骨を通り抜けて、鼓動を刻む心臓へと寄り添う。
「――愛してる」
愛を囁くのと同じ情熱を込めて、女の黒い指が心臓を愛撫する。
それと同時にスバルを突き抜けた衝撃は、激痛。否、激痛という言葉すら生ぬるい地獄だった。体感で数刻前に経験した足を斬られ絶叫に喉が塞がれた痛みすら、この痛みの前では塵芥のように思える。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
人が痛みで死ぬなら、スバルはこの一瞬で数十回は死んでいないとおかしい。なのに痛みが終わらない。こんなに痛いなら、死んでしまいたいと、そう思う事すら許されないほど、激痛に思考が支配される。
「――愛してる」
叫べるなら叫びたかった。動けるならのたうち回りたかった。そのささやかな反抗すら許されず、ただひたすらに限界を超えた痛みと向き合わされる。
そして、永遠に思える苦痛の時間の後、唐突に世界は動き出す。
「――あ」
「……? っ! ナツキさん!?」
思い出したように息を吐いて、スバルはその場に崩れ落ちる。呆然としたまま、無意識に痛みが消え去った胸を押さえる。ぐちゃぐちゃの感情のまま、動き始めた周囲を見渡す。
「スバル!」
オットーに続き、隣にいたエミリアがスバルの異変に気づく。それをスバルはどこか遠くから見下ろしているように感じていた。
ただ、あふれ出した涙が頬を伝い、胸を押さえる手を濡らしていく感覚だけがあった。
「一体ナツキくんに何が……?」
「ナツキさん、どうしました!? 何をすればいいですか!?」
「……いでくれ」
「え?」
「俺に、聞かないでくれ」
やっとのことで思い出した直前の会話。それはスバルの発言の根拠を問いただすエキドナの言葉だ。
周囲であわただしくスバルの様子を伺う誰かの言葉すら耳に入らず、ただそう返すことしか、今のスバルにはできなかった。
あの恐ろしい瞬間を遠ざけることだけが、今のスバルを動かす原動力だった。
その結果ここにいる奴らの信頼を損なうことになろうとも、そんなことはもはやどうでも良かった。ただあの激痛だけが、避けるべき現実だった。
「オットーくん、これは……」
「信じましょう」
「え?」
スバルの突然の変わりように動揺しつつも、語るに落ちたと主張したげなエキドナ。だが、その問いかけにはっきりと否を突き付けたのは、オットーだった。
彼は直前の事態に焦りつつも、真剣な表情でそう口にした。
「さっきナツキさんが言ったことを、信じるって言ってるんですよ」
そんな、訳の分からないことを言っているオットーの声が、ぼんやりとスバルの鼓膜を打っていた。
【第32話での相違点】スバルの能力の本質が「やり直し」だとこの段階で認識できている。襲撃のことを曲がりなりにも把握・周知できている。
今回の話はなろう版原作第六章38、39前半あたりに相当しています。
ラムは『暴食』の権能でレムのことを忘れたという経験があるので、同じことがスバルに起きたと言われて、嫌でも納得してしまっています。