Re:ゼロから始める異世界生活6章オットー同行if 作:樫ハット
――砂丘の大地に入り乱れる、色とりどりの花畑。
「砂丘の、花畑……」
夜闇に負けない花弁の華やかさの不可思議な不気味さをたたえた花々を前にして、スバルは小さく呟く。それ口にして、スバルの脳裏にミルーラの酒場の店主の話が浮かび上がる。片足を無くしたそこの店主が語った、砂丘に現れる花畑の話だ。
砂丘に花畑が見えたら一目散に逃げろ、と店主は言っていた。
――それは獰猛で醜悪な魔獣、花魁熊の縄張りであるのだと。
「けど、逃げろって言っても……」
監視塔へ続く砂原――その正面の視界いっぱいに、件の花畑は広がっているのだ。
それは文字通り、足の踏み場もないほどに密集している。
「避けて通るの、無理だぞ」
掠れた吐息と区別がつかないほどの囁きで、スバルはメィリィに声をかける。
現状、魔獣対策に関して、一行はメィリィに頼りきりだ。その彼女の判断によってスバルたちの進退が決まるわけだが、果たして、花畑を睨む少女の顔色はかなり悪かった。
冷や汗が浮かび、色白の肌からは血の気が失せている。言葉にされなくとも、非常にマズい状況にあるのが手に取るようにわかった。
「……ひとまず、みんな寝ているみたいだわあ」
「――――」
息を呑み、メィリィの判断を待ってどれだけ過ぎただろうか。数十秒か、あるいは小一時間であったようにも感じる時間を経て、メィリィが囁くようにそうこぼす。
それを受け、スバルは肩から脱力すると、竜車へとパトラッシュを近付けた。
「あの花畑は花魁熊の縄張り……でいいんだよな?」
「事前情報からして、まず間違いないでしょう。しかしこれは……」
一息ついたスバルたちは皆、目の前の異様な光景に言葉が無かった。竜車の中のエミリアたちも、『砂時間』の突破を喜ぶ声が途絶え、何事があったのかと恐る恐る小窓から顔を見せていた。
「スバル、何かあったの? 砂風の音は聞こえなくなったけど……」
「見事に『砂時間』はクリアしたよ。で、第一関門を突破したと思ったら、すぐに次の第二関門が待ち受けてたってわけ。ご覧の通り」
「ご覧の通りって……ぁ」
小窓から花畑を一望して、エミリアの喉が驚愕に凍り付いた。酒場の主人の話を聞いたのは彼女も同じだ。一目見てこの光景の意味を理解したようだった。
エミリアが目を見開かせると、その脇からアナスタシアやラムも顔を見せる。二人もやはり花畑を眺め、監視塔までの試練の意地悪さに顔をしかめていた。
少し考え、スバルはメィリィを見やる。
「メィリィ、お前の体質なら魔獣を引っ込められるんだろ? 花魁熊たちも、あの花畑から引き上げさせることはできないのか?」
「……難しいわあ。十や二十、百ぐらいならなんとでもしてあげるけどお、それ以上の数だと私の指示が届かない子が出るものお」
「なるほど、数に制限があるわけですか」
加護を使う者同士通ずるところがあったのか、オットーは納得したように頷く。
「質の制限もあるわあ。さすがに私も、白鯨や大兎にまでは無茶は言えないしい。花魁熊はその点、私と相性が悪いわあ」
聞きながら、スバルは花畑の方をざっと眺める。どこまでも続く花弁の楽園――そこにいる花魁熊の数を推測することすら困難だが、メィリィの限度である百を軽く上回ることは確実だった。
「現状、選択肢は『進む』か『戻る』かの二つと言えるだろう」
黙り込んだスバルに向かって、御者台のユリウスが指を二つ立てて言った。
そのユリウスの指を見て、スバルは吐息をつく。
「戻るって選択肢は最初からなしだろ。『砂時間』をクリアしたのにもったいないってのもあるけど、それじゃ問題が何も解決しない。先送りにしても意味がない」
「別の『砂時間』に潜れば、あるいは別の道から監視塔へ挑戦できるかもしれない。思考停止して道を塞ぐのは短絡的ではないかな?」
「日に三度の『砂時間』のうち、どれかが正解である可能性ですか。――それは考えにくいかと」
話を聞いていたオットーが意見を挟む。
「理由を聞かせていただけるだろうか?」
ユリウスに頷き、オットーは続ける。
「これも推測でしかないのですが、アナスタシア様の情報が正しければ、これは天然の罠です。であればそのような正解が用意されているとは思えません。まあ、違う道そのものがないとは言いませんが」
「それにひょっとすると、メィリィがいる状態で花魁熊の縄張り。このルートが一番、可能性がある道なのかもしれねぇぜ? なんとか数が少ない道を通るとかすれば……どうだ、メィリィ。お前は行けそうだと思うか?」
黙り、ジッと花畑を眺めているメィリィは、スバルの言葉に「うん……」と弱々しい声で俯いた。
「数は辛いけど、やれって言うならやってみるわあ。なにも見える全部の動物さんに言うことを聞かせなきゃいけないわけじゃないものお」
「全部じゃなくていいって……?」
「花畑を通り過ぎるために、静かに最低限の花魁熊だけどかせばいいのよお。道を開けてもらって、あとは大人しく寝ててもらう。刺激しなければそのぐらい、なんとかやれるはずだわあ」
質問に答える間に自分の考えに確信が持てたのか、メィリィの声に力が戻る。
少なくとも、彼女は『進む』というスバルの選択を尊重してくれる構えだ。それは素直にありがたい。
スバルはメィリィに頷き、それから全員の顔を見渡す。
「俺は進むべきだと思う。メィリィ、やってくれるか?」
最後にメィリィに向き直ると、彼女は決意のこもった表情で静かに頷いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
花魁熊のテリトリーを抜けるにあたり、メィリィがスバルたちに要求したことは単純明快――出来得る限りの沈黙、それのみである。
彼女の言によれば、現在の花魁熊たちは休眠状態の中にあり、滅多なことで目覚めはしないらしいが、
「寝てる子を起こして怒らせるのは、人でも動物でも悪い動物さんでもおんなじ。だからあ、ちゃあんと静かにしててねえ。それだけできたらあ、私の方でなんとかしてあげるからあ」
とのことで、一行は道中息を殺して進む必要があった。
そんなメィリィの指示を受けたオットーは、
「一度進めば、引き返すことはおろか、途中で相談することさえも困難になります。事前にあり得る展開を一通り想定し、作戦を共有しておきましょう」
と言って、いくつか作戦を提案した。
まず、花畑のど真ん中で会話するわけにはいかないということで、必要最低限の意思疎通ができるように、ジェスチャーを取り決めることにした。例えば、進んで良ければ手を挙げて掌を見せるとか、緊急事態で撤退するなら手を挙げてグーパーする、といった感じだ。あまり多くても覚えきれないので、重要なメッセージだけに絞った。
次に、乗員の配置だ。エミリアには竜車の上に乗って警戒してもらう。いざというときにいつでも飛び出して戦闘できるように準備してもらう形だ。彼女にはいざというとき氷の壁を作って撤退経路を確保してもらうようにもお願いしている。
もう一人の戦力であるユリウスは前方だ。メィリィとユリウスの二人で状況を確認し、大丈夫そうならオットーに竜車を進めるよう無言で指示を出す。
「それと、地竜たちには僕の方からこれからの行動の方針をお話ししておきます。その方が不安も減るでしょうし」
と言ってパトラッシュとジャイアンに話しかけ始めたオットーを横目に、一行は配置についたのだった。
そうして始まった行軍。布陣は砂丘攻略の際と入れ替わり、竜車の方が先で、スバルの操るパトラッシュはその後ろにぴったりついて走るスタイルだ。竜車の御者台に座ったメィリィが花魁熊に意思を伝え、合図があればオットーが竜車を進める。
「――――」
気持ち前屈みになり、息を詰めるスバルはベアトリスの小さい体を抱いている。ベアトリスの体温が伝わってくるが、彼女も身を固くして緊張している様子だ。
ちらと竜車の方を見上げれば、竜車の屋根の上でエミリアが警戒してくれているのが見える。
スバルとしては竜車の中で大人しくしていてもらいたいのだが、現状このメンバーで高火力の範囲攻撃が可能なのはエミリアだけだ。ベアトリスも無理をすればできなくはないが、一発大きいのを撃ち込んだ時点でスバルがガス欠になってしまう。
今スバルにできるのは、なるべく息を潜め、後方から見て異変を見逃さないようにすることだけだ。
などと考えていると、一行の先端が花畑に到達する。
「どいて」
一度、ジャイアンの引っ張る竜車が停車し、車輪の軋む音に紛れてメィリィの静かな声音が花畑に投げかけられた。
最初、メィリィの呼びかけには何の反応もなく、スバルは奥歯を噛む。
「どいて」
重ねて、メィリィが命令を呼びかけた。
それでもやはり、花畑には何の変化も生まれない。もどかしい時間にスバルの胃壁は痒さのようなものを訴えかける。
そして――、
「――――」
のそりと、まさに地面がめくれ上がるように、花畑が『起き上がった』。
「――――」
思わず、その起き上がった魔獣の姿を直視し、スバルの喉が微かに引きつる。
花魁熊は、熊に似た形態をした魔獣だ。だがそれは熊と言うにはあまりに異様な姿をしていた。
起き上がった花魁熊の体長は、目測で二、三メートルだ。足は短く、代わりに腕は地面に擦るほど異様に長い。黒い毛で覆われて見える腕は太く、その先端には鉤爪のような鋭い爪がびっしりと生えているのがわかった。
凶悪な見た目は魔獣にはよくあることだ。だがスバルの目を引いたのは、その体の前面側だった。びっしりと肉体を覆っているのは、体毛ではなく、細く入り乱れる花々の根だ。肌に血管が浮き上がるような見た目で、細かい根が魔獣の体を覆い尽くしているのだ。
根の届かない部分は異常なまでに渇き、肉も皮も萎み切っている。特に顔貌は頭蓋骨の形がわかるほど極限まで水を失い、丸く飛び出す眼球はこの世の全てを憎悪するように血走っていた。
それはさながら、自らの体に根を張る花々に命を啜られているかのようだ。
花魁熊は花々と共存できていない。明らかに、花に命を殺されている。
それが栄養に乏しい砂丘の生態系というものなのだろうか、とスバルの冷静な部分は考えるものの、本能的な嫌悪感は隠しきれない。
「――――」
そんな魔獣が、メィリィの言葉に緩慢な動きで従う。
ゆっくりと地面から体を引き剥がし、何も吸い上げられない砂原から根が引き抜かれ、千切れる音が無数に連鎖する。
竜車が通れるだけのスペースを空けるために、動き出す花魁熊は十数頭に及ぶ。そして進めば進むほど、その数は加速度的に増えていくのだ。
花魁熊が移動するのを待つと、竜車の前進が再開する。
「ふ」
微かに、ユリウスの吐息が聞こえて竜車の前進が再開する。
あのユリウスをして、眼前の光景には身の毛がよだつのを堪えられなかったのだろう。竜車の後尾につき、スバルたちも花魁熊の開いた道へ入り込む。
「……ぅ」
途端、花魁熊の縄張りに入ったスバルの嗅覚に、暴力的な花の香りが飛び込む。
それは砂蚯蚓と相対したときの腐臭のような悪臭とはまるで違うが、同じかそれ以上に不快なものだ。狭い部屋で香水をぶちまけたかのような、濃厚で鼻腔にこびりつくような甘い香り。暴力的なまでのそれは、スバルに吐き気と頭痛さえもたらした。
あれほど煩わしいと思っていた砂風でも構わない。この全身にまとわりつく毒のような香りを吹き飛ばしてくれるなら、と本気でそう思う。
そんなスバルの願いもむなしく、風のないまま、一行は花畑の奥へ奥へ進む。
「――っ」
ふいに、何かに気付いた様子でベアトリスがスバルの腕を軽く二回叩く。何か伝えたいことがあるときのサインだ。何事かと彼女の方を見れば、ベアトリスは無言で背後を指差しスバルに確認を求める。
花魁熊を刺激しないようにゆっくり振り向くと、ベアトリスの言わんとしていることがスバルにもすぐわかった。
メィリィの指示でどかした花魁熊たちが、竜車とパトラッシュの逃げ道を塞ぐように、元居た場所に戻り、再び休眠状態に入っていく。
戻るつもりはないにしても、これでは途中で停車することもままならない。無論、この魔獣の巣の中で休息を入れるなど、冗談でも遠慮したい話だが。
ベアトリスは無言でスバルの目を見つめ、判断を促す。スバルはそれに頷き、掌を見せる。続行のサインだ。後戻りが難しくなる可能性は、事前に想定していた。花魁熊たちがきちんとスバルたちの通行を待ってくれているのであれば、問題ない。
「――?」
そう思った直後、竜車の前進が停止した。
軽く身を乗り出して前を見れば、一頭の花魁熊が竜車の前に起き上がったまま静止し、その虚ろな目を御者台の二人へ向けていた。
「――――」
その一頭につられて、付近に板花魁熊たちも歩みを止める。そして、一頭、また一頭と視線を竜車に向ける。
――マズい、とスバルは直感的にそれを悟った。
振り返れば、花畑の突入地点からはすでに数百メートル進んでいる。後方の道は塞がれており、全方位を花魁熊に囲まれていることは明らかだ。そもそもの数の不利に加えて、囲まれれば処理は確実に追いつかなくなる。
「――――」
そうまで考えたところで、屋根の上にいるエミリアと視線が絡んだ。
エミリアもどういった対応を取るべきか判断に迷っているようだ。開戦が避けられないと判断した場合、誰かが声を上げ、事前に決めた通りに強行突破策に移る。すなわち、竜車の前方をエミリアの魔法で切り開き、そのまま駆け抜ける。
声を上げるという合図自体が開戦の合図になってしまうため、これは最終手段だ。タイミングを誤って早まりたくはない。
「し――」
そうして判断に迷うスバルたちの前で、最も冷静だったのはメィリィだった。
彼女は唇に指を当て、魔獣を前にして躊躇するスバルたちを先に落ち着かせる。それから彼女はその唇に当てた指を前に突き出し、自分を見る花魁熊を睨みつけた。
「ちっちっち」
突き出した指、そして舌を弾くような音がメィリィの唇から漏れ出す。
それはまるで、人が子猫をあやすときに出すような吐息だ。メィリィの指先は舌の音に合わせて揺れ、次第に花魁熊の視線は竜車にではなく、メィリィ個人に、そしてメィリィの指へと集まっていく。
「ちっちっち……ちぃー」
そのまま、指に花魁熊の焦点が合ったと確信を得たメィリィが、揺らしていた指ごと腕をゆっくりと竜車の右へ向ける。その腕の動きにつられるように、竜車を通せんぼしていた花魁熊は顔をそちらへ動かし、のそりと一歩を踏み出した。
「――ぉ」
花魁熊の、竜車を離れる素振りに思わず安堵の息がスバルの喉から漏れた。
身を固くしていたエミリアやベアトリスも、露骨な安堵に肩の力が抜ける。通せんぼしていた一頭が動くと、他の花魁熊もそれぞれの離れる動きに戻ろうとした。
ジャイアンも鼻息をもらし、かすかに身じろぎするのが見えた。突然の緊張状態から解放されて力が抜けるのは人も地竜も同じだ。
あちらはオットーに任せて、スバルはパトラッシュの顎の下辺りをゆっくりと撫でる。この状況でよく冷静でいてくれた、という想いを乗せて撫でると、凛とした目線が返ってくる。「まだ安心するには早いわよ」とでも言うかのようだった。
花魁熊たちが道を空けるのを確認すると、エミリアと視線を交わし、続行の合図を送る。エミリアは頷くと、それを御者台にいるユリウスに伝える。しばらくして、竜車はまたゆっくりと進みだす。
そこまで確認して、スバルは内心ホッと胸をなでおろす。どうなることかと思ったが、なんとかなりそうだ。見たところまだ花畑は続いているが、今のところ作戦は問題なく回っている。ここを抜ければ、監視塔はすぐだ。
竜車は停止と進行を繰り返し、ゆっくりだが確実に前へと進む。スバルたちが入った花畑の端はもう見えないほど遠くだ。だが同時に、向こう側の端らしきものが見えた。
このまま行ければ……そうスバルが思考した直後だった。
突如竜車から爆発のような音が響く。木材が割れるバキリという音とともに、スバルの目の前の車体が大きく傾く。
「エミ――」
ユリウスの声が聞こえたかと思うと、直後また爆発音。今度は竜車の前方、御者台の辺りから聞こえたような気がした。
「なに――」
「なにがあった」と聞こうとするスバルの目が、塔の中心が一瞬白く光ったのを捉えた。
――光が空を走り、それは竜車の前方を見ようと身を傾けたスバルの頭部に狙い違わず直撃する。
瞬間、ナツキ・スバルの首から上は衝撃に吹き飛び、それと気づく間もなく蒸発した。
その様子に悲鳴を上げる者はいない。
人も地竜も、既に光に貫かれていたから。
爆音で飛び起きた花魁熊たちが声を上げる。だが彼らも次々と同じ光に身体を貫かれ、血の海を作りながら絶命していく。プレアデス監視塔から降り注ぐ鉄槌は、人も魔獣も分け隔てなく全ての生き物を平等に殺戮していく。
スバル一行は、積み重なっていく花魁熊の死骸の海に埋もれていく。その重さに人体が押し潰され、骨がへし折れ、肉片へと変わっていく。
やがて、全ての死体はゆっくりと砂の中に引きずり込まれていく。彼らが生きた証である血の華さえも、全てを呑み込む砂の中に消える。
――一行はここに、全滅した。
【第6話での相違点】ジャイアンが緊張から暴れ出すのをスバルなしで止められた
今回の話はなろう版原作第六章9、10に相当しています。同じような展開はコピーを避けるため省いていますので、その部分は原作をご確認ください。
ちなみにジャイアンが暴れ出さなかった理由は、オットーに事前に説明されていたことと、オットーが適切になだめていたからです。さすがの『言霊の加護』と言えど無言の地竜の気持ちは読み取れないので、純粋に地竜の気質や気分を読み取る経験値の賜物と言えます。