Re:ゼロから始める異世界生活6章オットー同行if 作:樫ハット
――歪んでいた空間が戻ると同時に、世界は劣化したゴムのように千切れ、スバルたちは生じた裂け目の中に真っ逆さまに落ちていく。
すっかりそれに呑み込まれたスバルは、新月の夜のように暗い穴の中を落ちていく。もはや鼓膜には何の音も響いてこない。
最後に聞こえたのは自分が叫ぶ声と、誰かが自分を呼んでいた声。
今やそれも遠く、もう聞こえない。
触れ合っていたはずの感触も遠ざかり、もう手を伸ばしても届かない。
自分には何か手放してはいけない、大切なものがあった気がする。それを掴んでいなければ、何か恐ろしく悲しいことが起こるような気がする。
そんな混濁した意識は、深海から浮かび上がるように、少しずつ霧が晴れていくように、徐々に明瞭さを取り戻していく。
そして――、
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――いつまで寝ているの。いい加減に起きなさい、バルス」
「ぽろろっか!?」
脇腹に鋭い感触が突き刺さり、衝撃にスバルは悲鳴を上げた。
思わず上体を跳ねさせて起き上がると、体中にまとわりついた泥砂が埃のように舞い上がる。咳き込みむと同時に、口の中が砂利まみれになっていることに気づき、それを吐き出す。
「うぇ! ぺっぺ! かーっ! ぺっ! なんだ? どうなった!?」
乱暴に目を擦り、立ち上がりながら周囲を確認する。と、体重を乗せた足先が沈み、転びそうになったところに慌てて次の足を出しどうにか踏みとどまる。足下、それは変わらず、粒子の細かい砂の海だ。
そうして自分の足で立った途端、意識を失う直前のことが蘇る。スバルはここがアウグリア砂丘の延長であると判断する。しかし、見渡す周りの光景は判然としない。何故なら暗い、暗すぎるのだ。
手元すら危うい暗がりの中、スバルの目が捉えたのは人工的な光の存在だけ。今の時間帯は夜のはずだが、さっきまで月明かりで最低限の視界は確保されていたはずだった。
「この非常時によく寝入っていられるものだわ。呆れて物も言えないわね」
辛辣な声が降ってきて、光の持ち主は小さく鼻を鳴らす。
光を放っているのは魔石細工の一種で、ラグマイト鉱石を加工した照明はカンテラのような道具だ。その光に照らされる顔を見て、スバルは眉根を寄せた。
「――ラム、か?」
「他の誰に見えるの? レム、だなんてつまらない答えは期待していないわよ」
「……レムとお前は顔は似てても、内面から滲み出るもので似ても似つかねぇよ」
いつも以上に辛口に思えるラムの言葉に応じ、スバルは改めて膝を払う。それから彼女の差し出してくるカンテラを受け取り、軽くあたりを照らしながら見渡した。
「ここ、どこだ? 何があった?」
「ここがどこかはラムの方が知りたいぐらいね。何があったかについては、バルスの想像よりも三歩は悪いわよ」
ラムが持つ照明が壁を照らす。目測でそこまでの距離を見ると、スバルが思っていたより広い。視線を上に向ければ、うっすらと高い天井がある。どうやら空洞か何かの中に入り込んでいるらしい。
「外気を感じないし、空も見えない。どっかに放り込まれたってことか……?」
「分断される前のベアトリス様のお言葉が確かなら、空間の歪みが原因でしょうね」
「分断……そうだ、分断! 他の連中は!?」
淡々と、無感情なラムの言葉を聞いているうち、理解が現実に追いついた。
スバルは照明を右へ左へ動かし、ラム以外の人影を周りに求める。しかし、その証明に照らされる空間に、望んだ姿はどうやっても映り込んでくれなかった。
「落ち着きなさいバルス」
「これが落ち着いていられるかよ! 俺とお前がここにいるってことは……完全にランダムに分断されてるんだぞ!?」
あくまで冷静に返すラムに、スバルは青い顔で声を荒げる。
裂け目がスバルたち一行を呑み込む直前、スバルはベアトリスをしっかり抱えたままパトラッシュに跨っていたはずだ。そのときラムは竜車にいて、距離は遠かったはずだ。
「そうね。この分断だと、触れ合っていたことは同行する条件にはならないようだわ。裂け目に入り込む瞬間、ラムはレムを抱いていたはずだけど……この様だもの」
「俺にもベア子がしがみついてたはずだ。それなのに見当たらない……見当たってないよな? まさかここ、俺とラムしかいないのか? どういう組分けだよ」
直前に接触していたかどうか以外で、何らかの理由があるのだろうか。それとも最初の予想の通り、完全なランダムなのだろうか。
いや、そんなことを考えても仕方ない。重要なのはこれからどう行動すれば良いかを考えるべきだ。
「それより今はみんなとの合流を急がなきゃ……違う! もっとやらなきゃいけないことがある! レムだ!」
「――――」
「この組み合わせが完全にランダムだとしたら、一人になってる奴がいてもおかしくない。ユリウスとかだったらまだ何とかなるかもしれない。でもそれがレムなんてことになったら……最悪だ」
レムだけは完全に、他の面子と違って自立行動ができない。
仮に誰かと一緒であっても、眠り続ける彼女を守りながら行動するのは至難の業だ。そして最悪、分断されたレムがたった一人きりになっていたとしたら、それはこの寂しい砂の海で『死』を待つだけの存在となりかねない。
「俺たちが他のみんなと合流するのも大事だが、最優先はレムの確保だ! 俺はあいつを、こんな寂しい場所に置き去りになんかできない。それだけは絶対に……絶対にダメだ。絶対に、ダメだ……!」
「……バルス」
「俺が連れてくるなんて言ったから……『賢者』に会わせれば起こせるかもしれないなんて考えて、そのせいでこんなことに。ダメだ。絶対に、クソ、レムだけは……!」
「バルス、落ち着きなさい。今は焦っても……」
「なんでお前はそうやって落ち着いてんだよ! レムのことが記憶からすっぽ抜けてるからって、心配じゃないのかよ!?」
「――っ! そんなわけがないでしょう!」
最悪の可能性ばかりが脳裏に浮かび、頭を抱えてそれを吐き出すように並べ立てるスバル。あくまで落ち着き払い、スバルを諭すように振舞っていたラムが、ふいにその冷静さを失う。
彼女は焦燥と混乱に支配されているスバルの胸倉を掴むと、背後の砂の壁に強引に押し付けた。
「レムを心配しているのが自分だけだとでも思っているの? 図に乗るんじゃないわよ、バルス。実感がなくても、ラムはレムの姉よ。馬鹿にしないで」
「――――」
「……あの子とは、微かに繋がってる感覚がある。だから少なくとも今は無事よ。それだけ信じて、ひとまず落ち着きなさい」
感情を剥き出しにしている、と言うにはラムの表情は冷静だった。だがその瞳に隠し切れない焦燥と憂いがあるのを見て取り、スバルの思考が静まっていく。数秒の間をおいて、ラムの言葉が頭に届き、固くなっていた肩の力を抜く。それを察してラムも腕をどける。壁から解放され、スバルは俯いた。
「……悪い。ごめん。ホントに、今のは俺が馬鹿で最低だった」
「バルスが馬鹿なのは今に始まったことじゃないわ。当たり前のことを言っていないで役に立つことを考えなさい」
「……ああ、悪い」
その舌鋒がラムなりの手打ちの証と感じて、スバルは最後に一つだけ謝る。それから思いっきり自分の頬を叩いて、気合いを入れ直した。
今のところレムが無事であることはラムが保証したが、それがいつまで続くかもわからない。スバルとラムだけで探すのは限界がある。早く皆と合流し、協力して捜索しなければ。
……いや、ラムなら探せるかもしれない。
「そうだ、ラム、その共感覚でレムの居場所が分かったりしないか? それか『千里眼』だっけ? お前は覚えてないかもしれないけど、それで一度レムを探したこともあったはずだ。どうだ?」
期待を込めたスバルの視線に、しかしラムは首を振り、残念そうに答える。
「難しいわ。あの子が眠っているから、伝わってくるのは鼓動ぐらいなのよ。『千里眼』も、あまり当てにならないわね」
「どうしてだ?」
「『千里眼』はラムと波長が合わないと視界を借りれない。ここの魔獣とは相性が悪くて重ならないわ。できたとして地下生の魔獣に視界なんて期待できない。洞窟の中を『千里眼』で探すのは現実的じゃないわ」
「待て、それならパトラッシュとかジャイアンが誰かと一緒にいるかどうかなら確かめられないか? あいつらの視界から場所のヒントを見つけて、合流できるかもしれねぇ」
「……それは、あまり意味がないわ」
乗り気でないラムの態度に、スバルは首を傾げる。今は合流に向けて、一つでも多く情報が欲しいタイミングだ。
それなのにここでそれを渋る、ラムの心情が理解できない。この状況で身体的負担を理由に躊躇うようなタマじゃない。
だが、その真意を確かめる言葉を口にするよりも、答えが現れる方が早かった。
「――?」
ふいに視界の端に過ったのは、スバルの手にするカンテラとは別の光だ。
視界の端を過る光に嫌な記憶が鮮やかだったスバルはとっさに身をすくめるが、姿を見せた光はただ緩やかな動きに揺られるだけだった。
光は次第にこちらへ近付いてきて、やがてゆっくりとその輪郭が鮮明になると、
「ナツキさんも、ようやくお目覚めみたいですね」
「寝坊助さんやね。ナツキくんが一番最後やなんて」
「――オットーとアナスタシアに、パトラッシュ?」
聞き慣れた声にスバルはそちらを見上げて驚く。そこにいたのはパトラッシュの背に跨って揺られているアナスタシアと、手綱を持ち先導するように歩いているオットーだった。
「お帰りなさいませ、アナスタシア様、それとオットー。それで、周囲の様子は?」
「ちょぉっと奥まで見てきただけやけど、他の子ぉらは見当たらんね。ここいらに飛ばされたんはうちたち四人……と、パトラッシュちゃんだけみたいや」
「そう、ですか」
会話の流れで、スバルはかろうじてアナスタシアとオットーが周囲を見回っていたのだと判断する。
ひとまず二人と合流できてホッとしたところで、なぜそれを先に言わなかったのかとラムに訝しげな視線を向ける。
「おい、ラム。ここにいるのはお前と俺の二人だけじゃなかったのか? どういうことだよ、説明しろ」
「ラムは一度も、ラムとバルスの二人きりだなんて言った覚えはないわ。バルスが勝手にそう判断して興奮していただけでしょう。見苦しい」
「レムが心配すぎて配慮に欠けた、って言った方が可愛げがあるぞ、姉様」
「ハッ」
スバルの物言いに、ラムがいつもの調子で小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
ようやく元の調子が戻ってきたと思いつつ、スバルはオットーたちの方へ歩み寄る。
「ともかく、ここにいるメンバーだけでも無事で良かった。……念のため聞くけど、他に隠れてる奴はいないよな?」
「ええ、正真正銘パトラッシュちゃんと合わせてここにいる五人で間違いありません」
「意図的に隠れてなければ、やね。メィリィちゃんはちょっとわからんのやない?」
鞍に足をかけ、アナスタシアがおっかなびっくりパトラッシュから降りようとする。と、パトラッシュはその場にゆっくりとしゃがみ込み、降竜を手伝った。
さすが、できた地竜。イケ地竜である。雌だけど。
「この騒ぎに乗じて逃げ出してるかもってか。……ないとは言わねぇが、そんな素振りはなかったと思うけどな」
脳裏に三つ編みの少女を思い描き、スバルはメィリィの選択に考えを巡らせる。が、正直なところ彼女の行動原理や内心はいまいち掴み切れていない部分がある。都度気にはかけてきたつもりではあるが、あまり踏み込んだ話はしてこなかったからだ。
ともかく、その辺りは今いくら考えても埒が明かない。
「けど、それはしてない……と、俺は思ってたいよ」
だからスバルはとりあえず前向きな方に考えておくことにした。
「期待? それとも、まさか信頼なん?」
「願いってとこにしといてくれ。それより、周りはどうなってたんだ?」
メィリィに対するスタンスはさて置き、スバルは二人に捜索の報告を求める。ここから脱出するにせよ、この中で捜索するにせよ、情報がないと何も判断できない。
スバルの質問に、アナスタシアはローブの袂に手を入れて、「それがやねぇ」と首を傾げた。
「うちの見たところ、砂丘の中なんは間違いないんやけど……たぶん、ここって地下なんやと思うんよ」
「地下? 砂丘の中に地下空間があったってことか?」
「さすがに監視塔周辺ではありませんが、アウグリア砂丘内で地下空洞が確認された例は何件かあります。その可能性が高いと言えるでしょう。――となると問題は瘴気ですね」
「瘴気……あ」
言われてスバルも気づく。ここにエミリアとベアトリスがいないことの危険性に。
これまで二人が微精霊にはたらきかけて瘴気を浄化してくれていたわけだが、分断された今それは期待できない。今となっては遠い過去に感じる酒場の店主の話を信じるのであれば、このままではスバルたちは狂い死にする可能性すらある。
「ナツキさんも気づいたようですね。現状、僕たちは瘴気を浄化する手段がありません。幸い即座にどうこうなるような濃度というわけではないようですが、長居はしたくありませんね」
「同感やね。うちかて瘴気がはっきりわかるわけやないけど、空気が重たいんは感じるわ」
「それに加えて砂丘内部なら魔獣の危険もあるわね。……ここが砂蚯蚓の穴倉じゃないことを祈るわ」
「う……それは……」
考えられる話だ。
実際、地中に生息する砂蚯蚓の存在は目の当たりにしているし、メィリィの使役した個体の巨大さを考えれば、この空洞は十分な大きさがある。目のない砂蚯蚓がどういう生態をしているかを考えてみれば、この明かりのない空洞を根城にしているところが容易に想像できる。
「っていうかこのチーム、戦闘力に難ありすぎるだろ……俺とオットーにラムとアナスタシアって、わざわざ非戦闘員で固めたのか!?」
「エミリア様の騎士の身で、堂々と自分を非戦闘員扱い……これはダメね」
「現実を弁えてると言ってくれ。ベアトリスなしでバリバリ戦えるって自惚れるほど、俺は自分の鞭捌きに自信はねぇよ」
「僕も備えておいた魔石はいくつかありますが、耐久力の高い魔獣と出くわしたときどこまでやれるかどうか……ここには交渉できそうな動物もいませんし」
冗談めかして言ったものの、このメンバーでは本当に戦闘力に欠ける。さっき話題に上がった砂蚯蚓はおろか、花魁熊の一頭でさえ安定して倒せるとは言い難い。
「ちなみに、そのベアトリス様の安否や居場所は? 契約者なら繋がりを感じないの?」
「生憎、俺とベア子は心では強く結ばさってるが、現実的な感覚は伴わない。いや、前にベア子は俺を感じるって言ってたけど、俺からは無理だ」
「使えない」
「うるせぇよ」
といういつものようなやり取りを聞き流し、オットーは別の問題に目を向けさせる。
「今のうちに確認しておきたいのですが、ラムさんはあとどのくらい動けますか?」
なぜオットーに言われるまでそのことに思い当たらなかったのだろうか、とスバルは内心で自分を 責する。瘴気のタイムリミットとは別に、ラムのタイムリミットもあるということを忘れていた。
エミリアとベアトリスがここにいない以上、ラムに治療を施すこともできない。ロズワールの話では、無理すれば二日動けるとのことだったが……。
その問いかけにラムは目を伏せ、しばらくして嘆息する。
「ラムの体調は、あまり良いとは言えないわね。一、二時間でどうこうなるというものではないけれど……一日以内に合流したいところね」
ひとまず捜索行動がとれそうなレベルではあるようだ。状況は悪いが、最悪ではない。
もしラムが自力で動けなくなっても、パトラッシュがいてくれるから乗せて運ぶことができる。命さえ繋いでいてくれれば、スバルたちが何とかできる。
レムに関しても、ラムの能力があれば探し出すことは絶望的ではない。
まだ、何も失ってなんかいない。
「わかりました。油断はできませんが、ひとまず作戦行動はとれそうですね。パトラッシュちゃんもいるので、ラムさんの負担をなるべく軽減することもできそうです」
「ハッ。精々ラムの前にオットーたちがくたばる羽目にならないようになさい」
「瘴気のせいでそれが冗談じゃねぇのが怖ぇよ!」
ラムにツッコミを入れると、スバルはそっとアナスタシアに顔を寄せる。そしてここまでの会話を平然として聞いている彼女の横顔に小さく囁いた。
「ちなみに、お前は戦えるのか? どうなんだ?」
「――いざとなれば、もちろん戦うとも。ただ、それはアナの命を削ることと同義だ。ボクとしてはできるだけ避けたい。君たちに期待させてもらうよ」
「その期待は裏切られるぜ。良い意味か悪い意味かはわからねぇけどな」
一瞬だけ、エキドナの顔になったアナスタシアにスバルは鼻を鳴らした。
それから大人しく指示を待っていたパトラッシュへ顔を向け、その鼻先を掌で撫でる。漆黒の地竜は無言のまま身を寄せ、その固い鱗をスバルに擦り付けた。
「痛い痛い……けど、安心した。エミリアにベアトリスも抜き……でも、お前がいてホッとしたよ。けどお前がいてベアトリスがいないってことは、こりゃ本格的に組分けに意味がなさそうだな」
「――バルス。いつまでもジッとしていられないわ。他の人たちと合流するためにも移動しましょう。幸い、アナスタシア様のおかげで明かりはある。ラムたちは進めるわ」
パトラッシュと不安を分け合っているスバルに、ラムが呼びかける。
「竜車が呑まれる直前に、ナツキくんの用意してた非常袋だけ掴んだんよ。おかげで明かりと、ナイフと、非常食だけは持ち込めたわけやね」
「おぉ、そりゃありがたい」
スバルは念のため、『非常持出し用』として、緊急時に必要となるであろう水、食料、ナイフ、明かりなどを竜車に備えていた。
役立つ機会がこなければ、と思いつつも役立った現状にホッとする。
「そういや遭難したときその場から動くのって捜索隊とすれ違うフラグじゃね? よく聞く話だと、遭難したときはその場から動かないってのがベストらしいし。さっきまで焦って捜索を提案してた俺が言うのも説得力ないかもしれないけどな」
「待っていれば捜索隊があっちから来るという保証があるならそうするわ。けれどこの状況で本気でそれを期待しているのなら、バルスの頭はいささか能天気に過ぎるわね」
「いや俺も言ってみただけだけどね!?」
言い方はともかく、ラムの言い分は真っ当だ。遭難したら動くな、というのはあくまで現代の山林とかで遭難したときの話だ。異世界の、しかも魔獣が巣くっているかもしれない空洞内部でそれを実行するのは愚策だと言える。
「ですがエミリア様たちとすれ違ってしまう可能性は確かに無視できませんね。何か僕たちがいた目印となるものを置いておくくらいはすべきでしょうか」
「俺の地元だとこういうときは歩いた跡にパンくずか何かを置いてくってのが定番だが……」
「ただでさえ限られている食料を無駄に消費するなんて、バルスは死にたいの?」
「別にそうしろって言ってるわけじゃねぇよ!」
「エミリア様がいらっしゃれば氷で目印を作ることもできたのでしょうけど……」
「ないものねだりしても仕方ねぇ。何かありもんで目印にできそうなのは……」
そう言いながら周囲を見渡すスバルの目に留まったのは、スバルが倒れていたところに流れ込んでいた小さな砂山だ。悩むオットーを尻目にスバルはそこまで歩いて行き、手ですくう。
「これでいいんじゃねぇか? いくらでもあるし、形も作りやすい」
「砂ですか? この空洞の岩肌と多少色合いが違うとはいえ、砂なんてどこにでもあるものでは紛れるのでは?」
「だから、特別な模様を作る。偶然できたと思われない程度の複雑さで、かつ俺らが進んだ先がわかるような目印……こんなもんでどうだ?」
そう言いつつ、スバルはすくった砂で矢印を床に描く。
「これならお手軽やね。ええんとちゃう? 砂なんてあちこちにあるし」
「なるほど、この空洞は風こそありますが弱いですし、十分かもしれませんね」
「だろ?」
「バルス、砂遊びした手でラムたちに触らないようにしなさい」
「遊びじゃねぇよ! お前らのために手を汚してやってるんだっつの!」
相変わらずのラムの反応に苦笑いしつつ、「では行きましょうか」と言い、オットーは先導するように空洞の奥へと歩き出す。
まるで状況を忘れたような、スバルとラムの軽口と言い合い――それはきっと、互いの心の中にある不安を直視しないように、空回りするほど虚勢を張っただけ。
そのことはたぶん、二人とも気付いていて、何も言わなかったけれど。
【第8話での相違点】空洞遭難非戦闘員組にオットーが増えた
今回の話はなろう版原作第六章13前半に相当しています。同じような展開はコピーを避けるため省いていますので、その部分は原作をご確認ください。
思ったより長くなったので分割することにしました。