プロローグ『救い手なき世界の招待状』
目が霞んでいき、意識が遠のいていく
俺がこの世界で最後に見た景色は仄かに暖かい夜明けの光だった。
「お見事でした、希代のトリックスター。貴方は自らの命を賭して、見事に破滅を退けることができました」
音もなく、風もないただ足元の青い石畳だけが実在し、周囲は星すらも飲み込む深い闇でおおわれているここはベルベットルーム
目の間にいる少女の名前はラヴェンツァ、主なきベルベットルームの管理人であり更生の旅をアシストしてくれた人物だ。
「……アイツらは、笑ってるか?」
「……はい。皆、涙を拭い、貴方が守った現実を懸命に生きています」
命を犠牲にしたことに後悔はないが気がかりはあった。だが笑って生きてるならいいそれだけで命を賭けた価値がある。
「本来であればここで貴方の旅路は終わりを迎えるはずでした」
「ですが、多重層的に重なる運命の彼方……ある世界において、重大な『欠損』が生じました。本来、いくつもの死を超えて希望を掴むはずだった一人の少年が、その地平に現れなかったのです」
「観測される結末は、ただ一つ。完全なる『破滅』。無力な少女は絶望に沈み、傲慢な理想がすべてを塗り潰していくでしょう」
いくつもの死・絶望・傲慢な理想・破滅、とんでもない世界があったもんだ。
「……その世界には、救う価値があるのか?」
「価値があるかは分かりません。ですが……誰にも聞き届けられないまま、消えていく『叫び』が、そこには満ちています」
「消えていく『叫び』か……」
俺の戦いは終わった。
これ以上辛い思いをしてまで戦う必要ないはず、たが
「……一つ聞かせろ、ラヴェンツァ。その世界に行ったとして、俺のペルソナは使えるのか?」
「制限はあります。貴方の魂と深く結びついたワイルドの力……複数のペルソナを操る能力は健在です。しかし、あなた自身に眠るペルソナの力は一度リセットされます」
「それに」とラヴェンツァは言葉を続けた。
「かの世界には固有の法則があります。強大な魔女たち、獣のような亜人、そして……『死に戻り』と呼ばれる呪いにも似た祝福。貴方がその役割を担うことになるかは、私にも分かりません」
「……その少女は」
なぜか、そう聞いていた。
「無力な少女、だったか。そいつは何を望んでる?」
ラヴェンツァの瞳が微かに揺れた。
「彼女は……皆に、等しく幸せになってほしいと願っています。たとえ自分がその輪の中にいられなくても」
──ああ、クソ。
それは俺がよく知っている願いだ。 自分を犠牲にしてでも誰かを守りたいと願う、馬鹿で、愚かで、どうしようもなく眩しいやつの願い。
「ラヴェンツァ、取引成立だ。その世界に向かう」
足元の石畳が、ひときわ大きく鳴動した。
「……承知いたしました。では、これより貴方の魂を、新たな器へと移送します」
ラヴェンツァが深々と頭を下げる。その際、彼女は職務としての仮面を脱ぎ、一人の少女としての本音を漏らした。
「……最後に、これだけは言わせてください。
貴方は、あの方が認め、そして私が心から敬愛した最高のお客様です。
……どうか、新しい世界で『誰かのため』だけに、その身を使い果たさないでください。
貴方自身が救われない結末など……私は、認められません」
消えゆく足元。重力から解き放たれ、闇へと落ちていく体。
その刹那、俺は一つだけ、彼女に尋ねた。
「……ラヴェンツァ。あっちの
俺の問いに、彼女はこの日一番の、花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「ええ、もちろんです。……貴方の『更生』、最後まで付き合わせていただきます。」
胸元に、一枚のタロットカードが吸い込まれていく。
描かれているのは、崖っぷちに立つ『愚者』。
「……更生、開始といったところか」
意識が真っ白に染まり、次に目を開けた時——。
肺を焼くような異世界の空気と、鼻を突く家畜の濃厚な臭いだった。