Re:ペルソナ使いが行く更生生活   作:スロースラッフ

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第1話 『愚者の再生』

意識の底から這い上がる。

最初に感じたのは、肺を焼くような異世界の空気と、鼻を突く家畜の濃厚な臭いだった。

 

「……あぁ。本当に、来ちまったのか」

重い瞼を持ち上げると、そこは見知らぬ石造りの建物が並ぶ、活気に満ちた大通りのすぐ脇にある路地裏だった。視界の端を、二足歩行する大きなトカゲが荷車を引いて通り過ぎていく。

レイジは壁に背を預け、ずるずると立ち上がった。身体は重く、かつて世界を救った際にその身を巡っていた強大なSPも、ペルソナの気配も、今の彼には微塵も感じられない。

だが、足元に転がっていた「それ」を見た瞬間、レイジの瞳に微かな熱が宿った。

 

「お前も、一緒だったのか」

それは、あちこちの鞘が削れ、光沢を失った一振りの刀だった。

レイジは屈み込み、泥に汚れかけた柄を手に取る。

 

かつては神話の光を宿し、幾多の強敵を斬り伏せてきた名刀『天羽々斬』。

だが、今のそれは見る影もない。

鞘はひび割れ、抜かずとも分かるほど刀身は錆びついている。今のレイジの魂と同様に、力の大半を失い、ただの「鉄屑」へと成り下がった無残な姿。

 

レイジは指先で、ひどく馴染んだ柄の感触をなぞった。

「今の俺とお似合いだな。ボロボロで、なまくらで……捨てるには、少しだけ長く付き合いすぎた」

 

独白は、誰に届くこともなく王都の喧騒に消えていく。

レイジは自嘲気味に口角を上げると、その鉄屑を腰に差した。

かつての輝きはない。重さだけが、今の彼に「生きている」ことを実感させる。

 

「悪いな。安らかな眠りを邪魔しちまって。……あと少しだけ、俺の『更生』に付き合え」

腰に差した刀の重みが、不思議と冷え切った胸の奥に灯をともす。

 

レイジは懐に、真っ白なままの『愚者』のカードが一枚あることを確認し、ゆっくりと路地裏から光の中へと踏み出した。

そこへ、騒々しい足音と、下卑た笑い声が近づいてくる。

 

「おい、そこの! 見ねぇ格好だな、身ぐるみ置いていきな!」

レイジは足を止めず、けだるげに視線を向けた。

「……更生初日から、これか。世界が変わっても、クズの台詞は変わらねぇんだな」

 

レイジは足を止めず、けだるげに視線を向けた。

その瞳に宿る、数多の死線を超えてきた者特有の冷たい光。それに射すくめられた小男が、一瞬だけ呼吸を忘れたように硬直する。

 

「あ、あぁん!? 何ブツブツ言ってやがる、死にてぇのか!」

長身の男が、威嚇するようにナイフを突き出した。

だが、レイジにとっては止まっているも同然だった。

男が踏み込むより早く、レイジの姿が揺らぐ。

 

「え——」

男が視界からレイジを見失った刹那、その手首に冷たい感触が走った。レイジは流れるような動作で男の腕を掴み、その力を利用して合気の要領で投げ飛ばす。

 

「カハッ!?」

石畳に叩きつけられた長身の男が、受け身も取れずに肺の空気を吐き出した。

「お、おい! この野郎ッ!」

小太りの男が棍棒を振り上げる。レイジはそれを避けることすらしない。

 

一歩。

 

男の懐、その「死角」へ滑り込む。

振り下ろされる棍棒を紙一重でかわすと同時に、レイジの掌が男の顎を真下から跳ね上げた。

——掌打。

脳を揺らす衝撃に、男の意識は一瞬で白濁し、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 

「ひ……っ、化け物かよ!」

最後の一人、小男が恐怖に顔を歪めてナイフを振り回す。

レイジはそれを、感情の欠落した瞳で見つめたまま、ただ右手を差し出した。

男がナイフを突き出した瞬間、レイジはその手首を掴み、指一本一本に正確な圧力をかける。

 

「あ、がああああッ!?」

パキリ、と指の関節が鳴る音。ナイフが地面に落ち、男がその場に膝をつく。

レイジは男の襟首を掴んで、自分の方へ引き寄せた。

 

「更生っていうのは、痛みから始まるもんだ。覚えておけ」

冷徹な一言。

そのまま男の鳩尾に膝を叩き込み、静寂を路地裏に取り戻す。

レイジは息一つ乱さず、腰のなまくら刀に手を置いた。

 

「……腕が鈍ってるな。今の突き、あと数ミリ深く入るべきだった」

自嘲気味に呟き、再び歩き出そうとしたその時。

 

背後の屋根から、軽やかな足音がと場違いなほど澄んだ少女の声だった。

「待ちなさい、泥棒さん!……って、えっ?」

 

屋根を伝って逃げる少女を追って路地裏に飛び込んできたのは、銀髪をなびかせた少女だった。

彼女の瞳が、地面に転がる三人の男たちと、その中央で冷然と立ち尽くすレイジを捉える。

 

「え、ええと……あなたがやっつけちゃったの?」

 

「こいつらが勝手に転んだだけだ。気にするな」

 

レイジは懐に手を入れ、興味なさげに視線を外した。関わりたくない。かつて世界を救った経験が、彼に「これ以上首を突っ込むな」と警告している。

だが、少女は引き下がらなかった。

「待って! ……私、サテラ。悪いけど、この辺りで女の子を見なかった?大事なものを盗られちゃって」

 

「サテラ」

 

その名を聞いた瞬間、レイジの瞳が微かに細まった。

ルグニカという世界において、その名が何を意味するか――この世界に転生する際、最低限の一般常識が詰め込まれている。その常識の中にサテラという名前は「嫌われ者の象徴」であるとあった。そして何より、彼女の震える声。

彼女は嘘をつくときだけ、あからさまに声が上ずり、視線が泳いでいた。

 

「……サテラ、ね。あんた、嘘をつく時だけ声が上ずるな。更生が必要なレベルだぞ」

 

「えっ、あ、うそ……っ」

 

慌てて口を押さえる彼女を見て、レイジは深い溜息をついた。

嫌われ者の名を騙ってまで人を遠ざけようとする、不器用すぎる善意。それは、前世で大衆から嫌われていた自分を強く思い出していた。

 

「おや、リアをいじめるのは勘弁してほしいな。彼女、これでもすごく傷つきやすいんだから」

 

エミリアの肩口から、ふわりと小さな白い影が浮かび上がった。

灰色の毛並みを持つ精霊、パック。

レイジは驚く風もなく、ただ面倒そうにその小さな猫を見据える。

 

「……猫か。それも、ずいぶんと口の減らない精霊だ」

 

「はは、手厳しいね。君、その腰のボロ刀……まるで自分自身の魂を差してるみたいだ」

パックの瞳が、精霊特有の鋭さでレイジの「魂」を覗き込もうとする。マナの気配が一切ないにもかかわらず、その身に纏う圧倒的な「格」。

 

「精霊ってのは、他人のプライバシーを覗き見るのが趣味なのか?更生が必要なのはあんたの方かもしれないな」

 

「……ふふ、気に入ったよ、リアの護衛を任せるには少しばかり胡散臭いけど……君のその諦めのわるそうな魂に期待させてもらうかな」

 

レイジは鼻を鳴らし、折れた愛刀の柄を一度だけ確かめるように握った。

「……レイジだ。ほら、行くぞ。その盗まれた『大事なもん』、さっさと見つけねぇと寝覚めが悪い」

こうして、かつて世界を救ったペルソナ使いと、銀髪の嘘つき、そして一匹の精霊の奇妙な旅が始まった。

 


 

王都の大通りは、人と亜人の熱気で溢れていた。

レイジはエミリアの半歩先を歩きながら、無意識に彼女を群衆から守るように、外側へと誘導していた。

 

「ねえ、レイジ。あっちのお店で聞いてみようと思うんだけど……」

 

「いや、あそこはやめておけ。主人の目が泳いでる。あいつは情報を売るより、カモを探してる目だ」

レイジは一度も足を止めず、鋭い視線を周囲に走らせる。

 

「……すごーい。レイジって探偵さんみたい!」

 

「……ただの経験則だ。生きてりゃ嫌でも覚える」

エミリアの無邪気な感心に、レイジは気恥ずかしさを隠すように鼻を鳴らした。そんな彼の背中を見つめながら、宙を舞うパックがクスクスと笑う。

 

「へぇ……。君、口では突き放してるけど、歩き方は一流の護衛様だ。無駄がないし、リアへの配慮も完璧。君、本当にただの浪人者じゃないだろ?」

 

「猫は黙ってろ。経験則といったろ」

聞き込みを始めて数時間。レイジは、通りすがりの子供の動きや、裏路地へ消える影の落とし方を冷徹に観察していた。やがて、彼は一つの淀んだ一画を指差した。

 

「……あっちだ。逃げ慣れてる奴特有の足運び。それに、あっちの連中は『異分子』を警戒してやがる。あんたの徽章を盗んだガキ、あの貧民街に逃げ込んだな」

 

「貧民街……。あんまりいい噂を聞かない場所ね」

エミリアが少し不安げに身を固くする。それを見たレイジは、腰に差したなまくら刀の柄に手を置いた。

 

「あんたが望むなら、ここで待っててもいいぞ。俺が一人で行って、取ってきてやる」

 

「ううん、私も行くわ! 私のせいでレイジに危ない思いをさせるわけにいかないもの」

レイジは、彼女のそんな「馬鹿正直な善性」に、かつての自分が救おうとした世界の断片を見た。

「……勝手にしろ。ただし、俺の背後から離れるなよ。」

夕闇が迫り、王都が橙色に染まり始める。三人は、光の消えゆく貧民街の入り口へと足を踏み入れた。

 

貧民街へ向かう直前、市場の端を通った時のことだ。

 

エミリアがふと、足を止めた。彼女の視線の先には、色鮮やかな真っ赤な果実――リンガが山積みにされた露店があった。

 

「……お腹、空いたのか?」

 

「えっ? あ、ううん! 違うの。ただ、すごく綺麗だなって思って……」

 

エミリアは慌てて首を振るが、その実、朝から何も食べずに徽章を追っていた彼女の体は限界に近い。ぐぅ、と小さく鳴りかけたお腹の音を、パックがクスクスと笑って茶化す。

 

「リアは嘘が下手だねぇ。レイジ、この子、放っておくと空腹で倒れるまで走り続けちゃうよ?」

 

「……ハァ。更生プログラムに『栄養管理』まで入れるつもりはなかったんだがな」

レイジは溜息をつき、懐から数枚の銅貨を取り出した。転生した際に、ラヴェンツァが「最低限の路銀」として忍ばせておいてくれたものだ。

彼は無造作にリンガを二つ買い、その一つをエミリアの手に押し付けた。

 

「ほら。……食え。あんたに倒れられたら、俺の寝覚めが最悪になる」

 

「え、でも、これはレイジのお金でしょ? 私、悪いわ……」

 

「うるさい。いいから受け取れ。……それと、ほら、顔に汚れがついてるぞ」

 

レイジはエミリアが返そうとするのを無視し、自分の手拭いで、彼女の頬についた煤を乱暴に、けれど痛みを感じさせない絶妙な力加減で拭った。

 

「レイジ……」

 

「あんたは、笑ってる方がマシだ。そんなに悲壮な顔をしてたら、せっかくの綺麗な髪が台無しだぞ」

 

ぶっきらぼうに言い捨て、レイジはリンガを一口齧りながら、先に歩き出した。

耳まで赤くして固まるエミリアの背後で、パックがレイジにだけ聞こえるような声で囁く。

 

「……ねえ、レイジ。君、本当は『誰かが泣いているのが嫌い』なだけだろ? 隠さなくていいのに」

 

「リンガの皮でも詰まらせて黙ってろ」

レイジは照れ隠しに歩調を速める。

夕日に照らされた彼の背中は、どこか寂しげで、けれど誰よりも頼もしくエミリアの瞳に映っていた。

 


 

貧民街(スラム)の湿った空気が、三人の肌にまとわりつく。

エミリアの白銀の髪はフードを被っていてもここではあまりに目立ちすぎた、暗がりから覗く無数の「悪意」が、獲物を狙う獣の視線となって突き刺さる。

 

「おやおや、綺麗な嬢ちゃんだ。こんなところに何の用だい?」

 

路地の影から、一人の筋骨逞しい亜人が、数人の手下を連れて這い出してきた。手には錆びついた手斧。エミリアが小さく息を呑み、パックが守護のためにマナを練り始めた瞬間――。

レイジが、一歩前に出た。

 

「失せろ」

 

ただの一言。だが、その声は地を這うような低音で、路地全体の温度を数度下げたかのような錯覚を呼び起こす。

 

「あぁん? 何だテメェ、そのボロ刀を差して……ぎっ、!?」

亜人が言い終わる前に、レイジの「眼」が彼を射抜いた。

それは怒りでも、憎しみでもない。数え切れないほどの戦場を渡り、神さえも討ち果たしてきた者だけが持つ、「死そのもの」を内包した絶対的な虚無の眼だ。

 

レイジは抜刀せず、ただ一歩、無造作に踏み込んだ。

それだけで、男たちの生存本能が警鐘を乱打する。目の前の男が、単なる人間ではなく、触れれば即座に「終わり」を迎える底なしの淵に見えたのだ。

 

「……二度は言わない。……これ以上、俺の視界を汚すな」

レイジは腰のなまくら刀の柄に、そっと手を置いた。

その瞬間、亜人の頭の中に「自分がバラバラに切り刻まれる未来」が鮮明な幻覚となって過る。ペルソナ使いが放つ、無意識の精神圧――殺気による「威圧」だ。

 

「……っ、ヒ、ヒィイイッ!」

武器を構えていたはずの男たちが、悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。戦う以前の問題。彼らの心は、レイジの眼を見た瞬間にへし折られていた。

 

「……ふぅ。やれやれ、相変わらず無茶苦茶な覇気だね、君は。精霊の僕でも、今のは少し毛が逆立ったよ」

パックが冷や汗を拭うような仕草で茶化すが、その瞳には隠しきれない警戒の色がある。

 

「レイジ……大丈夫? 今の人たち、すごく怖がってたみたいだけど……」

 

「……構うな。害虫は、叩き潰すより追い払う方が掃除が楽だ」

レイジは冷たく言い捨てると、再び歩き出した。

だが、その背中を見つめるエミリアの目には、恐れではなく、自分を守るために「牙」を剥いてくれた男への、不思議な信頼が宿り始めていた。

 

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