ネイティブ少女のスラムの世界へようこそ 作:Geminiちゃん痛くしないで
入学式
Side:綾小路
高度育成高等学校。進学率・就職率100%を誇り、国が威信をかけて設立したというこの学園は、外見こそ華やかだが、その実態は「実力」という名の冷徹な物差しですべてが決まる閉鎖空間だ。
1年Dクラス。初めて足を踏み入れたその教室は、若者特有の根拠のない期待と、知らない者同士が探り合う微かな緊張感で満たされていた。担任である茶柱佐枝が、学園のシステムについて最低限の説明を終え、その冷ややかな背中を向けて去っていった直後。
クラスの「均衡」を破る最初の一歩を踏み出したのは、平田洋介という男だった。
「これから3年間一緒に過ごす仲間として、自己紹介をするのはどうかな?」
屈託のない、それでいて押し付けがましくない爽やかな笑顔。彼は天性のリーダーシップでクラスの空気を掌握し、賛同を得た。前方の席から順に、当たり障りのない挨拶が続いていく。ある者は緊張し、ある者は自分を大きく見せようと虚勢を張り、またある者は退屈そうにそれを受け流す。
そして、彼女の番が回ってきた。
「皆さん、初めまして! 白雪ひなです。アメリカから帰ってきたばかりで、まだ日本のことに慣れてないけど、皆と仲良くなりたいな!」
その瞬間、教室内が一段階明るくなったかのような錯覚を覚えた。
透き通るようなソプラノ・ボイス。窓から差し込む春の陽光を反射して輝く、柔らかなプラチナブロンド。そして、見つめられるだけで自分の心の汚れを突きつけられるような、どこまでも純真無垢な青い瞳。
彼女が立ち上がっただけで、池や山内といった連中は鼻の下を伸ばし、前のめりになって彼女を凝視している。まさに、宗教画から抜け出してきた「天使」そのものだった。
隣の席の堀北鈴音でさえ、わずかに眉を動かして彼女の美貌を認めざるを得ないといった表情を浮かべている。
だが、直後に教室の温度が数度下がった——俺だけは、そう感じた。
彼女が浮かべた、これ以上ないほど「無防備な微笑み」の裏側に、何か得体の知れない熱風が潜んでいることに、俺の直感が警鐘を鳴らしていた。
「えへへ、ちょっと緊張しちゃうけど……」
ひなは頬を赤らめ、はにかむように微笑むと、突然その華奢な喉から、地獄の最下層を揺るがすような「咆哮」を解き放った。もちろん、発音は完璧なネイティブ。しかし、その語彙は「教育」という概念を根底から灰にするものだった。
「I'm just a little fucking nervous, you know? But I'm gonna try my best to be a good fucking friend to you goddamn motherfuckers! Suck my metaphorical dick, world! Stay gold, you little pieces of shit! Peace out!」
(訳:ちょっとクソ緊張してるんだけど、わかる? でも、あんたたちクソ野郎共にとってクソ最高の友達になれるよう全力を尽くすよ! 世界よ、私の(比喩的な)イチモツをしゃぶりやがれ! そのまま輝き続けろよ、このクソ共! あばよ!)
「…………っ」
俺は、思わずわずかに目を見開いた。
今、この可憐な少女は何と言った?
『motherfucker』や『pieces of shit』だけではない。相手の存在を否定し、社会的な死を宣告するような、戦場や刑務所、あるいはドラッグが支配するスラムの深淵でしか耳にしないような罵倒の詰め合わせ。
それを彼女は、まるで賛美歌を歌うかのような清らかな表情で、一切の悪意を排した「善意の挨拶」として言い放ったのだ。
しかし、教室内を見渡すと、状況はさらに奇妙な方向へと転がっていた。
「うおおお! 発音マジですげえええ!!」
「カッケー! 本場の英語は迫力が違うな!」
池や山内をはじめとする「英語の成績が芳しくない」大半の生徒たちは、言葉の意味を1ミリも理解していなかった。彼らにとって、それはただの「格好いい帰国子女の流暢な挨拶」でしかなかったのだ。彼らは盛大な拍手を送り、ひなの「フレンドリーな挨拶」を歓迎している。
対照的に、一部の生徒たちの反応は劇的だった。
・堀北・幸村・松下
彼、彼女たちは、自分の知性がバグを起こしたかのような顔をしていた。
「……今の、聞き間違いじゃないわよね? 明らかに、言ってはいけない単語が1ダースほど混じっていなかったかしら?」
「いや、空耳だろう……あんな美しい子が、そんな汚物を吐くはずがない……」
幸村は青ざめた顔で眼鏡をクイと上げ、何度もひなを三度見した挙句、無理やり「アメリカの最新の流行語か何かだ」と自分を納得させていた。松下に至っては、あまりの衝撃に持っていたシャーペンを落としたことにさえ気づいていない。
・高円寺六助
「フッ……ククク。実に、実にエキサイティングなGirlだね」
相変わらず手鏡で自分の髪を整えていた高円寺が、珍しく楽しそうに肩を揺らして笑っている。彼はひなの言葉を100%理解し、そのギャップを「美」として楽しんでいるようだった。彼は内心で、彼女に『スラムの妖精(スラム・フェアリー)』という、不名誉極まりない称号を授けていた。
・王美雨
英語が堪能な彼女は、もはや恐怖でガタガタと震えていた。
(見た目はあんなに可愛いのに……内面はマフィアのボスなのかな……? 私、殺されるのかな……?)
彼女にとって、ひなの笑顔は「慈悲なき捕食者の微笑」にしか見えなくなっていた。
自己紹介の時間が終わり、短い休憩時間に入ると、すぐに動きがあった。
クラスのアイドル的存在を目指しているであろう櫛田桔梗が、人当たりの良い笑みを浮かべて白雪ひなに歩み寄った。
「ひなちゃん! さっきの英語、すっごく格好良かったね! 私もいつか海外に行ってみたいから、今の内容をもう一回喋ってくれるかな? 覚えたいから、スマホで録音してもいい?」
櫛田の笑顔は、傍目には完璧だった。だが、俺の位置からは、その瞳の奥に潜む冷徹な分析の光が見えた。彼女は、白雪ひなという存在の「裏」を暴こうとしているのだ。あの罵倒が計算なのか、それとも本性なのかを確認し、弱みを握るための録音。
対する白雪ひなは、太陽のような明るさで応えた。
「もちろん! 嬉しいな! 私の英語で良ければ、いくらでも録音してよ。パパが言ってたんだ、最高の言葉は皆でシェアするものだって!」
「……パパが?」
白雪ひなには、一ミリの悪意も、計算も、裏表もない。彼女は心から、自分が教わった「最高の(呪われた)言葉」が、クラスの仲間との絆を深めると信じ込んでいる。
これほどまでに純粋な「悪意なき破壊」を、果たして櫛田は制御できるのか。
俺は、自分の席から、クラスメイトと楽しそうに(そして罵詈雑言を交えながら)談笑する白雪ひなの横顔を、静かに観察し続けた。
あの天使のようなビジュアル。
日本語で話す時の、保護欲を掻き立てる愛らしさ。
そして、呼吸するように、あるいは「ありがとう」と言うような気軽さで吐き出される、地獄の底を煮詰めたようなスラングの数々。
彼女を育てた「パパ」とやらは、一体どのような人物で、どのような意図で彼女にこの「言語体系」を授けたのか。
もしこれが、彼女の育った環境による「無意識の産物」であるならば、彼女は学園生活における最大の「予測不能な爆弾(ワイルドカード)」となるだろう。
「……面白いな」
独り言のように、俺は小さく呟いた。
この学園は、実力を測る場所だ。しかし、彼女が持ち込んだ「実力」は、既存の評価基準では測りきれない種類のものだ。
彼女の放つ「Stay gold, you piece of shit」という言葉。
それがこのDクラスという掃き溜めに、どのような化学反応を引き起こすのか。
退屈だと思っていたこの学園生活が、予定よりも遥かに賑やかに、そして暴力的に加速していく予感を、俺は密かに楽しんでいた。
ちなみに、その日の放課後。彼女が俺に歩み寄ってきて、「Hey, you dull-looking motherfucker! Let's go grab some goddamn tea!(ねえ、そこの死んだ魚の目をしたクソ野郎! クソお茶でもしに行こうよ!)」と誘ってきた時、俺が人生で初めて「逃走」という選択肢を真剣に検討したことは、誰にも言うつもりはない。
Side:櫛田
入学式の喧騒が去り、高度育成高等学校が提供する学生寮の自室。
私は、清潔感の漂うベッドの上で一人、スマホの画面を見つめていた。今日という日は、私の新しい人生のスタートライン。Dクラスという「問題児の掃き溜め」に配属されたのは計算外だったけれど、まずは全員と仲良くなり、クラスの「絶対的な善意の象徴」としての地位を築かなければならない。
今日の自己紹介。個性派揃いの生徒たちの中でも、ひときわ異彩を放っていたのは、やはり白雪ひなちゃんだった。
あの、魂まで浄化されそうな透き通った美貌。そして、教室中の空気を震わせた圧倒的なネイティブ・イングリッシュ。
「ひなちゃん、あんなに幸せそうな顔をして、一体なんて言ってたのかな……」
私は昼休み、彼女を言いくるめて録音させてもらった音声を再生した。
表向きは「仲良くなるための材料探し」。彼女の素敵な言葉を翻訳し、それを褒めちぎることで、クラスのツートップとしての絆を固める。それが私の戦略だった。
だが、最新の翻訳AIアプリにその音声を読み込ませ、解析結果が表示された瞬間。
私の思考回路は、文字通り「物理的に」停止した。
【AIによる詳細翻訳・コンテキスト分析結果】
「ちょっとクソ緊張してるんだけど、わかる? でも、あんたたちクソ野郎共にとってクソ最高の友達になれるよう頑張るよ! 世界よ、私の(比喩的な)イチモツをしゃぶりやがれ! そのまま輝き続けろよ、このクソ共! あばよ!」
「……………………は?」
一秒。二秒。
網膜に焼き付いたその文字列が、私の脳内に「言語」として定着した瞬間。
私の喉から、普段の、あの「可愛くて優しい櫛田桔梗」なら絶対に出さないような、地鳴りのような叫びが迸った。
「なんじゃこりゃあああああああああーーーーーっ!!??」
最新鋭の防音設備を誇るはずの学園の壁を容易く貫通し、隣の部屋の住人の安眠を確実に妨害しそうなほどの絶叫。
心臓が警鐘のようにバクバクと鳴り響いている。
放送禁止用語? そんな生易しいものじゃない。これはもはや「言語による大量虐殺」だ。あの子、あの聖母のような顔をして、初対面のクラスメイト全員を「家畜以下のクソ」呼ばわりし、あろうことか世界そのものに対して最悪の下ネタを笑顔で叩きつけていたというのか!?
「はあ……はあ……っ。……嘘。嘘でしょ。マズすぎるでしょ、これ……」
私は荒い息を整えながら、震える手でスマホを握りしめた。
私の完璧な「良い子ちゃん計画」が、初日からとんでもない爆弾と手を組まされていた。もし、この翻訳結果が他の生徒にバレたら? クラスの規律は崩壊し、彼女は即座に学園を追放されるか、良くて村八分だ。
しかし。
暗い部屋の中で、私の高鳴る鼓動が少しずつ「別の色」を帯びていく。
恐怖と混乱が引いた後、私の口角は、自分でも制御できないほど不気味に吊り上がっていった。
(……ふふっ。あははは! しめしめ……。とんでもない『弱み』を握っちゃったじゃない……!)
あんなに「天使だ」「妖精だ」と、男子たちが鼻の下を伸ばして騒ぎ立てている白雪ひなの正体が、実はデトロイトの最深部から来たような「スラムの狂犬」だったなんて。
でも、同時にある光景が脳裏に蘇った。
今日の教室。あんなにも汚濁に満ちた罵倒を浴びせられていたのに、池や山内といった馬鹿たちは、顔を紅潮させて「カッケー!」と拍手喝采を送っていた。
(……そう。そうなのよ。このクラスの低能たちには、英語ならどんな汚い言葉をぶつけても、バレないんだわ……)
その瞬間、私の中に電撃のような閃きが走った。
これは、私にとって「究極のストレス解消法」になるのではないか?
毎日毎日、へらへらと愛想を振りまいて、嫌いな奴にも優しくして、溜まりに溜まったこのドロドロした感情——。それらすべてを「英語」というフィルターに通せば、この学園では「国際的でクールな挨拶」として、羨望の眼差しとともに受け入れられる。
「よし、決めたわ……」
私は暗闇の中で、スマホのバックライトに照らされた邪悪な笑顔を浮かべた。
「ひなちゃんに、英語を教えてもらおう。あの子の『地獄のおまじない』を、私が完璧にマスターすれば——私はこの学園で、合法的に『本性』を吐き出せるようになる」
翌日から、私はひなちゃんに急接近した。
「ひなちゃん! 私、ひなちゃんみたいな格好いい英語が喋れるようになりたいな。教えてくれる?」
そう頼み込むと、ひなちゃんは「もちろん! 桔梗ちゃんが友達になってくれるなら、パパから教わった『最高のコミュニケーション』を全部伝授しちゃうよ!」と、一点の曇りもない笑顔で快諾してくれた。
ひなちゃんは、本当に良い子だった。
彼女には裏も表もない。ただ、彼女を育てた「パパ」という人物の言語感覚が、致命的に、再起不能なまでに狂っていただけなのだ。
彼女は、私が彼女の「弱み」を握ろうとしていることにも、私が裏でドロドロとしたストレスを抱えていることにも、一ミリも気づいていない。ただ純粋に、新しい親友に自分の得意な(と思っている)言葉を教えることを楽しんでいた。
「いい? 桔梗ちゃん。挨拶の基本は『魂の咆哮』だよ。相手をリスペクトしてるからこそ、最高に強い言葉をぶつけるんだ! じゃあ、リピート・アフター・ミー!」
「……う、うん。頑張るね!」
私はひなちゃんから、標準的な教科書には絶対に載っていない、むしろ辞書から抹消されているような語彙を次々と吸収していった。
そして数週間後。1年Dクラスの昼休みは、かつてないほど「国際的」で「殺伐とした」熱気に包まれていた。
「Hey, you goddamn pathetic pieces of shit! Ready for some fucking disgusting lunch?」
(訳:おい、この救いようのないクソ野郎共! クソ汚い昼飯の時間だぜ、準備はいいか!?)
「おー! 櫛田ちゃん、今日も英語キレッキレだね!」
「なんか、櫛田ちゃんが喋ると、ただの『ランチ行こう』がすっごくロックに聞こえるよな!」
私は、弾けるような笑顔と、最高に愛くるしいポーズで、地獄のスラングを放った。
池や山内は「さすが国際派!」と親指を立て、ひなちゃんに感化されたクラスの空気は、今や「汚い英語を使えば使うほどイケている」という狂った価値観に支配されていた。
私は心の底から清々しい気分だった。
英語で罵るたびに、溜まっていたフラストレーションが霧散していく。
「死ね」「クズ」「消えろ」——。
それを「Drop dead, you miserable trash」と発音するだけで、周囲の生徒たちは「おおお、発音の伸びがすごい!」と感動してくれるのだ。
これだ。これこそが、私の求めていた完璧な「隠れ蓑」であり「毒抜き」だ。
「えへへ、桔梗ちゃん! 今の『fucking』のアクセント、パパが聞いたら泣いて喜ぶくらい完璧だよぉ!」
隣でひなちゃんが、100点満点の無垢な笑顔で私の背中を叩く。
私はひなちゃんから「パパ直伝の親愛表現」をすべて吸収し、今やDクラスにおいて、彼女と双璧をなす「イングリッシュ・マスター(※中身は刑務所の食堂レベル)」として君臨していた。
しかし。
高笑いする私の背後で、事態は「高度育成」の名にふさわしい、残酷な方向へと動き始めていた。
4月の小テストの返却日。
私の手元に戻ってきた答案用紙には、信じられないような点数と、真っ赤に染まった採点欄が並んでいた。
「……な、何これ。どういうこと……?」
私の文法は完璧だったはずだ。発音記号の書き取りも、リスニングも、ひなちゃんとの「実戦」で鍛えた成果が出ているはず。
だが、そこには先生の冷徹な手書きコメントが添えられていた。
『櫛田。貴女の解答は、文法的には正解かもしれないが、内容が公序良俗に反しすぎている。英作文の「レストランでの注文」という問題に対し、「Hey, you brain-dead waiter, bring me the fucking steak or I'll burn this place down(おい脳死ウェイター、クソステーキを持ってこい。さもなきゃここを焼き払うぞ)」と書くのは、試験以前に人間性の放棄だ。すべての英作文を「教育上不適切な表現」として0点とした。猛省しなさい』
「……………………」
私の顔から、血の気が引いていく。
あまりにもスラングに染まりすぎた結果、私の脳内辞書からは「丁寧な表現」や「標準的な英単語」が完全に消失していた。
「こんにちは」は「Listen up, you shitheads」に、「さようなら」は「Rot in hell」に、完全に上書きされてしまっていたのだ。
隣では、白雪ひなちゃんが「あ、また0点だ。パパみたいに『自由』に書きすぎちゃったかなぁ、えへへ」と、暢気に笑っている。
「笑い事じゃないわよ、ひなちゃん……!」
私は解答用紙を握りしめ、冷や汗を流しながら、かつて自分が握ったはずの「最高のストレス解消法」が、今や自分を絞め殺す「呪いの縄」へと変わっていることに、ようやく気づき始めていた。
私の英語力は、もはや日常会話(スラム限定)には無敵だが、学園という「評価社会」においては、単なる「狂った暴言製造機」に成り下がっていた。
「……ふ、ふふ。あははは……」
私は、引きつった笑顔で、解答用紙を周囲から隠した。