――大阪市北区、中津。
学生をはじめとして多くの者達で賑わう街中、神崎は車を走らせる。副総監の護衛にあたり前後には公安の車両が複数台。そして周辺には無数の捜査員たちが展開し、相変わらず無線には多くの声が響き続けていた。
「あの脅し文句吹っ掛けるとは思わんかったけど」
先の定例会において、神崎は武闘派相手に『お前は大阪湾に沈みたいのか?』と。摂河泉連の極道や常日頃より方言だらけな似那の発言でさえ、現地勤務でもないのに完璧に理解している――彼自身の行脚故か。
「もしかして怖いもんないとか?」
「あれが霞んで見える連中は世界にごまんといる」
未だ短い人生ではあるが出くわした者は数多、大半を自らの手で葬り去ってきた。だが中には彼の実力を以てしても手強い相手や、可能な限り面を合わせたくない相手さえ。
「ただ、マル暴と同じで一般人も同然ということは否定しない」
彼女のかつてのポストである組対四課――同様の業務を行う表の捜査四課の通称を取り、別名『マル暴』。暴力団を
目的地へ近づくにつれ学生の数は圧倒的に多くなるが、その雰囲気はどこか異様なもの。されど現地の捜査員であれば一人残らずその正体を知っていた。
「こちら《トワイライト》、
「了解した。引き続き進入せよ。終わり」
神崎の報告に応じて再び響く声、出処は視界の先にある広大な敷地を持つ学校であった。自動ゲートのしばらく先にある地下へと繋がるトンネルを進めば、その奥で銃火器を携える警備員のほか、各所に設置された監視カメラや精密スキャナーをはじめとする厳重な警備システム――明らかにただの学校ではない。
「
法人の皮を被った公安の隠れ蓑にして、孤児の保護・捜査員の育成を目的とした訓練学校。ここ舞風学園だけでなく全国に同様の場が存在するものの、民間の人間がその門を許可なく潜ることはできない。
「《オリヴィア》、たしか君はここの出だったか」
「いい場所でした……だいぶ歪んだ青春を送った気ぃしますけど」
車窓に視界を移しながら、藤原は彼女に語り掛けた。
年間約八千億という大金を投じ、全国から原石を搔き集めて異端児として開花させてきた。一部の特例を除いて現職の若年捜査員は大概がここを出身とし、中等課程ののち公安部に配属された似那も同様に。
その一方で神崎は遠い目をして言葉を漏らす。
「青春……か」
些か哀愁漂う声、まるで何かを失った人間のように。
「舞風では見んかったけど、どっか居ったでしょ」
「その件を話したことはなかったな」
地下の正面エントランスに車を停め、シートベルトを外しながら一言。
「僕は一切の履修課程を経ていない」
彼の言葉に、身近な謎をめぐる彼女の探求心が再び刺激される。唖然とする似那を差し置いて、神崎に続き藤原も車を降りた。
「えっ、じゃあもしかして――」
「《ダマスカス》がたった一人でこの坊主を育て上げた」
既存の異端児を凌駕する才能を引き出すには並大抵の者では務まらない。その為、今や公安を離れた伝説の捜査員の弟子であり、神崎同様に突出した異端児であった《ダマスカス》がその担当として選ばれた。
師の勤務先たる東京本部に彼の身柄が置かれていたのは、弟子として育てるにあたって面倒を見やすいと同時に、その特殊な出自故のことでもあった。
「そんで出来上がったんが、究極の異端児ってわけね」
羨望が僅かに含まれる眼差しで、彼女は呟いた。
同じく護衛を務める警備一課の面々と共に歩みを進め、景色は先程までの表社会とは隔絶する。公安各支部のように地下に収められた近未来的で無機質な施設――その空中を貫く通路を、大名行列かのごとく。
双方向の通路である以上正面からやってくる者も居るが、副総監という立場を前に一人残らず壁際に避けて敬礼、通り過ぎるまで静止していた。
「……変なこと訊くけどさ」
唐突に彼女は口を開く。
「もし公安なんか要らないような『真の平和』が実現されたら、表と同じように生きられると思う?」
神崎が腹の内に隠している何かを探るような質問。だがそれを愚問でしかないとでも言うかのように、彼は即答した。
「そんな世界は、人間が人間で在り続ける限り『夢物語』のままだ」
今の世界平和も所詮は上っ面だけのもの。特対として、絶えずどこかで燻り続ける世界の闇を目の当たりにしてきたからか、その瞳は現実を貫き通そうとする。
「僕らは既に
神崎は表情ひとつ崩さず、自身の左手を動かして徐々に握りしめる。レザーの擦れる音が微かに響いた。視線を動かして見下ろす先には、人工芝のグラウンドで楽しそうに駆け回る子供たち――表とは違う歪んだ人生ながらも、無垢な心で純粋に生を謳歌している。
「いずれあの子らが、まっとうに生きられるような世界をな」
遠からず彼等も苦しみを味わうことになる。本来背負わせるべきでない責務を、可能な限り減らさんとすべく引き受ける。そんな彼等の行いは切望であると同時に、贖罪でもあった。
自動ドアが開いた先に広がる空間で、教員らしき外見の女が待ち構えていた。
「ご苦労だった。ここから先は引き受けよう」
彼女の指示に応じて神崎は目配せ、警備一課の捜査員たちは敬礼の後それぞれの部署へと戻っていった。近衛として残された二人、そして藤原へと再び口を開く。
「それで、アイツらどないでした?」
「お互い痛み分けといったところだ。今のところ差し支えはない」
早期の押収は叶わなかったが、武闘派幹部との対立が深刻化するような事態は避けられたという点は鑑みるべきだろう。安堵の表情を浮かべて続けた。
「また思い出話に花咲かせたいんは山々ですが、また会議らしいですね」
ホログラムを立ち上げて確認するスケジュール――派遣業務を終えても依然として予定は山積みだった。
「お二人も都合よろしければ、早いとこ案内しましょか」
こちらへ、と言わんばかりの手の動きに従い、まだしばらく彼等の足は休まらない。
◇◇◇
「アルカイダ殲滅作戦以降、姿を消した連中がいることはこれまで説明した通りだ」
無数の光子体がホロデッキに投影されている。インターポールからのパスファインダーであるブライアーズを筆頭として、公安上層部及び日本政府の面々による会合が行われていた。彼の動きに応じて復号化された機密ファイルが転送され、舞風側でも巨大なモニターに映し出される。独立戦争後の影響か情報の密度はやや薄いが、顔写真やプロファイル等がまとめられていた。
「中東で一味を尋問したところ、幹部の名前のいくつかを吐かせることに成功した。中でも、オマール・アル・ドゥライミ、そしてカリーム・ハッサン。この二名がレムナントの中心人物とみられる」
元アルカイダ構成員で出身はイラク、当時の年齢は共に二十代。顔写真も精密なものではなく、過去の監視カメラ映像を基にしたあくまで『イメージ』であった。しかしながら神崎は『オマール・アル・ドゥライミ』という人物の資料をホログラムで手繰り寄せ、どこか神妙な面持ちで見つめている。
「会ったことでもあるん?」
率直な問いではあったが、思い詰めたように返す彼。
「記憶の限りでは無い……どこかで見たことがあるような気がしてな」
「ただの
何年も国内外問わず従事してきたからか、それだけで百万を超える顔を目にしている。とはいえ最後に海外へ派遣されたのは一年前であるにも関わらず、この人物とはまるで最近会ったかのような印象を受けていた。
「……そうだと良いんだが」
内心疑念を抱きながらも、回された書類に目を通し続ける。アル・ドゥライミのみならずハッサンにまつわる資料も――今あるありったけの情報をその記憶に書き込む。
「だがあの一件以来、世界的な制裁の影響で名前も顔も使えない。とっくの昔に捨てているはずだ」
「今のところ足跡くらいは掴んでいるのよね?」
「あぁ、こちらの特別犯罪局がCIAやモサドと連携して動いている。最新のものは分かり次第伝達しよう」
情報局長の質問に難なく答えるブライアーズ。インターポールは諜報機関や秘密警察どうしの橋渡し役でもある以上、情報は絶えずありとあらゆるところから舞い込んでくる。
「中東と欧州で銃の動きが活発になっている。
《ダマスカス》の発言に続き、新たに投影される報告書の数々。
「現状の標的は各国の官僚というよりも、我々のように諜報活動を行っている者達だろう」
「その点を鑑みて、まだしばらく大きな動きを見せる可能性は低い――それがこちらでの見解だ」
「組織の素性を知られたくない、というよりかはどうも積極的に潰しにかかっているように思えるがな」
表で絶えず世間の目に晒される官僚に比べ、目的を成し遂げるうえで障害となる諜報員を片付ける方が彼等にとってリスクは低い。だが存在そのものが秘匿されている者達の動きを把握されている以上、先のパスファインダー護送のようにどこかから情報が洩れている可能性が漂う。
「その線はあるだろう。我々インターポールにも少なくない犠牲者が出ている。直近ではマンデイター計画の元技術主任も死亡した」
ブライアーズの言葉に、神崎はホログラムを流す指を止めた。まるでその名が口にされることなど想定外であったかのような反応を見て、似那は再び耳打ちする。
「……なにそれ」
「僕も携わっている極秘プロジェクトだ」
内密にすべき話ゆえか、神崎も声を大にしては返さなかった。
「唯一言えることがあるとすれば、それは来るべき次の戦争に備えたもの」
東京に身を置いているブライアーズはホログラム越しでありながらも、微かに視線を神崎へと向けていた。
「早急に最悪の事態も想定すべきです。十月までもつれ込んだ場合、本土決戦は避けられません」
延期や場所の変更といったカードを持たない首脳陣は厳しい立場に追い込まれている。
「特に参加国の機関との、一層積極的な協力体制をとる必要があるかと」
そう告げる総理を見て、ブライアーズの記憶が刺激され僅かな間硬直する。
誰が敵で誰が味方か分からぬ諜報の世界において、果たしてその判断は得策なのか――インターポールの存在があるとはいえ、現状では誰も答えを持たない。
「レムナントへの対応と並列して、
発せられた単語の意味を知る者達は、揃って眉をひそめる。だがたった一人、その台詞から僅かに漂う匂いを感じ取っていた。
「また情報が整い次第、今後の方針を練る機会を設けよう。二人寄れば知恵は浮かぶ……今後とも密な連携を」
その言葉をもって幕を閉じ、半数以上のホログラムは一斉に姿を消した。飛び交った数多の情報の中に埋もれる真相を紐解くべく、神崎は書類に目を通り続け思慮に
周囲を見回せば、先ほど案内を務めた舞風の教員と藤原、そして情報局長が言葉を交わしていた。会議が終わってもまだ終わらぬそれぞれの情報交換の最中、二人のそばにホログラムが現れた。
「……元マル暴と元
視線を移した先に、光の束と化した大阪支部長畑川の姿がある。光の波を介してなお、どこか不安そうな表情が読み取れる。
「何かお役に立てることがあれば何なりと」
似那は神崎の反応を待つことなく先走る。
「華川の件で今ウチのモンが猫の手も借りたい言うとってな、手ぇ貸したってくれへんか」
事が動いてふた月以上経つが、密輸の動機と組長の行方は依然として明るみでない。本来は大阪の組対四課の管轄だが、その深刻さから特捜二課も捜査に加わっている。しかし特捜局自体が情報局と揃ってリソースの大半を対レムナントに割いている今、捜査線の広がりを期待するのも無理な話であろう。
「命令やないから休養とってもラってモカまヘ――髱樒分繧?@縺ェ」
畑川のホログラムが乱れる。大量のデータの送受信により発生した
「あくまで個人的な依頼やで。もう直接指示出せるわけちゃうし」
二人揃って今や東京勤務。しかしながら元組対四課と元特捜二課が揃っている以上、この機会を逃すわけにはいかない――そう踏んでの依頼であることは明確だった。
神崎の普段と変わらぬ素っ気ない表情を見て、似那は返答を考えあぐねる。
「久々に挨拶するか?」
顔の向きを保ったまま告げられた彼の言葉に、似那は小さく頷く。深呼吸ののち袖とネクタイを整え、最初から答えは決まっていたかのように再び冷徹ながらも透き通った若い声で。
「《トワイライト》及び《オリヴィア》、業務に復帰します」
「よろしゅう頼むで、時間外手当は弾ましとくわ」
互いに敬礼を交わしたのち、二人は大阪支部へ向かうべくその足を地下駐車場へと。その光景を畑川は穏やかな目で見つめると同時に、ポケットから取り出した携帯で誰かに連絡をとり始める。
だが誰も知る由はない――この時既に、大阪は