「……そうか、またあとで」
クラシカルな雰囲気漂う部署の中、若い女は電話を切った。微かな溜息の音がレコードプレイヤーから響く旋律に混じる。
「掴まされたんは偽物や。現場の連中呼び戻せ」
穏やかながらも業務慣れした勢いで発する彼女、次々に転送されてくる資料を分析し、手掛かりとなる情報を一つ残らず吸い上げている。
「しっかし、アイツらこんなことやる頭あるんすか?」
キーボードを叩きながら口を開く制服姿の少女。似那と同じ舞風の制服だがその着こなしの方向性は異なり、ぼさぼさの髪からは些か眠そうな雰囲気が漂う。鑑識結果や前後の周辺映像を基に、何者かによって改竄されたスサノオの記録復元を試みていた。
「それが謎やから
僅かな疲労を伴った口調で、彼女は弟子であるその少女に告げた。
大半がただ暴れまわることを生きがいとする武闘派の者が、鉄壁の防御を誇る公安の中枢に破壊工作を仕掛けるなど現実離れしたことであり、組長ほか幹部たちへの複数の取り調べ結果からも『到底ありえない』という報告が上がっている。
「いうてもあの感じ、誰も庇ってへんような気ぃするけどな」
「五分の盃交わしとっても所詮はヤクザや、あっちの言い分妄信せん方がええ」
同僚と言葉を交わしながら彼女は供述調書に目を通す。華川組が本家に断りなく密輸したことよりも、公安による組の実質的な解体措置に対して武闘派の面々は反発している。だが組長を憐れむことはせずあくまで自己保身に重きを置いている様子であり、匿えば華川組の二の舞になることを知ってか眼中にないものとみられる。
「こんだけ探しても見つからんとか正味信じられへんねんけど」
「タバコの吸いすぎで早死にしたんじゃねぇのか?」
「それアタシに刺さるから勘弁してや」
職務中ながらも軽口を叩く挙句、よほど優秀なのか電子タバコで一服もかましている。そんな彼等の会話を盗み聞きしていたのか、制服少女は再び口を開いた。
「んー、でもそれっぽいのなら見つけたっすよ」
長らくキーを叩き続けた成果が出たのか、師匠ほか数名が彼女のもとに集う。モニターからホログラムが浮かび上がり、展開されるは大阪・心斎橋の3D都市モデル。
「事務所周辺がまるっと書き換えられてたんで、どっかに粗がないか探したんすけど」
少女の手の動きに応じて拡大、移動を繰り返した末に姿を見せ、実際の風景を再現したホログラムが重なる。
「ここの裏路地にあるっす。空中から
不完全燃焼によって生じる微細な粒子であり、熱反応を加味すれば火薬に火が付いた痕跡と考えられる。しかしながら現状の手がかりが不足している今、これだけでは真相に辿り着くことはできない。
悩みながら溜息をつく女だったが、彼女のスマホから着信音が響く。
「あい、《アズール》です…………はぁ?」
呆気にとられたかのような声に一同は戸惑いを見せる。
「ドッキリやったら勘弁してください、あいつそこまで暇ちゃうでしょう」
スピーカーから発せられた声の主が上司であることなど気にしない口調で、彼女はそれが冗談でないかと疑う。依然会話内容を掴めぬ捜査員たちだったが、その場に新たな風が吹く。
「邪魔すんぞ、
声量はそこそこながらも、透き通るような若人の声が響き渡る。驚き振り返った先から歩み寄って来る二人に、皆は言葉を失った。
「……《トワイライト》」
特捜局所属の異端児として全国的な知名度を持つ捜査員の姿がそこにある。師匠は開いた口が塞がらぬまま電話を切り、同僚は多くが目を丸めていた。
「勝ったっすね風呂入ってくるっす」
少女は張り詰めた空気をぶち壊しながらその場を去ろうとするが、師匠が「おい待てこら」と後襟を引っ張って逃がさない。
「んがぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙‼痛いっすよせんぜぇ゙~!」
「捜査に勝敗もあるか、ていうか仕事中やろ」
若い捜査員はその殆どが自由奔放な性格を持ちあわせる――血に
「相変わらずだな、お前が来るってことは畑川のオヤジか」
「あの人の我儘にはもう慣れっこだ」
「まぁ年中引く手数多ならそうなるわな」
駄々をこねる弟子に女が手を焼かされている一方で、神崎は顔なじみの捜査員と言葉を交わしていた。相手は彼の傍に立つ似那へ視線を移して続ける。
「そんで君は初めましてだな、新人か?」
「《オリヴィア》です。中等終わった後、一月にここの組対四課から東京に」
「オフシーズンに栄転してこいつと相棒とはたまげたな」
そう告げる彼に、神崎はいくらばかりかの不満を込めてガンを飛ばした。直後に蘇る記憶を押し殺し意識を現実に繋ぎ留める。
「んで猫の手も借りたいって聞いたが?」
「あぁ。大阪の特捜はこの件で持ち切りでな、どうもきな臭くてかなわん」
「さっき摂河泉の定例会でも挙がったが、そんな行き詰まってんのか」
どうしようもない――とでも言いたげな表情で肩をすくめながら視線を動かし、彼は再び口を開く。
「おい二人、遊んでねぇで仕事してくれよ」
冷静さを取り戻した制服少女をなだめつつ引きずりながら、女は彼等のもとへ足を向けた。知らぬ間に先輩がやって来ていることに気付いたのか、穏やかな笑みを浮かべて互いに手を振る少女二人。
「少し前のことやけど、報告書は穴が開くほど読んどいた」
片眉を吊り上げる彼をよそに、彼女の手で呼び出されたホログラムは音声を伴って動き出す。
――『し――知らんわ、
去る一月、組事務所の家宅捜索にあたった神崎のボディカメラ映像。銃口を向けられ惨めに命乞いをする様に、皆はただ呆れて見つめる。
「組員にも目的を伝えてへんってのがどうも引っかかるねんな」
蒸気を吐いて女は告げる。顔面をもとに政府のデータベースが参照され、横にはその組員の個人情報の数々が。少なくとも組の中では下っ端でなく、むしろ組長と密に関わっていた存在。他所と抗争を始めるにしても、直前まで殆ど長の裁量で事を進めるのは妙である。
「
一同が頭を回す中、似那が口を開いた。
「どー考えても組員の数に対して銃が多すぎるし、直系いうても華川組はそこまで大きくないからこんな量普通仕入れられへん」
「今んとこ繋がりのある連中には片っ端から尋問してみたんすけど、どいつも
少女の操作で調書が二人に転送される。揃ってすぐさま読み始めるが、似那とは比べ物にならない速さで読み流していく。瞬きひとつせず光を取り込む中、何かに勘付いたのか即座に新たなホログラムを立ち上げる。
基幹ネットワークに接続し情報局のデータサーバーにアクセス。慣れた手つきである組を対象に銀行口座の情報を搔き集めつつ、機密ファイルにも自身のアクセスコードを用いて手を伸ばす。フロント企業や不動産への投資など、分散されているとはいえ尋常ならざる規模の金の動きが浮かび上がってくる。
「そんなことだろうと思った……密輸が始まったのはこの金が流れ込んだ後のようだ」
まとめて約四百億円――摂河泉連が有する総資産の約六割に相当する巨額。
「先払いで直参になる前からのコネを使ったわけか?」
「やとしてもこんな量用意するには相当の根回しが必要になる」
男の推測に対し、マル暴としての経験を活かす似那。
「どっからこの金が入って来たのかも謎やな」
「有難いことにここのドンは驚くほど愚直だ、紙切れの一つくらい残ってるはず」
「……おい、まさかお前」
まだ次の動きを喋っていないが、その発言と冷徹な表情から一同は真意を察していた。
「現場が何よりも動かぬ物証だ、ガサ入れするぞ」
華川組に続いての強制捜査。目的としては十分だが、これまで身を置いてきた環境の違いからか彼女は尋ねる。
「ちょ相棒、令状は?」
「そんな非効率極まりないものが要るのは公安部だけだ」
神崎はホログラムを操作する手を止めず言い放つ。司令部に申請を出し、審査され承認が下りるまで待つわけにはいかない。彼等は警察であると同時に検察であり、そして司法でもある――『現場の判断』にすべてが委ねられる特捜局の特権が、彼女の目の前で行使されていた。
「事件が特捜に回った以上、規則など二の次」
その瞳はもはや十六歳のものではない。数多の危機を潜り抜け非情な現実に向き合ってきたからか、一切の淀みなく。
「では十分後に出るよ、さっさと準備しな」
特捜の女の号令一下、穏やかな空気は一瞬にして姿を変える。手際よく必要な武装と道具を整え始める傍ら、似那は神崎の中に一人の人間を見ていた。
◇◇◇
――大阪市西成区。
複数の黒塗りの車が停まり、次々にスーツ姿の者達が降りてゆく。最年長にして堀の深い顔を筆頭に特捜二課の面々が向かう先は、トップの態度の大きさを表すかのような規模で川沿いに建てられた事務所――摂河泉連直参『
豪勢な正門の呼び鈴を鳴らし、最初は紳士的に相手の出方を伺う。
「そういやアイツって今居るんすか?」
「さっき幹部会で眠らしといたから、しばらく帰ってこれへんと思うで」
「マル暴の先輩がいるって心強いですね~」
中等課程の途中で現場入りした少女も大概だが、少なくとも八か月はヤクザを相手に動き回って来た似那の方がこの場において手慣れていることは確か。
先方二十秒ほど沈黙を貫き、男は微かな苛立ちと共に再び呼び鈴を鳴らす。
「誰も居らんなんてことあるか?」
「働き方改革だろ、生命保険とセットで公安にも欲しいな」
「給料高いし文句言うな……てか入っても意味ないやろそれ」
皮肉を交えながら、大人たちは忍耐強く待っていた――しかし三度目にも何一つ反応を示さないことから、埒が明かないと判断し男はアイ・コンタクトで同僚らに指示を下す。
「
静寂を切り裂く怒号と共に、鋼鉄製の門を力強く叩く。一方同僚たちは車のトランクからバールやチェーンソーなどを取り出し、けたたましい音がその場に響き始める。
「相変わらずどっちがヤクザなのか分からないっすね」
「空爆してへんだけ優しいもんやで?」
闇金の取り立てか金融庁の強制捜査かのような光景を前に、二人は穏やかな様子で。門そのものを破壊せんとチェーンソーの刃を突き付けたその時、轟音と共に内側へと開き始める。やっとか――とのリアクションは一同言葉にせずとも共有し、敷地内からは次々に組員がやってくる。
「おどれら急に何しに来てんねん‼」
「やかましいわ!さっさと開けてから言えやこのボケナスが!」
「なんやとワレェどの面下げて来とんのや‼」
「無駄吠えで二酸化炭素増やす暇あったら土に帰ってろ犬どもめが!」
圧倒的な人数差をものともせず、その場では組員と捜査員たちによる暴言の応酬が繰り広げられる。しかしながら直接手を出してくることはなく、ただひたすらに繰り返される威嚇――公安の面々からすれば見慣れたものだった。
「親父はどこや!もう定例会とっくに終わっとるやろが‼」
依然として噛みつき続ける彼等を押しのけながら進む先に、『和』を体現するかのような木目調の空間――しかし捜査員たちは郷に従うことなく土足のまま上がっていく。
「おい!どないなっとんのや!」
騒ぎを聞きつけ室内から飛び出してきた幹部だったが、その視線の先には我が物顔で乗り込んでくる公安の姿がある。文字通り目を丸くして硬直する中、捜査員の一人は懐から取り出したガジェットを用いて高電圧で痺れさせる。
「お前ごときが偉そうな口を利くんじゃねぇ、俺の質問に答えろ」
首を巻き込んでの羽交い絞め、相手の身体の制御を完全に奪う。半ば拷問のように現場での取り調べが始まる一方、神崎や似那のほか数名は廊下を闊歩して事務室へと足を運ぶ。断りなく引き戸を開けて中にいる組員などお構いなしに次々と書類を強引に漁ってゆく。
同時に各種デバイスを用いてコンピュータ内の情報を瞬く間にコピーしていくが、現状に当惑する者達のもとへ更なる組員がやって来る。
「テメェらなにしとんねん!」「他人様の家に上がって物色とはどういう了見や‼」「ガキどもが舐めとんとちゃうぞオラァ‼」
捜査員たちは完全に無視して作業を続ける――たった一人、悪魔のような瞳は威圧感と共にヤクザたちが隠す真相の存在に気付き始めていた。