――二〇二六年一月九日、首都高一号羽田線。
神崎はハンドルを握り、助手席には似那の姿が。無免許運転――そんな屁理屈はさておき、彼等は遠路はるばるやってくる客人を出迎えるべく羽田空港へと車を走らせていた。パスファインダーの到着予定時刻は十三時二十分に対し、現在時刻は七時三十一分。車内のスピーカーからは、相変わらず穏やかなクラシックが流れている。
「君、運転せーへん人でしょ」
「基本的にはな。別に運転は出来るが、学生の外見をした人間がしてどうする……警視庁の連中にでも見つかったら即逮捕だ」
「にしては、今日は自分で運転しとるやん?」
「仕方ないだろ、僕達は特捜局とは別の意向で動いているんだ。それに……」
言葉を濁らせる彼へと向けられる、彼女の不思議そうな表情。その圧に耐えきれなかったのか、呼吸を整えて再び連ねる。
「仕事の前には、ゆっくりできる時間があると理想的だからな」
彼が抱えるモットーは師より受け継いだ『臨機応変』と同じくして在り、そのカタチたるや特捜局の本部においても。多くの同僚と共通して持つ――その一点に関しては、彼女が抱いた第一印象を覆した。どことなく冷徹で、人間としての奥ゆかさを感じられないその瞳とは裏腹に。
穏やかな斜陽がガラス越しに差し込む中、車載ホルダーへ置かれたスマホより響く通知音。彼は右手をハンドルに預けたまま片手でその画面を操作する。画面の表示は『非通知』なれど、心当たりはあった。
「グッドモーニング、ご用件を」
「オン・タイムだ、よろしく頼む」
スピーカーから響く男の声――四、五十代と推察できる。機内からの通話を介して、パスファインダーと思しき者の声が東京へと送り届けられていた。本来電気系統の誤作動を引き起こしかねない為に、飛行中は大抵禁止されている。しかしながら技術が進歩した今日において、専用の電波を用いるという回りくどいやり方であれば一定の融通は効く。
「
「預けるぞ」
一般人が聞いても何が何だかさっぱり分からない会話――だが彼等にとっては日常。いくら専用の電波とはいえ、大した暗号化もされていない衛星電話如き、傍受されることなど想定済みである。だからこそ、分かる人間に
『オン・タイム』――その意は『定刻通り』、転じてまた『計画に変更なし』。そして彼が返す詞は『警備を厳重にする』。自らの意図が伝わったことを確認してから『命、預けるぞ』。
神崎は電話を切り、再び左手をハンドルへ。
一方の似那は車窓からの景色を眺めており、その視線の先には羽田へアプローチする機体が。国内での犯罪捜査と治安維持を主な任務とする公安部は、特捜局や情報局と違って海外へ赴く機会などない。そんな彼等にとって日々空を行き交う鉄の鳥は、身近にあっても手の届かない憧れのようなものであった。
「
そう発する彼──車内モニターが自動的に起動する。スサノオのサブフレームとして、あくまで『人間の補助』を第一に設計された人工知能、その名を『ROIDZ』。物事の最終決定権は人間の手に委ねられる、という現代のドクトリンに近しい概念の下で運用されている。あえて無個性ではなく、スサノオが持つ膨大なデータベースを基に再現された高度な反応システム――『感情』を持ち、世間話を交わすことも容易く。効率を重視した冷たい会話に比べ温もりのある会話の方が、非情な裏社会に生きる彼等へ僅かながらの安らぎをもたらす――彼が求めるように、特捜局の一存のように。
「せめて食事くらい摂ってくれば良かったのではないでしょうか……三階に手頃な和食店があります。《トワイライト》にはうってつけかと」
穏やかに返されるその言葉に、似那は違和感を覚えずにはいられなかった。
「とっておきって……え?」
「ここ数日は彼の行きつけが休みでしたからね」
ゆっくりと目線を神崎へ――ただ静かに前を見つめている彼の姿がある。
「なんだ、別に良いだろ」
二、三秒ほど彼の顔を見つめたのち、再び正面を向いて一言。
「じゃ、うちも食べようかな」
ただでさえ人の関わりが少ないこの裏社会において、永遠の別れは無情に――そして突然に訪れる。ましてや神崎とのタッグは上からの指令である以上、いつまで行動を共にするか定かではない。だからこそ時が許す間に、儚い人生で得られる僅かなことを一つ残らず大切に。一つ残らず、記憶に刻み込みたい――彼女は常にその心を持って。
「そういえば、忘れないうちに」
左手をハンドルから離し、再びスマホへと――画面を見ることなく慣れた手つきで操作。すぐさま似那のスマホに通知が入り、取り出したその画面に映るは『近距離共有』の文字。
「連絡先を送っておく、必要なら連絡しろ」
表示にはただ『トワイライト』と簡潔に。仕事の一部、とでも言わんばかりに表情で、些か無愛想にも、彼女の抱いた第一印象が再び思い起こされる。
「――仕事人間」
ぼそっと呟くが、彼の地獄耳が逃さない。されど彼は嫌な顔一つせず――この世界で出会う誰もに抱かれる印象であることを知っている。自らの人生を公安に――世界の為に捧ぐ事を決めたが故、彼は常に現実を見続ける。裏社会に生きる人間しか知らない、色彩の一つさえない現実――だがそれは、同様に生きる者達とはかけ離れたもの。
彼女は、彼の瞳に映る世界を知らない。
「お取込み中失礼しますが、報告すべき事案がひとつ」
突如としてROIDZがその空気を壊す。
「後方七十メートル、覆面車両が接近中」
神崎はサイドミターへと視線を移す。ただのセダンにしか見えないが、彼等の目を欺くに及ばず。高解像度カメラを用いた解析で、車両内の会話内容も筒抜け――明らかにこちらを狙っている。
「……警視庁のお出ましか」
「噂をすればってやつ?」
銃刀法違反と無免許運転のコンボ――表の警察には殆ど全てが伏せられている以上、
「はて、どうしたものか」
警戒を怠らず、さも気付いていないかのように振る舞う。しかし覆面車両は徐々に速度を上げ、十数秒でこちらを追い越す。
――『パトカーに続け』
回転灯を光らせ、車体後部の電光掲示板で指示を送ってくる。
「まぁ、そうなるよね」
誘導に従い非常駐車帯へと車を停める。エンジンを切り、手をハンドルに残したまま先方からの指示を待つ。車を降りた一人の警官がこちらへと歩み寄り、窓ガラスを下げる神崎。
「お勤めご苦労様です」
「学生?免許は?」
「
公安を示す隠語と共に、胸ポケットから取り出す警察手帳――『警視庁警備局』と、世間一般で言われる公安としての所属が記載されている。無論顔写真以外全てデタラメな情報ではあるが。
「悪いけど、君達が警察官に見えるほど視力は悪くないし、ただの公文書偽造だね」
現行犯モノの罪状が一つ増える中、警官は車内へ目線を遣る――ホルダーに収められた拳銃が二丁。法治国家日本において、そんな代物を持つことが許されるのは限られた者達のみ。レプリカか玩具だと信じたくなるが、その見た目は明らかに。
無線へと手を伸ばす警官だったが、二人の襟元につけられたピンズを見て硬直する。流水に浮かぶ菊をあしたっら紋章――『菊水紋』。天皇家の紋章『
「……失礼しました。どうぞお気を付けて」
菊水紋を背負う公安へは一切の手出しをしないように――との
「よい一日を」
周囲に正体を悟らせない為の彼の一礼に応じ、神崎と似那も小さく。
独立戦争以降、年々大幅に減少していく犯罪件数を前に発生するであろう国民からの疑念は、公安によるカモフラージュによって逸らされてきた。あえて一定数の小規模な犯罪は警察に対処させているが、人命や交易に関わるような深刻なケースは一つ残らず公安が対処。極秘ではあるとはいえ少なからず闇の
「よく捕まんの?」
「
真相を知ってしまった者は、無暗に広めようとしない――下手に情報を漏らせば人生を棒に振ることを知っているから。極秘組織にしては無謀ともいえる立ち回りをしでかす公安は、彼等自身による隠蔽工作よりも、程度を問わず組織の存在に気付いた者達によって隠されているといっても過言ではない。とはいえ情報局の情報統制部を動かして記憶ごと改竄してしまえば済む話ではあるが、存在を知る者として公安に協力させた方が有用であるケースが殆ど。
「にしても、なんだか新鮮な気分」
ふと口を開く似那、その視線は窓の外へと。澄み渡る雲ひとつない空――海のように果てしなく、どこまでも広い。
「東京でもあんまし見ぃひんのに、同じ異端児と一緒になるってさ」
「これでも多い方だ、前はもっと居たがな」
「……含みのある言い方」
東京本部勤務の異端児の約八割は、虎の子の部隊として司令部の手中にある。ただでさえ貴重な人材故に、日常的に最前線を送ることなど以ての外――相応の実力を伴わない限り。
「担う役割や与えられる任務、業務形態も他所とは完全に違う」
彼等が専念すべきは、公安部の領分を大きく超える――精鋭揃いの他部署でさえ手に負えないケースも、また。
「特捜局の殉職率は度を超えている。生まれ持った才能にも限界はあれば、ここは才能だけでのし上がれるほど生温い世界ではない」
その蒼い瞳が見つめ続ける先に、平和など存在しない。ただそこに在るのは残酷な現実だけ。
「気を抜くな。僕達が生きるのは経験と実力、その両方がモノを言う
「……じゃあ君は、それを両方兼ね備えた究極の異端児って訳」
彼女の問いに、彼は深呼吸して返す。
「自分でも知らないが……恐らくは、な」
彼自身でさえ身の内に秘められた何かを知り得ない。たった一つ彼が知っているとすれば、それは自らが――。
苦悩も惨い争いもない平和な世界の裏に、決して消えぬ痛みに満ちた世界。人間という生き物が背負うにはあまりにも重すぎるが、例えそうであっても。
――こんな苦しみを味わうのは、僕達だけで十分だ。
表社会で生きる道を捨て、裏社会に生きることを選んだ彼等。生存の対価として現実を知った以上命懸けで義務を果たす。誰しもがそういった過去を持っている――たった二人、誰よりも命の重い者だけを除いて。
「ところでさ」
似那が顔を向けて発する。
「君は、何のために公安に居るん?」
突拍子もない質問――だがその問いを投げかける者は大勢いる。過酷な世界故に自分を見失う人間は表に比べ圧倒的に多い。自分が何者なのか、そして何をこの世界に望むのか。
いつも決まって、彼は同じ詞を返す。
「僕は自分自身を知らない。だが、自分に出来ることは分かっている」
落ち着き払い、全てを見通すかのような瞳。その横顔を、ただ彼女は眺めている。
「日本を――この平和を守るため。ただそれだけだ」
《トワイライト》という存在を知ると同時に、何かを隠しているということも。だがその中身を今知る必要はない――隠し事は、人間という生き物としての性なのだから。
彼の口から発せられた答えを聞いても尚、彼女はどこかで悩んでいる。
「……うちには訊かんの?」
「君の考えていることなどお見通しだ」
似那の目を一瞥し言葉を連ねる。いったい何を言っているのか、と呆気にとられる彼女をよそに。
「今もずっと意味を――自分自身を探している」
「……なんでそれを?」
「人の瞳は、心を映すって言うからな」
一瞬で心の内を言い当てる彼に驚きながらも、己に再び問う――やはり彼の通りだった。
「誰もが通る道だ、無理に急ぐ必要はない」
人生は長い、という言葉が続きそうであるが実際そうでないことは互いに理解している。されど彼等の一秒は表の一秒よりずっと長く、果てしなく価値のあるもの。例えどんな道筋を歩もうとも、一人の人間としてあろうとするために。生きるということは、変わり続けるということ――踏み違えればそこに死が待ち受ける、過酷な旅を全員が歩んでいる。
「僕からは、それだけ言わせてもらう」
語り掛けるような言葉に、ただ「――ありがと」と再び神崎を見つめて発する。
「そういう君の眼、蒼いけど……」
「どこの生まれかは、僕も教えられたことがない」
彼女の茶色い瞳とは対照的に、冷たく透き通った蒼色。日本人としてはかなり希少であり、多彩溢れる公安の面々でも滅多に見られない。普通は出身地が書類上に明記され、自分でも確認できるのに教えられないとは――その疑問の答えを、彼はすぐに。
「機密、なんだってよ」
少し呆れたように。機密、機密、機密――彼という存在そのものが機密なのではと疑いたくなるほどに、彼は機密に囲まれている。異端児中の異端児は、公安警察という極秘組織の中の機密。僅かながらも彼女の探求心を刺激する。
「……不思議な人だこと」