今日は俺のプロボクサーとしての仕事の日だ。退屈な大学の授業を終えて、家に帰らずそのまま試合会場へと歩みを進めた。
シャンフロを初めてプレイした翌日、葉月は自分の住んでいる地域から少し離れた大阪へ来ていた。
今日は大事な日、誰にだって大事な訳じゃない、あくまでも俺にとって大事な日なだけだ。
今日負けたら俺は世界王者じゃ無くなる、12度目になる防衛戦。
いつも通りの俺であれば決して負けることのない試合だ。
「いいか、葉月。いつも通りだ、いつも通りでいいんだ。新しい事を試そうとしなくていい、観客を楽しませようと考えなくていい、いつも通りやるんだぞ。」
「言われなくたってやりますよ会長。それが俺の仕事ですから。」
試合に向けて淡々といつも通りのイメージトレーニングを繰り返していく、その中で思い出すのは昨日あの大蛇との戦闘中に放った今まで使ったことの無いコンビネーションのことだった。
フィニッシュはいつも通りだったが、その前のあれは……
「稲星選手、そろそろ。」
「はい、今行きます。」
考え事をしていたらどうやら試合時間が迫っていたようで、係の人が呼びに来ていた。
思ってたより長考してしまっていたようだ。
『お待たせいたしました観客の皆様、弱冠20歳という若さながら、今日を勝てば12度目となる防衛戦を戦います、182cm158.73ポンド、稲星選手の登場です!!』
何度聴いても慣れることのない観客たちの歓声が聞こえてくる。この試合はテレビでも中継される上に席数の多い大きなドームだと言うのにも関わらずここまで歓声がが響き、客席全てが埋まるっていうのは本当にすごいと思う。
『対する挑戦者は、ミドル級185cm157.19ポンド、黒川選手!』
『稲星選手はカウンター主体のインファイター、それに対して黒川選手はパワータイプのインファイター。近距離での拳の撃ち合いになることが予想されますが、どうなりますかねぇ!』
『そうですね、天眼と言われる稲星選手相手にどれだけ攻撃を叩き込めるかが勝負の決めてになるでしょうねぇ。』
選手紹介及び実況解説による予想が述べられ、会場全体が試合開始を今か今かと待ち侘びている。
そんな中黒川選手がこちらに近づいてきているのが視界の端に見えた。
「稲星君、今日はよろしく。私の方が歳は上だが胸を借りるつもりで挑ませてもらうよ。」
「えぇ、楽しい試合にしましょう。」
たった一言だけを交わして黒川選手は自分のコーナーへと戻っていった。
良く見えてる今日は調子がかなりい。昨日シャンフロで大蛇相手にあれだけ打ち込んだおかげか?
だとしたら感謝しかねえな。
「両選手真ん中へ!」
審判に呼ばれ歩み寄るといつも通りの簡単なルール説明が行われ、少し再びコーナーへと戻り、お互いに構える。
カァァァァァンッ!!!
そして聞き慣れたゴングの音と同時に、黒川選手が素早く距離を詰めて、少し大振り気味にアッパーを放ってきた。
(パワータイプって聞いてた、フットワークもいいの持ってんじゃねえか)
それをギリギリの所で避けつつ、完璧なタイミングで右ストレートを合わせたのだが……
スパァンッ!!
「ちっ…これ防ぐのかよ。」
「そう簡単に貰う訳にはいかないのだよ。」
左のアッパーはあくまでも釣るためのものだったようで、こちらが放ったストレートはしっかりとガードされてしまった。
そして黒川選手は得意の左ジャブ、右ストレート、左フックのコンビネーションを打ち込んできた。
(実にいい選手だ。だけどそれじゃまだ俺には届かねえ)
ジャブとストレートを軽々と躱しきり、本命の左フックを右のショートアッパーで弾き、かちあげられた事で無防備になったボディ目掛けて左右のボディブローを2連続で叩き込んでいく。
「ガハッ!」
「ほら、沈んじまいな。」
バンッ!バァァンッッ!!
顎が下がってきた所に合わせて、右のフックで更に上体を崩させ、トドメと言わんばかりにチョッピングライトで顎の先端を撃ち抜いた。
昨日もあの大蛇を殴り倒したコンビネーションだ。たかが人間如きが耐えられるわけがねえな。
『だ、ダウーン!!』
『鮮やかに決まり開始早々にダウンを奪い去ったー!!』
『仮に立ち上がれたとしてもこれは厳しいでしょうねー。』
解説陣が先程のコンビネーションの解説を行っているうちに、レフェリーがカウントを行っていくが
「まだ、負けられねぇなぁ…」
「そうですよね、貴方なら立ち上がると思ってた」
黒川選手は何とか立ち上がっては来たが、先程のダメージがかなり残っているようで10カウントギリギリの所で立ち上がってきた。
シュッ!シュッ!
ダメージ残ってる割にはいいパンチ打ってくるじゃねーの、つってもやっぱりさっきより威力は落ちてそうだな。
「ここだっ」
スパァンッ!
黒川選手がボディブローを放とうと顎が下がったタイミングで比較的軽めの打ち下ろしのチョッピングライトを合わせることで更にダメージを与えていく。
試合開始からもう少しで1分半が経つところで試合が一気に動き出した。
「はっ!!」
「これで終いだ。」
バァァンッ!!!!!
会場に破裂音が鳴り響くとほぼ同時に、黒川選手は再び崩れ落ちた。きっともう立ち上がれないだろう。
葉月は、黒川が右ストレートを放ったのに対して、右のフックを叩き込んだ。
所謂ライトクロスと呼ばれるものだ。
『黒川選手再びダウーン!!!』
黒川選手を確認しに行ったレフェリーが頭上でバツ印を作り首を横に振った。
もう立ち上がること以前に意識がないらしい。
カンカンカーンっ!!!!
『勝者は稲星選手だ!』
『最後のはかなり綺麗に決まりましたね。ただ、いつもの左アッパーからの右フックのコンビネーションは今日は見れませんでしたねぇ。』
『そうですねぇ、代わりに新たなコンビネーションが見れて興奮が治まりそうもないですっ!』
今、この瞬間に自分の12回目の防衛戦が終了したことを告げるゴングが鳴り響いた。
「おつかれー、葉月。」
試合会場から出ると、非常に聞き慣れた声で後ろから話しかけられた。
「な、慧、来てたのかよ。」
「偶々近くに来てたからねー、にしても元気そうでよかったよー。」
「それはお前もな。最近また大会優勝したんだって?」
国内最強と呼ばれているプロゲーマー『魚臣慧』がそこには居た。
普段は格ゲーの中でしか会わない為、会うのはかなり久しぶりだったりする。
「まあ、また『便秘』とか『GH:B』とかやろうぜ。都合いい日にまた連絡するよ」
「次は負けねーからなー!!」
今度格ゲーをする約束だけして慧は帰って行った。
「さーて、俺も帰りますかー。今日はシャンフロどーすっかなー、明日丸1日休みだし、今日はちゃんと寝て明日いっぱいやるとするかー。」
明日はシャンフロで何をしようかと考えながら帰るのは結構あっという間であった。