カーストルーム・オブ・ザ・デッド2   作:戦竜

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第4話 継承

警察署へ向かう道中、龍園たちの乗る車両の中には、

これまでのような切迫した銃声も、耳をつんざくような咆哮も、

あるいは大型クリーチャーの影に追い立てられるような焦燥も存在しておらず、

むしろ不気味なほど静まり返った市街地の空気だけが、

かえって彼らの神経を細く長く削り取っていくような圧力となって、

じわじわと車内へ染み込んでいた。

 

道路の両脇に並ぶビル群はどれも半ば機能を失っており、

割れたガラス窓の奥には人の営みの残骸だけが薄暗く沈み、

横転した乗用車や放置された配送トラックの間を風が吹き抜けるたびに、

どこか遠くから金属の軋む乾いた音が響いては消え、

そのたびに軽井沢やひよりは肩を震わせるものの、

龍園も高円寺も橋本も鬼龍院も、

そうした都市の死に際のような光景をすでに一つの前提として

受け入れてしまっているのか、表情をわずかに動かすことすらなかった。

 

やがて視界の先に警察署の建物が見えてきた時、

茶柱がハンドルを握る指先にわずかな力を込めながら減速し、

誰もが無意識のうちに前方へ視線を集めたのだが、

そこにあったのは本来であれば秩序の最後の砦であるべき公共機関の面影ではなく、

暴力と混乱によって無残に引き裂かれた、

防衛線としての機能をすでに完全に喪失した、空洞のような建物だった。

 

正面玄関はガラスが砕け、鉄製のフレームすら歪んで半ば外れかけており、

外壁には無数の弾痕に加えて、

銃火器では説明のつかない鋭い裂傷が幾筋も走っていて、

駐車場に並んでいたであろうパトカーも大半が

衝突か炎上の痕跡を残したまま沈黙しており、その光景を一目見た瞬間、

ここもまた安全地帯ではなく、

すでに通り過ぎた戦場でしかないことが全員に理解された。

 

「……期待はしてなかったが、ここまで徹底的だと逆に清々しいな」

 

龍園はそう言って口の端だけで笑ったが、その声音には皮肉と同時に、

いまやこの街のどこにも常識的な救助や保護など存在しないという

現実を改めて確認した冷たさが滲んでおり、石崎は「まじかよ……」と声を漏らし、

軽井沢は思わず身を縮め、ひよりは黙ったまま警察署の奥の暗がりを見つめていた。

 

「止まっていても仕方ないね、王様気取りの諸君、さっさと入ろうじゃないか」

 

高円寺がいつもの調子で肩を竦めると、

その軽さがかえって場の緊張を際立たせるように響き、

アルベルトが先頭に立って周囲を警戒しながら車外へ降り、

龍園と石崎と橋本もそれに続き、

茶柱は軽井沢とひよりの位置を視界に収めつつ慎重に足を進め、

鬼龍院はやや後方から全体の隊列を見渡していた。

 

署内へ足を踏み入れた瞬間、鼻についたのは埃と火薬の焼けた匂いと、

空調の止まった空間に長く淀んだ生臭さの混ざった不快な空気であり、

受付カウンターの周辺には散乱した書類や割れたモニター、

倒れた椅子が積み重なるように放置されていて、

その荒れ方には単なる避難の混乱というより、何かに追われ、

あるいは何かと戦いながら退却した者たちの焦りが残留しているようだった。

 

そして、その沈黙は長くは続かなかった。

 

廊下の奥、薄暗い待合スペースの向こうで、不規則に何かが擦れる音が鳴り、

次の瞬間には制服を着たまま変質した警官ゾンビたちが、

まだ職務を果たそうとしているかのように歪んだ動きでこちらへ向かってきた。

 

その何体かは警棒を握ったままであり、

また別の個体は拳銃をぶら下げたまま腐敗した腕を持ち上げていて、

生前の役割だけが壊れた身体の中に執着のように残っている光景は、

単なる怪物として見る以上に不快で、

軽井沢は「う、嘘でしょ……」と顔を強張らせ、ひよりも一瞬だけ足を止めた。

 

だが、その逡巡を待ってはくれない。

 

「撃て」

 

龍園の短い指示と同時に、アルベルトのアサルトライフルが火を噴き、

石崎もそれに続いて発砲し、狭い署内に乾いた銃声が連続して反響すると、

先頭にいたゾンビが二体ほどその場に崩れ落ちたものの、後続は止まらず、

むしろ音に引き寄せられるように別の角からも影が動き出した。

 

石崎は恐怖を誤魔化すように「来いよクソが!」と叫びながら引き金を引き続け、

龍園は無駄弾を抑えつつ頭部だけを狙って確実に個体数を減らしていく一方で、

軽井沢やひより、茶柱のように戦闘慣れしていない者たちは

どうしても反応が遅れがちになり、警官ゾンビの一体がひよりへ手を伸ばした瞬間、

高円寺が横から悠然と割り込んでその腕を蹴り上げ、

そのままマグナムで額を撃ち抜いていた。

 

「ぼんやりしていては食べられてしまうよ、椎名ガール」

 

高円寺はそう言って口元に余裕の笑みを浮かべたが、

ひよりは小さく息を呑みながらも「……ありがとうございます」とだけ返し、

その視線は再び前へ戻っていく。

 

軽井沢の前にも別の警官ゾンビが迫り、

彼女は悲鳴を噛み殺しながらハンドガンを構えるものの、

震える手元では照準が定まらず、

その直前でアルベルトが巨体を滑り込ませるようにしてゾンビを掴み、

そのまま壁へ叩きつけて動きを止めた。

 

「下がれ」

 

龍園の短い一言に軽井沢は何度も頷き、

茶柱もまた背後から迫った個体に反応が遅れたところを鬼龍院に助けられ、

鬼龍院はイングラムM10を掲げて「先生、死ぬにはまだ若くないだろう」と

皮肉とも励ましともつかぬ声をかけながら、迷いなく急所へ一撃を叩き込んだ。

 

結果として、戦闘そのものは決して長くはなかった。

 

龍園、高円寺、アルベルト、鬼龍院といった前線要員が

戦力差を見せつける形で警官ゾンビを処理しきり、

残されたのは再び耳が痛くなるほどの静寂と、

床に散らばる使用済みの薬莢だけであり、

茶柱は肩で息をしながら壁に手をつき、

軽井沢は「もうほんと最悪……」と震える声で吐き出し、

ひよりは倒れた警官たちの顔から視線を外すことができずにいた。

 

「感傷に浸ってる場合じゃねぇ、武器庫だ」

 

龍園の言葉で一行は奥へ進み、

鍵の壊された区画を越えて武器庫に辿り着いたのだが、

そこで彼らを待っていたのは期待とはほど遠い光景だった。

 

ラックの多くは空になっており、弾薬箱も蓋だけが開いたまま転がり、

壁面に残された管理札の数からして、

本来ここに存在したであろう装備の大半はすでに持ち出された後だったのだ。

 

「……ちっ、やっぱりか」

 

龍園が忌々しげに舌打ちし、

石崎も「全然ねぇじゃねえか」と声を荒げたものの、

よく見れば完全に空というわけではなく、

棚の端や床の陰に置き去りにされた弾薬箱、予備マガジン、

ハンドガン用の装備品など、緊急時に取り落とされたのだろう物資が

まだいくらか残っていたため、彼らは手早く回収作業を始めた。

 

ひよりも黙々と弾薬を箱ごと集め、軽井沢は慣れない手つきながらマガジンを数え、

茶柱は残存物資を確認しながら必要なものを選別していくが、

どう計算しても長期戦を見据えるには足りず、

高円寺が「ふむ、これでは腹八分どころか、

せいぜい三分の補給といったところだね」と評すると、

全員が同じ結論へ辿り着いていた。

 

「自衛隊基地にも行くしかねぇな」

 

龍園がそう言えば、誰も反対はしなかった。

 

その時だった。

 

武器庫を出ようとした石崎が、

不意に廊下の壁際に誰かが寄りかかるように倒れているのを見つけ、

「おい、まだ生きてるやつがいる!」と声を上げると、

ひよりが真っ先に駆け寄り、二人でその警官の身体を抱き起こした。

 

制服は裂け、胸元から腹部にかけて深い傷を負っており、

出血はすでに乾き始めていたが、その顔色は土気色で、呼吸はか細く、

目を開いていること自体が奇跡に思えるほどの状態だった。

 

「しっかりしてください、まだ話せますか」

 

茶柱が膝をついて問いかけると、

警官はかすれた呼吸の合間にわずかに視線を動かし、

彼らが生存者だと認識したのか、焦点の合わない瞳にわずかな安堵の色を浮かべた。

 

「……なにが、あった」

 

茶柱の問いに対し、

警官は何かを思い出すように唇を震わせ、途切れ途切れの声で答える。

 

「……獣だ……あれは……獣みたいな……化け物で……」

 

その言葉だけで、場の空気が一段重くなる。

 

「……署員が……全員……」

 

警官の呼吸が浅くなる。

 

「……皆殺しに……された……」

 

最後の一語を絞り出した直後、その身体から力が抜け、

首がゆっくりと落ち、ひよりの腕の中でその警官は完全に沈黙した。

 

石崎は何も言えず、ひよりも「そんな……」と小さく漏らすのが精一杯で、

龍園だけがしばらく無言でその遺体を見下ろした後、

「ゾンビじゃねぇってことだな」と低く言い捨てる。

 

「しかも、かなり大型の個体だろうねぇ、ここまでの壊れ方からして」

 

高円寺の分析に、鬼龍院も静かに頷いた。

 

彼らは警官の遺体をその場に寝かせ、

短い黙祷すら許されないように足早に警察署を後にしたが、

建物の外へ出た瞬間、その場にいた全員が反射的に足を止めることになる。

 

空気が変わったのだ。

 

先ほどまでの静けさとは違う、

何か見られていると全身の皮膚が警鐘を鳴らすような、

濃密で不快な気配が頭上から覆いかぶさってきた。

 

最初にそれに気づいたのは高円寺だった。

 

「……上だ」

 

その一言に全員が顔を上げる。

 

警察署の向かいにあるビルの屋上、その縁に張り付くようにして、

常識から外れた巨大な輪郭がこちらを見下ろしていた。

 

いや、見下ろしていたという表現すら正確ではない。

 

それは無数の目でこちらを覗き込んでいたのだ。

 

異様に肥大した肉体、捻じれた四肢、全身に浮かぶ大小さまざまな眼球、

そして前方へせり出した巨大な顎のような口腔部。

 

その奥に、確かに七瀬翼の面影が残っている。

 

【挿絵表示】

 

人の輪郭を辛うじて留めた顔の断片が異形の肉塊の中に

取り込まれているという事実が、かえってその存在を怪物としてではなく

冒涜そのものとして際立たせていた。

 

「……腐ってやがる」

 

龍園の声は、七瀬に向けたものではなかった。

 

そのやり方を選んだ鬼島、その死者の扱い、その外道さに向けた唾棄だった。

 

「実に醜悪だ、ここまで人の尊厳を踏みにじるとは」

 

鬼龍院も眉をひそめ、その声音には怒りがあった。

 

次の瞬間、七瀬の巨体が屋上から飛び降りた。

 

地面が揺れ、砕けたアスファルトが弾け、

着地と同時に獣のような低い咆哮が響き渡る。

 

「撃て!」

 

龍園の指示でアルベルトと石崎が同時にアサルトライフルを連射し、

火線が七瀬へ集中するが、その巨体は正面から押し切られるどころか、

異様な身のこなしで銃撃の軌道をずらすように身をひねり、

そのまま大破した車両の影へ飛び込んで姿を消した。

 

「隠れた!?」

 

軽井沢が叫び、石崎は反射的にそのまま撃ち続けようとするが、

龍園が「やめろ」と鋭く制した。

 

「見えてねぇところに撃っても弾の無駄だ、あれは俺らに撃たせたいんだよ」

 

その分析に石崎は歯噛みしながらも銃口を下げ、

全員が呼吸を殺したまま物陰を睨みつける。

 

沈黙。

 

一秒がやけに長い。

 

二十秒。

 

三十秒。

 

誰も動かない。

 

その静止の中で、ひよりの鼓動だけが耳の内側でうるさいほど響き、

軽井沢は手汗でグリップが滑りそうになるのを感じ、

茶柱は視界の端々に死角がないか必死に確認していた。

 

そして、唐突に来た。

 

七瀬の巨体が車の残骸を飛び越え、一直線にこちらへ突っ込んできたのだ。

 

「撃って!」

 

軽井沢が悲鳴混じりにハンドガンを放ち、

ひよりと橋本もそれに続いて巨大な口腔部へ向けて連続で発砲するものの、

弾丸は肉を抉るだけで致命打には程遠く、勢いは落ちない。

 

そこへ高円寺が一歩前に出て、

まるで射撃訓練の的でも撃つような落ち着きでマグナムを放つと、

ようやく七瀬の巨体が僅かに軌道を乱した。

 

「ふむ、まったく効かないわけではないらしい」

 

だが、その分析を述べる暇すら次の瞬間には失われた。

 

七瀬が大きく身を沈めたと思った直後、横合いから石崎へ飛び込み、

その巨大な顎が彼を捉えたのである。

 

「石崎!」

 

誰かが叫んだ。

 

だが、間に合わない。

 

石崎は最後まで銃を離さなかった。

恐怖に顔を引きつらせながらも、なおも引き金を引こうとしていた。

それでも、その一瞬で勝敗は決まっていた。

 

七瀬の牙に捕まった石崎の身体が大きく揺れ、

その悲鳴が警察署前の広場に響き渡る。

 

龍園チームの中でもっとも騒がしく、もっとも分かりやすく、

そしてもっとも仲間思いのムードメーカーだった男の声が、そこで途切れた。

 

静まり返った世界の中で、ひよりは目を見開いたまま動けなかった。

 

何が起きたのか理解できない。

 

いや、理解したくなかった。

 

つい数秒前まで隣にいて、物資を抱えて、

「これで少しはマシになるな」と不器用に笑っていた石崎が、

いまそこにいないという現実を、彼女の心が認めることを拒絶していた。

 

それでも、現実は容赦なく目の前に横たわっている。

 

石崎は死んだ。

 

その事実だけが、遅れて、重く、冷たく、ひよりの胸の奥へ沈んでいく。

 

そして。

 

それと同時に、別の熱が生まれた。

 

悲しみとも、恐怖とも違う。

 

もっと濁っていて、もっと重くて、もっと止めようのない感情。

 

「……なんで」

 

ひよりの声は震えていた。

 

だが、その震えは泣き崩れる前触れではなかった。

 

むしろ逆だった。

 

彼女は唇を強く結び、細い肩を震わせながらも、

その目だけは次第に硬く、鋭く変わっていく。

 

石崎を奪ったあの怪物を、許せない。

 

仲間を、友達を、こんな形で消した存在を、許してはいけない。

 

その時初めて、椎名ひよりという優しい少女の中に、

はっきりとした憎悪が芽生えた。

 

彼女はハンドガンを構え直し、

ほとんど叫びに近い呼吸のまま七瀬へ向けて連射する。

 

一発、二発、三発。

止まらない。

引き金を引く指に躊躇がない。

だが、乾いた空撃ちの音が鳴った。

 

弾切れ。

 

その瞬間を、七瀬は見逃さなかった。

巨体が再びひよりへ向けて跳ぶ。

 

「危ない!」

 

軽井沢が叫ぶより早く、

高円寺がひよりの身体を横から抱え上げるようにして引き離し、

七瀬の突進を紙一重で回避した。

 

地面が抉れ、アスファルトが弾ける。

 

高円寺は片腕にひよりを抱えたまま、もう片方の手でマグナムを放ち、

至近距離から七瀬の目玉の一つを撃ち抜いた。

 

七瀬が咆哮する。

 

その動きに、ほんの僅かな乱れが生じる。

 

「なるほど、全身に視覚器官があるということは、

同時に情報量が多すぎるということでもあるか」

 

高円寺の言葉を聞き、龍園の目が細くなる。

 

「……死角がねえんじゃねぇ、逆に見えすぎてるのか」

 

彼は一瞬で理解した。

 

あの怪物は全方位を把握できる。

だがその代償として、集中が僅かに乱れる瞬間がある。

複数方向からの攻撃、音、火線、位置の撹乱。

それを重ねれば、ほんの一瞬だけだが動きが鈍る。

 

「散って撃て!一方向からまとめて撃つな!」

 

龍園の指示が飛ぶ。

 

アルベルトが左へ、鬼龍院が右へ展開し、

龍園自身もアサルトカービンを構えて連射を始め、

軽井沢と橋本と茶柱も震える手を必死に抑えながら

ハンドガンとマグナムを撃ち込んでいく。

 

火線が交差し、七瀬の全身へ散る。

 

確かに効いている。

 

だが、それでも決定打にはならない。

七瀬は傷つきながらもなお前へ出る。

その執念は、もはや生存本能ですらなく、

ただ殺戮のためだけに調整された兵器のそれだった。

 

「クソッ、まだ足りねぇ!」

 

龍園が吐き捨てた直後、アルベルトが背中から一つの武器を引き抜いた。

 

最後まで温存していたグレネードランチャー。

 

彼は何も言わない。

ただ静かに照準を定める。

七瀬が口を開いた、その瞬間だった。

 

発射。

 

火炎弾が一直線に飛び込み、次の瞬間、七瀬の口腔内で爆ぜた。

 

轟音。

炎。

 

七瀬の絶叫が周囲の空気を震わせ、その巨体が大きくのけ反る。

 

燃え上がる火は決して七瀬を一撃で倒すほどではなかったが、

明らかに今までとは異なる致命的なダメージを与えたことは全員に分かった。

 

そして、七瀬はそこで初めて退いた。

怒りと苦痛の入り混じった咆哮を残し、その巨体はビルの陰へ跳び、

数秒後には完全に視界から消えていた。

 

追撃はできない。

誰もその余力を持っていなかった。

残されたのは、焦げた地面と、薬莢と、焼けた匂いと、そして石崎の亡骸だった。

 

ひよりはしばらく動かなかった。

 

高円寺に降ろされても、銃撃戦が終わっても、

彼女の視線はただ石崎のもとへ吸い寄せられていた。

 

やがて、彼女は静かに歩み寄り、膝をつき、

開いたままだった石崎の目をそっと手で閉じる。

 

その指先は震えていた。

けれど、もうさっきまでのような怯えではない。

悲しみはそこにある。

絶望もある。

 

だが、それ以上に、彼女の中にはもう一つの感情が根を張っていた。

 

ひよりはそのまま石崎が残したアサルトライフルを手に取り、

さらに傍らに落ちていた弾薬も拾い上げる。

 

その武器は小柄な彼女にとって明らかに重く、扱いやすい代物ではなかった。

 

それでも、彼女は手放さなかった。

 

「……椎名さん」

 

軽井沢が戸惑ったように声をかけるが、ひよりは振り向かない。

 

ただ石崎の銃を抱えたまま立ち上がる。

その姿を見て、龍園が短く息を吐いた。

 

彼は石崎の遺体の前に立つと、ほんの一瞬だけ視線を落とし、

いつものような嘲りも怒号もなく、ただ低い声で言った。

 

「……よくやった。上出来だ」

 

短い。

 

あまりにも短い。

 

だが、その一言には石崎という男への評価も、仲間としての認可も、

そしていまここで立ち止まっていられない現実も、すべてが詰まっていた。

 

茶柱はすぐに無線機を取り出し、

呼吸を整えながら綾小路たちのグループへ連絡を入れる。

 

「こちら龍園チーム、聞こえるか」

 

ノイズ混じりの沈黙のあと、橘の声が返る。

 

「聞こえています」

 

茶柱は一瞬だけ言葉を選び、それでも事実をそのまま伝えた。

 

「七瀬翼の大型クリーチャーと交戦した。石崎が死亡、

七瀬は取り逃がした……そちらも十分に警戒してくれ」

 

無線の向こうで短い沈黙があり、やがて橘が低く答える。

 

「こちらも……死亡した生徒を使ったB.O.Wと交戦しました。

撃退には成功しましたが、松下さんを失いました」

 

その報告を聞いた瞬間、車両の周囲に落ちた空気はさらに重く沈んだ。

 

松下千秋。

石崎大地。

 

ついさっきまで別の場所で生きていた仲間たちの名前が、

こうもあっさりと失った者として並んでしまう現実に、軽井沢は口元を押さえ、

茶柱と橋本は目を閉じ、ひよりは石崎の銃を抱える手にさらに力を込めた。

 

それでも、止まることはできない。

 

敵はまだいる。

 

七瀬は生きている。

 

そして鬼島もまた、この街のどこかで彼らを追い詰める次の手を打ってくる。

 

龍園は「乗れ」とだけ言い、全員が無言で車両へ戻っていく。

石崎を置いていくことに誰も納得などしていない。

だが、生き残るという行為は、そうした納得の有無を一切問わない。

 

車両が再び走り出し、

窓の外で警察署が遠ざかっていく中、しばらく誰も口を開かなかった。

エンジン音だけが車内に低く響き、

全員がそれぞれ別の形で石崎の死を抱え込んでいる。

 

軽井沢は膝の上で拳を握り締め、茶柱は前を見たまま無言で座り、

高円寺はどこかいつもより静かで、龍園は腕を組んだまま瞼すら動かさない。

 

そしてひよりは、石崎のアサルトライフルを膝の上に横たえ、

その長さと重さを見つめ続けていた。

 

やがて、彼女は意を決したように顔を上げる。

 

「あの……」

 

その声に車内の何人かが反応する。

ひよりは高円寺の方を向き、普段よりも少しだけ固い声で言った。

 

「この石崎くんの銃、私でも使えるように、短くできますか」

 

それは単なる整備の相談ではなかった。

彼女がもう後ろにいるだけの自分ではいられないと決めた、その意思表示だった。

高円寺は一瞬だけ彼女を見つめ、それからいつもの余裕を帯びた微笑を浮かべる。

 

「いいとも、やってみようじゃないか」

 

その答えを聞いたひよりは小さく頷き、再び銃へ視線を落とした。

彼女の中にあった優しさは、まだ消えていない。

本を愛し、人を傷つけることを嫌い、

静かに誰かと言葉を交わすことを好む彼女の本質は、たしかにまだそこにある。

 

だが、その優しさだけでは守れないものがあると、彼女はもう知ってしまった。

 

仲間が目の前で奪われる現実を見てしまった。

 

何もできないままでは終われないと、心の底で理解してしまった。

 

だからこそ彼女は、石崎の残した銃を手放さない。

それは形見であると同時に、

自分がもう一歩踏み込まなければならないという、残酷な証明でもあった。

 

車両は荒廃した都市の中を走り続ける。

遠くではどこかのビルが崩れる鈍い音が響き、煙の柱が灰色の空へ伸びている。

この街はまだ死にきっていない。

正確には、死んだままなお暴れ続けている。

 

その中で、龍園たちは次の拠点、

自衛隊基地というさらに大きな火種へ向かおうとしている。

 

武器は必要だ。

弾薬も必要だ。

 

そして何より、ここから先はもう、誰が生きていてもおかしくないし、

誰が死んでも不思議ではない。

 

石崎の死は、その現実を彼らに改めて突きつけた。

特にひよりにとって、それは後戻りのできない境界線だった。

優しいままではいられる。

だが、優しいだけではいられない。

その矛盾を抱えたまま、彼女は前へ進むしかない。

 

車内で誰にも聞こえないほど小さく、ひよりは心の中で石崎へ語りかける。

 

どうか見ていてください、と。

 

あなたが落とした場所で終わらないようにします、と。

 

そして彼女は、まだ自分には大きすぎるその銃を、両手でしっかりと抱え直した。

 

その仕草は不格好だった。

けれど、もう迷いはなかった。

この戦いの中で、また一人、変わってしまった者がいる。

それは壊れたという意味ではない。

 

失ったものの重さを抱えたまま、

それでも立ち上がる形を覚え始めたということだった。

龍園グループを乗せた車両は、血と火薬と沈黙を運びながら、

次なる地獄へ向けて速度を上げていく。

 

その先で待つものが救いである可能性など、誰ももう期待していない。

 

それでも進む。

生き残るために。

 

奪われたものを無意味にしないために。

 

そして、鬼島という悪意の中心へ、いつか必ず辿り着くために。




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