ハンターとの戦闘を終えた綾小路たちの車両は、
再び荒廃した市街地の奥へと進んでいたが、
その車内に漂う空気は、戦闘前とはまったく別のものに変わっていた。
勝利したとは言えなかった。
敵は撃退した。
襲いかかってきた六体のハンターを倒し、車両を失うこともなく、
かろうじて探索を続行できる状態には戻した。
だが、それと引き換えに松下を失った。
その事実は、誰の口からも語られないまま、車内のあらゆる場所に沈殿していた。
綾小路は窓の外を見ていた。
堀北学は助手席で地図と道路状況を照合し、
橘は荒れた車道の隙間を縫うように車を走らせている。
坂柳は沈黙したまま膝の上で手を重ね、
一之瀬はスナイパーライフルを抱えたまま、何かを祈るように目を伏せていた。
櫛田は唇を噛み、伊吹は腕を組んで外を睨み、
須藤は何度も何かを言いかけては、結局言葉にできずに口を閉じていた。
誰もが、あの場面を思い出していた。
松下が倒れたこと。
彼女がまだ息をしていたこと。
堀北が助けようとしたこと。
そして綾小路が、それを止めたこと。
正しかった。
少なくとも合理的には。
あの場に留まれば、迫ってきていたゾンビの群れに飲み込まれ、
全員が危険に晒されていた。
松下を運びながら戦い、
なおかつ治療可能な場所まで辿り着ける可能性は限りなく低かった。
だから見捨てた。
その言葉だけが、どれだけ理屈を積み上げても、最後に残る。
車外の景色は、そんな彼らの沈黙を嘲笑うように、
さらに荒れ果てた様相を見せていた。
大通りには無数の放置車両が詰まり、横転したバスが交差点を半分塞ぎ、
歩道には割れたガラスと焦げた看板が散乱している。
店舗のシャッターは破られ、コンビニの棚は倒れ、
マンションの入り口にはバリケードのように家具が積まれていたが、
その内側に生存者の気配はなかった。
ゾンビだけがいた。
数体単位で道端を彷徨う者。
倒れた車の陰から這い出してくる者。
割れたビルの入口に群がる者。
どこか遠くの物音に反応して、同じ方向へゆっくりと歩いていく者。
東京という都市が、これほどまでに広く、
これほどまでに人で溢れていた場所だったからこそ、
感染の広がりもまた尋常ではなかったのだろう。
「……生存者の反応は?」
学が低く問う。
橘は前方から視線を外さないまま答える。
「少なくとも、この周辺では確認できません。
逃げたか、隠れているか、あるいは……」
最後までは言わなかった。
だが、全員が理解していた。
この惨状の中で、生存者が見つからないということは、
助かった者がいないという意味に近い。
高度育成高等学校の中で起きた惨劇は、あくまで局所的な地獄だった。
だが今、彼らの目の前に広がっているのは都市そのものの崩壊だ。
規模が違う。
被害の層が違う。
そして、救助や秩序の気配が、あまりにも薄い。
「……ここまで広がってるなんて」
一之瀬がかすれた声で呟く。
「学校の外に出れば、少しはまともな場所があると思ってたのに……」
誰も答えない。
答えられるはずがなかった。
その時、後部座席で小さく身じろぎする音がした。
堀北だった。
綾小路に意識を落とされてから、
車両の中で眠らされるように横たえられていた彼女が、ゆっくりと目を開ける。
最初は焦点が合っていない。
天井を見て、揺れる車内を見て、自分がどこにいるのかを思い出そうとする。
そして、次の瞬間。
彼女の記憶が一気に戻った。
「松下さんは!?」
堀北は跳ね起きるように上体を起こした。
その声は鋭く、必死だった。
眠りから覚めたばかりの人間の声ではない。
意識を失う直前の光景に、魂だけがまだ取り残されていた者の声だった。
だが、誰もすぐには答えなかった。
櫛田は視線を逸らした。
伊吹は窓の外を見たまま口を閉じた。
須藤は拳を握り締め、歯を食いしばる。
一之瀬は堀北を見ることができず、俯いた。
その沈黙だけで、堀北は理解した。
「……そんな……」
声が、崩れる。
堀北の顔から血の気が引いていく。
彼女はもう一度、何かを確認するように周囲を見回した。
しかし、そこに松下の姿はない。
松下は、生きていた。
あの時、確かにまだ息をしていた。
そして助けを求めていた。
行かないで、と。
置いていかないで、と。
その手の感触が、まだ堀北の服に残っているようだった。
「……私たちは……」
堀北の声が震える。
「松下さんを、見捨てたの……?」
その問いに対して、誰も否定できなかった。
堀北は仲間を大切にすることを知った。
かつて一人で前へ進もうとしていた彼女は、
あの学校の中で、他人と手を取り合うことの意味を学んだ。
勝つためには孤独では足りない。
結束し、信頼し、互いの弱さを補い合うことこそ、
クラスという単位で戦ううえで重要なのだと、彼女は痛いほど知った。
だからこそ、認められなかった。
仲間が助けを求めている時に、その手を振り払うことなど。
まだ生きている人間を、死ぬと決めつけることなど。
自分がそれをしてしまったという事実を、心が拒絶していた。
「本当に変わったんだな、鈴音」
静かに声をかけたのは、学だった。
堀北はゆっくりと顔を上げる。
学は前方を見たまま、しかしその言葉だけは確かに妹へ向けていた。
「昔のお前なら、他人のことなど眼中になかった。
自分が上へ行くことだけを考え、周囲を切り捨てることに躊躇もなかったはずだ」
堀北は唇を噛む。
反論できない。
それは事実だった。
かつての彼女は、他者を信じていなかった。
誰かと共に進むことよりも、一人で正しくあろうとすることを選んでいた。
それが強さだと思っていた。
「……私は、あの学校で仲間の大切さを知りました」
堀北は絞り出すように言う。
「結束こそが勝ち上がる近道なのだと、教えられました。
自分一人では届かない場所にも、誰かとなら届くことがあるのだと……」
そこまで言って、堀北の声が詰まる。
「なのに……こんなことって……」
学はしばらく黙っていた。
その沈黙は、妹の言葉を否定するためのものではなかった。
むしろ、彼女がそこまで辿り着いたことを確かめるような静けさだった。
「俺も、お前のその考え方を肯定する」
学は言った。
「現に俺も、仲間がいたからこそAクラスで卒業できた。
個人の能力だけで全てを押し切れるほど、あの学校は単純ではなかった」
堀北は黙って聞く。
「しかし、同時にたくさんの仲間を失った」
車内の空気が、さらに静かになる。
「そして、鈴音や俺と同じような信念を抱いていても、
B以下で卒業した者は大勢いた。
仲間を大切にしたから勝てるわけではない。
結束したから必ず報われるわけでもない」
堀北の拳が膝の上で震える。
その言葉は冷たい。
だが、嘘ではない。
学は続ける。
「勝ち残るために、生き残るために必要なことは、犠牲そのものではない」
堀北が顔を上げる。
「最後まで諦めないことだ。そして――最後が来た時に、諦めることだ」
その言葉は、堀北の胸を深く刺した。
「でも……松下さんは、生きるのを諦めていませんでした」
堀北の声は、弱々しくも確かだった。
「助けを求めていました。最後まで、生きたいと……」
学は静かに頷く。
「そうだ。最後の時が来たのに、彼女は諦めなかった」
堀北は息を呑む。
「だから死んだ」
その一言に、櫛田が小さく肩を震わせた。
一之瀬も目を伏せる。
須藤は「そんな言い方……」と呟きかけたが、最後まで続けられなかった。
学の言葉は残酷だった。
だが、残酷だからこそ、そこには逃げ場がない。
「彼女が自分の死を受け入れ、鈴音たちを送り出していたなら、
お前の中で彼女は強く生き続けていただろう」
学はゆっくりと言う。
「だが彼女は助けを乞うた。最後まで生にしがみついた。
だから鈴音の中で、彼女は脆く、完全に死んだ」
堀北の表情が歪む。
「……助けを求めるなと?」
その声には怒りが混じっていた。
だが学は動じない。
「過程の話ならば、いくらでも助けを乞うべきだ。
助け合うべきだ。支え合うべきだ。そこに価値はある」
一拍置く。
「しかし、最後が来たならば、乞うても無意味だ」
誰も言葉を挟めない。
「綾小路はそれを正しく理解し、彼女を見限った」
堀北の視線が、綾小路へ向く。
綾小路は無表情だった。
否定もしない。
肯定もしない。
ただその場にいる。
学はさらに続ける。
「必ず死は訪れる。遅いか、早いかだけだ。
ならば重要なのは、死を遠ざける努力を最後まで続けることと、
避けられない瞬間に誰を巻き込まないかを選ぶことだ」
堀北は俯いた。
その肩が、かすかに震えている。
理屈としては、理解できる。
だが心が納得しない。
納得してしまえば、自分の中の何かが決定的に壊れてしまう気がする。
それでも、この世界は納得を待ってくれない。
学は、少しだけ間を置いてから続けた。
「勘違いするな、鈴音。俺は仲間を大切にするなと言っているわけではない」
その声音は先ほどまでよりもわずかに柔らかかったが、
そこにある理屈の鋭さは変わらない。
「仲間を大切にすることと、助からない局面で一人に固執することは別物だ」
車内の空気が、静かに引き締まる。
「助からない状況で一人を救おうとすれば、
その一人だけでなく、全員を巻き込んで死ぬ可能性がある」
誰も言葉を挟まない。
「それは優しさではない。ただの判断ミスだ」
堀北の指先がわずかに震える。
学は続ける。
「だからこそ必要になる。最後まで足掻くことと、
最後の瞬間に現実を受け入れる覚悟がな」
静かに、しかし確実に言い切る。
「助ける側も、助けられる側もだ」
その言葉が落ちたあと、短い沈黙が車内を満たした。
やがて、堀北は俯いたまま、かすれるような声で呟く。
堀北の視線が、綾小路へ向く。
綾小路は無表情のまま、その視線を受け止めていた。
そして、短く言う。
「……あの場でオレたちが松下を助けていたら、全員死んでいた」
その一言には、推測ではなく断定の響きがあった。
迷いも、躊躇もない。
まるで既に起きなかった未来を見てきたかのように、
ただ事実を述べるような声音だった。
「助けるか、全員で死ぬかの二択だった。それだけだ」
車内の空気が、さらに重く沈む。
誰もすぐには言葉を返せなかった。
その現実を否定する材料を、誰も持っていなかったからだ。
堀北は、俯いたまま、小さく、しかし確かに言葉を絞り出す。
「……それでも」
指先が震える。
「それでも私は……見捨てるという選択を、正しいと認めたくありません」
顔は上げない。
だが、その声には揺らがない芯があった。
「たとえ結果が同じだとしても……
最後まで手を伸ばそうとしたことまで否定してしまったら……
私は、私でいられなくなる気がするんです」
言葉が一瞬詰まる。
「生き残るためには切り捨てるしかないのだとしても……」
拳を強く握りしめる。
「それを正しいとだけは……どうしても思えません」
沈黙が30秒ほど続いた。
その沈黙を破るように、綾小路が口を開いた。
「もう一つ、悲報がある」
堀北はゆっくり顔を上げる。
「……なに?」
綾小路は淡々と言った。
「石崎も死んだ」
堀北の目が、一瞬大きく見開かれた。
石崎大地。
龍園のそばにいつもいた、粗雑で、騒がしく、けれどどこか憎めない男。
決して堀北にとって親しい相手ではなかった。
それでも、同じ地獄を生き抜いてきた生存者の一人だった。
その名前が、また一人、失われた者として告げられた。
堀北は何も言えず、再び俯いた。
一人ではない。
松下だけではない。
石崎も失われた。
おそらく、この先も失われていく。
その現実が、車内全体に重くのしかかる。
だが、その空気を断ち切るように、坂柳が静かに口を開いた。
「では、次は建設的な話をしましょう」
その声は柔らかかったが、感傷に流されることを許さない芯の強さがあった。
「既に、私たち以外の生存者は限りなく少ないと見ていいでしょう。
少なくとも、自然に救助を待てる状況ではありません」
誰も反論しない。
「であれば、考えるべきはただ一つです。
生き残った私たちが、可能な限り全員で生還するための脱出路を確保すること」
堀北は俯いたままだったが、坂柳の言葉は聞いている。
一之瀬が少し考え込むようにして言った。
「地下鉄とかはどうかな。道路よりは通れる場所があるかもしれないし、
地上よりゾンビの数も少ないかも……」
綾小路はすぐに答える。
「可能性はあるが、危険も大きい。
これほど街全体が崩壊しているなら、地下は瓦礫で埋まっていたり、
排水機能が止まって水没している可能性が高い。
海に近い区画なら、流れ込んだ海水や汚水で移動不能になっていてもおかしくない」
一之瀬は「そっか……」と小さく頷く。
須藤が身を乗り出した。
「じゃあ、このまま車で走り切るのは無理なのか?
道を選べば、なんとか外まで行けるんじゃねぇの?」
橘が地図を広げる。
「いまは、なんとか通れる道を選んで走っています。
ですが、外へ向かう主要道路は大破した車両、瓦礫、バリケード、
ゾンビ発生やそれに伴う事故により、正常に走れる状況ではなく、
場合によっては軍や警察が作った封鎖線で塞がれている可能性が高いです」
彼女は指でいくつかのルートを示す。
「迂回を重ねれば移動距離が増えます。
その分、燃料と時間と接敵リスクが増える。
車で走り切るだけの脱出は、現実的とは言えません」
櫛田が不安げに呟く。
「それじゃ、一体どうすれば……」
坂柳が、静かに視線を上げた。
「もっとも脱出できる可能性が高い方法は、空からの脱出です」
車内の視線が彼女へ集まる。
「ヘリコプター、もしくはそれに類する航空機を確保できれば、
地上の障害物を無視できます。道路封鎖もゾンビの群れも、
少なくとも直接的な障害にはなりません」
「しかし」
綾小路が引き取る。
「ヘリ一機では、10人以上は乗れない可能性が高い」
坂柳は頷く。
「ええ。それが問題ですね。
私たちの人数を考えると、小型機一機では到底足りません」
櫛田が少し顔を上げる。
「なら、二機確保できれば……?」
綾小路は短く答えた。
「そう上手くいけばいいけどな」
坂柳も同意する。
「想定外の事態は起こり得ます。
片方が破損する可能性もありますし、燃料や操縦者の問題もあります。
そもそも航空機が無事に残っている保証もありません」
学が口を開く。
「ヘリコプターにも種類がある。
救助用、輸送用、軍用ヘリなら十人以上を乗せられる機体もある。
問題は、どこに残っているかだ」
橘が地図上の別の地点を指す。
「ティルトローター機なども候補に入ります。
小型から中型でも、条件が合えば十人以上は乗れる場合があります」
須藤が感心したように声を漏らす。
「なるほど……空か」
その言葉には、ほんの少しだけ希望があった。
地上が塞がれているなら、空へ。
単純だが、確かに理にかなっている。
坂柳がまとめるように言う。
「ならば、ヘリコプター、もしくはティルトローター機などの
確保を最優先としてプランを練りましょう。自衛隊基地、警察航空隊、消防、
病院のヘリポート、災害拠点となる大型施設。候補は複数あります」
一之瀬が、ふと首を傾げる。
「ところで、操縦は……?」
その問いに、車内が一瞬静かになる。
確かに、そこが最大の問題だ。
機体を見つけても、飛ばせなければ意味がない。
学が眼鏡を押し上げる。
「俺でも構わんが……」
そこで綾小路が淡々と言った。
「過去に、軽飛行機と大型ヘリのシミュレーションをやったことがある」
沈黙。
今度の沈黙は、さっきまでの重苦しいものとは違った。
全員が、綾小路を見る。
須藤は目を丸くし、櫛田は一瞬だけ口を開け、
一之瀬は困ったように笑い、伊吹は露骨に顔をしかめた。
「……あんた、ナニモンよ」
伊吹の言葉は、車内の総意に近かった。
綾小路は特に表情を変えない。
「必要だったからやっただけだ」
「普通は必要にならないのよ」
伊吹が即座に返す。
そのやり取りに、櫛田が小さく笑った。
「まあ、綾小路くんは今に始まったことじゃないけどね」
その一言で、張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩んだ。
須藤も「いや、やっぱおかしいって」と苦笑し、
一之瀬も「でも、頼もしいよ」と小さく付け加える。
坂柳は口元にわずかな笑みを浮かべ、学は何も言わず、ただ綾小路を見ていた。
堀北も、俯いたままだった顔を少しだけ上げる。
松下のことが消えたわけではない。
石崎の死が軽くなったわけでもない。
何も解決していない。
だが、それでも人間は、ほんの僅かな会話や、場違いな驚きや、
くだらない反応で、わずかに呼吸を取り戻すことができる。
それは強さではない。
ましてや救いでもない。
ただ、まだ生きている者たちが、前へ進むために必要な一瞬の緩みだった。
その静けさを、不意に無機質な電子音が切り裂いた。
瓦礫と炎に覆われた東京の映像が、ノイズ混じりのまま画面に映し出される。
倒壊したビル、燃え続ける街路、そしてゆっくりと蠢く無数の影。
その地獄のような光景の上に、突然、政府の緊急放送のテロップが重なる。
「……なに?」
櫛田が顔を上げる。
画面は激しく乱れ、断続的に黒と白のノイズが走る。
だが次の瞬間、映像が安定した。
次の瞬間、画面が切り替わり、整然とした会見室の中央に一人の男が立っていた。
鬼島内閣総理大臣。
その表情は落ち着いており、どこまでも穏やかで、
いまこの瞬間、日本の大半が崩壊しているとは到底思えないほど静かだった。
背後には国旗が掲げられ、照明は乱れなく、音声も異様なほどクリアだった。
まるで、この惨劇だけが現実ではないかのように。
鬼島はゆっくりと口を開く。
「国民の皆さん」
その声は低く、よく通る。
不思議なほど感情の揺らぎがない。
「現在、我が国は未曾有の災害に直面しています」
だがその言葉に、焦りも悲しみも含まれてはいない。
「都市機能の崩壊、通信の断絶、そして感染拡大」
淡々と、事実だけを並べる。
まるで報告書を読み上げているかのように。
「多くの命が失われ、多くの人々が恐怖の中にいることでしょう」
ここで初めて、わずかに目を細める。
だがそれは同情ではなく、観察する者の目だった。
「ですが、これは悲劇ではありません」
その一言で、空気が変わる。
「これは――選別です」
静寂。
画面越しでさえ、その言葉の異様さが伝わってくる。
「国家というものは、常に選択を迫られます」
鬼島は一歩、前へ出る。
「誰を守り、誰を切り捨てるのか。
どの命に価値を見出し、どの命を諦めるのか」
その声は一切揺れない。
「これまでは、それが見えにくかっただけです。
制度の中で、数字として処理されていただけです」
一拍。
「しかし今は違う」
わずかに口角が上がる。
「すべてが、可視化された」
画面の向こう側で、燃え続ける街の映像が再び一瞬差し込まれる。
「この環境で生き残れる人間こそが、次の時代に必要な存在です」
断言。
迷いはない。
「知恵を持つ者。決断できる者……
そして――他者を切り捨てる覚悟を持つ者」
一語一語、噛み締めるように発せられる。
「それらを備えた人間だけが、生き残る。
それが自然の摂理であり、国家の進化です」
鬼島はゆっくりと両手を組む。
「我々は、この状況を制御不能な災害とは見ていません。
これは計画の一環であり、必要な過程です」
その一言で、すべてが繋がる。
「新たな時代を築くための、選別――そのための、試験場」
鬼島の視線が、まっすぐカメラを射抜く。
まるで誰か一人を見ているかのように。
「そして――その中で証明される。人間の『最高傑作』が」
その言葉は、明らかに特定の存在を示唆していた。
「恐れる必要はありません。これは終わりではない」
一呼吸おいて。
「始まりです」
最後に、穏やかな笑みを浮かべる。
「新しい日本の」
画面が、ノイズと共に途切れる。
再び映し出されるのは、炎に包まれた東京だった。
再び車内に、静寂が戻る。
だが、それは先ほどの穏やかなものとは違った。
誰もが何も言わない。
言えなかった。
ただ一人、綾小路だけが目を伏せずにいた。
「……そういうことか」
小さく、呟く。
その声は、納得とも、諦めともつかない響きを帯びていた。
誰も返事をしない。
ただ、前を見た。
車両はさらに進む。
地上から空へ。
脱出の可能性は、ようやく一つの形を持ち始めた。
だがその空の下には、まだ変わり果てた七瀬がいる。
強力なB.O.Wがいる。
鬼島がいる。
そして、死者を兵器として利用するこの都市そのものが、
彼らを逃がすまいと口を開けている。
綾小路は窓の外を見ながら、静かに考えていた。
ヘリを確保する。
人数を乗せる。
燃料を確認する。
離陸地点を守る。
追跡を振り切る。
そして、鬼島がそれを許すかどうか。
課題は山ほどある。
それでも、初めて脱出という言葉が、具体的な手順として見え始めた。
堀北はまだ沈んでいる。
一之瀬も完全には立ち直っていない。
櫛田も須藤も伊吹も、それぞれに傷を抱えている。
だが、全員が前を向くしかない。
最後まで諦めないこと。
そして、最後が来た時に諦めること。
学の言葉は、堀北だけでなく、この車両にいる全員の胸に、重く残っていた。
その言葉が正しいのかどうかは、まだ誰にもわからない。
だが、少なくとも今は。
最後ではない。
ならば、諦める理由はない。
車両は黒煙の立ち昇る街を抜け、
空への脱出路を探すため、さらに深く死都の中へと進んでいった。
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