カーストルーム・オブ・ザ・デッド2   作:戦竜

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第7話 断絶

自衛隊基地へ向かう軍用車両の中は、

走行音と無線機の微かなノイズだけが淡々と響く閉ざされた空間でありながら、

その内部に満ちている空気は、先ほどまでよりもさらに重く、

誰もが同じ車内にいながら、それぞれ別々の暗い場所へ

沈み込んでいるような沈黙に包まれていた。

 

石崎大地に続いて、椎名ひよりが死んだ。

 

龍園から無線で告げられたその報告は、あまりにも短く、

あまりにも簡潔で、だからこそ余計に現実味がなく、

最初に聞いた瞬間は誰もが言葉の意味をうまく掴めなかった。

 

だが、沈黙が長く続くほど、その事実はじわじわと輪郭を持ち始め、

やがて全員の胸の奥に、冷たい石のような重さを残していく。

 

伊吹は、車内の壁にもたれるように座りながら、

両手に握った二丁拳銃のグリップを痛いほど強く握り締めていた。

 

椎名ひよりと特別に仲が良かったわけではない。

 

むしろ、同じクラスにいながら、

まともに会話をした記憶など数えるほどしかなかった。

 

ひよりは静かに本を読み、伊吹は誰とも馴れ合わずに突っかかる。

互いの世界は、ほとんど交わらなかった。

それでも、彼女は同じ地獄を生き抜いてきた仲間だった。

 

龍園のクラスで、同じ時間を過ごし、同じ試験を潜り抜け、

そしてこの死都でも同じように戦っていた一人だった。

 

その人間が、もういない。

そう思うたびに、伊吹の胸の奥から、悲しみというよりも先に、

どうしようもない苛立ちが込み上げてくる。

 

なぜ死んだのか。

 

なぜ自分はそこにいなかったのか。

 

なぜ、また誰かが失われたのか。

 

答えのない問いだけが、銃のグリップを握る指先へ力となって流れ込んでいた。

 

堀北もまた、深く沈んでいた。

松下の死をまだ受け止めきれていない。

あの手の感触も、助けを求める声も、まだ耳と肌に残っている。

 

そこへ石崎の死が告げられ、さらにひよりの死が重ねられた。

彼女は自分の中で何度も、

仲間を守るために強くならなければならないと考えていた。

 

クラスを導くために。

 

誰かを置いていかないために。

 

結束こそが勝ち上がる道だと信じたからこそ、自分は変われたのだと思っていた。

 

だが現実は、その信念を嘲笑うように、仲間を一人ずつ奪っていく。

 

松下。

石崎。

ひより。

 

名前を思い浮かべるたびに、堀北は呼吸の仕方を忘れそうになった。

 

一之瀬も口を開かない。

 

彼女の抱えるスナイパーライフルは、今や人を救うための道具であると同時に、

人の形をしたものを撃ち抜かなければならない現実の象徴でもあった。

 

櫛田はいつものような作られた笑顔を完全に失い、膝の上で両手を握り締めている。

須藤は何度も堀北の方を見たが、

何を言えばいいのか分からず、そのたびに口を閉じた。

 

坂柳は沈黙を保っていたが、その表情は穏やかではない。

堀北学は地図を見ている。

橘は運転に集中している。

綾小路は窓の外を見ていた。

 

それぞれの表情は違っても、全員が同じ現実を抱えていた。

 

また、仲間が死んだ。

 

それだけだった。

 

車両の外では、荒廃した都市が途切れることなく流れていく。

 

崩れた歩道橋、横転した車両、焼け焦げたコンビニ、開いたままのマンションの窓、

無人のバス停、そして道端を彷徨う無数のゾンビ。

 

生存者の姿はない。

助けを求める声もない。

 

ここまで広い街が、ここまで静かであること自体が、もはや異常だった。

 

「……そろそろ基地の外周に近づきます」

 

橘が低く告げる。

 

その声に、車内の全員がわずかに身構えた。

ひよりを失ったばかりの龍園グループが待っている場所。

武器とヘリを確保したという希望のある場所。

同時に、何が起きてもおかしくない場所。

 

緊張が再び車内を支配し始める。

 

その時だった。

 

車両の前方、崩れた高架道路の影から、巨大なものが跳んだ。

 

それは、ゾンビの動きではなかった。

ハンターのような小型の俊敏性でもない。

もっと大きく、もっと重く、それでいて信じがたいほど速い。

 

黒い影が道路の中央へ落ち、アスファルトを砕くように着地した瞬間、

橘が反射的にハンドルを切り、車両は大きく揺れながら急停止した。

 

「――来たぞ」

 

綾小路の声が落ちる。

 

その先にいたのは、異形と化した七瀬だった。

先ほどハンターと交戦した時に見たどのB.O.Wとも違う。

人間の輪郭をわずかに残しながら、全身が異様に肥大し、

肉体のあちこちに目のような器官が浮かび、

前方へ裂けるように開いた巨大な口には、獣じみた牙が並んでいる。

 

かつて七瀬翼という名前を持っていた少女の面影が、

完全に消えていないことが、かえって見る者の精神を削った。

 

一之瀬は一瞬、口元を押さえた。

悲鳴を上げなかっただけでも、十分だった。

 

「これが、龍園たちが交戦した個体か」

 

綾小路が淡々と言う。

 

「でけぇ……しかも速そうだな」

 

須藤がショットガンを握り直す。

学は既にマグナムを取り出していた。

 

「逃げ切れるかは分からない。ここで足止めするしかないな」

「出るぞ」

 

綾小路の一言で、須藤が最初に車外へ飛び出した。

続いて綾小路、一之瀬、学が降りる。

櫛田もハンドガンを握って続こうとした。

 

堀北は、一瞬だけ動けなかった。

七瀬の異形の姿を見たからではない。

失った者たちの名前が、足元に絡みついていた。

 

次は誰なのか。

次は自分の前で、誰が倒れるのか。

 

その思考が、ほんの一瞬、彼女の足を止めた。

 

「いつまでぼさっとしてるのよ!」

 

櫛田の声が、怒鳴りつけるように叩きつけられる。

それはいつもの柔らかな声ではなかった。

作られた笑顔も、優等生の仮面もない、

むき出しの焦りと怒りが混ざった櫛田桔梗の素の声だった。

 

 

「見てわかんないの!?止まったら終わりなんだ!!」

 

その声には、これまで一度も混じったことのない棘があった。

 

「泣くのは勝手だけど、今じゃないでしょ!

そんなことしてる間に、また誰か死ぬんだよ!?」

 

息を荒げる。

整った呼吸も、整った言葉遣いも、もうどこにもない。

 

「松下さんだって、助けてほしかったに決まってる!

でも、だからって止まっていい理由にはならないでしょ!!」

 

言葉が荒れる。

だが、それは理性を失ったからではない。

 

押し殺していた現実を、そのままぶつけているだけだった。

 

「今ここで止まったら、みんなの死、全部無駄になるのよ!!」

 

一歩踏み込む。

 

「動きなさいよ、堀北!!あんた、こんなところで終わる女じゃないでしょ!!」

 

その叫びは、叱責でも命令でもなく、

半ば祈りに近いものだった。

 

その言葉は綺麗でも上品でもなかった。

ただ、残酷なまでに現実だった。

 

堀北の胸に、その一言が深く突き刺さる。

 

その瞬間、松下の声が脳裏に蘇る。

「行かないで」「死にたくない」

あの手の感触。

離した瞬間の、あの温もり。

 

思考が止まりかける。

 

だが――

 

「……っ」

 

堀北は歯を食いしばり、自分の頬を、躊躇いなく叩いた。

 

乾いた音が鋭く響く。

 

痛みが走る。

だが、それでいい。

 

これは罰でも、慰めでもない。

 

現実に戻るための、強制的なスイッチだった。

 

止まるな――

 

止まった瞬間、全部終わる――。

 

今ここで動けなければ、また失う。

 

後悔する暇も、悲しむ時間も、

この地獄は与えてくれない。

 

失ってから泣くくらいなら、

泣く余裕すらなくなるほど動け。

 

――今は、それしかない。

 

堀北の目から、迷いが消えた。

 

堀北はアサルトライフルを構え、車外へ踏み出した。

 

戦闘は、即座に始まった。

須藤がショットガンを放つ。

 

だが七瀬は巨体からは想像できないほど軽やかに横へ跳び、散弾の大半を避ける。

 

続いて綾小路が狙いを修正して撃つが、七瀬は道路標識を蹴るようにして再び跳躍、

ビルの壁面に一瞬張り付くような不気味な動きを見せたあと、さらに別方向へ飛ぶ。

 

「速すぎる……!」

 

一之瀬が狙撃体勢を取るが、照準が追い切れない。

 

七瀬はただ走っているのではない。

 

跳ぶ。

止まる。

また跳ぶ。

角度を変える。

視線を散らす。

 

まるで自分の全身にある目を使って、

全員の銃口と立ち位置を同時に把握しているかのようだった。

 

須藤が再び撃つ。

 

外れる。

 

いや、当たりはしているが、決定打にはならない。

 

七瀬は衝撃でわずかに姿勢を乱しながらも、そのまま次の動きへ移る。

 

「くそ、なんだよこいつ!」

 

須藤が叫ぶ。

 

七瀬は突然、進路を変えた。

狙いは櫛田だった。

櫛田はハンドガンを構えていたが、接近速度が速すぎる。

反応はしている。

だが、間に合わない。

 

「櫛田さん!」

 

一之瀬が息を詰める。

 

次の瞬間、スナイパーライフルの銃声が響いた。

 

弾丸は七瀬の首元に近い急所を正確に捉え、その突進の軌道をわずかにずらす。

櫛田は地面へ転がるようにして回避した。

 

「今だ!」

 

学の声と同時に、綾小路、堀北、須藤、学が一斉に撃つ。

 

ショットガン、アサルトライフル、マグナム。

連続する銃声が道路を埋め、七瀬の巨体が弾丸の衝撃で大きく揺れる。

 

確実にダメージは入っている。

だが、そこで終わらない。

七瀬の全身から粘性のある液体が滲み出し、裂けた肉が塞がるようにうごめいた。

傷口が完全に戻るわけではない。

だが、行動を止めるには至らない速度で回復している。

 

「再生まであるのかよ……!」

 

須藤が歯を食いしばる。

 

「火力が足りない」

 

綾小路が短く言う。

 

「弱点を絞る必要がある」

「そんなこと言われても、動きが速すぎるわ!」

 

堀北が叫ぶように返す。

それでも彼女は撃ち続ける。

自分が止まれば、また誰かが死ぬ。

その恐怖が、彼女を戦場に縛りつけていた。

 

車内では、伊吹がその戦いを見ていた。

苛立ちが限界に近かった。

自分は何をしているのか。

目の前で仲間が戦っている。

七瀬という化け物が暴れている。

 

ひよりが死んだ。

石崎も死んだ。

 

なのに、自分は車内にいる。

 

二丁拳銃を握り締め、飛び出したい衝動を抑えながら、ただ見ている。

 

その時、隣にいた橘が静かに口を開いた。

 

「助けに向かいたいですか?」

「当たり前でしょ!」

 

伊吹は即座に怒鳴った。

 

「見て分からないの!?あいつら、このままじゃ押し切られる!」

 

橘は怒鳴り返さない。

ただ、静かに続ける。

 

「では、どんなに理不尽で、不条理なことが起きるとしても受け入れられますか?」

「理不尽なんて、もうコリゴリに決まってる!」

 

伊吹の声は荒い。

 

だが橘は、そこで視線を伊吹の手元へ落とした。

 

「その銃は、漫画や映画のようにはいきません。そのことも理解していますか?」

 

その言葉に、伊吹は一瞬、呼吸を止めた。

自分の手にある二丁拳銃。

ずっと使ってきた。

ゾンビも、リッカーも、数えきれないほど倒してきた。

 

だが、それは本当に自分一人の力だったのか。

 

違う。

 

仲間がいた。

 

前に出る者がいた。

 

援護してくれる者がいた。

 

自分が撃てる位置を作ってくれる者がいた。

 

二丁拳銃は目立つ。

動きも派手になる。

近距離で取り回しやすく、素早く撃てる。

だが、威力も射程も安定性も限界がある。

映画の中では、二丁拳銃を操る主人公は華麗に敵を倒していく。

伊吹はアクション映画が好きだった。

画面の中で、派手に銃を捌き、

敵の群れを切り抜ける主人公を、かっこいいと思ったことがある。

 

気づけば、自分もそのイメージをどこかで追っていた。

他の武器を選ぶ機会はあった。

ショットガンも、アサルトライフルも、より現実的な武器は手に入った。

それでも、伊吹は二丁拳銃にこだわっていた。

自分に合っていると思っていた。

いや、そう思いたかった。

 

「伊吹さん」

 

坂柳の声が、後ろから静かに重なる。

 

「これは漫画でも映画でもなく――現実ですよ」

 

その一言は、伊吹の胸へ真っ直ぐ刺さった。

 

腹が立った。

 

言われなくても分かっている、と怒鳴り返したかった。

 

だが、分かっていなかったのかもしれない。

 

ひよりは死んだ。

 

石崎も死んだ。

 

松下も死んだ。

 

この世界は、格好良さなど考慮してくれない。

 

生き残るために必要なのは、見栄えではない。

 

止める力。

 

倒す力。

 

守る力。

 

伊吹は二丁拳銃を見下ろした。

 

そして、何も言わずにそれを座席へ置いた。

 

代わりに車内に保管されていたソードオフのショットガンを掴む。

 

短いが、女子には扱いにくい。反動も強い。

だが近距離での威力は、二丁拳銃とは比べものにならない。

 

伊吹は立ち上がる。

 

車外へ飛び出す。

 

その動きを、戦場の中で学が視線の端に捉えた。

 

二丁拳銃ではない。

ショットガンを手にしている。

 

学はほんのわずか、口端を吊り上げた。

それは嘲笑ではない。

彼女が、自分のこだわりを捨てて、勝つための選択をしたことへの認可だった。

 

伊吹は七瀬へ向かって叫ぶ。

 

「あんたの相手は、この私よ!」

 

接近。

発砲。

 

ソードオフショットガンの轟音が近距離で響き、七瀬の巨体が明確に揺れた。

 

伊吹はすぐに距離を取る。

シェルを詰め替え、ポンプを引く。

 

七瀬が突っ込む。

伊吹は横へ跳ぶ。

足場の悪い道路でも、身体能力を活かして低く滑るように回避し、

振り返りざまに再び撃つ。

 

「効いてる!」

 

一之瀬が叫ぶ。

 

「伊吹、無理に前へ出すぎるな!」

 

須藤が叫ぶが、伊吹は聞き流す。

 

ただし、無謀に突っ込んでいるわけではない。

 

撃つ。

離れる。

弾を詰める。

相手の突進を誘う。

また撃つ。

 

派手さはなくなった。

だが、さっきより遥かに現実的で、遥かに戦えていた。

その姿を見て、堀北の中にも再び火が入る。

 

伊吹が変わった。

 

ならば、自分も止まっていられない。

 

もうこれ以上、誰も失いたくない。

 

堀北は息を整え、アサルトライフルを構え直した。

 

「一之瀬さん、視界を切らせないで!」

「分かった!」

「須藤くん、正面をお願い!」

「おう!」

「櫛田さん、私の右側!」

「分かってる!」

 

堀北の声が戻る。

指示が通る。

櫛田もそれに従い、右側からハンドガンを撃つ。

須藤は正面からショットガンを放ち、

綾小路は七瀬の移動先を読むように銃口を動かし、

学は重要な瞬間だけマグナムを撃ち込む。

一之瀬は狙撃で七瀬の動きをずらし、伊吹は接近戦の圧で足を止める。

 

少しずつ、戦線が機能し始めた。

だが、それでも七瀬は倒れない。

 

傷を負う。

再生する。

動きが鈍る。

また跳ぶ。

 

何度も、何度も、こちらの心を折るように立ち上がる。

 

そして、次の瞬間。

七瀬の全身の目が、同時に別々の方向を見たように見えた。

 

一瞬の迷い。

 

だが、その直後に狙いが定まる。

 

櫛田だった。

 

「櫛田さん!」

 

堀北が叫ぶ。

櫛田は反応した。

だが七瀬の速度は、これまでよりさらに速かった。

 

一之瀬がライフルを構える。

 

間に合わない。

 

伊吹が撃つ。

 

わずかに逸れる。

 

学が銃口を向ける。

 

角度が悪い。

 

その瞬間、須藤が動いた。

 

考えるより早かった。

 

身体が勝手に動いた。

 

櫛田を突き飛ばすようにして庇おうとする。

 

「須藤くん!?」

 

櫛田の声が弾ける。

だが、その行動は七瀬の突進を完全には止められなかった。

巨大な顎が、二人をまとめて捉えて噛み砕く。

時間が止まったように見えた。

 

音が遠ざかる。

 

誰かが叫んだ。

 

堀北かもしれない。

 

一之瀬かもしれない。

 

それとも、全員だったのかもしれない。

 

七瀬は二人を地面へ投げ捨てるようにして離した。

 

須藤と櫛田は、綾小路たちの前に倒れた。

 

誰の目にも分かった。

 

致命傷だった。

 

櫛田の表情から、生気が消えている。

ついさっきまで怒鳴っていた口は、わずかに開いたまま、もう何も言わない。

 

須藤の腕は、まだ前へ伸びていた。

櫛田を庇おうとした、その途中の形のまま止まっている。

 

その光景は、あまりにも中途半端だった。

守りきったのか、守れなかったのか、

答えすら残さずに終わっている。

 

「……そんな……」

 

堀北の声は、ほとんど音になっていなかった。

 

櫛田桔梗。

 

最後まで分かり合えなかった相手。

信用しきることも、心から許すこともできなかった存在。

 

それでも――

 

あの瞬間、あの場で、

自分に向かって怒鳴り、叩きつけるように現実を突きつけてくれたのは、

間違いなく彼女だった。

 

優等生でも、仮面でもない。

むき出しの言葉で、自分を立たせようとした。

 

あれは偽りではなかった。

 

それを、理解する時間すら与えられないまま。

 

終わった。

 

そして、須藤健。

 

「鈴音、鈴音」と、何の裏もなく笑いながら、

いつもまっすぐに自分の名前を呼んできた男。

 

不器用で、短絡的で、それでも誰よりも真っ直ぐで、

誰よりも迷わず前に出ることができた存在。

 

その腕は、最後の最後まで、

迷いなく誰かを守ろうとしていた。

 

そのらしさだけを残して、止まっている。

 

「……なんでよ……」

 

言葉が、崩れる。

 

理解が追いつかない。

 

納得もできない。

 

受け入れる余地すらない。

 

櫛田は、最後に自分を動かした。

須藤は、最後まで誰かを守ろうとした。

 

どちらもらしく終わっているのに、

それが余計に残酷だった。

 

間に合わなかった。

 

何一つ、返せていない。

 

何一つ、言葉にできていない。

 

「……まだ……」

 

堀北の喉が震える。

 

だが、その続きを口にする前に、

 

堀北の中で、何かが切れた。

 

「……っ、あああああああっ!」

 

叫びながら、彼女は撃った。

アサルトライフルの連射が七瀬へ叩き込まれる。

 

弾が切れる。

リロード。

手が震えている。

それでも速い。

再び撃つ。

 

撃つ。

撃つ。

撃つ。

 

綾小路も、学も、一之瀬も、伊吹も、それに続く。

 

一斉掃射。

 

七瀬の巨体が大きく揺れ、全身から液体を噴き出しながらも後退する。

その再生が追いつかないほどの火力。

 

やがて七瀬は、苦痛とも怒りともつかない咆哮を上げ、

建物の壁面へ跳び、そこからさらに高く跳躍して姿を消した。

 

逃げた。

 

だが、倒せてはいない。

 

堀北は、それを追おうとした。

 

「待ちなさい!」

 

誰の声も届かない。

彼女は七瀬の消えた方向へ駆け出そうとする。

その肩を、綾小路の手が強く掴んだ。

 

「追うな」

「離して!」

 

堀北は振り払おうとする。

 

「逃がしたら、また誰かが死ぬ!今ここで倒さないと、また……!」

「今のお前が追っても死ぬだけだ」

「離してと言ってるの!」

 

堀北は完全に冷静さを失っていた。

綾小路の手を振り払い、本当に走り出そうとする。

 

その瞬間。

乾いた音が響いた。

 

綾小路の平手が、堀北の頬を打っていた。

堀北は止まった。

怒りでも、反発でもなく、ただ呆然とした表情で綾小路を見る。

 

綾小路は無表情だった。

 

「戻れ」

 

その一言だけだった。

堀北の視線が、須藤と櫛田へ向く。

そして、すべてが崩れた。

彼女は二人の前に膝をついた。

 

涙が溢れる。

 

声にならない嗚咽が漏れる。

 

松下に続いて、また守れなかった。

 

石崎も、ひよりも、そして今度は須藤と櫛田。

 

クラスを、仲間を、結束を信じた自分の前で、その仲間たちが次々と失われていく。

 

堀北は何度も首を横に振る。

 

何かを否定するように。

 

現実を拒むように。

 

だが、現実は変わらない。

 

須藤は動かない。

 

櫛田も動かない。

 

一之瀬は口元を押さえ、涙をこらえることができなかった。

 

伊吹は顔を背けた。

櫛田とは決して仲が良かったわけではない。

堀北ともそうだ。

だが、今目の前で失われた二人を見て、何も感じないほど彼女は冷たくなかった。

 

学は静かに目を伏せた。

坂柳も、車内からその光景を見ていた。

 

綾小路は銃を抜いた。

誰も止めなかった。

止められなかった。

 

彼が何をするのか、全員分かっていた。

ゾンビ化させないため。

 

二人を、二度と敵にしないため。

乾いた銃声が二度、荒廃した道路に響いた。

その音は短く、必要最低限で、だからこそ残酷だった。

 

堀北は顔を伏せたまま、肩を震わせていた。

綾小路は銃を下ろす。

 

また仲間を失った。

 

それだけだ。

 

この世界は、あまりにも残酷だった。

 

どこまでも凄絶で、誰かの願いも、成長も、決意も、容赦なく踏みにじっていく。

 

「移動するぞ」

 

綾小路が言う。

その声は冷静だった。

冷静でなければならなかった。

七瀬が戻ってくる可能性がある。

銃声にゾンビが集まる可能性もある。

 

ここに長く留まる理由はない。

 

一之瀬は涙を拭いながら立ち上がり、伊吹も無言でショットガンを持ち直す。

 

櫛田のハンドガンが地面に落ちていたが、誰もすぐには拾えなかった。

須藤のショットガンも同じだった。

やがて、綾小路がそれらを回収する。

使えるものは使わなければならない。

それがこの世界のルールだった。

 

堀北はまだ動けなかった。

泣き崩れたまま、二人の前で膝をついている。

学が歩み寄る。

 

「鈴音」

 

返事はない。

 

「立て」

 

それでも、堀北は動かない。

学は少しだけ目を細めると、半ば強引に彼女の腕を掴み、立ち上がらせた。

 

堀北は抵抗した。

弱々しく。

だが学は離さない。

 

「今ここで止まれば、須藤と櫛田だけでなく、お前まで無駄に死ぬ」

 

堀北の身体が震える。

 

「歩け」

 

その言葉は冷たい。

しかし、今の彼女を動かすには、それしかなかった。

 

綾小路たちは車両へ戻る。

橘がエンジンをかけ直す。

 

一之瀬は座席に座っても、まだ震えていた。

伊吹はショットガンを抱えたまま無言で外を睨む。

坂柳は静かに目を伏せ、学は堀北を座席へ押し込むように座らせた。

 

堀北は俯いたままだった。

 

涙は止まらない。

 

声も出ない。

 

それでも、車は走り出す。

 

自衛隊基地へ。

ヘリのある場所へ。

生き残った者たちが待つ場所へ。

 

背後には、また二人が残された。

 

松下。

石崎。

ひより。

須藤。

櫛田。

 

数えることに意味などないはずなのに、その名前は一人ずつ胸に刻まれていく。

 

車両は黒煙の中を走る。

空への脱出路は近い。

希望は近い。

 

だが、その希望へ向かう道は、死者の名前で埋め尽くされている。

 

綾小路は窓の外を見ていた。

表情は変わらない。

だが、彼の視線の奥では、次に何をすべきかだけが静かに組み上げられていた。

 

七瀬はまだ生きている。

 

鬼島もいる。

 

そして、味方は減っている。

 

それでも進むしかない。

 

最後ではないなら、諦める理由はない。

 

だが、この先で最後が来た時、誰が何を諦めることになるのか。

 

それだけは、まだ誰にも分からなかった。

 

軍用車両は、泣き声と沈黙と火薬の匂いを乗せたまま、

自衛隊基地へ向かって走り続けた。




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