ある死神の未来改変日記   作:夢日記

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第2話

 

 判断保留。

 

 その四文字は、織原シュシュにとって逃げ道だった。夢を信じたわけではない。未来を見ているなどと、本気で考えたわけでもない。ただ、気味の悪い一致を、なかったことにはできなかった。

 だから、判断を保留した。信じない。否定もしない。騒がない。誰にも話さない。記録だけを続ける。それが、今のシュシュにできる一番安全な処理だった。

 

 朽木ルキアの名を現世派遣関連の資料で見つけた翌日、シュシュは普段より早く目を覚ました。眠れなかった、という方が正しい。

 夢を見た。また、同じ夢だった。

 

 現世の夜。電柱。住宅街。黒い死覇装の少女。巨大な虚。橙色の髪の少年。少女が倒れ、少年が叫ぶ。斬魄刀が胸を貫く。力が移る。

 夢の中の光景は、前よりも鮮明だった。朽木ルキアという名が、ただの文字ではなく、顔と声を持ち始めていた。小柄な女死神。真面目で、少し意地っ張りそうな目。その彼女が、現世で傷つき、黒崎一護という少年に斬魄刀を突き立てる。

 

 そして、少年は死神の力を受け取る。

 

 あり得ない。

 

 死神の力を人間に譲渡するなど、軽い話ではない。少なくとも、四番隊に所属する下級死神のシュシュでさえ、それが禁じられている行為だということくらいはわかる。

 夢の内容が正しいなら、朽木ルキアは罪に問われる。

 

 だが、そこでシュシュは筆を止めた。

 正しいなら。

 無意識に、そう考えていた。まるで夢の方を基準にして、現実を照らし合わせようとしている。それに気づいた瞬間、胃の奥が冷えた。

 

「違う。まだ違う」

 

 声に出して否定する。部屋には誰もいない。それでも、言葉にしなければ不安に飲まれそうだった。

 

 夢は夢だ。現実に朽木ルキアという死神がいることと、夢で見た朽木ルキアが罪人になることは、まったく別の話だ。名前が一致しただけで未来だと考えるのは短絡的すぎる。

 だから、判断保留。

 シュシュは紙にそう書き足した。

 

『黒崎一護。橙色の髪。現世の人間。朽木ルキアから力を受け取る。現時点で実在未確認。判断保留』

 

 筆先が、最後の一字でわずかに乱れた。自分の手が震えていることに気づき、シュシュは小さく舌打ちした。

 下級死神が、夢ひとつでここまで動揺してどうする。

 

 任務中に顔に出せば、周囲に不審がられる。不審がられれば、説明を求められる。説明を求められれば、夢日記の存在に触れざるを得ない。それだけは避けなければならなかった。

 夢の内容がただの妄想なら、笑われて終わる。夢の内容が本当に何かを示しているなら、笑われるだけでは終わらない。どちらに転んでも、得はない。

 

 シュシュは夢日記を紐で縛り、衣装箱の底に隠した。すでに隠し場所は何度も変えている。

 最初は文机の引き出しだった。だが、掃除や点検の際に見られる可能性を考え、衣装箱の底へ移した。さらに、紙束の上には古い訓練記録を重ね、外から見ればただの不要書類に見えるようにした。

 そこまでする自分が滑稽だった。だが、やめる気にはなれなかった。

 

 ◇

 

 朝の四番隊舎は、いつも通り騒がしい。眠そうな者、救護詰所へ向かう者、薬品の在庫確認に追われる者、上官から小言を受ける者。誰も彼も、昨夜のシュシュの夢など知らない。

 当たり前だ。夢は彼女の頭の中にしかない。そう思うたびに、少しだけ安心する。その安心が、長続きしないこともわかっていた。

 

「織原、今日はまた資料室だとさ」

 

 相沢ミツルが、廊下の向こうから声をかけてきた。

 

「昨日の続きですか」

 

「たぶんな。現世関連の報告がまだ残ってるらしい」

 

「……そうですか」

 

「何だよ、その顔」

 

「どんな顔ですか」

 

「嫌そうな顔」

 

「資料整理は嫌いではありません」

 

「じゃあ、何が嫌なんだ?」

 

 シュシュは少しだけ黙った。

 夢。朽木ルキア。黒崎一護。現世。罪。

 言えるはずがない。

 

「寝不足です」

 

「またか。お前、最近ずっと寝不足じゃないか」

 

「自覚はあります」

 

「自覚があるなら寝ろ」

 

「寝た結果がこれです」

 

「どういう意味だよ」

 

「こちらの話です」

 

 ミツルは訝しげに眉を寄せたが、それ以上は聞かなかった。彼は軽い男だが、踏み込むべきでないところを何となく察する程度の気遣いはある。その距離感が、今はありがたかった。

 

 資料室に入ると、昨日よりも多くの書類が積まれていた。現世派遣に関するものだけではない。通信記録、伝令控え、隊ごとの確認書、補足報告。四番隊に回されるものは、負傷者の有無や救護体制に関する控えが多いが、下級隊士が扱える範囲のものとはいえ、量が多い。

 シュシュは、淡々と分類を始めた。

 

 指先が紙をめくる。日付を見る。表題を見る。隊名を見る。必要なら写す。不要なら束に分ける。作業そのものは単純だ。

 だが、今日はひとつひとつの文字が目に刺さった。

 

 現世。空座町。朽木。未帰還。異常。

 それらしい単語を見つけるたびに、心臓が跳ねる。何でもない報告であってほしい。ただの虚討伐の記録であってほしい。夢とは関係ない、ありふれた任務であってほしい。

 そう願いながら紙をめくる自分に、シュシュはひどく苛立った。

 なぜ夢に現実の判断を揺らされているのか。馬鹿げている。だが、馬鹿げていると切り捨てるには、夢の輪郭が鮮明すぎた。

 

「織原」

 

 資料室の奥から、上席の死神が声をかけた。

 

「この束を六番隊関連に回せ。分類だけでいい」

 

「はい」

 

 受け取った書類の束を持った瞬間、シュシュの指先が固まった。

 六番隊。朽木白哉。夢の中で何度も見た名が、頭の奥を通り過ぎる。

 

 冷静になれ。六番隊関連の書類など珍しくもない。四番隊にも、他隊との連絡書類はいくらでも回ってくる。救護対象、任務報告、隊士の負傷状況、搬送記録。六番隊の名を見ない方が珍しい。

 そう自分に言い聞かせ、シュシュは分類棚へ向かった。棚の前で、束の表題を確認する。

 

『現世派遣任務者未帰還に関する照会』

 

 呼吸が止まった。

 未帰還。朽木ルキア。現世。夢の断片が、無理やり頭の中で繋がった。

 

 違う。まだ違う。

 

 現世派遣の死神が予定より戻らないことはある。虚の発生状況、通信の不備、現地の霊的異常。理由はいくらでも考えられる。任務者の名は書類の表からは見えない。だから、これが朽木ルキアに関するものとは限らない。

 限らないはずだった。

 シュシュは無言で書類を棚に収めた。

 

 手順通りに。いつも通りに。余計な確認はしない。不自然に覗き込まない。下級死神が知るべきではない情報まで追おうとすれば、必ず痕跡が残る。

 何より、今の自分はまだ判断保留の段階だ。夢が正しいと決めたわけではない。決めてはいけない。

 

 ◇

 

 その日の作業を終える頃には、シュシュの肩はひどく凝っていた。

 肉体労働をしたわけでもないのに、全身が疲れている。夢と現実を照合しないようにすることが、これほど消耗するとは思わなかった。

 資料室を出ると、ミツルが伸びをしながら言った。

 

「今日の飯、何だろうな」

 

「……知りません」

 

「お前、ほんとに具合悪そうだな」

 

「……少し、疲れただけです」

 

「詰所戻ったら誰かに診てもらえよ」

 

「……診てもらうほどではありません」

 

「倒れてからじゃ遅いぞ」

 

 その言葉に、シュシュは少しだけ足を止めた。

 

 倒れてからでは遅い。

 夢の中の護廷十三隊にも、同じことを言いたかった。被害が出てから動く。誰かが倒れてから本気になる。取り返しがつかなくなってから、ようやく危機だと認める。

 そうなる前にできることは、いくらでもあったはずなのに。

 

「……そうですね」

 

 シュシュは小さく答えた。

 

「遅いですね、倒れてからでは」

 

「何か急に重いな」

 

「一般論です」

 

「お前の一般論、だいたい不吉なんだよ」

 

 ミツルは顔をしかめたが、シュシュは返事をしなかった。

 頭の中では、別のことを考えていた。

 

 もし夢が正しいなら。朽木ルキアは現世で力を失う。戻ってこない。やがて連行される。そして、処刑される。

 そこまで流れが見えているなら、今のうちに何かできるのではないか。

 その考えが浮かんだ瞬間、シュシュは自分の爪が手のひらに食い込んでいることに気づいた。

 

 何か。

 具体的に、何を。

 

 彼女を救いたいのかと問われれば、答えは違う。朽木ルキアに個人的な恩があるわけではない。正義感で罪人を救いたいわけでもない。

 ただ、夢の通りに進むなら、その先で瀞霊廷が大きく乱れる。旅禍が侵入し、隊長格が動き、負傷者が出て、命令系統が混乱する。

 それが自分の生活圏に及ぶなら、無関係ではいられない。

 

 だが、今の自分が下手に動けば、疑われるのは自分だ。夢の通りに事が進まなければ、ただの妄言。夢の通りに事が進めば、なぜ知っていたのかを問われる。

 どちらにしても、危険が大きすぎる。

 そして何より、まだ確信がない。名前と状況の一部が重なっただけだ。それだけで大きく動くのは、合理的ではない。

 

 合理的ではない。

 そう結論づけたはずなのに、胸の奥はざわついたままだった。

 

 ◇

 

 その夜、シュシュは夢日記に新しい項目を書いた。

 

『現実記録。現世派遣任務者未帰還に関する照会あり。対象者不明。ただし、朽木ルキアの現世派遣記録と時期が近い。夢日記との関連は不明。判断保留』

 

 判断保留。

 また、その言葉に逃げた。紙の上でなら、冷静でいられる。

 けれど、筆を置いた後の静寂の中では、別の声が聞こえる気がした。

 

 本当に保留でいいのか。何もしなくていいのか。夢が本当だった時、何もしなかった自分を許せるのか。

 シュシュは、そこまで考えてすぐに目を伏せた。

 

 許せるかどうかではない。

 今の自分が動いて、状況を良くできるかどうかだ。感情で動けば、たぶん悪化する。自分が潰れるだけならまだいい。情報源として不審視されれば、今後の選択肢も消える。

 だから、動かない。

 

 動けないのではない。

 今は、動かない方がましだ。

 

 そう結論づけて、シュシュは布団に入った。それでも、しばらく目を閉じられなかった。

 眠れば、また夢を見るかもしれない。眠らなければ、明日動けない。どちらも嫌だった。

 結局、疲労が勝った。

 

 意識が沈む直前、彼女はまた同じ景色を見た。

 白い塔。処刑台。黒い蝶。そして、誰かの声。

 

 処刑は、決まった。

 

 ◇

 

 数日後、瀞霊廷の空気が変わった。

 下級死神の耳に入る情報は限られている。それでも、空気の変化くらいはわかる。

 

 上層部の伝令が増えた。六番隊と十三番隊周辺の出入りが慌ただしくなった。四番隊にも、万一の負傷者対応についての確認が増えた。救護詰所では薬品や布の在庫が見直され、普段より少しだけ緊張した空気が漂っている。

 そして、隊士たちの噂話に、ひとつの名が混じるようになった。

 

 朽木ルキア。

 罪人として、現世から連れ戻されるらしい。

 

 その噂を聞いた瞬間、シュシュは食堂の椀を落としかけた。

 

「おっと」

 

 隣にいたミツルが、慌てて椀を支えた。

 

「危ないな。熱いぞ」

 

「……すみません」

 

「本当に大丈夫か? 顔、真っ青だけど」

 

「少し、手が滑りました」

 

「手だけじゃなくて顔色も滑ってるぞ」

 

「意味がわかりません」

 

「俺も言ってからわからなくなった」

 

 普段なら、少しは笑えたかもしれない。けれど、その時のシュシュには無理だった。

 耳の奥で、周囲の会話が反響している。

 

「朽木家の養女だってよ」

 

「罪状は何だ?」

 

「現世の人間に力を渡したとか何とか」

 

「まさか。そんなことあるか?」

 

「でも六番隊隊長自ら動いたらしいぞ」

 

「十三番隊はどうなるんだ」

 

 やめてほしい。

 それ以上、夢と同じことを言わないでほしい。

 

 そう思った。だが、現実は止まらない。隊士たちは噂を続ける。誰もが、驚き半分、興味半分だった。

 彼らにとっては、遠い場所の事件だ。貴族家に関わる珍しい不祥事。現世任務で起きた異常。処分がどうなるかという話題。

 けれど、シュシュにとっては違った。

 

 その話は、すでに紙の上にあった。自分の部屋の衣装箱の底に、数日前から眠っている。

 朽木ルキア。現世で力を失う。黒崎一護。力の譲渡。罪。連行。処刑。

 ひとつずつ、現実が夢の文字をなぞっている。

 胃の中が裏返るようだった。

 

「織原」

 

 ミツルの声が、少し低くなった。

 

「本当に大丈夫か」

 

「……大丈夫です」

 

「嘘だろ」

 

「大丈夫です」

 

 強めに言い返してしまい、シュシュはすぐに口を閉じた。

 ミツルが少し驚いた顔をする。周囲の数人も、こちらを見た。

 

 しまった。感情を出した。

 

 シュシュは椀を置き、立ち上がった。

 

「食欲がないので、戻ります」

 

「おい」

 

「任務には出ます。問題ありません」

 

 それだけ言って、食堂を出た。

 廊下に出た瞬間、足元が揺れた気がした。壁に手をつく。呼吸が浅い。

 

 夢ではなかった。

 まだ、そう断言するには早い。しかし、偶然と言い張るには、一致しすぎている。

 朽木ルキアが現世に派遣されていた。未帰還になった。罪人として連れ戻される。罪状は、現世の人間への力の譲渡。

 そこまで揃っても、まだ偶然だと言うのか。

 

 言える。言わなければならない。少なくとも、まだ口に出してはいけない。

 シュシュは震える息を押し殺した。

 

 ここで崩れるな。ここで騒ぐな。何も知らない下級死神として振る舞え。そうでなければ、自分が潰れる。

 

 ◇

 

 その日から、瀞霊廷の中で朽木ルキアの名は少しずつ重くなっていった。

 罪状の話。処分の話。六番隊隊長が関わった話。十三番隊の反応。中央四十六室の判断。

 どの情報も断片的で、下級隊士たちの噂に過ぎない。だが、断片は夢日記の中の記述と重なった。

 

 シュシュは何度も自分に言い聞かせた。

 まだ動かない。今、何かをしても意味がない。下級死神が、処刑の決定に口を挟めるはずがない。朽木ルキアに接触することもできない。黒崎一護という人間が本当にいるとして、現世に行く権限もない。

 何より、自分はまだ確信していない。

 

 確信していないことになっている。

 それは言い訳だと、心のどこかでわかっていた。それでも、動かなかった。

 

 夜になるたび、シュシュは夢日記と現実記録を照合した。

 そして、照合するたびに気分が悪くなった。

 

『朽木ルキア、連行』

 

 現実でも、連れ戻された。

 

『罪状、力の譲渡』

 

 現実でも、そう噂された。

 

『処刑』

 

 現実でも、処刑が決まった。

 

 紙の上に並んだ一致は、もう偶然というには多すぎた。だが、シュシュは最後の一線だけは越えなかった。

 未来。

 その言葉を書かない。夢日記のどこにも、現実記録のどこにも、まだ書かない。

 

 書いてしまえば、認めることになる。認めてしまえば、次に問われるのは行動だった。

 知っていて、どう動くのか。

 その問いに、答えられる材料がまだ足りなかった。

 

 ◇

 

 ある夜、シュシュは夢の中で黒崎一護を見た。

 彼は瀞霊廷に入っていた。巨大な斬魄刀を背負い、無茶苦茶な霊圧を撒き散らしながら走っている。

 仲間がいる。人間。滅却師。巨漢の少年。猫の姿をした誰か。

 

 旅禍。

 夢の中で、誰かがそう呼んだ。

 

 瀞霊廷が騒然となる。各隊が動く。警報が鳴る。強者たちがぶつかる。負傷者が出る。倒れる者が出る。

 それでも事態の全体像は、なかなか共有されない。

 

 誰が敵で、誰が何を目的としていて、どこに向かっているのか。わかっている者と、わかっていない者がばらばらに動く。

 夢の中のシュシュは、ただ見ていた。

 叫びたかった。

 

 そこではない。その戦い方では被害が増える。追うなら追う、守るなら守る、情報を集めるなら集める。役割を分けろ。救護経路を確保しろ。指揮系統を止めるな。なぜ、個人の判断に任せる。なぜ、全体で動かない。

 叫びたいのに、声が出ない。

 

 夢だからだ。

 夢の中でさえ、彼女は傍観者だった。

 

 ◇

 

 目が覚めた時、夜明け前だった。シュシュはしばらく布団の上で動けなかった。

 そして、その日の昼。

 

 旅禍侵入の報せが、瀞霊廷を駆け抜けた。

 

 警報が鳴った瞬間、シュシュは自分の中の何かが音を立てて崩れるのを感じた。

 周囲の隊士たちは慌ただしく動き出す。上官が指示を飛ばす。伝令が走る。誰かが武器を取る。誰かが持ち場へ向かう。四番隊にも、救護待機と搬送準備の指示が飛んだ。

 それらすべてが、夢で見た光景に重なっていく。

 

「織原! 聞いてるか!」

 

 上官の声で、シュシュは我に返った。

 

「はい」

 

「お前たちは指定区域の救護待機に回れ。交戦は避け、負傷者が出た場合は搬送を優先。異常があれば報告。勝手な行動はするな」

 

「承知しました」

 

 口は動いた。足も動いた。だが、頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 旅禍が来た。本当に来た。黒崎一護がいるのか。夢の通りなのか。

 なら、この後は。

 

 処刑台。隊長格の衝突。藍染惣右介の死。裏切り。

 そこまで考えた瞬間、シュシュは息を詰めた。

 

 藍染惣右介。

 夢に出てきた、あの穏やかな笑みの男。

 

 もし、あれまで現実になるなら。

 シュシュは足を止めそうになり、すぐに踏みとどまった。

 

 止まるな。今は任務中だ。顔に出すな。何も知らない四番隊の下級死神として動け。今の自分にできることは、それだけだ。

 旅禍を止めに行く力はない。処刑を止める権限もない。隊長格の戦いに割って入るなど論外だ。夢と現実が一致していると叫んでも、誰も信じない。

 ならば、今は見るしかない。

 記録するしかない。

 この異常がどこまで続くのか、自分の目で確かめるしかない。

 

 シュシュは、震えそうになる手を握り込んだ。

 怖い。恐ろしい。

 自分の頭の中にだけあった夢が、現実の瀞霊廷を動かし始めている。世界が、自分の知らないところで紙の上の文字をなぞっている。その事実が、吐き気がするほど怖かった。

 それでも、彼女はまだ介入しなかった。

 

 ただ、心の奥でひとつだけ決めた。

 もし、この先も夢の通りに進むなら。

 もし、これが本当にただの夢ではないのなら。

 今回だけは見届ける。

 そして次は、何もしないままではいない。

 

 今はまだ、何もできない下級死神だ。だが、ずっとこのままでいるつもりはない。

 瀞霊廷が夢の通りに混乱し、壊れ、負傷者が運ばれ、命令系統が乱れる未来が本当にあるのなら。

 それが自分の生活圏を脅かすものなら。

 それを、ただ眺めるだけの自分では終わらない。

 

 シュシュは腰の浅打に手を添え、指定区域へ向かって走った。

 空の向こうで、警報が鳴り続けている。

 夢と同じ音だった。

 

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