ある死神の未来改変日記   作:夢日記

4 / 6
第4話

 

 藍染惣右介が殺された。

 

 その報せは、旅禍侵入とは別の形で瀞霊廷を揺らした。

 旅禍は外から来た異物だった。警戒すべき敵であり、排除すべき侵入者であり、混乱の原因として理解しやすい。誰かが負傷しても、誰かが倒れても、少なくとも原因は見えている。

 だが、隊長が殺されたとなれば話は違う。

 

 それも、五番隊隊長。穏やかで、人望があり、隊士たちからの信頼も厚いと聞く男。下級死神のシュシュでさえ、藍染惣右介の名前と評判くらいは知っていた。

 その男が、瀞霊廷の内側で死んだ。

 

 旅禍がやったのか。内部の誰かがやったのか。なぜ、そんなことが起きたのか。

 誰もはっきりした答えを持たないまま、噂だけが広がっていく。

 

 救護詰所の空気も、前日までとは明らかに違っていた。

 負傷者の処置は続いている。搬送も続いている。包帯も薬品も足りない。動かなければならないことは変わらない。

 それでも、隊士たちの声は一段低くなっていた。誰もが、何かを探るように周囲を見ている。旅禍の脅威だけでなく、瀞霊廷そのものの足元が揺らいでいるようだった。

 

 織原シュシュは、その空気の中で包帯を巻いていた。

 手は動いている。

 止血。固定。霊圧の乱れの確認。意識の有無。搬送先の判断。

 体は訓練通りに動いている。

 だが、頭の奥では別の文字が何度も浮かんでいた。

 

『藍染惣右介、死亡。だが――』

 

 だが。

 夢日記には、その先があった。

 

 藍染惣右介は、ただ殺されて終わる存在ではない。少なくとも、夢の中ではそうだった。死体。嘆く者。混乱する隊士たち。そして、後になって明かされる裏側。

 彼は死んでいない。

 

 その一文を思い出すたびに、シュシュの喉が詰まった。

 もし、それが本当なら。

 今、瀞霊廷中が騒いでいる隊長殺害は、事件の終わりではなく、仕掛けの一部ということになる。誰かが悲しんでいることも、誰かが怒っていることも、誰かが疑心暗鬼になっていることも、すべて利用されているかもしれない。

 

 気持ちが悪かった。

 死んだと思われている男が、本当はどこかで生きているかもしれない。しかも、その男は夢の中で、すべてを見透かしたように笑っていた。

 

「織原、包帯」

 

 上席の声で、シュシュは我に返った。

 

「はい」

 

 包帯を差し出す。

 目の前の負傷者は、肩から腕にかけて深く裂かれていた。命に関わる傷ではないが、放置すれば腕に障る。シュシュは指示に従い、補助に回った。

 

「押さえて」

 

「はい」

 

「動かすなよ」

 

「固定します」

 

 傷口を見る。血を見る。霊圧の流れを見る。

 目の前の現実に集中する。

 そうしなければ、頭の中の夢に引きずられる。

 

 今この場で、藍染が死んでいないなどと言えるはずがない。言った瞬間、何を根拠にと言われる。夢で見たからなどと言えば、正気を疑われる。

 そして、もし本当に藍染が裏で動いているなら、自分のような下級死神がその名を不用意に口にすること自体が危険だった。

 

 夢を信じるなら、黙るべきだ。

 夢を信じないなら、なおさら黙るべきだ。

 どちらにしても、今の最適解は沈黙だった。

 

 それがわかっているのに、胸の奥は落ち着かなかった。

 知っているかもしれないのに、黙っている。

 それは、想像以上に重かった。

 

「五番隊、大丈夫なのかね」

 

 少し離れた場所で、隊士のひとりが小さく言った。

 

「副隊長がかなり取り乱しているらしい」

 

「無理もないだろ。隊長が殺されたんだぞ」

 

「旅禍がやったのか?」

 

「わからん。けど、こんな時に隊長殺しなんて、普通じゃない」

 

「普通じゃないことばかりだろ。旅禍が侵入して、処刑があって、隊長が死んで……」

 

 そこで、声が途切れた。

 誰も続けなかった。続ければ、瀞霊廷が今どれほど異常な状態にあるかを認めることになるからだ。

 シュシュは黙って包帯を巻き続けた。

 

 普通じゃない。

 その通りだった。

 だが、シュシュにとって本当に普通ではないのは、事件そのものではない。

 その異常が、夢日記の記述と順番まで似ていることだった。

 

 旅禍侵入。混乱。負傷者の増加。藍染惣右介の死亡。

 次は何だ。

 処刑の時刻変更。隊長格同士の衝突。双殛。そして、あの男の帰還。

 

 思い出すな。

 

 シュシュは自分に命じた。

 今は処置中だ。手元を誤れば、目の前の負傷者に影響が出る。

 未来を恐れる前に、今の傷を塞げ。

 その方が、ずっと自分らしい。

 

 ◇

 

 処置を終えた頃、相沢ミツルが新しい負傷者を連れて戻ってきた。

 顔に擦り傷があり、死覇装の袖が破れている。負傷者を支えていたらしいが、ミツル自身も無傷ではなかった。

 

「相沢」

 

「大丈夫だ。俺のはかすり傷」

 

「見ればわかります。負傷者をこちらへ」

 

「ほんと、お前って心配の順番が冷静だよな」

 

「四番隊なので」

 

「便利な言葉だな、それ」

 

 ミツルは軽口を叩いたが、顔には疲労が濃く出ていた。

 シュシュは負傷者を受け取りながら、ミツルの状態も確認する。霊圧の乱れは小さい。裂傷も浅い。後で処置すれば十分だ。

 

「相沢、あなたも後で傷を洗ってください」

 

「へいへい」

 

「後で、ではなく、搬送が一段落したらすぐです」

 

「はいはい」

 

「返事が一回多いです」

 

「細かいな」

 

 普段なら、ただのやり取りで済む。

 だが今は、その些細な会話が妙に貴重だった。

 

 瀞霊廷は混乱している。夢は現実になりつつある。藍染惣右介は死んだことになっている。

 それでも、ミツルは目の前にいる。軽口を叩き、傷を負いながらも負傷者を運んでいる。

 

 この日常の欠片を守りたい。

 

 そう思ってから、シュシュはすぐにその言葉を頭の中で言い換えた。

 

 守りたい、ではない。

 失うと困る。

 だから、被害を減らす。

 

 感情の言葉にすると、自分がどこまでも引きずられそうだった。

 

 昼を過ぎる頃、四番隊にも新しい指示が下りた。

 処刑予定の変更に伴い、各所で警戒態勢を維持。救護班は複数箇所に分散。重傷者の搬送路を再確認。旅禍との交戦区域に不用意に近づかないこと。

 

 その指示を聞いた瞬間、シュシュの背筋が冷えた。

 

 処刑予定の変更。

 夢にあった。

 白い塔。処刑台。早まる時刻。急ぐ旅禍。混乱する隊士たち。

 また一致した。

 

 もう偶然ではない。

 そう認めそうになって、シュシュは歯を食いしばった。

 

 まだだ。

 まだ、最後まで見ていない。

 

 だが、内心ではすでにわかっていた。

 これは、ただの夢ではない。少なくとも、現実と無関係な悪夢ではない。

 紙の上に書いたものが、次々と現実に現れている。

 そして今、自分はその紙の上の現実の中に立っている。

 

「織原」

 

 上席の隊士が、地図を広げながら言った。

 

「お前は相沢と一緒に、東側の搬送路確認に回れ。直接の戦闘区域ではないが、負傷者が流れてくる可能性がある。危険を感じたらすぐ戻れ」

 

「承知しました」

 

「旅禍と遭遇しても戦うな。逃げろ。四番隊の役目を間違えるな」

 

「はい」

 

 四番隊の役目。

 その言葉は、今のシュシュにとって重しになった。

 戦わない。倒さない。運ぶ。治す。生かす。

 夢で見た大きな流れに触れないための言い訳にも、今の自分にできることを見失わないための支えにもなる言葉だった。

 

 ◇

 

 ミツルと並んで搬送路へ向かう。

 通路には、普段より人が少なかった。隊士たちはそれぞれの持ち場に散り、伝令が走り、遠くでは時折霊圧がぶつかる気配がする。

 瀞霊廷の空は、いつもより広く見えた。

 

 人がいないせいか。

 それとも、いつ崩れるかわからないものを見上げているからか。

 

「なあ、織原」

 

 ミツルが低い声で言った。

 

「お前、何か知ってるのか?」

 

 足が止まりそうになった。

 だが、止めなかった。

 

「何についてですか」

 

「全部だよ。最近のお前、変だ。朽木家絡みの処刑騒ぎの時も、旅禍が来た時も、藍染隊長の件を聞いた時も、驚いてるっていうより……」

 

「より?」

 

「怖がってる感じがした。しかも、初めて聞いた怖さじゃない。来るとわかってたものが来たみたいな」

 

 シュシュは、少しだけミツルを見た。

 思ったより、見られていた。

 軽い男だと思っていたが、鈍いわけではない。むしろ、普段から人の顔色を見ている分、妙なところで勘が働く。

 

 厄介だ。

 

 けれど、悪いことではない。

 彼が気づいたのは、シュシュの状態がそれほど不安定だったということでもある。

 隠せていない。

 それは修正すべき情報だった。

 

「知っていることはありません」

 

 シュシュは答えた。

 

「ただ、嫌な予感が続いているだけです」

 

「嫌な予感?」

 

「現世派遣任務者の未帰還。貴族家に関わる処刑。旅禍侵入。隊長殺害。これだけ続けば、誰でも嫌な予感くらいします」

 

「まあ、それはそうだけど」

 

「それ以上のものではありません」

 

 嘘ではない。

 少なくとも、完全な嘘ではない。知っているのではない。夢で見ただけだ。それを知っていると言えるかどうかは、まだ判断保留にしている。

 

「本当に?」

 

 ミツルが聞いた。

 

「本当です」

 

 シュシュはまっすぐ答えた。

 ミツルはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。

 

「ならいいけどよ。ひとりで変なもん抱えて倒れんなよ」

 

「倒れません」

 

「それ、信用できねえな」

 

「倒れたら迷惑なので、倒れません」

 

「理由が四番隊っぽいな」

 

「四番隊なので」

 

 ミツルは苦笑した。

 その表情を見て、シュシュは胸の奥が少し痛むのを感じた。

 

 言えない。

 今はまだ言えない。

 

 夢日記のことを話せば、彼はたぶん心配する。信じるかどうかは別として、放っておかない。そうなれば、彼は巻き込まれる。

 それは合理的ではない。

 

 ◇

 

 搬送路の確認を終えた頃、遠くで大きな爆発音が響いた。

 石畳が微かに震える。

 ミツルが身構えた。

 

「近いか?」

 

「距離はあります。ただ、負傷者が流れてくる可能性があります」

 

「戻るか」

 

「戻りながら確認します。通路の右側は瓦礫が出ています。搬送には不向きです」

 

「見てるところが細かいな」

 

「必要なので」

 

 シュシュは通路の状態を記憶する。

 段差。瓦礫。曲がり角。人が二人並んで通れる幅。担架を通す時に障害になる柱の位置。

 夢の大きな流れは変えない。

 だが、搬送路の情報なら集められる。

 

 これは介入ではない。少なくとも、まだ大きな介入ではない。四番隊員として当然の確認だ。

 けれど、こうした情報が積み上がれば、次に何かが起きた時、被害を減らせるかもしれない。

 

 そう思った時、シュシュは少しだけ呼吸がしやすくなった。

 恐怖を、情報に変える。

 不安を、記録に変える。

 それが自分のやり方なのかもしれない。

 

 ◇

 

 詰所に戻ると、空気がさらに張り詰めていた。

 処刑に関する話が、また変わったらしい。

 詳しいことは下級隊士には下りてこない。ただ、上の者たちの動きが明らかに慌ただしい。伝令が何度も出入りし、四番隊の救護班も再配置を命じられている。

 

 シュシュは地図の端に、搬送路の状態を書き込んだ。

 東側通路、瓦礫あり。担架通行時は左側へ迂回。曲がり角付近、二人搬送困難。負傷者集中時は別経路を推奨。

 上席がそれを見て、眉を上げた。

 

「織原、これはお前が確認したのか」

 

「はい。搬送時に支障が出る可能性がある箇所です」

 

「……細かいが、助かる。こっちで共有しておく」

 

「お願いします」

 

 共有。

 その言葉に、シュシュはわずかに反応した。

 

 そうだ。

 共有されなければ、情報は意味がない。

 夢の中で何度も見た。強い者がいても、情報が届かなければ遅れる。正しい判断材料がなければ、現場はその場しのぎになる。

 ならば、今の自分にできることは、使える情報を拾い、上げることだ。夢の話ではなく、現実に確認した情報として。

 

 それなら不審ではない。

 四番隊員としての職務の範囲内だ。

 

 シュシュは、その小さな手応えを胸にしまった。

 

 ◇

 

 夕刻、また負傷者が運び込まれた。

 今度は数が多い。旅禍と直接交戦した者ではなく、その周辺で巻き込まれた隊士たちだった。壁の崩落、霊圧の衝撃、転倒、混乱による接触。戦闘そのものより、戦闘の余波で傷ついた者が多い。

 

 シュシュは処置をしながら、頭の中で分類した。

 直接戦闘による負傷。移動中の事故。情報不足による接近。搬送路の混雑。命令伝達の遅れ。

 それぞれ原因が違う。原因が違えば、対策も違う。

 

 夢日記に必要なのは、出来事の羅列だけではない。

 なぜ被害が出たのか。どこで遅れたのか。何が足りなかったのか。

 それを書かなければ、次に使えない。

 

 次。

 

 その言葉が、自然に浮かんだことにシュシュは気づいた。

 次があると思っている。

 次に備えようとしている。

 つまり、自分はもう、これがただの夢ではないとほとんど認めている。認めていないふりをしているだけだ。

 

 その事実に気づいて、喉が乾いた。

 

「織原、水飲んでこい」

 

 上席に言われ、シュシュは少し驚いた。

 

「いえ、まだ」

 

「手が止まりかけてる。二分で戻れ」

 

「……はい」

 

 命じられて、詰所の隅へ向かう。

 水を飲むと、冷たさが胃に落ちた。少しだけ頭がはっきりする。

 その時、外から伝令の声が飛び込んできた。

 

「双殛方面、警戒強化! 処刑準備に伴い、周辺の救護班は待機位置を変更!」

 

 双殛。

 

 その言葉が、シュシュの身体を内側から凍らせた。

 夢の中心にあった場所。

 白い塔。処刑台。朽木ルキア。黒崎一護。隊長格。折れるはずのない流れが、そこで大きく曲がる。

 いよいよ、そこへ向かっている。

 

 水を持つ手が震えた。

 こぼれた雫が、指を伝う。

 

 夢は、まだ止まらない。

 紙の上の現実は、さらに先へ進もうとしている。

 

「織原!」

 

 声が飛ぶ。

 シュシュは水を置き、顔を上げた。

 

「はい」

 

「移動準備だ。双殛方面から負傷者が出る可能性がある。直接近づくな。指定位置で待機する」

 

「承知しました」

 

 答えながら、シュシュは思った。

 

 次で、決まる。

 双殛で何が起きるか。夢の通りに進むのか。藍染惣右介は、本当に死んでいないのか。

 そこまで見届ければ、もう逃げ道はなくなる。

 判断保留は終わる。

 夢は夢だという言い訳も、もう使えなくなる。

 

 ならば、その後に必要なのは何か。

 恐怖ではない。

 混乱でもない。

 対策だ。

 

 織原シュシュは、救護道具を持ち直した。

 手はまだ少し震えている。

 けれど、足は動いた。

 

 まだ何も変えない。まだ大きな流れには触れない。

 だが、見る。覚える。記録する。

 

 双殛の丘へ向かう流れの端で、彼女は自分の役割を握りしめた。

 今は、観測者でいい。

 ただし、最後まで観測した後も同じままでいるつもりはなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。