2018年10月31日、19時。
渋谷の街は、突如として降りた漆黒の「帳」によって、外界から完全に遮断された。ハロウィンの喧騒に浮かれていた群衆の笑い声は、一瞬にして逃げ場のない悲鳴へと塗り替えられる。数万人の一般人が「五条悟を連れてこい」という不条理な条件と共に箱庭に閉じ込められるという、未曾有の事態。
湊は、東急百貨店近辺のビル屋上に立ち、眼下に広がる混沌の坩堝を静かに見つめていた。
かつて彼が愛した「配合」とは、似て非なる地獄。そこには意思も美学もなく、ただ呪霊たちの身勝手な欲望だけが渦巻いている。その隣には、実体化し、虚空にたゆたう黒龍『黄泉』が、主人の心境を映すように静かに、しかし冷徹な殺気を孕んで寄り添っていた。
「……ひどい歪みだ。呪力と欲望、そして悲鳴。それらが無理やり一つの箱に押し込められて、ドロドロに溶け合っている。不快なほどに不協和だ」
かつての飢餓感に突き動かされていた湊なら、この「混沌のスープ」を最高のご馳走として啜っていただろう。だが、今の彼が感じるのは、調律を乱すノイズに対する純粋な拒絶反応だった。
「黄泉、行くよ。まずはこの街を縛っている『不自然な理』を解いてあげないと。僕らがここにいる意味を、彼らに教えてあげよう」
湊が指を鳴らすと、黄泉は三対の眼を同時に見開き、ビルから夜の深淵へと飛び降りた。巨大な質量でありながら、龍の体は触れる空気そのものを「分解」し、風の抵抗すら受け流して音もなく滑空していく。
地下鉄の入り口付近、一般人が出口を求めて折り重なる場所では、真人の手による「改造人間」たちが、無抵抗な人々を蹂躙していた。
湊は階段を悠然と降り、無感情にその光景を見下ろす。かつて母を呪霊と混ぜ合わせた彼にとって、魂の形状を歪める行為は誰よりも熟知した領域だ。だからこそ、目の前の「作品」の出来の悪さが鼻につく。
「……人の魂を、こんな形に捏ねくり回すなんて。君達を作った『継ぎ接ぎ』は、よっぽどセンスがないみたいだ。素材の良さを全て殺して、ただの肉塊に変えるなんて、料理ですらない」
湊の言葉に反応し、数体の改造人間が咆哮を上げながら襲いかかる。しかし、湊は眉一つ動かさない。ただ、背後の影から伸びた黄泉の鉤爪が、なぞるように空を裂いた。
「**術式精錬――『純化解体』**」
触れた瞬間、改造人間たちの肉体は飛び散ることも、血を流すこともなかった。ただ、パズルのピースが解けるように、静かに粒子となって霧散していく。それは暴力的な破壊ではなく、歪められた魂の情報を最小単位へと「分解」し、肉体という檻から解放して、ただの清浄な呪力へと還元する作業。
「湊! 来てくれたのか!」
地下から血の匂いを纏って駆け上がってきた虎杖悠仁が、目の前で起きた「消滅」の美しさに驚きつつも声を上げる。再会を喜ぶよりも先に、悠仁は湊の纏う空気が以前と決定的に違うことに気づいた。
「悠仁。……大丈夫、もう『無闇に混ぜる』ことはしないよ。今の僕は、ただの清掃員だ。この街に散らばったゴミを片付け、歪みを正しに来ただけだよ」
湊の瞳には、かつての飢餓感に代わり、外科医のような冷徹な理性が宿っていた。自分と龍を解離させ、調律師へと至った少年の言葉には、絶対的な重みがある。
だが、その直後。湊の鋭敏な感覚が、大気の中に混じる「猛毒」の匂いを捉えた。
(……この匂い。夏油傑。……いや、その皮を被った『何か』か)
世界のパズルを最も深く、最も醜く組み替えようとしている黒幕。かつての自分と同じように、命を素材としてしか見ていない何者かの気配。それを感じ取った湊は、初めて口角をわずかに上げ、好戦的な光を瞳に灯した。
「黄泉、準備して。……最高の『不純物』を見つけた。調律師として見逃すわけにはいかない」
かつての配合師が、その知識と力の全てを「解体」のために振るう。
渋谷の深淵へ。調律師となった少年と黒龍は、呪霊たちの描く偽りの理想郷を根本から分解するため、闇の奥底へと消えていった。
渋谷事変編、本格始動です。
次回、。湊vs真人の「魂の解体」合戦。改造人間を分解して救う湊の、新境地の力が示されます。