此れ、総となれ。
トリニティの中で『百合園』の名が通じない者はいない。
それほどまでに『百合園』は名家であった。
名家といっても財力に優れるわけでも、権力を持っているわけではない。いや、一概にはそう言えるのかもしれないがそこが理由ではない。名家として呼ばれる訳は、百合園の家系は生まれながらにして才にめぐまれる事があるからだ。優れた知能を持つ。人に慕われやすい。目が良い。下手な無駄な装飾を外して簡潔に言うなればそんな才。しかし、実態はそんな些細なものではない。
優れた知能を持つものは戦争の時代に生まれた。敵兵の些細な動向から全てを予測しどれだけ戦力差があろうともそれを覆すような圧巻の戦闘指揮で勝利を運び敵味方から等しく全能と呼ばれ戦争の時代に勝利の象徴として崇められた。
人に慕われやすいものは政治の時代に生まれた。まだいくつもの派閥が睨みを利かせあってお互いに権威を誇張する中、武力を捨て対話によって全ての派閥をまとめ上げトリニティの土台を作り上げたとされる。
目が良いものは内乱の時代に生まれた。先代の会長の後釜として任命された彼女は複雑に入り組みあった学園の全てに目を落としたとされる。派閥の不満から花壇の惨状まで、どんなことでも
目を当てて本質を見極めただ一振り、メスを入れるような手腕で対応を下した。
ただ、そんな物は全て過去の話だ。百合園家は確かに名家であったが、それは過去の栄光に縋っているに過ぎない。今では百合園家に才を持った人間はいない。いたとしてもそれは努力の末の賜物であり、昔のような先天的に才を持って生まれる者はいない。
いや、
ある頃のことだ
百合園家に一人の赤子が生まれた。
その子は生まれながらにして体が弱かった。弱々しい息を繰り返し、些細なことで体調を崩した。
彼女は病院の一室で生まれたての幼い体には耐え難いほどの不幸に体を蝕まれた。医者の見立てではいつ行きを引き取ってもおかしくないほどであったそうだ。
ただ、事実としては彼女は生き残った。
彼女、名を百合園セイアは細く、弱々しい息でも続ける事を選んだのだ。
また、夢をみる。
明日の夕食の夢。名前の知らない友人の夢。
また、夢をみる。
両親に褒められる夢。本を一冊購入する夢。
また、夢をみる。
入学式の夢。紅茶をこぼしてしまう夢。
また、夢をみる。
友人と疎遠になる夢。叶わないことを望む夢。
また、夢をみる。
夢を見る夢。夢で夢の夢を見る夢。
夢を、みる。
爆弾が私を
発言が彼らを
閃光が皆を
暗闇が全てを
目が覚める
知らない友人と目が合った
目が覚める
瓦礫の先に暗闇が見えた
目が覚める
私の死体を抱えていた
目が覚める
光が静かに広がった
目が覚める
赤があたりに散らばった
目が覚める
そこは静かだった。あたりには瓦礫の山が積み重なっていてそれなのに土埃ひとつない快晴がなんとも言えない奇妙さを醸し出していた。
足元に目をやる。瓦礫の山の上にいるようだ。ただ、これには既視感がある。この破片はひょっとして──
「君」
不意に後ろから声をかけられる。
「どうして、どうやってここに?」
聞き覚えのある声、だってそのはずだこの声は
歩を進め時間をかければたどり着く。
先ほど彼女をみました。いつも通りの生気のない目で。ただはっきりと物を写す目を真っ直ぐ前に向けて。しかし、彷徨う様にふらふらと歩いていたところを。私は前から向かってくる彼女を視界で収めすれ違いざまにふと、視線を送りましたが、それも直ぐに外してしまいました。生徒下校時間の今になってそのことを後悔しても遅いですから、ただ歩き続けます。
彼女が不安定だというのはミネ団長に直々に伝えられていたことでした。ある時急に団長に気にかけて欲しい生徒がいると、目に映ったら少しだけ観察してみてほしいと、おかしかったら声をかける、それだけでいいからと。
観察、というのはなんとも不思議な表現だと思いましたが、その言葉を選んだ意味を私は直ぐに理解することになります。
彼女は身体的にも、精神的にも健康そうにみえます。しかし、歩幅は不揃いで、ある所なす所でふらふらと風にはびくように歩いていて杖は矍鑠としていますが、どうにも落ち着きがありません。視線は病的なまでに動かずまっすぐ前を向いているか、足元をじっと眺めているかでした。これは確かに観察かもしれません。変化が少ないものから変化を見つけ出す。そう言った作業でしたから。
ただ、今度は別のことに引っかかりました。ミネ団長は彼女のことを不安定と形容しましたが、私にはその理由がわからなかったからです。それを理解したのはとある出来事からでした。
ある時、人混みの中で彼女を見つけた事がありました。
普通人混みに紛れた場合、早くこの場から離れようと。もしくは、目的地まで人混みをかき分けてまで歩こうとするでしょう。しかし、彼女はそのどちらもしませんでした。その時の彼女はまるで行き場を失ったかのように立ち尽くしてぴたりと動かなくなっていたのです。それはまるで迷子になってしまった子供を見ているようでそれを見た時私はえも言われぬ不安感のような物を感じて、つい手を引いて人が少ない所まで向かいました。
驚くほどに抵抗しない彼女の手を引いて。歩いて、歩いて。ついたその場所は離れにある小さな中庭で辺りにすっかり人の気配はない場所でした。
そこで私は私がしたことをはっきりと理解しました。私にどんな意図があろうとも、彼女からすれば知らない人が強引に手を引いて人気のないところに運んだ事は事実なのです。なんとか弁解しようと振り返って、口を開こうとして目が合いました。濁った目だ。本当に彼女には失礼ですか、そう思ってしまったのは事実です。いつもは遠くから眺めていた姿が今は近くに。いつもはどっちつかずな目線は今では私を見つめています。
それを見ると私が何を言おうとしていたのかなんてすっかり忘れてしまって口を開ける気にもどうしてか、なれませんでした。
「─────。」
何かを言われた。そう理解するのには彼女がゆったりとした、そして軽いお辞儀を終えるまでの時間を要しました。会釈、と言い換えたほうが正しいかもしれません。
私が聞き逃しただけなのかもしれません。あの時は酷くぼうっとしていて不意打ち気味な彼女の言葉を聞き逃してしまうこともあり得たかもしれませんから。そう言ったことを理由にもう一度、聞き直すこともできました。しかし、私はそれをしませんでした。私は、静かに去っていく彼女の背中を見て思いに耽ることしかできませんでした。それがどうしてかは、今でもわかりません。
それから、彼女とよく目が合うようになりました。友達、という関係ではないのだと思います。彼女から話しかけられたことも、私から会話を振ることもありません。彼女は目が合うと会釈をしてきます。それだけ、たったそれだけです。
私からも変わったことはありません。ふと、彼女を見つけると目をやるだけ。挨拶もせずに、会釈を返すのみ。
あたりの日は暮れかけ、あたり一面をぼやっとした闇が照らしています。そろそろ時間的にまずいかもしれません。私はふと、あの中庭に立ち寄ってみることにしました。彼女は人と関わることをあまり好まないようでいつも一人でいます。だから、という単純な理由ですが私には確信にも近い自信がありました。
中庭に行ってみましょう。あそこはいつも人がいません。