キヴォトスの残響-とある漂流者の活動記録ー   作:わたぬき※

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「奇跡」には、常に等価の対価が伴うものです。
本来失われるはずだった命が繋ぎ止められた時、キヴォトスの理(ルール)は静かに、しかし確実に変質を始めました。溢れ出す「怪異」と、既存の常識が通用しない不条理な戦場。第2話では、ブラックマーケットの片隅で交わされる「劇薬」の商談と、かつてゲヘナの行政官がこの場所で味わった「絶望」の記憶を描きます。

ヒナが背負わされた過酷な「誓約」の正体とは。
歴史の裏側で不条理に抗う者たちの活動記録、その断片をぜひご覧ください。


第2話:劇薬の対価

ブラックマーケットの喧騒を分厚い防音ガラスで遮った『Caffè Centotto(カフェ・チェントット)』。店内に漂うのは、芳醇な珈琲の香りだ。

 

「……相変わらず、ここは落ち着くわね」

 

空崎ヒナは二杯目の珈琲を口にし、小さく吐息をついた。2年生にして実質的な防衛の要を担う彼女の肩には、常人なら精神を病むほどの重圧が乗っている。

 

「それで、ヒナ。……例のモノ、持ってきたか?」

 

カウンター越しにマサキが問いかける。その声は「温厚な店主」のそれではなく、対等な取引相手としての低い響きを帯びていた。ヒナは足元に置いていた鞄をカウンターに乗せ、中身を見せた。そこには、連番の抜かれた旧紙幣の札束が、取引額に違わぬ厚みで詰められていた。マサキは慣れた手つきで札束の端を弾き、その音と重みで即座に金額を検める。次にヒナが取り出したのは、マサキが作成した雛形に基づき、彼女自身の署名と、それを承認するゲヘナ現風紀委員長、および現生徒会長の連盟署名がなされた羊皮紙の契約書(セルフギアススクロール)だ。

 

「……私が署名し、上層部の承認も取り付けてきたわ。私が弾丸の奪取を許し、かつその保持者を回収・処断できなかった場合……この契約術式が、霊脈と接続された私を通じて、『悪意を載せた神秘』をゲヘナの深部へと逆流させる。そうなれば霊脈の恩恵は全て『災厄』へと置換され、ゲヘナは内側から自壊する。……あなたが提示したあの条件を、学園は今月も飲むそうよ」

 

マサキは差し出された羊皮紙を検めると、最後に自身の署名を入れ、受理した。その瞬間、羊皮紙が微かに光を放ち、ヒナの神秘を起点とした契約の呪いが正式に施行される。

 

「ああ。108(うち)の弾丸は『劇薬』だ。正しく使えば怪異討伐の確実な一助となるが、一歩間違えばヘイローを容易に砕き、キヴォトス人に修復不能な死を招く。……そのリスクを承知で、君はこの数ヶ月、効率的な排除のためにこれを実戦で撃ち続けてきた」

 

マサキはカウンターの下から、小さな専用ケースを取り出した。中には、鈍い銀光を放つ10発の特殊弾(ハンドロード)が収められている。

 

「今月分だ。……外すなよ、ヒナ。一発の紛失が、ゲヘナの崩壊に直結することを忘れるな」

「……わかっているわ。そんなこと、嫌というほどね。……百鬼夜行の二の舞はごめんだもの」

 

二人の間で交わされるのは、商談という名の「呪い」の掛け直しだった。

 

 

 

 

ヒナは、ふと数ヶ月前の出来事を思い出した。ゲヘナ情報部の調査により、このブラックマーケット周辺が『怪異』たちの発生源であることが特定され始めた頃のことだ。既存のどの標的にも分類できないそれは、通常の銃火器では決定打を与えにくく、仕留めるには過剰な弾薬と人員の疲弊を強いる。このままでは現場が持たない――その窮地において、怪異を効率的に処理できるマサキの特殊弾は、行政官・天雨アコにとって喉から手が出るほど必要なリソースだった。アコが「確保」しようとしたのは、彼女なりの正義と合理性ゆえだった。

 

『……提供を拒むなら、ゲヘナ学園風紀委員会が本件を強制執行、この店ごと差し押さえます。原因不明の脅威に対し、その解決策を一個人が独占するなど許されません。速やかに風紀委員会の管理下に入りなさい』

 

三ヶ月前、アコは百人以上の風紀委員を連れ、この『Caffè Centotto(カフェ・チェントット)』を包囲した。だが、対面したマサキは驚きも憤りも見せず、ただ心底退屈そうに、そして蔑むような視線でアコを上から下まで眺めやった。

 

『管理? 差し押さえ? ……笑わせるな。自分たちでは弾薬の生成一つ満足にできん無能を棚に上げて、何が管理だ。大体、そんな横乳を放り出した頭のおかしな恰好で組織の規律を語るなど、寝言は寝て言え。俺は俺のやりたいように、目の前の目障りな異物を処理しているだけだ』

『……なっ、ななな……!? なんですかその破廉恥、かつ失礼極まりない言い草は! これは風紀委員としての正装、いえ、機能性と権威を追求した結果であって……頭がおかしいとは何事ですかッ!!』

 

アコは一瞬で耳まで真っ赤に染め、血管が切れんばかりの勢いで怒り狂った。机を叩かんばかりに身を乗り出す彼女に対し、マサキは変わらず退屈そうに、どこか遠くを見るような、心底からの憐れみを含んだ視線を向けた。

 

『……いや。黙って突っ立っていれば、それなりに「ガワ」は可愛い部類なんだろうが。中身がこれでは……親御さんも、苦労が絶えなくて大変だろうな』

『おやご……っ!?』

 

アコが絶句した。その単語を脳が理解することを拒み、数秒の空白が生まれる。

 

『今、私の親まで憐れみました!? 誰が、誰が親にまで迷惑をかけているというのですか! 容姿の話に続いて私の親まで……っ、失礼にも程があります!!』

『アコちゃん、落ち着いて! 挑発に乗るな、完全に術中だ!』

 

激昂して掴みかからんばかりのアコを、横から銀髪ツインテールの娘が必死に羽交い締めで引き留める。だが、マサキは追撃の手を緩めない。

 

『おい、あまり暴れるな。……その、なんだ。これ以上暴れると、その横乳やらが完全にはみ出そうだが。ゲヘナの風紀は、もはや露出狂が管理しているのか? 親御さんに泣かれるぞ』

『き、ききき……っ、貴様ぁぁあ!! 全員撃て! この無礼者を今すぐハチの巣にしなさい!!』

 

アコの羞恥心と怒りが沸点を超え、もはや風紀委員としての言葉すら失って絶叫する。ようやく沸騰した頭が落ち着いたのか、アコは乱れた息を整えながら、泣きそうな目で、だが必死に組織人としての形を保とうと叫んだ。

 

『い、いいですか! これは個人の感情の問題ではありません! あなたが持っている技術はゲヘナの、いえ、キヴォトスの公共の利益に資するべきものです! それをブラックマーケットの片隅で、一個人の『やりたいよう』に浪費するなど、組織の論理として断じて容認できません! 分を弁えなさい、ただのカフェの店主が!』

 

アコが指を突きつけ、懸命に組織の正当性を捲し立てる。だがマサキは、その言葉の奔流を、まるで羽虫の羽音でも聞くかのような、ひどく冷めた目で見据えていた。

 

『……言い終えたか?』

『な……っ』

『組織の論理だか何だか知らんが、そのために俺の平穏を乱すというなら、お前も、後ろの有象無象も、俺にとってはただの「排除対象」だ。お前たちの掲げる正義が、俺の歩く道の障害にならないとでも思っているのか?』

 

マサキが低く、静かに告げた瞬間。彼から溢れ出した無機質な殺気が、物理的な重圧となって空間を押し潰した。

 

『……あ、……ぁ……』

 

銃を構える余裕すら与えない。訓練された風紀委員たちが次々と生理的な恐怖で地面に這いつくばり、アコ自身も先ほどまでの憤怒が嘘のように顔を蒼白にさせ、呼吸の仕方を忘れたように絶句した。

 

結局、マサキは一発も弾を撃たなかった。膝をつき、戦意を喪失した者たちを、ただ淡々と、作業的に「処理」しただけだ。泣き出しそうなアコと、壊滅状態の部隊を救ったのは、遅れて駆けつけたヒナの謝罪だった。

 

『……勘違いするな。俺は善意で怪物を倒しているわけでもなければ、お前らに武器を卸す軍需産業でもない。俺が歩く道に立ち塞がって邪魔をするなら、その時はお前らもろとも始末するだけだ』

 

専属契約も、技術供与も、彼は一切を拒絶した。その不遜な一線を守るために、ヒナは「学園の霊脈を人質にした誓約」という、マサキが唯一受け入れる余地のある呪いを差し出すしかなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

「……ふふ、懐かしいわね。あの後、風紀委員会に戻ったアコをなだめるのがどれだけ大変だったか、あなたには想像もつかないでしょうね」

 

ヒナはふと、先ほどまで脳裏をよぎっていた数ヶ月前の騒動を口にした。現在は至って静かな時間が流れている。マサキは黙ってカウンターの下から、小さなガラス瓶を取り出し、彼女の前に置いた。

 

「知ったことか。あの時の天雨は、道理も正義も通用しない相手がいるってことを、ようやく学習したようだったが」

「学習……ね。彼女、あれ以来あなたの店に来る時は、必要以上に襟元を正しているわよ。……これは?」

「気まぐれで十個だけ作った。瓶プリン。」

 

ヒナがスプーンで掬い、一口ずつ味わうように口へ運ぶ。濃厚な卵の味と、少し苦味の効いたカラメルが、張り詰めていた彼女の神経を解きほぐしていく。

一気に作れる分しか作らず、それ以上を望まない。この店主の徹底した「領分」の守り方が、ヒナには心地よかった。肥大化し続けるゲヘナの権力争いや、際限のない怪異との消耗戦に身を置く彼女にとって、自分の手の届く範囲だけを完璧に律するマサキの在り方は、一種の理想郷(ユートピア)のようにすら感じられた。

 

「……美味しい。でも、あの時のあなたの言い草は、私から見ても少し酷かったわよ。『頭のおかしな恰好』だなんて、事実だとしても本人に言うことじゃないわ」

「事実なんだからしょうがないだろう?あんな連中が公道を塞いで俺の店を囲んでたんだ。誰だって退かすなりの『処理』を求めるだろうよ。……そもそも、弾薬の生成も満足にできん素人が、特殊弾(ハンドロード)の価値を管理しようなどと、傲慢が過ぎる」

 

マサキは乾いた布でカップを拭きながら、琥珀色の瞳を細めた。20代の落ち着いた店主として振る舞う彼の視線は、どこまでも冷ややかだ。

 

「おかげで私は、ゲヘナの全責任を背負わされる羽目になったけれど」

「嫌なら断ればよかった。……だが、君はそうしなかった。それだけだ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

ヒナは最後の一口まで名残惜しそうにプリンを掬い終えると、空になった瓶をカウンターに置いた。10個限定の甘い安らぎと、10発限定の死を招く劇薬。その両方を等しく、そして淡々と提供するこの「大人」に、彼女は奇妙な信頼を寄せている。

 

「……ふぅ。これで少し、今夜も頑張れそう。……ねえ、マサキ。あなたは本当に、この場所だけで満足しているの? あなたほどの腕があれば、キヴォトスの情勢そのものを変えることだって……」

「俺は外から来た漂流者だ。この世界の運命だの秩序だのには、欠片ほどの興味もない」

 

マサキは作業の手を止めず、淡々と、断定するように告げた。

 

「俺は俺のやりたいようにやり、俺の目が届く範囲にいる知人が困っていれば、気が向けば手を貸す。……それ以上のことを俺に期待するな」

「……そう。相変わらず、自分勝手で……揺るがないのね」

 

ヒナはわずかに口角を上げ、自嘲気味に、あるいは羨むように呟いた。彼女はまだ席を立つ気配はない。カップに残った珈琲を揺らしながら、当時の騒動の「別の側面」――マサキから見たゲヘナという組織の滑稽さについての昔話を、もう少しだけ引き出そうとしていた。




今回は、ヒナとの「劇薬」を巡る過酷な誓約、そして数ヶ月前に起きたアコ行政官の災難について描かせていただきました。

マサキからすれば、アコの服装への容赦ないツッコミも、あの殺気も、すべては「自分の領域を乱す邪魔な障害物をどかした」という極めて個人的な理由に過ぎません。

しかし、その理不尽なまでの強さと、偶に顔を覗かせる大人としての包容力というギャップが、ヒナにとっては唯一の「安らぎ」であり、同時に逃げられない「呪い」にもなっています。

もし面白いと思っていただけましたら、評価や感想、ブックマークなどいただけますと執筆の大きな励みになります!それでは、第3話でお会いしましょう。

【蛇足:セルフギアススクロールって?】
「……これか? 昔、魔術師の世界にいた時期に学んだ技術だ。本来は魔術回路を担保にする術式だが、こっちの人間には回路がないからな。神秘を強制放出し、枯渇させることでヘイローを消失させる……つまり、普通の人間(・・・)に戻す術式にマイルドに改変してある」
「普通の人間に戻すって……それ、私たちにとっては死ぬより怖いことなんですけど。……じゃあ、ヒナさんの契約も同じなんですか?」
「いや。空崎ヒナのような高出力の個体は、神秘の枯渇だけでは大量の神秘を無駄に捨てることなる。だから、放出したエネルギーを『悪意』に変換して、空崎ヒナと霊的に接続している霊脈に流し込むように設定してある。契約違反が起きれば、彼女が一般人になると同時に、ゲヘナの源泉や地脈が汚染される。最悪、火山が噴火して学園が地図から消えるな。」
「(……学園を人質にしてるじゃないですか!)」
「……組織を相手に罰則を決めるなら、それは構成員全員に類が及ぶものにすべきだ。ルールを破ればお前の住処は無くなる。分かりやすくないか?」
「分かりやすくって……」
「本当はゲヘナ生徒全員の命を担保にするのが一番なんだが、それだと全員のサインと本人確認が必要で、情報漏洩のリスクもあるからな」
「代表である生徒会長のサイン一つで、全員を縛ることはできないんですか?」
「あー、その場合、抜け道があるんだよ。ゲヘナに所属しなきゃいい。卒業なり転校なり退学なりで所属を外せば、契約の対象外になって逃げられる」
「「あーなるほど……」」
「前に似たようなことがあってな。魔術師同士の戦いである魔術師が身内を人質に取られ、『使い魔を自決させれば、魔術師本人と身内の命を保証し、殺さずに戦場から逃がす』という契約を飲まされたんだ」
「それで……? 無事に逃げられたんですよね?」
「いや。死んだよ、そいつら」
「え!? 条件を守ったのに、なんで……!?」
「契約は守ったよ、人質を取った魔術師はな。だが、そいつは『俺が殺さない』とは言ったが、『俺の仲間が殺さない』とは一言も書いていなかった。……契約にない以上、横から第三者が手を下すのは自由だ」
「「!?」」
「魔術師えげつないよー……」
「だから、今回のようにヒナ以外が触れたらアウトな解釈の余地のない条件にして、罰則対象を土地そのものを汚染して逃げ場を無くすのが一番確実なんだよ。」


以下、第2話時点でのゲヘナ情報部による内部資料を公開します。

【ゲヘナ情報部 内部調査資料:108-BM-02】
■ 調査対象者 A:マサキ
【更新】契約状況:空崎ヒナによる『特殊弾』の定期受領を確認。
本契約の罰則規定は「媒介者の神秘喪失、および霊脈への悪意逆流による学園の自壊」という、学園の存立基盤を人質に取った苛烈なものである。
【追加】性格分析:極めて尊大かつ独善的。天雨アコによる「学園の管理下に入るべき」という提案を、自らの技術への自負から「無能の寝言」と切り捨て、組織論を羽虫の羽音と断ずる等、既存の社会規範が一切通用しない。

■ 調査対象者 B:ウツホ / 調査対象者 C:ユエ
【更新情報なし】

[総評:更新]本契約の罰則規定を「虚勢」と断じるのは、組織の存続を賭けた致命的な過失となり得る。
先行事例である百鬼夜行連合学院における契約違反、およびその後の壊滅的被害(詳細は別紙:『百鬼夜行事変・霊脈汚染調査報告書 HY-04』を参照)を鑑みれば、対象の提示する条件は、因果を直接縛る物理的な「呪い」として扱うべきである。
百鬼夜行は当該事変以降、対象に対して一個人の報酬としては極めて異常な規模の対価を継続的に支出し続けており、事実上の経済的・政治的な隷属状態に陥っていると推測される。本学園において空崎ヒナが取引窓口を専任し、情報部を含む第三者の介入を拒絶している現状は、本学園が同様の「回復不能な破綻」を迎えるのを防ぐための、防衛上の最終ラインであると解釈される。
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