キヴォトスの残響-とある漂流者の活動記録ー   作:わたぬき※

4 / 7
第4話です。
今回はゲヘナのあの人たちが登場します。 
自称アウトローのカリスマとしてイメチェンを済ませ、意気揚々とブラックマーケットに乗り込んできた陸八魔アル。
しかし、彼女が足を踏み入れたのは、ただのカフェではなく、ブラックマーケット周辺で活動する「掃除屋」の拠点でした。 本物のアウトロ―を前に、理想と現実の「桁」の違いを叩きつけられるアルたちの受難をお楽しみください。


第4話:淘汰の庭の拾得物

ブラックマーケット第88地区。 ゲヘナ学園領との境界に位置するこの一帯は、法の届かない闇市でありながら、一定の秩序と法外な地価が共存する奇妙な「緩衝地帯」だ。

 

「……ありえないわ! 10坪ちょっとの薄暗い部屋で月33万!? 私を誰だと思ってるのよ、あそこのタヌキ親父!」 

 

吐き捨てるように叫び、陸八魔アルは、イメチェンに合わせて新調したコートの裾を翻し、カフェの扉を勢いよく開けた。 

背後ではムツキが面白そうに、カヨコが「また始まった……」と言いたげにこめかみを押さえ、頭痛に耐えながら続いていた。 

 

道路沿いに面したその店は、扉が閉まると同時にブラックマーケットの喧騒がふっつりと途絶え、そこには暴力と埃が支配する屋外とは無縁の、異様なほど静謐な空間が広がっていた。 

 

Caffè Centotto(カフェ チェントット)』。 

 

カウンターの中で、コーヒーカップを音もなく拭き上げている男――マサキの頭上には、この学園都市(ギヴォトス)の生徒なら誰もが持つはずの「ヘイロー」が存在しなかった。

 

「……ふん、悪くない雰囲気ね」 

 

アルはカウンターの端に座ると、足を組んで「大人の余裕」を演出する。 

だが、その背後でカヨコの表情が強張った。『Centotto(チェントット)』、たしか外の国の言葉で108。ゲヘナの情報部の末端から流れてきた、ブラックマーケットに潜むという「ヘイローのない掃除屋」の噂が、目の前の男と一瞬で結びつく。

 

(……冗談でしょ。よりによって、ここが『掃除屋』の拠点だっていうの?) 

 

マサキはカヨコの視線に気づきながらも、手元を動かしたまま、低く落ち着いた声で口を開いた。

 

「見ない顔だな。ブラックマーケットは初めてか? ……それとも、どこぞの悪徳業者の洗礼でも受けたか?」 

 

適度に突き放した、だが不快ではないフランクな物言い。 

アルはその「余裕」に自尊心を刺激されたのか、カヨコが抱いた危機感とは裏腹に、得意げに持論を展開し始めた。

 

「洗礼? ふふ、まさか。ただ、この街の連中には少しばかり『教育』が必要だと思っただけよ。いい? 私は近いうちに、この第88地区に誰もが恐れる最強の事務所を構える。無秩序なこの街に、私の『美学』という名の法を敷くの。それが、真のハードボイルドというものよ」 

 

アルが注文も忘れて滔々と語る、壮大な妄想話。 

マサキはそれを、馬鹿にするでもなく、心地よい冗談話でも聞くような体で受け流していた。

 

「あはは、アルちゃんまた凄いの引いちゃったね」

 

その脇で、冷や汗を流すカヨコを見て状況を察したムツキは楽しげに笑いながら、従業員のウツホへ手際よく注文を通していた。

 

 

 

「――よくもなあ、そこまで語ったな……」 

 

演説が一段落したタイミングで、マサキがアルの前に湯気の立つブラックコーヒーと、黄金色に焼き固められたブリュレを置いた。

 

「感情が高ぶるのも分からんでもないが、少し頭を冷やした方がいいぞ」

「……何よ、これ。頼んでないわよ」

「コーヒーは注文通りだ。そっちはサービス。面白い話を聞かせてもらったからな。糖分は思考を明晰にするぞ」 

 

アルは毒気を抜かれたようにスプーンを手に取ると、カチリと音を立ててカラメルを割り、その甘味に息をつく。 

 

「……悪くないわね」

 

その様子を見守るマサキの琥珀色の瞳は、すでに彼女を単なる「客」としては見ていなかった。

マサキの視界には、彼女たちが纏う「神秘」の輪郭が、そこらの不良生徒とは比較にならない密度で揺らめいているのが見えていた。その輝きはあまりに未熟で、危うい。だが、正しく導き、鍛え上げることさえできれば、この無法者の街でも十分に渡り合える「同業者」になり得るだろう。

 

(……これほどの『神秘』を持ちながら、腐らせておくのも惜しい連中だ) 

 

アルが最後の一口を飲み込むのを待つように、マサキは店内の隅で様子を伺っていた従業員の少女へ視線を向けた。

 

「ウツホ。事務所から紙とペンを持ってきてくれ」

「あはは、マサキ君、またやるの? ……はーい、了解だよ~」 

 

ウツホが軽快な足取りで奥へと消えていく。

 

「な、何よ、急に」

 

そのやり取りに、アルはブリュレの甘みで緩んでいた表情を不審げに引き締めた。

 

 

 

 

ウツホが事務所からA4のコピー用紙とペンを携えて戻ってくると、マサキは顎でフロアのテーブル席を指した。

 

「カウンターじゃ手狭だな。あっちに座れ」 

 

その言葉に従い、アルは戸惑いながらもムツキ、カヨコと共にテーブル席へと移動する。マサキはカウンターの外に出ると、彼女たちの正面に腰を下ろし、真っさらな紙を卓上の中央に広げた。

 

「さて。支配者の卵さん、経営のお勉強の時間だ」 

 

マサキはペンを走らせ、、紙の上部に「108-BM-Area88」と所在地を記し、その真下に現状の「坪単価」の相場を書き込んだ

 

「君がさっき口にしていた『33万』という数字。まずはこれを起点に、この街で事務所を構えることの意味を数値化してみようか」 

 

マサキのペン先が、アルが見てきた物件の致命的な欠陥を指し示す。

 

「この第88地区で、立地とセキュリティを最低限担保するなら、坪単価10万円が相場だ。老朽化が進んでいても、その二条件が揃っていれば7万円を下回ることはまずない。つまり君が見てきた物件は、この街では玄関が射線に晒されているか、壁がベニヤ同然の掘立小屋だ。君は事務所を探していたのか、それとも自分たちが飼われるための家畜の小屋でも探していたのか?」 

 

言葉の鋭さにアルは肩を震わせたが、マサキの手は止まらない。

 

「3人、あるいは将来的な4人で動くなら、15坪は譲れない。事務スペース、応接、そして武器庫と仮眠室を兼ねた多目的室。これだけの構成を揃えて、ようやく事務所が事務所として機能する。……まともな環境を維持するなら、家賃だけで月150万。そこから諸経費が積み上がる」

 

・家賃:150万円(坪10万×15坪)

・インフラ・秘匿通信費:10万円

・福利厚生・労災プール金:20万円(備蓄食料、緊急医療費)

・活動維持費:30万円(弾薬補充、燃料、情報料、事後清掃代)

 

「合計、月間最低経費――210万円」 

 

マサキはペンを置くと、計算結果をアルの目の前に突きつけた。

 

「何もせず座っているだけで、毎月210万が消える。毎日、日曜も休みもなく、約7万円の『純利益』を出し続けて、ようやく現状維持だ。……さて、代表(アウトロー)さん。君に毎日7万以上の利益を運んでくる具体的なシノギのあてはあるか?」

 

 

 

 

 

「……な、なら、一回で数百万稼げるような『ヤバい仕事』をこなせばいいだけの話よ! リスクが高いほど報酬も跳ね上がる、それが裏社会のルールでしょ!」

 

 二百十万という数字の暴力に震えながらも、アルは顔を真っ赤にしてテーブルを叩いた。

 

「そんな都合のいい依頼が、実績も身元も不明なガキのところに転がり込むと思うか? 持ちかけられるとすれば、それは君たちが『身代わりの犯人』か『使い捨ての駒』に選ばれた時だけだ。収支を合わせる前に君の命が尽きるぞ」

 

マサキの冷淡な指摘に言葉を詰まらせながらも、アルは必死に次の正論を絞り出す。

 

「だ、だったら、まずは小さな依頼を確実にこなして、信頼を築いていけばいいわ! 真っ当に実績を積めば、自ずと依頼は増えていくはずよ!」

「……悪くはない。理屈としては正解だ」 

 

マサキはそう言って一旦は頷いたが、琥珀色の瞳は少しも笑っていなかった。

 

「だが、毎日安定して七万もの純利益を出し続けるだけの依頼が、営業努力もなしに、客が勝手に列を作るとでも思っているのか? 実績皆無の君たちに、そこまでの集客能力があるとは到底思えないが」

「そ、それは……っ。だったら、今はとにかく地道に貯金をして、少しずつ資金を増やしていけばいいだけの話じゃない! 時間をかけてでも、私は理想の事務所を借りてみせるわ!」 

 

震える声で、それでもアルは最後の「堅実な夢」を口にした。それに対し、マサキはペンを回しながら静かにトドメを刺す。

 

「いいか。そのペースで一体いつになったら理想の事務所が借りられる? ……卒業する頃には、立派な『苦学生』が完成しているだけだぞ」

「く、苦学生……っ!? 私が、ただの苦学生ですって……!?」 

 

ハードボイルドな悪を目指しているはずの自分に向けられた、あまりに世俗的で、あまりに正しい評価。アルのプライドは限界を迎え、矛先を目の前の男へと向けた。

 

「じゃあ、あなたはどうなのよ! この店だって全然客が入ってないじゃない! あなただって、どうせ親か誰かの持ち物で、甘えているだけじゃないの!?」

「残念だが、俺に親などいない。この店の維持に、賃料というコストは発生しない。」

 

「……意味が分からないわ。家賃を払わなくていいなんて、そんなの――」

「このビルは俺の所有物件だ。誰に借りているわけでもない」

「……は? ビルを、個人で……?」 

 

ビルを個人所有するという概念が、消化できずにアルの頭の中で火花を散らす。

 

「……い、いくら、したのよ。そんなビル、買うのに……っ」

「当時のレートで、四億五千万といったところか」

「…………よ、よ、……よ,よんおくごせんまん……っ!?」 

 

アルの思考が、その天文学的な数字を前に白く塗りつぶされた。白目を剥き、がたがたと震えながら椅子から滑り落ちそうになる彼女の耳元で、これまで沈黙を守っていたカヨコが、とどめの一撃を静かに囁いた。

 

「アル、諦めな。……この人は、ゲヘナの情報部ですら手出しできない、ブラックマーケットの本物のアウトロー……『掃除屋108(ハンドレッドエイト)』本人よ」

 

 憧れていた本物のアウトロー。自分がなろうとしていた完成形。それが、たった今自分を非情な現実の試算で完膚なきまでに叩き潰した男だったという事実。 全ての因果がアルの中で繋がり、臨界点を超えた。

 

「なななな、なっ、何ですってーーーーーーー!!!???」 

 

 

第88地区の静寂を、一人の少女の驚愕の絶叫が切り裂いた。 あまりの音量に、奥から顔を出したユエとウツホが、やれやれ、と耳を押さえながら苦笑いを浮かめる。 陸八魔アルの、輝かしくも無謀なアウトロー生活への挑戦は、こうして盛大な爆音と共に自らの意識を飛ばすことで一旦の幕を下ろしたのである。




お読みいただきありがとうございます。 
アルの「なななな、何ですってー!」が書きたくて、マサキには徹底的に「現実の数字」で正論パンチを打ってもらいました。 
15坪で家賃150万。個人所有のビルが4億5千万。学生の貯金や仕送りでは到底届かない「本物の世界」の入場料を知り、アルの脳内回路は完全にショートしてしまいました。 

次回、第5話。オーバーヒートしたアルを放置して、マサキがムツキやカヨコに「ある提案」を持ちかけます。

以下、第4話時点でのゲヘナ情報部による内部資料を公開します。

【ゲヘナ情報部 内部調査資料:108-BM-04】
■ 調査対象者 A:「マサキ」
【新規】論理的解体と価値観の再定義: 本学園生徒(陸八魔アル等)が対象と接触した際、対象は武力を行使せず、対話のみで対象者の行動原理を一時的に全停止させたことが確認された。 後に現場より回収されたメモの断片には、第88地区の正確な坪単価、事務所維持に要する固定費、弾薬費等の「ランニングコスト」が極めて精緻な数値で羅列されていた。対象は、生徒の抱く主観的な「夢」に対し、客観的な「数字(現実)」を衝突させることで、対象者の価値観を機能不全に陥らせている。これが教育的配慮か、あるいは意思決定権の剥奪を狙った導入プロセスであるかは現時点では判別不能。

【追加】資本力による絶望の付与: 対象は自身の拠点が「個人所有のビル」であることを明かし、当時の取得レートとして「4億5千万」という数値を提示。これにより、生徒側に「到底追いつけない格の違い」を刻み込み、心理的な絶対優位を確立したものと推測される。

【特記】本学園生徒への干渉と囲い込み: 今期、本学園生徒・陸八魔アルが対象との接触後に「精神的凍結(オーバーヒート)」状態に陥ったことが確認された。本件に関し、同行していた生徒(鬼方カヨコ)は対象を「掃除屋108(ハンドレッドエイト)」と呼称。これは一部の秘匿呼称であり、対象がその正体を隠匿する意思を放棄しつつあることを示唆している。 陸八魔アルは、その「神秘」の質において一定の評価があり、対象が彼女を将来的な実務ユニットの核として選定した可能性は極めて高い。

■ 調査対象者 B:呼称「ウツホ」 / 調査対象者 C:呼称「ユエ」
【更新事項なし】

[総評:更新] 対象の危険性は、その武力以上に、対話を通じて対象者の「現実認識」を不可逆的に書き換えてしまう点にある。陸八魔ら生徒たちが、対象の提示した圧倒的な資本力の前に沈黙し、事実上の管理下に組み込まれた事実は、生徒指導の観点から極めて深刻である。 今後は、戦意を喪失した生徒たちに対し、対象がどのような「救済」あるいは「利用」を持ちかけるかを注視する必要がある。対象による『指導』を経た生徒は、既存の学園秩序に馴染まない、極めて特異なアウトロー集団へと変貌する危険性を孕んでいる。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。