吸血幼女の食事係   作:桃羽玉箱

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2話 目覚め(2)

 

「……あれ」

 

 言葉にすらできない疑問。

 目が覚めて、それが最初に抱いた気持ちだった。

 初めてやるサンドボックスゲームを始めたときに近いだろうか。操作方法はもちろん、世界観もわからないし、何をすればいいのかわからない。ぽつんと見知らぬ世界に落とされて、周りを眺めるしかできない。

 見知らぬ場所、初めて感じる空気、寝る前の記憶が一切ない、そんな状況が実際に自分の身に起きると、もうどうとも言えなくなった。

 

「……よいしょ」

 

 とりあえず、上体を起こしてみた。だからなんだと言う話ではあるが、こっちのが色々と動きやすい。 何をすればいいのかわからないから、とりあえず周囲を眺めてみることにした。

 わかったのは茶色の部屋だということ。

 よく見れば木製の床や壁で、大きな窓とそれを覆う厚手のカーテン。僕が寝ていたのはパイプ……じゃないな。金属製のよくわからないフレームに柔らかくも芯のあるあまり沈み込まないタイプのベッド。その横には小さな椅子と棚、少し離れたところには小型のテレビがあった。

 そして何より見逃せないのは小型の心電図の画面とその横にある点滴らしき物の吊られたパック。辿ってみれば僕の腕に刺さっているようだ。

 病室みたいな部屋だった。

 というか多分きっとそうだと思う。点滴と心電図があってそうじゃないなら、僕には何もわからない。

 それはさておき、何故僕は病室なんかに居るのだろうか。怪我か、病気か。

 

「──は」

 

──ぽこぽこ

 

 突然、水泡のように脳内に記憶が浮かび上がって来た。

 研究所、水槽、綺麗な人……そうだ、僕は実験体に使われていた……の、だと思われる。実際にどう扱われていたのかは記憶がないからわからないけど。

 

 ここは病院、最後の記憶は水槽が割れて女の人に見下された瞬間。

 と、なると……助け出されたのだろうか。少なくとも、あの研究所みたいにここは薄暗くないし、陰鬱とした雰囲気も感じられない。カーテンの隙間から入り込む陽光が綺麗なくらいだ。

 点滴とかはともかく、ヤバそうな薬剤も近くには見られない。手足も動く。とりあえず人権はありそうで大変よろしい。実験動物だから人権無しな! とか言われたら泣いてしまう。

 

「とりあえず一安、しん……?」

 

 何となく下げた視線。そこに映ったのは膨らんだ(・・・・)自分の胸。

 お腹……? いやそれにしては位置がおかしい。慌てて自分のお腹を触ってみるけど、しっかりある。あんま太っては無い。となると……お腹と、鎖骨の間にあるお肉なんて……おっぱいしかないよね?

 

 いやいやいやいや、おかしいって。僕は男だったはずだ。現に、あの黒い髪の綺麗な女性に僕はムラムラしている。大切な相棒が股間に生えていたのだって覚えている。未使用だが自慢の相棒だ。

 

「……あれ?」

 

 そもそも、僕って何で男だと思ってたんだろうか。

 そもそも、僕って誰なんだろうか。

 あれそもそも、僕って何で生きて────

 

「失礼し────

「あ」

 

 なんか人が入ってきた。知らない人だ。

 

「────きゃああっ!」

 

 叫ばれたんだが。

 それどころか、バタバタと彼女はどこかへ走り去って行った。人を見るなり叫んで逃げるとは失礼じゃんね。あと、扉くらい閉めてくれよ。廊下丸見えだし丸見られだよ。

 それにしても、さっきの女の人は和服を着てたな。ここは病院だと思っていたから、意外だ。最近の病院は和装コスプレでも始めたのかな。もしくはハロウィン?

 扉を開けられたまま逃げられてしまったのはしょうがない。開きっぱなしは嫌だから閉めないとね。

 足をベッドから降ろし、そのまま立ちあがろうとして────

 

「うえぁ?!」

 

────ぶないなぁ?!

 

 足が縺れて転びそうになった。というか転んだ。受け身を取れたからよかったけど、最悪は地面に顔面直撃コースだったから危ないなんてもんじゃない。

 自分のぶきっちょ加減に溜息を吐きつつ、立ちあがろうとして、して……あれ。

 

「立てない……てか、どうやって立つんだっけ」

 

 赤ちゃんってすごいね。本能で、勝手に自ずと両足使って立てるようになるんだから。今の諦めて大の字になって仰向けに転がる僕とは大違いだ。

 何となく、本当に、何となくの感覚だけど、立つことはできる気がするんだ。

 腕は……ほっそ! 白いし細いし柔らかいなんだこれ。じゃなくて、細いけど僅かに肉はついている。お腹だってそうだ。それに力を込めれば瘤ができるし、筋肉が浮かぶ。足だってそうだ。つまり、立てないのは筋力が原因ではない。

 足首や手首をクルクルと回せるし、鈍くはあるが膝だって曲げられるから、関節は生きている。

 意識すれば、指先足先の感覚はしっかりと感じる。神経だって生きているはずだ。

 筋力、間接、神経に問題はないだろう。だからこそ、何で立てないのかがわからない。まるで、ずっと立たずに生活したせいでそれを忘れちゃったみたいだ。いや、もしかすれば本当にそうなのかもしれない。もっと根本的な……それこそ、脳や脊椎が立ち慣れていないのだろうか。 

 立てないものは仕方がない。四つん這いになってベッドまで動いて、何とかよじ登る。そうして寝転がって……これ、振り出しに戻っただけじゃんね。

 

「はぁー」

 

 特にすることも、できることもない僕は、ただただ自分のおっぱいを揉み続けることにした。何か手を動かしていた方が考え事がより早く進む気がするから。

 

 改めて色々と考えてみて、うん。

 僕は記憶喪失みたいだ。

 

 名前、家、家族、趣味、そう言ったものが丸っきり頭から無くなっている。思い出せないのだ。それでも、僅かに残った滓みたいな記憶はある。

 とりあえず一番大切なのは、妹のことだろう。名前も顔も思い出せないから、イマジナリーシスターの可能性もあるけど、多分居たはず。

 他には、立って小便したり……風に捲られた前にいた女性のスカートに目を奪われたり……学生時代に可愛い同級生と隣の席になってドキドキしたり……。なんでシモ事情ばっかなんだろうか。

 というか、あれ、なんか……思ったより僕記憶残ってるな。あれ、本当に記憶喪失なのか?

 いや、しかし名前とかの……所謂、僕のアイデンティティとでも言うべき根本的な、根源的な、僕の僕たるナニカが欠けているのはわかる。

 それだけじゃない。記憶を掘り返して僕という存在を探索する度に、喪失感や焦燥感が現れ増長するから。思い出そうと思い出そうと、何か大切なモノがあるのはわかっているのに、それが見つからないのだ。そして確信しているのだ。それこそが、僕の僕たる個性なのだと。

 気づけば、僕は胸を揉む手が止まっていた。

 なんだか泣きそうだ。あと少し、もう爪の先が届きそうな距離にナニカがあるのはわかっている。でも、それがどうしても掘り出せない。届かない。

 

「なんだっけ……」

 

 あーー!!! 思い出せない!!!!!!

 

「はぁ……」

 

 思い出せないモノは、もうしょうがない。どうしようもないのだ。

 とりあえず、まとめよう。

 

 僕は記憶喪失だ。名前や家族に趣味なと言ったアイデンティティな記憶が喪失している。だけど、逆に言えば細々(こまごま)としてどうでもいい記憶は割としっかり目に残っている。法律とか、地名とか、そう言った常識的なことも……多分だけど、一般常識くらいは知っていると思う。だからこそ、やっぱり僕自身に関する大切なことだけが欠けているということだろう。

 大切な部分が欠けているというのは気分の良い話ではない。気持ち悪くて、怖くて寂しくて、ちょっと泣きそうで吐きそうになるけど、一先ず今はこれでヨシとしよう。完全に何もないよりは、ちょっとでもあるだけマシだ。もっと思い出したいというのなら今後の僕に期待するしかない。

 どうして記憶がないのか。どうして性別が変わっているのか。事情に関してはこの施設の人が教えてくれるのを願うしかない。

 

「ふぅ……」

 

 色々と考え込んだせいで頭が疲れたような気がする。自分で自分について考察するなんて哲学染みたことはもう止めだ。これ以上考えると、失ったモノばかり探し込んじゃって酷く気分が落ち込んでしまいそうだ。

 だから次は……そうだね。体についてかな。

 記憶の中の僕と違うのは……まず、男だったが今は女のようだ。妊娠能力の有無はさておき、胸と股間のブツはそうなっている。それから、身長は……心なしか下がってる? 流石に細かくは思い出せないし、今は寝転がっているから完全に感覚だけだけど。

 それから……なんだろう。このそうめんみたいな髪は。

 

「なっが」

 

 思わず口に出てしまった。手に取って前に垂らし、胸に乗せるように引っ張ると臍の辺りまで届く。背に回せばお尻くらいまで行くんじゃないのかな。長すぎじゃないか?

 色は……そうめんというにはちょっと銀色っぽい色合いかも。白髪みたいな色をしている。僕は日本人から生まれた日本育ちの日本人で黒髪だったと思うのだが……若白髪かな。それとも、昏睡状態で数十年も寝ていたとか? 加えて、その間に性転換手術の技術が発展していたのならこの状況にも多少の説明はつくのかもしれない。何故僕がそれをされているのかは……童貞だったから? 差別かもしれない。

 話を戻そう。

 今、僕が着せられていた……病院服? 襦袢? なんか白色の着物っぽいそれを捲りながら色々と覗き込んでみる。体毛はやっぱり白。全体的に肌はきめ細かくてむにむに柔らか触感。どう考えても、男時代よりも肌が綺麗なのは間違いない。

 鏡が無いから顔や目はわかんないけど、きっと今の僕が雪山にでも入ったら瞬く間に紛れ込むだろう。今の僕は天然の雪迷彩色人間だ。

 

「──です! 白い子が目を覚ましていて!」

 

 ふと声が聞こえた。開けられたまま放置されていた扉、その外からだ。スタスタと足音も聞こえるし、会話内容から察するに僕の部屋へと向かっているのだろうか。

 僕がそちらへと目を向けていると、二人の女性が入ってきた。片方はさっき叫んだ人、もう片方は……ああ。研究所で見た、あの黒髪の綺麗な人だった。違うのは、武器は持っていないようだし、着物も違う。

 明るいところで改めて見てみると、美しいことには変わりないがちょっと痩せ過ぎかも。妙に疲れて、窶れた印象の長身で若い美女。貧血か過労なのだろうか。お労しい様子だ。

 

「……田中さん。あとは私が。下がっていてください」

「はい。わかりました」

 

 今度はちゃんと扉を閉めて彼女は出て行く。そうして、僕は美人さんと二人きりになった。

 

「初めまして……私は風枝(かぜえだ) 日空(ひそら)と申します」

 

 ヒソラさん、そう名乗った彼女は丁寧に礼をした。

 姿勢や振る舞いからは気品を感じる。鋭い目つきからは圧倒的な我が見える。

 一目でわかる。大物だ。

 自信を持ち、それに見合った力を持ち合わせているタイプの人、考えがあって生きている人だ。

 

「……よろしければ、お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」

 

 まあ、そう来るよね。

 自己紹介なんだから名乗り合いは当然だ。だが、悲しいことに僕は名前すら喪失していた。

 

「申し訳ないんだけど、覚えてないんです」

「記憶喪失、ということででしょうか……配慮が足らず、申し訳ありません」

「あ、いや、気にしないでください」

 

 個人的には記憶喪失もそうだが、体の変化なんて起きているせいでもうめちゃくちゃだ。ここまで来ると、現実味がなくて焦ることもできない。ただ困惑し、現状を見聞きするので精一杯。今はただ、謝罪とかそう言うのはいいから情報が欲しかった。

 

「それで、あの……ここがどこかって聞いてもいいですか?」

「ここは風枝家の屋敷の一つ、『京都大結界』から見て東側に位置しています」

 

 よくわからない。だけど、京都の近くだろうか。なら関西?

 僕ってば、多分だけど方言はない方の人間だから、関東辺りの在住だったと思うんだけど。そう考えると、かなり離れた場所に居るようだ。

 それはそうと──。

 

「……その、京都大結界ってなんですか?」

 

 ヒソラさんさんは驚いたのか、目線が一瞬だけ揺れた。

 

「……失礼を承知でお聞きしたいのですが、『風枝』という単語に聞き覚えは?」

「え、な、ないですけど」

 

 ヒソラさんさんの苗字だよね。え、なに、有名人?

 

「……ご自分の住所、家族構成、所属する組合学校は?」

「し、知らないっす……」

「覚えている中で、最新の報道や新聞記事の内容を教えてもらってもいいでしょうか?」

「……お、覚えてないっす」

 

 色々と確認して僕の状態を伺ってはくれているみたいだが、おそらく彼女の望みは果たされないだろう。だって、僕は僕自身のことすら殆ど記憶にないのだから、それ以外の世界情勢なんて言うまでもなく。

 

「なるほど……」

「は、はぁ……」

「実のところ、貴方のことはこちらでも少々調べたのですが、捜索願いや犯行歴などは見つからず、近くの組合基地を尋ねても貴方のような方は知らない、と。まるで情報が見つからないのです」

「それは……」

 

 ちょっと悲しい。妹よ、捜索願いくらい出しといてくれてもよかったんじゃないか……そう思って、僕は体が変わっていることを思い出す。そうか、これじゃあ出してくれて居ても意味がない。だって探しているのは男の僕であって、(いま)の僕じゃないのだから。

 

「……お辛いかもしれませんが、少し計画についてお話ししましょうか」

「計画?」

「はい。覚えていないかもしれませんが、貴方は先日、研究所から助け出されたのです。そこで行われていた研究について話をすれば、それをきっかけに記憶が戻るかもしれませんから」

 

 小さく頷いて「お願いします」と告げる。

 

「『魔人計画』、人間と魔物を配合し、その身一つで魔法が使える魔人を作り出そう……ということを目的に研究をしていた魔女集団。貴方が居たのはその施設の一つでした」

「……?」

 

 え、ギャグ? ここって笑った方が良いところ?

 いきなり魔法とか言われても困る。そんなのありえない……いや、僕の性転換。もしかすれば……存在するのか、魔法が。

 

「おそらく、貴方はその母体候補の一人だったのでしょう。他にも、誘拐された幼い魔法少女が二名遺体で見つかっています。生き残ったのは貴方ともう一人だけ。そちらの方は意識も記憶もはっきりしていて、既に基地へと帰還済みなのですが……ここまではよろしいですか?」

「……その」

「……? ええ」

「魔法って、なんすか?」

「…………なる、ほど。そこまででしたか」

 

 ヒソラさんさんは息を吐くと、小さく頭を下げてきた。

 

「……その、なんかごめん」

「いえ……意識がはっきりしているのと、言葉は話せているし、敬語の理解もある。それなりに常識は残っていると思っていたのですが……想定より深刻な問題だったようですね。こちらとしても聞きたいことや話し合いたいことはあったのですが……」

 

 彼女はすごく困ったような表情を浮かべた。

 

「……下手なことを言えば、脅しや洗脳になりかねないですね。少し、時間を置いてみましょう。三日ほどあれば、何かきっかけがあるかもしれません」

「そうしてくれると……まあ、助かるけど。あの、お金とか持ってないし、何も返せないですよ?」

「いえ、こちらとしても頼みたいことはありますが、それは貴方の身があれば十分ですから。せっかくですし、三日の間に簡単に常識的な知識の勉強をしてみませんか?」

「いいんですか? それは有難いですけど」

「もちろんです」

 

 めっちゃ良い人! 

 

「あとその、魔法って?」

 

 単純に魔法が気になる、というのもあるが、一度ヒソラさんと話してみて冗談を言うような質には感じられなかったから、どうして突然こんなことを言ったのか、その理由を知りたかった。僕の体のことといい、この世界は僕の知っているのとは何かが違うのかもしれない。だから、ただの冗談ってことはないだろう。

 

「ああ……こんなものですよ」

 

 ヒソラさんが宙に手を翳すと、そこに半透明の壁が現れた。

 

 思わず、目を丸くしながらそれを指先で突いてみると、確かに硬い感触が返ってくる。

 

「結界魔法。攻撃性はありませんから、安全な魔法です」

 

 結界、なるほど結界か。

 広さはお弁当箱くらいで、厚さは1センチもないくらい。ヒソラさんの掌を守るように宙に浮いていた。

 結界の周り、結界とヒソラさんの手の間、それらに僕の手を遣ってみるが何も当たらない。つまり、この結界は本当に宙に浮いている訳だ。透明な紐とかで吊り下げられている訳でもなく、突如として現れた硬い壁が宙に浮いているのだ。

 ヒソラさんは証明には十分だと判断したのか、開いていた掌を閉じた。すると、結界もまた消滅してしまう。

 咄嗟に結界があった場所に触れてみるけど本当に何も無くなっている。

 確かに、魔法と信じるしかなかった。

 

「おおぉ……」

「……それでは、目が覚めたばかりで申し訳ないのですが、貴方の体は先ほどもお伝えした通りに実験として魔法が仕込まれている可能性があります。既に一通りは調べてありますが、念のために再検査に協力して頂いてもよろしいでしょうか?」

 

 色々と、知りたいことはある。知らなければならないことも。何を信じれば良いのかもわからない現状、生活を保証してくれるととりあえずは宣言してくれた彼女の申し出を断る選択肢はない。

 

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 こうして、僕の風枝屋敷での生活は始まった。

 

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