僕は、実験体とか侍女とかではなく……僕は吸血幼女の食事係になったようだ。
「それでは、明日から早速ですが簡単な仕事のやり方は……ミアカさん、先達として教えて上げてください」
「はい!」
ずっと存在感のなかったミアカが元気に声をあげる。
妙にお嬢様から距離を取って見える彼女をどれだけ頼れるかは怪しい所だが、しかし親しみ易い雰囲気の彼女が同僚なのであればかなり有難い。
「ところで……勝手に僕のこと雇う感じ出てるけど、お嬢様ご本人はそれでいいのか……ですか?」
この屋敷において、なんやかんやヒソラさんが纏め役なのはわかるけれど、しかし『風枝』という存在を見た時にトップなのは疑うまでもなく
恐る恐るお嬢様を見る。やはりというべきか、虚無顔の彼女は苔のような深い緑の瞳を僕へと向けている。何も読み取れない顔からは、僅かな欲望──食欲を感じさせた。
「お嬢様、これからはこちらの方、シロさんもお付きになりますがよろしいですか?」
「……しろ?」
喋れるんだ……なんて、失礼か。
お嬢様がぽけーっとした顔で呟く。初めて声を聞いた……よね。けっこう可愛いというか、やっぱり幼くて、舌足らず。とても庇護欲を唆られる。だけど、実際に殴り合いとかしたら僕が一方的に負けるのだろう。
「え、あ、はい。どうも、シロです」
「……うん」
「それは良かったです」
何が?
「問題はないそうです」
「ごめん。僕には『うん』しか聞こえなかったんですけど……知らない間にエコロケーションでもしてました?」
「お嬢様は……その、まだ一歳ほどですので。あまり言葉がわからないのです。ですが、意味は理解しているようですのでご安心ください。『うん』は、相槌か了承の返事です」
「……いち、さい……?」
明かされた衝撃の情報に目を見開く。
お嬢様の身長は間違いなく一メートルは超えている。今も猫背気味だけど二本の足で立ってるし、さっき僕を掴んだ腕力はとてもじゃないが赤子とは考えられない圧力で。とてもじゃないが、一歳の人間とは──人間じゃなかったか、そういえば。僕の定規では測れない存在であったことを思い出す。魔人だし、魔法少女だし。
「魔法少女か、魔人か。どっちかわからないですけど、成長早くないですか?」
「魔人の影響かと。特に、混ぜられたとされる淫魔が持つ【変身魔法】は自身の姿を変える、つまり肉体を操る能力がありますから。その辺りも影響しているかと」
「早熟すぎでしょ……筍もびっくりだよ。あ、でも、精神年齢は一歳くらいなんですかね」
「魔法少女は魔力の影響で精神的な発達が少し早いので……とは言っても、まだ普通のヒトの五歳か、そこらだと思われますが」
生後は一年くらい。心身的には五歳くらい。チグハグなのは間違いなく、感情が乏しく反応に人間味を感じさせないのは人生経験が少なすぎることが原因だろうか。はたまた、魔人だからなのか。
なにはともあれ、お嬢様はまだ生まれ落ちて一年しかたっていないのだ。まだまだ甘えたい盛りで、ママのおっぱいをしゃぶる……のは卒業しててもおかしくないか。
「……シロさん」
「なんです?」
「お嬢様には家族らしい家族が居りません」
ヒソラさんの言葉に、だろうな、なんて冷めた返事が浮かんで口を抑える。唐突な彼女の言葉に、思わず脊椎から言葉が漏れるところであった。
「魔人計画の……言い方は悪いですが、産物ですから。母体にされた魔法少女は死亡し、父は魔物であり既に処分済みだと思われますので」
「……そういうね」
改めて聞いて……やはり酷い話だ。生まれた瞬間、いやその前から、家族が居ない。それどころか、生まれた後は『風枝大和』として妙な期待を持たれ、ヒソラさん含め大人たちの中には利用しようとする者も居るのだから。
一体、誰が彼女を愛するのだろうか。
「ええ。ですので、宜しければ────」
ならば、
「お兄ちゃんになら、成れるな」
「────愛し……おにい、ちゃん……?」
「多分、僕って記憶を失う前に妹が居たんだ。だから、お兄ちゃんとしての心得はあるはず。だから、お兄ちゃんだ。お嬢様……お兄ちゃんは欲しい?」
「……?」
こてん、と首を傾げるお嬢様。可愛いね。
こうしていると見た目相応の幼児なのだけれど、実態はゴリゴリの怪力だもんなぁ。
「シロさん、お嬢様はおそらく兄弟姉妹という物を知らないので。あまり、よくわかっていないかと」
「ああ、そういう……」
家族を知らない人に、どうやって家族というモノを教えればいいのだろうか。
愛を囁く? 恋人かよ。
抱きしめる? 家族か……家族以外にもするよな。
頭を撫でる? 褒める? 甘やかす? 師と弟子というか、恋人というか、祖父と孫みたいな。
駄目だー。考えれば考えるほど、家族の距離感がわからない。
「いや」
家族しかできないことで、僕にできることが……一つ。
あ、いや……乳母さんは家族判定でいいよね? すごい昔でも、乳母の子供と本家の子が乳兄弟みたいな感じで仲が良いこともあったそうだし。うんうん。実質家族でいいはず。よくしろ。そもそも、現代……あーいや、今の時代は僕の常識とは違う可能性もあるのか。面倒だな。
とにかく!
授乳と言えば、母。母と言えば、家族。母乳というのは血液が元になっていると聞いたことがある。
「……僕はママだったのか」
吸血とは、実質授乳ではなかろうか。
「し、シロさん?」
「冗談ですよ。まだお父さんにもなってないんだから。てか僕男だし」
お嬢様は、僕が寝ている医務室のベッドの横に置かれた椅子に座っている。
「いやそういう話じゃ」
体を起こし……頭が痛い。
揺れる視界を堪えてお嬢様に近づいて、咄嗟に庇おうとしたヒソラさんに目を向けて道を開けてもらう。
「……っ、ふぅ」
お嬢様の前で座る。目があった、はず。目と目が重なっているはずなのに、不思議と彼女とは目が合っている気がしない。一方的に見合っている、なんて気持ち悪い感覚。はたまた深い水底を覗き込んでいるような気分。そんな緑色の暗い瞳の中に僕は映っているのだろうか。はたまた、白いお肉にでも見えているのかもしれない。
そんな彼女に、僕は腕を広げて身を差し出した。すると、反射的かと思われる速度で彼女は僕へと飛びついて来たので、慌てて抱き止める。
「っお、っとと。おてんば娘め」
「お嬢様っ?!」
「大丈夫。何もしないし、されてないから。寒い時に炬燵に飛び込むようなもんだよ」
お嬢様は見るからに飢えていた。飢えている。そんな彼女が、ついに僕という最高の
ああ、やはり僕には妹がいた。
「お嬢様、僕の名前はね、シロ、だよ?」
「……しろ」
「そう。シロ、もう一回言える?」
「……シロ?」
「よくできましたー。今、抱っこされてるけど、嫌じゃない?」
「……うん」
「そっか」
抱きしめていた彼女との間に、小さく隙間を開けて、そこに自分の腕を挟み入れる。
「ちょっとだけ、食べる?」
「……うん」
お嬢様が口を大きく開いて────
「ちょ、シロさん?!」
────差し込まれたミアカの腕へと噛みついた。
「かぷっ……ちゅぅ」
「んぎぃっ……」
「……?」
面白い声を上げたミアカが顔を引き攣らせる。彼女の視線の先には、虚無顔で自身の血を吸い上げるお嬢様が。
お嬢様は腕が僕のじゃないことに気づいてる、よな。顔は同じだけど、少しだけ不思議そうに腕を見ている気がする。そんな頭をそっと撫でながら、ミアカへと非難っぽく目を向ける。
「ごめんね。ミアカが勝手に」
「痛いぃ……」
「ならなんでしたのさ……?」
「だって……シロさん、本当にさっきまで酷い顔だったんですよ? 死んじゃいますって!」
「んだお前。僕のこと惚れさせる気か?」
いきなり僕のこと思いやるじゃん。そう言うの、非モテ男子には効果抜群なんだよ。今の僕ってば肌がすごく白いんだから、あまり興奮するようなことは慎んで欲しいよね。今は貧血だから良いけどさ。
「ですが、シロさん。ミアカさんの言う通り、吸血は少なくとも明日までは控えてください。回復魔法でも血は増やせませんから」
「地味に不便だな……でも、腕ならちょっとだしさぁ?」
「どうしてそんなに吸わせたがるんですか?」
「今の僕ができる一番のことだから。こーんな可愛い子なんだから、仲良くなりたいしさー」
それと、やっぱり小さな子供が飢えている姿はあまり見たくない。妹と重ねている相手なら尚のこと。
一歳くらいというのならば栄養はどれだけ摂っても足りないだろう。成長期だし、幼少期の栄養不足は後々大きく体に現れてくると聞く。ならば、多少の無理をしててでも栄養のある物を大量に食べさせてやりたい。なんてのは、老婆心だろうか。でも間違ってもいないはずだ。
「駄目ですからね」
「……わかったよ。明日ね。明日は吸わせるから」
「母性でも芽生えたんですか? 一応、男って設定ですよね」
「設定言うな。哀れにも記憶喪失な僕の数少ない縋れる過去だぞ」
「お嬢様、申し訳ありませんがそろそろ」
ヒソラさんが優しく囁きつつお嬢様の方を軽く引くと、すぽんっ、とミアカの腕から牙が離れる。解放されたミアカの腕、その部分の和服はやはりと言うべきか、まるっと裂かれて辛うじて繋がっている無惨な状態となっていた。
お嬢様はぽけーっと鮮血を眺め、ミアカは「うぅ……」と傷口を撫でていたが、すぐにヒソラさんが魔法で牙で貫かれた穴と噛み跡を治してあげていた。
「それでは、正式にシロさんはこの屋敷で生活をする、ということで……明日、制服や働き方など、ミアカさんをお付けしますので詳しく指導してもらいましょう」
「わかりました! よろしくっ、先輩!」
「せ、先輩ですか……!」
ちょっと嬉しそうに震えるミアカ。
「ミアカさんは私との関係は長いのですが、良くも悪くも私専属でしたので。この屋敷でも、他の方々とは少し役割が異なりますし、先輩後輩というのがあまり無かったのです」
「そういうねー」
ヒソラさんの補足に相槌しながら、ミアカを観る。
ミアカの見た目は十代中頃あたりに見える。本来なら青春真っ盛りな若い娘。この三日間、彼女が屋敷内で友達と遊んでいるような姿は見られなかったし、そう言うのに憧れちゃう気持ちがあるのだろう。
「いや、学校とかどうなってんの? 先輩後輩居ないくらい過疎ってる?」
「名家の魔法少女は基本的に組合──『魔法少女組合』の学校に行くか、それぞれの家で家庭教師などを雇って教育されますが……ミアカさんは家庭教師でしたよね?」
「あ、はい。どちらかと言えばって感じでしたけどね。四歳くらいから
「すみません。私がもっと雇ってればよかったですね」
ヒソラさんはお嬢様の汚れた口元を布で拭いながら言った。されるがままのお嬢様は非常に可愛らしくて、これだけ見ていればただの子供。人血を啜り糧とする存在とは思えない様相。
「別に一人が嫌だった訳じゃありませんよ。ヒソラ様が居ましたし。あ、でも、人脈作りって意味では失敗でしたね」
「あれれ、二人って結構付き合い長い感じ?」
「十年くらいでしたっけ」
「はい。公開試合の少し後……でしたね」
「あの時のヒソラ様、今のお嬢様にすごく似てましたよね。無表情でぼーっとしてて、お人形さんみたいな。でも、戦う時はキレッキレで。私がお菓子食べたりゲームしてると、不思議そうに覗いて来て、とっても可愛かったのを憶えてます」
あ、ヒソラさんの顔が赤くなっている。凛とした麗人の照れ顔、いいね。真に可愛い。
それと、お嬢様の仏頂面は風枝家の遺伝の可能性が出てきたな。
うむうむ、と小さく頷いていると……ふと、気づいた。こちらに目を向けているお嬢様に。こちらもこちらで可愛らしいが、ヒソラさんの赤面の方がレアだと思うから、目を逸らすのは勿体なく感じて、でも我慢できなくて小さな顔へと手を伸ばしてみた。
「……ん」
「おお、細いね」
すっ、と手を伸ばし返されたので軽く握ってみる。細い細い。すごく細い。こんなに小さいのに、こんなにも細いのに、今日はご飯を上げられない。やっぱり駄目だな……もっとご飯を食べないと死んでしまいそうで不安になる。
栄養不足故か、肌はあまり瑞々しくない。皺があるというか、老人みたいな雰囲気の素肌。でも、肌荒れを起こしていないのはヒソラさんあたりが手入れをしているからだろうか。爪も程よい長さに整えられているし、髪もよく見れば絡まったりしていないし、臭くもない。本人がその辺りのことをできるとは思えない。
「シロさん。申し訳ありませんが、明日はお嬢様には用事があります。そろそろお嬢様にはご就寝して頂きますので」
「ああ、わかった。じゃあ吸血は朝の内に?」
「はい。こちらからこの部屋に向かいますので、待っていてくだされば十分です。少し休憩した後、仕事のことをミアカさんから」
「了解でーす」
お嬢様の手を離し……はな、離れないな。
「お、お嬢様?」
片手は捕まったままなので、もう片方の手で僕は彼女の頭を撫でる。
「明日、また会えるから。もう寝ないと、ね?」
「…………」
無言のまま、無表情のまま、彼女は僕を見つめる。だからこちらも、負けじと見つめ返す。でも無理そうだ。駄々っ子が店内の床で寝転がるみたいな強情さを感じる。
「……ヒソラさん。今日は、一緒に寝たら駄目かな?」
「危険です。お嬢様は少々野生味が強いお方。できれば、私程度は強い魔法少女は見張っていないとまだ暴れることも多く……昼のように、シロさんが襲われてしまいかねません」
ヒソラさん、結構お嬢様に当たり強いね。正直というか。野生味が強いって……躾がなってない狂犬とでも言いたげな。強いやつが居ると大人しくなるのもそれっぽい。いや、魔人として混ぜられた魔物に狼型──犬っぽいものがあるらしいから、野生の狂犬ってのもあながち間違いではないのかも。
そして、そんなことを言われて尚、お嬢様は何も反応を示さない。それがまさに彼女の野生たる所以でもあるのだろう。
「しょうがないか……ほら、お嬢様」
「お離しください」
ぐりっ、と無理やり手を引き抜く。痛い。手首が脱臼するかと思った。
「それでは、明日の朝に」
「シロさん、今日はお疲れ様でした」
「じゃあねー」
ぺこり、と頭を下げる二人と一人を見送った。
「…………はぁ」
まあ、あれだ。疲れた。話を聞いて、飲み込んで、答えを出す。三人が居る間はアドレナリンでも出ていたのかマシだったのだが、独りになった途端に疲労感が吹き出して来た。
痛む手首を撫でながら布団に包まって丸くなる。お昼から夕方まで寝てしまったせいか、頭痛に倦怠感もあるのに、妙に寝付けない。布団から腕を出してカーテンを開いてみると、綺麗な月が見えた。
どれくらい、月を見ていただろうか。
スマホやパソコンは無いし、夜中にテレビを付けるのも憚られる。確か周囲に人が居る部屋はなかったはずだけど……見回りの人をビビらせるのは避けたい。
カラッ──。
扉が開く、音がした。
こんな時間に誰かが来たことは、今まで一度もなかった。ちょっと怖いけれど、確かめないのはもっと怖い。
恐る恐る振り返って──お嬢様が居た。