吸血幼女の食事係   作:桃羽玉箱

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9話 

 

 恐る恐る振り返って──お嬢様が居た。

 鮮やかな緑の髪、同じ色の虚な暗い瞳。可愛らしいけれど、しかし深刻なまでに痩せ細った頬。月明かりに照らされた恐ろしい童女が、呪いの人形のようにそこに立っていた。僕を、見つめていたのだ。

 

「お嬢様?」

 

 先ほど見た服とは違う。寝巻きだろう。薄手の和装に身を包んだ彼女は、何故此処に居るのだろうか。見張りとか、警備とか、そう言った人に止められなかっただろうか。いや、止まっていないのだから此処に居るのだが。

 とにかく、あまり宜しい状況ではない。

 彼女が僕にどのような感情を抱いているのかはわからない。だが、少なくとも此方から彼方に『食べて良いよ』と言えば遠慮なく食べてくる関係であり、場合によっては無断で襲ってくる間柄。隙を晒せば文字通り食い破られかねない。

 そして此処にはヒソラさんは居ない。叫べば見回りの人は来るだろうが、幼いとは言え『最強』であるらしい彼女を、一般魔法少女が止められるのだろうか。

 

「……」

 

 何も、言わない。僕の問いかけに彼女は緩慢な瞬きだけを返した。

 いや、いやいや、まさか……食べに来た? いやいや、ヒソラさんちょっとお宅のお嬢様が勝手に出歩いているんですけれど、どうなってるんですか。貴重な餌が食い荒らされちゃいますって。

 殺され──いや、違うか。

 思い出しただろう。脳裏に刻まれた己の本懐を。僕は、なんだ。お兄ちゃんだ。

 

「──おいで。一緒に寝よっか」

 

 真夜中にお兄ちゃんの下へと妹が来たと言うのなら、それはもう一緒に寝てやるしかないだろう。確か、妹が夜に僕の部屋に来ることはそう珍しくなかったような記憶がある。多分、きっと、めいびー。

 曰く、彼女は親が居ないのだという。だから、人恋しさというか、肉親でないから最高の環境を容易してやることはできないが、僕の温もりを彼女と分け合うことくらいならできるはずだ。ちょっと齧るくらいなら受け入れよう。誰でも甘噛みしたい時だってあるはずだ。

 

「……」

 

 そうは言っても、無抵抗にやられれば取り返しのつかないことになる可能性はある。まだまだ僕とお嬢様の間には時間が足りていないのだから。僕が無防備を晒すのは彼女が心の底から僕に甘えてくれた時だけ。少なくとも、本能が愛より食欲へ振り切っている間は駄目だ。

 こっそりと布団を手に巻き付ける。心許ないが、仕方なし。

 

「──っほい来たぁ!」

 

 ぴょん、と軽く跳ねてきたにしては信じられない速度で突っ込ん来たお嬢様をこちらから掴んで引き寄せ、口には手ごと巻いた布団をねじ込む。それでも尚、噛みついて来ているようでちょっと痛い。多分、千切れているし穴も空いている。明日、新しい物に交換してもらおう。

 そしてお嬢様は無表情だけれども「もごもご……」と、明らかに不満げなご様子。

 

「ごめんね。ヒソラさんとの約束だし、ご飯はまた明日」

 

 宥めながら頭を撫でる。もっと暴れると思っていたのだけど、存外大人しいことに安堵する。本気で抵抗されたのなら、僕は一瞬で挽肉へと変身するだろうから。理性で暴れていないのか、ヒソラさんの教育の賜物か、はたまた偶然か。どれにしろ、僕は賭けに勝ったのだ。少なくとも、抱き止めず無抵抗であれば食い殺されていた可能性が高い。ハグっと大正解!

 

 そのまま逃さないように布団へと押し付けるように抱き締めて、寝転ぶ。無抵抗なのを言いことに、お嬢様を抱き枕みたいにしてしまったのだ。

 親戚でもない幼女を抱き枕にするにする元男子大学生、字面は犯罪者だが、今の僕はアホ毛がチャーミングな可愛い女の子なのでセーフ。

 

「よしよーし、落ち着いてねー。寝る直前の食事は、胃に良くないんだぜー」

 

 吸った血を胃で消化しているのかは知らないけど。魔人だし、こう、ファンタジー内臓でやってるのかも。

 

「……むぐ」

「痛っ、ちょ、痛いからやめてよぁ」

「……ん」

「そう、甘噛みなら許そう。良い子良い子」

 

 掛け布団をお嬢様の猿轡代わりにしてしまったから外気が触れて肌寒い。けど、それ以上にお嬢様の体温があって彼女と触れている胸から腹の辺りだけすごく暖かい。それに、やっぱり彼女を抱いていると心が安らぐ。

 不思議だ。最初に殺されかけて、ずっと殺されないか怯えている。なのに、触れていると安心するのだから。彼女には麻薬のような魔性があるのかもしれない。酷く酷く、愛い子供だ。

 

「不思議だねー、君は」

「……?」

「さあ、もうお眠り。まぁるいお月様が見てるから。怒られちゃう前にね」

 

 撫でる。抱きつく。撫でる。抱きつく。

 ちょっと強く噛んできたら、軽く背を叩く。決して力は込めず、赤子を触るように優しく叩く。すると、段々と彼女の吐息の間隔が伸びてくる。手の痛みも弱く、僕が彼女を叱るタイミングが伸びていく。

 

 撫でて、寄せて、すると心地よくなって。

 

────────。

 

 撫でて、叩いて、撫でて、叩いて。

 

──────。

 

 撫でて、ぽんぽんして、撫でて、撫でて。

 

──。

 

 

+ + + 

 

 

『……お兄ちゃん、これなに?』

『んー? 何って──お前馬鹿ぁ?!』

『ツンデレ? 似合わないよ』

『違っ……くそぉ僕の馬鹿! なぜ見えるとこにっ』

『……ごめん』

『いやいやこっちこそごめん。変なのを見せちゃって……ほら、お兄ちゃんに渡して』

『……違う。掘り起こした』

『…………だよね。僕、押入れのそれはもう奥底に保存してるはずだもんね』

 

 前にいるのは、誰だろう。僕は、誰と話をしているのだろう。

 

『……それに、その……こういうのはね、◾️◾️◾️にはまだ早いんだ。もうちょっと大人になってから、ね?』

『ん……大丈夫。ぼく、そういうのは知ってるから』

『最近の子は早いねー、じゃなくて。知ってるなら見てみぬ振りをする優しさも欲しかったなー』

『……構って欲しかったから』

『はぁ……素直なのは嬉しいんだけどさー……』

『今日、一緒寝て?』

『わかったよ。だからその──』

 

 僕のエロゲ──────。

 

 

 + + + 

 

 

 目が覚めた。これ以上ないくらい良く覚めた。頭の中が真っ白で、呼吸が上手く纏まらない。

 

「──っはぁ……こほっ、かほっ……あ、いや、は……はぁ……?」

 

 なんじゃ今の夢ぇ?!

 なんだなんだなんだ今の夢は。いや、最悪の悪夢か。妹に、僕はエロゲーの、パッケージを見られていたのか?

 いやいやいやいや……しかも、なんか妙に冷静じゃなかったか夢の僕。当たり前なのか? 人生の恥部を妹に見られるのは日常だったのか?

 

 ふわり、と甘い匂いが鼻腔を擽った。お嬢様がいた。僕の腕の中で、僕の胸に顔を埋めて「すぅすぅ」と可愛らしい寝息を立てて熟睡中であった。それに、頭を抱えそうになっていた僕は動きを止めざるを得なくなる。可愛いお姫様を起こしてしまう訳にはいかない。

 お嬢様の温もりがある。隙間ができると寒く感じるほどに、僕と彼女は一つになっていたのだ。どうやら、一晩を超えられたらしい。彼女は僕を食べず、一緒に寝てくれることを選んでくれたらしい。

 

 カーテンから薄らと漏れる優しい朝の日差しを顔に浴びながら、しかし心はあまり穏やかではない。複雑な心境だ。記憶喪失前の思い出を取り戻せたのは良いとして、内容はもっと何か良いのがなかったことか。お嬢様と一緒に寝れて無事だったのは良いとして、取り戻す記憶はもっと実用性のある物を選べないだろうか。具体的には名前とか。毎回こんな記憶なら、ちょっとゴミが増える一方になりかねない。喜ぶべきか、悲しむべきか。ぐるぐると思考が巡る。

 

「はぁ……」

 

 憂鬱だ。二度寝でもすれば、少しは気分が晴れるだろうか。

 

「痛っ」

 

 赤く固まった瘡蓋(かさぶた)のある手を見つめる。一晩の内にお嬢様は手を解放してくれたらしいが、自由となったそれは想像の通り痛々しい状態であった。今は見つからないが、血の滲んだボロボロの布も何処かに転がっていることだろう。

 改めて、溜息を吐く。

 再生速度がおかしい。昨晩に出血するほど深く噛まれた傷口、瘡蓋が僅かに剥がれたそこには変色しながらも再生を終えつつある地肌が見える。この調子なら明日までには、もしかすれば今日の昼頃には完治するかもしれない。

 曰く、僕も魔法少女ではあるらしい。魔法器官が体内にないから魔人ではないらしい。そして、魔法少女も常人と比べれば再生能力は高いそうだが、僕のこれは異常らしい。

 五百年経ったからなのか、魔人計画の影響か。僕の体は僕の知らないことだらけだ。寿命がすごく短い、とかじゃないと良いのだけれど。それすらもわからない。

 

 不安を飲み込み、日差しへと目を向ける。

 今日から、この屋敷で働くことになる。給料もは貰えるらしいから、それで色々と買ったり調べたり……本当の意味で、僕はこの世界の住民となるのだ。五百年前と何が違って、何が同じか。わからないことだらけだが。とても不安。不安だ。

 

「まー、なんとかなるか」

 

 理由も根拠もないけれど、なんか大丈夫って気がする。この日向のように僕の人生は昇り行き成功する。そんな自信があった。この一晩だって乗り越えられたのだ。最強無敵の食事係として、きっと僕はなんとかなる。なるようになるのだ。良い意味で。

 

 その時、唐突に部屋が豪快に開かれた。

 

「シロさっ……んん?」

「っうお……びっくりびっくり。ミアカ?」

 

 ミアカが入って来た。顔は驚きと疑い。声音には慌ても感じられた。彼女の視線の先には僕……ではなく、僕の腕の中にいる────。

 

「お嬢様……ですか?」

「そうだけど」

「そ、そうだけど……?」

 

 あ、そっか。寝起きで頭の回りが悪い。そりゃあ、一家のお宝であるお嬢様が寝室を抜け出し、僕の部屋に居たら驚くか。許可は……ヒソラさんが出すとは思えないし、やっぱり無断でお嬢様が来たのだろう。

 そんな悪童の顔を覗いてみると、とても人の生き血を啜ったとは思えない無垢で可愛らしい寝顔があった。その純粋さは、あるいは触れてはならないモノにも見えて、やはりどこか生物としての恐怖を感じさせた。寝ているだけでも、僕とは格が違う。

 

「言っとくけど、僕が連れ出したんじゃないからね?」

「わ、わかってます! けど、今までお嬢様が抜け出したことはなかったので……」

 

 ミアカは思いっきり大きな溜息を吐くと、スマホを取り出して誰かへと連絡を始めた。ヒソラさんだろう。ミアカの様子と事態の内容を考えるに、彼女もきっと大慌ての大混乱だろう。

 

「もう屋敷中大慌てですよ。誰かに襲われた……のはないにしても、誘拐はありえますし。脱走というか、町に出たら危ないですし」

「動物園の熊か何か?」

 

 否定はしないけど。名家生まれ一歳のお嬢様の評価がそれって、一応は家内の存在としてはどうなのだろうか。

 

「何はともあれ、お二人ともご無事でよかったです。それにしても……」

 

 ジトーっとこちらを見るミアカ。お嬢様と僕を交互に見て、感心したような顔。

 

「なに?」

「……懐かれましたね。やっぱり、ご飯って大きいんですかね」

「僕のお兄ちゃん魂に惹かれたって線は?」

「顔でも洗って来てください」

 

 酷い対応だ。寝ぼけてるってか。

 ちょっと騒がしくしてしまったせいか、腕の中でお嬢様がもぞもぞと動き出した。瞼がぴくぴくと、ゆっくり開かれる。

 暗く空っぽな緑の瞳。だけど、今は日差しを浴びて少し光って見えた。それがとても可愛くて、愛らしくて、嬉しく。今日も元気に目覚めてくれた彼女に、僕は微笑んだ。

 

「おはよう」

 

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