ようこそスタイリッシュ至上主義の教室へ   作:GC

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第10話「スタイリッシュ・サバイバル」

数週間後。

 

 一学期末の喧騒を抜け、高度育成高等学校の全生徒は、学校がチャーターした超大型の豪華客船に乗船していた。

 

 本来であれば、オレの目標である「目立たず平穏な学生生活を送ること」に則り、船室のベッドでただ天井のシミを数えて過ごすのが正解だったはずだ。しかし、この数ヶ月間でオレの平穏はすでに物理的にも精神的にもズタズタに引き裂かれていた。

 

 甲板の上には、潮風を全身で受けながら優雅にティーカップを傾ける男の姿があった。

 

 坂本である。

 

 彼が座っているのは備え付けのデッキチェアではなく、なぜか船内にあったパイプ椅子だ。だが、彼が足を組み、背筋を伸ばして座るだけで、そのパイプ椅子はまるで英国貴族のアンティーク家具のような重厚感を放ち始める。彼が飲んでいるのは、例によって無料支給の飲料水と備え付けのケトル、そして重力落としを利用して淹れた「最高級の茶(という錯覚を抱かせるただの白湯)」であるはずだ。

 

「よお、綾小路! 見ろよあの海! そしてアニキの完璧なシルエットを!」

 

「海風すらもアニキの計算通りに吹いてるみたいだぜ……!」

 

 須藤と池が、完全に宗教的崇拝の域に達した眼差しで坂本を見つめている。中間テストのトラップを自力(?)で突破させられた彼らは、もはや坂本チルドレンとしての信仰心を隠そうともしなかった。

 

「……須藤、池。はしゃぐのはいいが、このクルージングがただのバカンスなわけがないことくらい、少しは頭の片隅に置いておけ」

 

オレは冷や水を浴びせるように言ったが、さんばかトリオの耳には全く届いていない。

 隣に並んだ堀北も、深いため息をついていた。

 

「ええ。綾小路くんの言う通りよ。学校側が私たちに無条件でこんな贅沢を許すはずがないわ。……それにしても」

 

堀北の視線が、坂本の足元へと向かう。

 

「彼は一体、何をしているの?」

 

見れば、坂本はティーカップを片手に持ちながら、もう片方の手で空中に向かってパンの耳(おそらく朝食のビュッフェで、他の生徒が残したものを美しく切り揃えたものだろう)を放り投げていた。

 

 群がってくるウミネコたち。

 通常、ウミネコへの餌付けは鳥たちが乱戦となって無様に終わるものだが、坂本の周囲だけは違った。

 

――秘技:天空の給仕(エアリアル・ウェイター)。

 

坂本が放り投げるパンの耳は、風速、風向、ウミネコの飛行軌道、さらには鳥たちのヒエラルキーまでもが完璧に計算されていた。一羽のウミネコが空中でパンをキャッチすると、次のウミネコが美しい放物線を描いて次のパンを受け取る。鳥たちが空中で巨大な「S(SakamotoのSか?)」の文字を描くように規則正しく飛び回り、一切の争いもなく餌をシェアしているのだ。

 

「……生態系までハッキングし始めたか」

「考えるだけ無駄よ。私の脳の処理能力を、あんな理解不能な事象に割り当てるつもりはないわ」

 

 堀北は現実逃避を発動し、足早に船室へと戻っていった。正しい判断だ。

 

そして翌日。オレたちの嫌な予感は、最悪の形で的中することになる。

 

「これより、特別試験を開始する」

 

 無人島の白い砂浜。うだるような熱気の中、冷徹な表情の茶柱先生が、疲労の色を隠しきれない顔でDクラスの生徒たちを見下ろしていた。中間テストでの坂本の解答用紙への対応で、彼女の教師としての威厳と気力はすでに限界に近い。

 

「ルールは単純だ。この無人島で一週間、クラスごとにサバイバル生活を送ってもらう。各クラスには初期ポイントとして300ポイントが与えられる。これを消費して、テントや簡易トイレ、バーベキューセットなどの物資を買うことができる。試験終了時に残ったポイントが、そのままクラスポイントに加算される」

 

生徒たちの間に絶望のどよめきが走った。

 一週間、無人島で自給自足。現代っ子である彼らにとって、それは地獄に等しい。ポイントを節約しなければ、再び0ポイントの極貧生活が待っている。

 

「どうするんだよ……トイレはどうする!? 野糞なんて俺は絶対無理だぜ!」

 

「女の子はどうなるのよ! 最悪でしょ!」

 

パニックに陥りかけるDクラス。平田が必死になだめようとするが、恐怖の伝播は早い。ポイントを使って最低限の物資を買えば、クラスポイントは一瞬で底をつく。

 

だが、その絶望の渦中において、一人だけ無傷の男がいた。

 

 坂本である。

 

 彼は白砂の上に立ち、静かに波の音に耳を傾けていた。彼の制服は無人島の過酷な環境下においても、なぜかアイロンがけされたばかりのようにシワ一つない。

 

「先生」

 

スッ、と。

 摩擦音一つ立てず、坂本が手を挙げた。その瞬間、茶柱の肩がビクッと跳ねたのをオレは見逃さなかった。

 

「……なんだ、坂本。言っておくが、無人島の気象モデルに関する数式など提出しても、今回は一切の加点はない」

「いえ。確認したいのは、極めてシンプルなルールについてです。……この島に自生している植物、及び自然の地形を利用することは、ポイントの消費対象になりますでしょうか?」

 

茶柱は怪訝な顔をした。

 

「当然、無料だ。島にあるものは自由に使っていい。だが、素人が自然のものを利用したところで、腹を下すか怪我をするのがオチだ」

 

「承知いたしました」

 

坂本は黒縁メガネのブリッジを中指で押し上げると、キラリと鋭い光を反射させた。

 

「皆様、ご安心を。ポイントの消費は必要ありません。この島は、既に僕たちを歓迎するための極上の素材で満ち溢れていますから」

 

坂本はそう言うと、浜辺に落ちていた手頃な流木を一本拾い上げ、ジャングルの奥深くへと優雅な足取りで消えていった。

 

「ア、アニキ!? どこに行くんですか!」

 

「待ってくださいよアニキ! 俺たちも行くぜ!」

 

さんばかトリオが、忠犬のように坂本の後を追う。

 オレは嫌な予感を抱きながら、少し距離を置いて彼らの後を追跡した。

 

ジャングルの奥地。少し開けた平地に出ると、坂本は立ち止まった。

 彼は拾った流木をステッキのように扱い、地面の土の硬さ、風の通り道、そして日照の角度をコンマ1秒でスキャンしているようだった。

 

「さて、まずは生活の基盤となる住居から整えましょうか」

 

坂本が動いた。

 彼は周囲に生い茂る巨大なシダ植物の葉、太いツル、そして転がっている流木や竹を、常人では考えられないスピードと精度で収集し始めた。

 

――秘技:大自然のオーケストラ(ネイチャー・シンフォニー)。

 

それはもはや、サバイバル技術という次元を超越していた。坂本が竹を叩き割る音、ツルを編む音、葉を重ねる音が、まるで精緻なクラシック音楽のようにジャングルに響き渡る。

 オレは木の陰からその光景を観察していたが、自分の目が信じられなかった。

 

開始からわずか30分。

 そこには、ただのテントではない、流木と竹で骨組みされ、シダの葉で美しく屋根が葺かれた南国風ヴィラが完成していたのだ。風通しを計算し尽くした構造により、内部はエアコンが効いているかのように涼しく、床には編み込まれたツルが極上のカーペットのように敷かれている。

 

「な、なんだよこれ……ホテルじゃねえか……!」

 

「アニキ、神! アニキ、マジで神!!」

 

ひざまずいてヴィラを拝む池と須藤。

 だが、坂本の奇行はこれで終わらなかった。彼はヴィラの裏手に回り、崖から流れ落ちる小さな沢の水を、割り開いた竹を繋ぎ合わせて誘導し始めた。

 

「秘技:竹林の清流(バンブー・ウォーター・ガーデン)」

 

竹を通ってヴィラの裏手に引き込まれた水は、砂利と炭(坂本が摩擦熱で一瞬にして生成したもの)の層を通って完全に濾過され、飲み水用の小さな手水鉢へと注がれる。さらにその余剰水は、少し離れた場所に作られた「水洗式エコ・トイレ(葉っぱの目隠し付き)」へと流れ込み、海へと自然に排出される完璧なインフラ網を形成していた。

 

「……ポイントなんて、最初から必要なかったというわけか」

 

オレは額に手を当てた。

 無人島の過酷なサバイバルという学校側の意図は、坂本の「スタイリッシュな学園生活(無人島編)」の前に完全崩壊した。

 

 その後、合流したDクラスの生徒たちは、坂本が作ったヴィラと水洗トイレを見て全員が言葉を失い、次いで歓喜の声を上げた。平田でさえ、「……彼には敵わないよね」と苦笑いするしかなかった。

 

夕方。

 食料問題も、坂本にとっては全く問題ではなかった。

 

「お腹が空きましたね。少し、海の神様にご挨拶してきましょう」

 

坂本は靴と靴下を脱ぎ、スラックスの裾を丁寧にロールアップすると、遠浅の海へと歩み入った。

 

――秘技:海神の舞(ポセイドンズ・インビテーション)。

 

坂本が浅瀬で、まるでフラメンコのようなステップを踏み始めた。水しぶきが黄金色の夕日に照らされ、キラキラと輝く。

 

 するとどうだろう。彼のステップが水中に生み出す特殊な振動波に引き寄せられるように、あるいは逃げ場を失ったように、魚たちが自ら次々と海面を飛び跳ね、砂浜へと打ち上げられていくではないか。

 

「魚が……自ら陸に上がってきた……!?」

 

「アニキが海を支配したんだぜおおおおっ!」

 

 大量の新鮮な魚。そして、裏山で採取した野草を「真空スチーム蒸し」で高級料理に昇華させたあの技術が、この無人島で火を噴かないわけがない。

 その夜、Dクラスの拠点では、ポイントを1ポイントも消費していないにも関わらず、最高級の海鮮コース料理の宴が開かれた。

 

一方、そんなDクラスの異常事態を、遠くの茂みから双眼鏡で監視している男がいた。

 Cクラスのリーダー、龍園翔である。

 

「……ふざけやがって。どこのリゾート地だ、あれは」

 

龍園はギリッと奥歯を噛み鳴らした。

 彼のCクラスはポイントを全額使い切り、他クラスを出し抜くための極端な作戦に出る予定だった。当然、Dクラスの連中はサバイバルに耐えきれず自滅すると踏んでいたのだ。

 しかし、レンズの向こうに映るのは、竹のグラスで濾過水を傾けながら、魚の香草焼きを優雅に切り分ける坂本の姿。

 

「あのメガネ……絶対にただじゃおかねえ。この島で、あいつの化けの皮を剥いでやる」

 

龍園の執着は、もはや狂気の領域に足を踏み入れようとしていた。

 

 無人島の夜は更けていく。

 波の音と、坂本が竹の筒で作った風鈴の涼やかな音が響く中、オレはヴィラの隅で一人、手持ちの100,000ポイント(坂本が4月から温存しているポイント を除いた、オレ個人の僅かな残高)の使い道をぼんやりと考えていた。

 

 この男がいる限り、オレの暗躍など一切必要ないのではないか。いや、むしろ彼が目立ちすぎることで、オレの存在など誰も気に留めなくなるという最強の隠れ蓑として機能しているのかもしれない。

 

「……まあ、胃の痛みだけはどうしようもないが」

 

オレはこっそりとカバンから胃薬を取り出し、坂本が作った極上の濾過水で飲み込んだ。

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