ようこそスタイリッシュ至上主義の教室へ   作:GC

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第19話「スタイリッシュ・オードブル」

「ふざけるなッ!!」

 

 突如として、その優雅すぎる静寂を破る怒声が響き渡った。

 Aクラスの男子生徒、町田だ。彼は限界に達したように立ち上がると、両手を強くテーブルに叩きつけた。彼と同じAクラスの森重も、隣で同意するように厳しい表情を浮かべている。

 

「さっきから黙って見ていれば、なんだこのふざけたお茶会は! 俺たちに与えられた時間は一時間しかないんだぞ! 誰が優待者なのか、あるいは情報を共有するのかしないのか、最低限のラインを決めるのが先決だろうが!」

 

 町田の怒りはもっともだった。彼は優秀なAクラスの生徒として、この異常な事態を論理の力で正常な軌道に戻そうと必死にもがいているのだ。

 

町田は鋭い眼光を、部屋の壁際にあるカウンターに立つ男——坂本へと向けた。

 

「おい、Dクラスの坂本! バーテンダーの真似事はそこまでにしろ。お前、わざとこんな奇行に走って場を乱しているんじゃないのか? そうやって他人の目を逸らそうとするのは、お前自身が優待者だからじゃないのかと疑われても文句は言えないぞ!」

 

それは、心理戦における極めて真っ当な揺さぶりだった。

 あえて奇抜な行動をとり、話し合いを妨害する者は、何かを隠している可能性が高い。町田はそのセオリーに従い、坂本に直接的なプレッシャーをかけたのだ。

 

しかし。

 坂本はグラスを拭く手を止めると、ゆっくりと町田の方へと振り返った。その黒縁メガネの奥の瞳には、一切の動揺も、焦りも存在しない。

 

「……目を逸らす、ですか。なるほど、合点がいきました」

 

 坂本は、まるで深い真理に辿り着いたかのように、静かに首を縦に振った。

 

「慣れない船旅の疲労に加え、突如として集められた見知らぬ他者との対話。極度のストレスは脳のブドウ糖を著しく消費させ、視界を狭め、言葉に不必要な棘を持たせてしまう。私があなたの飢えを見逃していたがゆえの、至極当然の苛立ち。ホストとして、恥じ入るばかりです」

 

「は……? 飢え? 何を言って——」

 

町田が言葉を紡ぎ終えるよりも早く、坂本は流れるような動作でカウンターの上のスナックトレイに手を伸ばした。

 彼の手元にあるのは、船側が用意した無料のクラッカー、安物のプロセスチーズ、そして飾りのミニトマトとパセリ。どこにでもある、何の変哲もない簡素な茶菓子だ。

 だが、坂本が備え付けのプラスチックナイフを指先で弾いた瞬間、それらはただの茶菓子ではなくなった。

 

シャッ、タァン!

 

坂本は空中に放り投げたミニトマトを、プラスチックナイフの神速の軌道で空中で寸分狂わず四等分にスライスした。そして、落下してくるトマトの断面に、極薄に削り出したプロセスチーズとクラッカーを、まるでトランプのシャッフルのような手つきで交互に挟み込んでいく。

 

――秘技:白亜の塔(タワー・オブ・バベル)。

 

テーブルの上を滑るようにして町田の目の前に差し出されたのは、小ぶりな皿の上にそびえ立つ、完璧な重心バランスで構築された十層のオードブルだった。安物の食材の色彩が、彼の計算し尽くされた配置によって、まるで高級フレンチのアミューズのような芸術的な輝きを放っている。

 

「どうぞ。闘争心を一旦棚上げし、まずは荒ぶる胃袋に優雅な鎮魂歌を」

 

 坂本は、深く、そして完璧な角度で一礼した。

 

「な、なんだこれは……」

 

 町田は唖然とし、目の前の『白亜の塔』を見つめた。怒鳴り散らそうとしていた言葉は、その圧倒的な視覚的暴力の前に完全に霧散してしまっている。

 ふわりと漂う、チーズの塩気とトマトの酸味の絶妙な香り。本能が、それを極上の食事であると認識してしまった。町田は無意識のうちに手を伸ばし、その最上段の一層を口へと運んだ。

 

「…………ッ!?」

 

 サクッ、という軽快な音とともに、町田の目が見開かれた。

 クラッカーの香ばしさ、チーズの濃厚な旨味、そしてトマトのフレッシュな果汁が、口腔内で完璧な黄金比となって弾けたのだ。ただ重ねただけではない。食材の温度、厚み、そして空気の含み具合までが完全に計算され尽くした、至高の一口。

 

「……う、美味い……いや、違う! 俺はこんなものを食べたくて文句を言ったわけじゃ……!」

 

 町田は顔を真っ赤にして反論しようとしたが、二段目、三段目と無意識に手が伸びてしまう自分を止めることができず、最終的に両手で顔を覆って椅子に崩れ落ちた。彼の中の論理的な攻撃は、坂本のスタイリッシュな餌付けによって完全に無効化されてしまったのだ。

 

「あんた……本当に訳分かんないわね。まあ、でも、この紅茶……肌に良さそうな香りはするけど」

 

 伊吹はぶっきらぼうな口調で文句を言いながらも、いつの間にか坂本が彼女の目の前に置いていたハイビスカスベースのハーブティーを、ちゃっかりと両手で包み込んで一口飲んでいた。先ほどクリームを塗っていた手肌が、紅茶の湯気と相まって心なしかツヤツヤと輝いているように見える。文句を言いながらも、彼女もまたこのティーサロンの極上のもてなしにどっぷりと浸かっていた。

 

(……見事なものだ)

 

 オレは、静かに胃の辺りをさすりながら、このカオスと化した会議室の状況を冷徹に分析していた。

 表面的に見れば、坂本が一人で暴走し、お茶会を開いているだけのシュールな光景だ。しかし、この試験のルールである『優待者探し』という観点から見ると、彼の行動は極めて凶悪な防御システムとして機能していることに気づく。

 

優待者を見つけるためには、探り合いが必要だ。意地悪な質問、沈黙、誘導尋問。それらがもたらすストレスによって生じる綻びこそが、嘘を見破る唯一の鍵となる。

 しかし、坂本はこの部屋に存在するあらゆるストレスを、物理的かつスタイリッシュに破壊し尽くしている。

 町田が攻撃的な態度に出れば、極上のオードブルで口を塞ぐ。

 一之瀬が議論を始めようとすれば、美しい丸氷のモクテルで思考を蕩けさせる。

 龍園に至っては、すでに彼の手によって闘争心そのものを去勢され、マイルドな狂信者としてこの空間の安全性を補強している。伊吹も文句を言いながらも結局はもてなしを享受してしまっている。

 

坂本は「このグループの中に隠された主賓(ゲスト・オブ・オナー)をもてなす」という根本的な勘違いのもとに動いている。だが結果として、彼は十四人全員を平等かつ極上にもてなすことで、誰も他者を攻撃できない絶対の安全地帯を構築してしまったのだ。

 この生温く、優雅なティーサロンの中で、誰が不用意な失言をするというのか。誰が、誰かの嘘を暴き出せるというのか。

 情報を引き出すための心理戦は、彼が提供する異常なホスピタリティという名のノイズによって、完全に無効化されている。

 

『——指定の時刻となった。これにて、第一回目の話し合いを終了する』

 

やがて、真嶋の冷徹なアナウンスが室内に響き渡った。

 一時間の密室劇が、終了したのだ。

 

「皆様、至らぬ点も多々あったかと存じますが、本日のティーサロンはお楽しみいただけたでしょうか」

 坂本はカウンターの前に立ち、名残惜しそうにグラスを置く生徒たちに向かって、執事のような優雅な一礼を捧げた。

 

生徒たちは、口々に「ごちそうさま」「凄かった……」と呟きながら、フラフラとした足取りで会議室を後にしていく。彼らの顔には、疑心暗鬼に苛まれた疲労感は一切なく、ただ高級スパから出てきたような謎の満足感だけが漂っていた。

 

「……綾小路くん。これ、どうなっちゃうんだろうね……」

 

 最後まで部屋に残っていた一之瀬が、疲れ切ったような、それでいてどこか面白がっているような複雑な笑顔でオレに話しかけてきた。

 

「オレに聞かないでくれ。オレも被害者の一人だ」

 

 オレは重い足取りでドアに向かいながら答えた。

 

「ただ一つ言えるのは、あと二日と五回。このサロンを生き抜かなければ、試験は終わらないということだけだ」

 

豪華客船の廊下に出ると、夜の海風が微かに吹き込んでいた。

 誰も優待者の正体に近づくことができず、ただ圧倒的なスタイリッシュさによって全員の思考が停止させられた第一回目。

 試験の前提を根本から覆す規格外の存在を前に、オレの慢性的な胃痛は、いよいよ本格的な治療を要するレベルに達しようとしていた。

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