ようこそスタイリッシュ至上主義の教室へ   作:GC

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第2話「スタイリッシュな分別」

放課後の教室は、未だに一種の宗教的な熱狂に包まれていた。

 

チョークの粉塵舞うトラップを「秘技:反復横跳び(レペティションサイドステップ)」という名のただの超高速清掃活動で無力化した坂本の前に、三馬鹿は完全に平伏していた。

 

「アニキ! いや、坂本さん! 俺たちの荷物、持たせてください!」

 

「なんなら靴も磨かせてもらえませんか!」

 

入学初日にしてDクラスの底辺を統率してしまった男は、しかし、定規で引いたような真っ直ぐな姿勢を崩すことなく、三馬鹿の申し出を静かに手で制した。

 

「お気遣い感謝します。しかし、自分の足で歩き、自分の荷物を持つ。このささやかな重力との対話こそが、高校生活という名のキャンバスに描かれる最初のデッサンなのです。……僕たちは等しく、同じ学び舎の求道者。アニキという呼称は、少々過分でしょう」

 

「さ、坂本さぁぁぁん!!」

 

「なんて謙虚なんだ……! 俺たち、一生ついていきます!!」

 

彼らはもはや、坂本の奇行を神の御業と崇める忠実な信者と化していた。悪意をすべて善意として受け取る男の圧倒的な度量の前に、いじめや策略といった矮小な概念はことごとく無効化されていく。

 

オレは小さくため息をつき、教室を後にした。

 

これ以上あの空間に長居すれば、オレの目指す平穏な隠キャ生活までスタイリッシュな渦に巻き込まれかねない。まずは学生寮の自分の部屋を確認し、生活に必要な日用品を買い揃えるのが先決だ。

支給された10万ポイント。これだけの額があれば、当面の間は何も困らないだろう。だが、学校側が何の理由もなく大金を毎月支給するとは考えにくい。このポイントシステムの裏にある法則を見極めるまでは、軽率な浪費は避けるべきだ。

 

そう考えながら、オレは敷地内にある巨大なコンビニエンスストアへと足を運んだ。

 

店内は、湧き上がる欲望の縮図だった。

カップ麺、菓子、最新のゲームソフトから高級な美容家電まで、ありとあらゆるものが陳列され、新入生たちが次々とレジへポイントを注ぎ込んでいる。

 

「おいおい、マジでゲーム機もポイントで買えんのかよ!」

 

「最高じゃんこの学校!」

 

Dクラスの生徒たちも例外ではない。先ほどまで坂本を崇拝していた池や山内も、欲望には勝てなかったらしく、カゴいっぱいにジュースや漫画本を詰め込んでいた。

 

そんな喧騒の中、オレは日用品のコーナーへと向かう。

――そこで、再び彼の姿を発見してしまった。

 

坂本だ。

 

彼は、喧騒から完全に隔離されたかのような静寂を纏い、店舗の一角に佇んでいた。

その視線の先にあるのは、新作のゲームでも高級食材でもない。

無料支給品のコーナーである。

 

学園の配慮なのか、そこにはポイントを消費しなくても手に入る、最低限の生活物資――簡素な歯ブラシ、ラベルのない石鹸、そして無機質なペットボトルの水が置かれていた。大半の生徒が見向きもしないその底辺のコーナーで、坂本はまるでルーヴル美術館でモナ・リザを鑑賞するような真剣な眼差しで、無料の石鹸を見つめていた。

 

「……実に、美しい」

 

彼は低く澄んだ声で呟くと、流れるような手つきで無料の石鹸を一つ手に取った。

ただ無料の品を取るだけだというのに、その動作には一切の無駄がなく、指先から肘までの角度が黄金比を形成しているかのように洗練されている。

 

「坂本、お前も買い出しか」

 

オレが声をかけると、彼はゆっくりと振り返った。

 

「やあ、綾小路くん。奇遇ですね。あなたも原点を見つめ直しに来たのですか?」

 

「いや、オレは普通のシャンプーと歯ブラシを買いに来ただけだ。お前、本当にポイントを使わないつもりなのか?」

 

「ええ」

 

坂本は無料のペットボトルを高く掲げ、蛍光灯の光に透かした。

 

「この混じり気のない透明な液体。そして、装飾を削ぎ落とした純白の石鹸。ポイントという名の欲望に塗れたこの店内で、これら無料の品々だけが、無垢なる輝きを放っている。……武士は食わねど高楊枝。真の豊かさとは、所有することではなく、足るを知るスタイリッシュさにあると僕は考えます」

 

相変わらず、常軌を逸した思考回路だ。

だが、結果として彼のこの行動が、後々ポイントが枯渇した際のリスクヘッジとなっていることは間違いない。本人はただ「無料であることがスタイリッシュだ」と信じているだけなのだろうが。

 

「ククッ、どこの貧乏人かと思えば、Dクラスのゴミだな」

 

突如、背後から耳障りな声が響いた。

振り返ると、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた数人の男子生徒が立っていた。

ワインレッドの髪、獲物を狙う蛇のような鋭い眼光。

Cクラスのリーダー、龍園翔だ。彼の背後には、取り巻きである石崎と、巨漢のアルベルトが控えている。

 

「入学初日から無料支給品に群がるとはな。お前らDクラスの連中は、よっぽど自分の実力に自信がないと見える。まあ、不良品の集まりらしいお似合いの末路だがな」

 

龍園の挑発的な言葉に、店内にいた他の生徒たちがざわめき始める。

彼は明確な悪意を持って、この場の空気を支配しようとしていた。各クラスのリーダーとして、他クラスを萎縮させるためのマウンティング。

当然、オレは介入するつもりはない。ただ静かに状況を見守るだけだ。

 

「おい、聞いてんだろメガネ!」

 

龍園の隣で、石崎が坂本に凄む。

だが、坂本は一切動じない。それどころか、彼は持っていた無料の石鹸を恭しく胸に当て、龍園たちに向かって深々と一礼した。

 

「これはこれは。わざわざ僕たちのために、生活の知恵をご教示いただき感謝します。確かに、この無料の領域に踏み込むには、ある種の覚悟が必要。あなた方のような先見の明を持つ方々に見守られ、光栄の至りです」

 

「……はぁ?」

 

龍園の眉がピクリと動いた。坂本の言葉の意図が、彼には全く理解できなかったのだろう。

無理もない。坂本は、龍園の明確な侮蔑を、先輩あるいは同級生からの熱心なアドバイスとして100%の善意で変換・受容してしまったのだ。

 

「ふざけてんだろ、てめえ……!」

 

石崎が怒り任せに、手に持っていた飲みかけの缶コーラを坂本に向けて乱暴に投げつけた。

放物線を描いて飛来する空き缶。中身の黒い液体が、空中で飛沫を上げながら坂本の純白のシャツへと迫る。

避ければ、背後にいる他の生徒に当たる。

受け止めようにも、中身がこぼれて制服が汚れるのは免れない。

 

「——秘技:白鳥の湖(スワン・レイク)」

 

その瞬間、坂本の周囲の空気が変わった。

彼は右足を軸に、コマのように高速でその場をターンしたのだ。

遠心力を利用した極めて滑らかな回転。その回転の最中、彼の右手が空中で弧を描き、飛来する缶の側面にそっと添えられた。

 

激突ではない。同調だ。

坂本の腕は缶の運動エネルギーを完全に吸収し、回転の遠心力によって、こぼれかけていたコーラの液体を缶の底へとピタリと押し留めた。

そして、ターンが完了すると同時に、彼はその缶を指先で弾いた。

カラン、という軽快な音。

缶は、龍園たちのすぐ横にある空き缶専用ダストボックスへと、美しい放物線を描いて吸い込まれていった。

 

「なっ……!?」

 

石崎が目を剥く。

龍園でさえ、その一連の不可解な現象に言葉を失い、完全に硬直していた。

 

オレは内心で舌を巻いた。

なんだ今の動きは。缶の軌道を計算し、自らの回転速度と同調させて衝撃を殺した? いや、それだけではない。液体がこぼれないよう、遠心力までコントロールしていたというのか?

それはもはや、物理学の極致。身体能力と思考回路が、完全に人間の限界を突破している。

 

当の坂本は、乱れ一つない前髪を中指でクイと押し上げ、微笑んだ。

 

「分別。ご協力、感謝します。地球も喜んでいることでしょう」

 

「……チッ」

 

龍園は舌打ちを一つ残し、石崎たちを連れて足早にコンビニから立ち去っていった。

Cクラスを牛耳る暴君である龍園が、坂本の予測不能な動きに完全に毒気を抜かれ、得体の知れない不気味さを感じて撤退した瞬間だった。

 

「やれやれ……。少々、風が強かったようですね」

 

坂本は無料のペットボトルをレジに持っていく。会計はゼロ円。

彼はレシートだけを受け取ると、それを折り紙のように素早く折りたたみ、小さな鶴を作ってレジの横に飾った。

 

オレは、シャンプーと歯ブラシが入ったカゴを手に取りながら、深い溜息をついた。

……やはり、こいつの観察記録は退屈しない。

だが同時に、オレの平穏な生活が彼によってスタイリッシュに破壊される日も、そう遠くない未来に迫っていることを、ひしひしと感じていた。

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