ようこそスタイリッシュ至上主義の教室へ   作:GC

20 / 41
第20話「スタイリッシュな適性試験」

深い闇に包まれた太平洋の夜は、波の音だけが一定のリズムを刻みながら、船内を静寂で満たしていく。

 

 しかし、その静寂は決して安らぎをもたらすものではなかった。優待者探しという名の特別試験が開始された以上、この夜の時間は本来、裏での密談や同盟の結成、あるいは他クラスへの揺さぶりが行われる不可視の主戦場となるはずだからだ。

 豪華客船の自室のベッドに横たわりながら、オレは暗闇の中で静かに目を開けていた。

 同室のクラスメイトたちの寝息が聞こえる中、オレの頭脳はこの異常事態をどう乗り切るかについて、冷徹に計算を続けていた。いや、計算を続けようと試みていた、と言う方が正しい。

 

(……考えれば考えるほど、無意味だ)

 

 思考の海に沈むたびに、オレの脳裏には坂本がアイストングで氷を真球に削り出す流麗な手つきや、プラスチックナイフで安物のスナックを極上のオードブルへと昇華させた光景が鮮明にフラッシュバックしてくる。

 兎グループに配属された十四名の生徒。Aクラスの神室、町田、森重。Bクラスの一之瀬、浜口、別府。Cクラスの龍園、伊吹、真鍋、矢部。Dクラスのオレ、坂本、軽井沢、幸村。

 この十四人の中に、学校側が指定した『優待者』が一人だけ存在している。

 その優待者を見つけ出し、自分のクラスの利益につなげること。それがこの試験の至上命題である。一之瀬のように連帯を呼びかけて全員でポイントを共有しようとする者もいれば、他者を出し抜いて裏切りのポイントを独占しようと企む者もいる。

 

 だが、その前提となる探り合いという行為自体が、坂本の圧倒的なホスピタリティという名の暴力によって完全に封殺されてしまった。

 彼は優待者を『特別に優遇されるべき主賓(ゲスト・オブ・オナー)』と解釈し、主賓が誰であっても恥じないようにと、十四人全員に対して平等かつ極上のもてなしを提供し始めたのだ。

 美味しい食事、心地よい飲み物、そして完璧な気配り。人間は、極限の快適さと圧倒的な善意を与えられた時、他者を攻撃する意志を削がれてしまう。町田が論理的な攻撃を諦め、一之瀬が議論のペースを失ったように。

 

 オレは布団の中で寝返りを打ち、密かにポケットから胃薬のシートを取り出した。水なしで錠剤を噛み砕き、その苦味で無理やり現実に意識を繋ぎ止める。

 明日には第二回、第三回の話し合いが控えている。坂本がこのままのペースでティーサロンを開催し続ければ、試験は完全に膠着状態に陥る。誰も情報を引き出せず、誰も嘘をつけない絶対の安全地帯の完成だ。

 それはそれで一つの解かもしれない。誰一人として解答権を行使せず、全員が優待者を隠匿したまま試験が終了する。だが、それで納得する学校側ではないし、何よりこの異様な空間にあと二日も耐え続けなければならないという事実が、オレの精神を確実に蝕んでいた。

 

 

 翌朝。

 指定された午前十時。兎グループの第二回目の話し合いの時間がやってきた。

 オレが第五会議室の前に到着すると、すでに何人かの生徒が集まっていた。しかし、昨日の第一回目前のピリピリとした緊張感とは、明らかに空気が異なっている。

 Aクラスの町田と森重は、腕を組みながら難しい顔をしているが、その眼差しには昨日のような刺々しさよりも、「今日は一体何を出されるんだ……」という妙な期待と警戒が入り混じった複雑な色が見え隠れしていた。

 Bクラスの一之瀬は、「おはよう、綾小路くん!」といつもの明るい笑顔で声をかけてきたが、その目の下にはわずかに疲労の色が窺える。彼女もまた、リーダーとしてこの場をどうコントロールすべきか、夜通し悩んだのだろう。

 

「おい、綾小路」

 

 不機嫌そうな声とともに、Cクラスの伊吹澪が近づいてきた。彼女は周囲を気にしながら、オレにだけ聞こえるような小声で話しかける。

 

「あんたのクラスのあのメガネ、今日もアレやるつもり?」

 

「……オレに聞かれても困る。あいつの行動は、自然災害のようなものだ」

 

 オレが淡々と答えると、伊吹は露骨に舌打ちをした。

 

「マジでイカれてるわよ。うちの龍園なんか、昨日の夜からずっと部屋でハーブティー啜りながら『波の音が俺に愛を語りかけている』とか言い出してんのよ? あんた、あの龍園よ!? 本気で頭おかしくなったとしか思えないんだけど!」

 

 伊吹の苛立ちは痛いほど理解できた。かつて恐怖でクラスを支配していた暴君が、突如として愛と平和の伝道師と化してしまったのだ。彼女からすれば、頼るべきリーダーが謎のカルト宗教に洗脳されたようなものであり、混乱しない方がおかしい。

 

「だが、お前もその割には……随分と肌のツヤがいいな」

 

 オレが指摘すると、伊吹はビクッと肩を揺らし、咄嗟に自分の頬を手で隠した。

 

「な、何よ! これは別に……あいつが作ってた保湿クリームを……捨てるのも勿体ないから、ちょっと塗っただけよ! あと、昨日のハイビスカスティー? あれも別に美味しかったわけじゃないけど、残すのはもったいないから飲んだだけで……!」

 

 必死に早口で言い訳をする伊吹。文句を言いながらも、彼女もまた坂本が提供する美容アイテムと極上のもてなしの虜になりつつあるのは明白だった。

 

「……チッ。バカバカしい。どいつもこいつも、どうかしてるわ」

 

 少し離れた壁際で、Aクラスの神室真澄がそのやり取りを冷ややかな目で見ていた。彼女はすでにこのグループの異常性を悟りきっており、積極的に関わることを完全に放棄している。

 

 やがて、会議室のドアが開き、全員が中へと足を踏み入れた。

 昨日と同じ十四の椅子。それぞれが指定された席に着くと、ドアの向こうから、あの男が静かに姿を現した。

 

「皆様、おはようございます。昨夜は安らかな眠りにつけましたでしょうか」

 

 完璧な姿勢で一礼する坂本。その手には、昨日まで会議室には存在しなかった、銀色に輝く三段重ねのティーワゴンが優雅に引かれていた。ワゴンには純白のテーブルクロスが敷かれ、その上には様々な種類のティーポットや、色鮮やかなフルーツ、そして見たこともない精巧な小菓子が並べられている。

 

「さ、坂本くん……それは一体、どこから……?」

 

 一之瀬が、呆気にとられた声で尋ねる。

 

「朝の厨房は、仕込みの活気に満ちた素晴らしい空間でした。シェフたちと少しばかり料理の美学について語り合ったところ、快くこれらの品々を『兎グループの朝餐に』とお譲りいただきました」

 

 坂本は当然のことのように答えた。

 客船の厨房スタッフと語り合い、彼らを魅了して食材を調達してきたというのか。ただの高校生が、プロの料理人たちからそのような扱いを受けるなど本来はあり得ない。だが、彼がやるとそれが日常の風景として成立してしまうのが恐ろしいところだ。

 

「おい、坂本」

 

 Aクラスの町田が、立ち上がって鋭い声を出した。

 

「昨日はお前のペースに飲まれたが、今日はそうはいかないぞ。俺たちには一時間しかない。こんなお茶会に付き合っている暇は——」

 

「ええ。おっしゃる通りです」

 

 坂本は、町田の言葉を遮ることなく、極めて涼やかな声で同意した。

「いまだ、このグループの中に隠された『主賓(ゲスト・オブ・オナー)』がどなたであるか、名乗り出られてはおられません。ホストとしては、どなたが真の主賓であるかを見極め、それに相応しい至上のサービスを提供する義務があります」

 

坂本は、黒縁メガネをスッと中指で押し上げた。

 

「主賓が自ら名乗り出づらいのであれば、私の方から、皆様の『主賓としての適性』を拝見させていただきましょう」

 

「……は? 主賓としての、適性?」

 

 伊吹が怪訝な顔で聞き返す。

 

「ええ。真の主賓たる者、いかなる状況下においても優雅さを失わず、もてなしを完璧に享受する度量を持っているはずです」

 

 坂本はティーワゴンから、美しい装飾が施された一つのティーポットを手に取った。

 

「これから皆様に、朝の目覚めを彩る特別な一杯を注がせていただきます。皆様はただ、その紅茶を最も『優雅』に、最も『美しく』お召し上がりください。その所作に宿る品格こそが、真の優待者……もとい、主賓であることの証明となるでしょう」

 

 室内に、沈黙が落ちた。

 優待者探しという、裏切りと嘘を見破る心理戦。それが今、この瞬間において、「誰が一番優雅にお茶を飲めるか」という、前代未聞の『主賓適性テスト(という名のもてなし)』へと強制的に書き換えられようとしているのだ。

 

「……ククッ。素晴らしい提案じゃねェか、坂本」

 

 沈黙を破ったのは、Cクラスのリーダー、龍園翔だった。彼は相変わらずの穏やかな笑みを浮かべ、ゆったりと椅子に深く腰掛けた。

 

「他者を疑い、蹴落とすだけの卑しい眼差しよりも、一杯の紅茶を愛でる心の余裕こそが、上に立つ者には必要だ。俺は受けて立つぜ」

 

「ちょ、龍園! あんた本気!? なんでこの変人の遊びに乗っかってんのよ!」

 

 伊吹が金切り声を上げるが、龍園は「焦るな、伊吹。お前もこの香りに身を委ねてみろ」と諭すだけで、全く意に介さない。

 

「いや……でも、これも一つの方法かもしれないね」

 

 一之瀬が、考え込むように顎に手を当てた。

 

「誰も優待者だと名乗り出ない以上、議論は平行線のままだし……坂本くんの言う『適性テスト』を通じて、みんなの緊張を解きほぐすことで、何か新しい糸口が見つかるかもしれない……」

 

 

(……見つかるわけがないだろ)

 

 オレは内心で突っ込んだ。一之瀬はなんとかこの異常な事態を論理的に解釈しようとしているが、それは完全に坂本のペースに巻き込まれている証拠だ。

 

「チッ……勝手にやってろ」

 

 神室はそっぽを向き、町田たちも呆気にとられて反論のタイミングを完全に逸していた。十四人の意思が、またしても一人の男のスタイリッシュさに飲み込まれていく。

 

「では、始めましょう」

 

 坂本は、十四人全員の前に並べられたティーカップに向かって、ゆっくりと歩みを進めた。

 彼の手にあるティーポットからは、ベルガモットの芳醇な香りが漂っている。極上のアールグレイだ。

 だが、ただ注ぐだけではない。

 坂本はカップの前に立つと、ポットを高く掲げた。

 

「なっ……!?」

 

 Aクラスの森重が驚きの声を上げる。

 坂本の手元から、琥珀色の液体が真っ直ぐに落下していく。その距離、およそ一メートル。通常の人間がやれば、確実に周囲に飛沫が飛び散り、大惨事になる高さだ。

 しかし、落下する紅茶は空中で美しい螺旋を描き、空気を含んで見事な泡立ちを作り出しながら、カップの『ど真ん中』へと一滴の狂いもなく着水していく。

 

――秘技:天翔ける琥珀の滝(メテオ・ストライク・ドロップ)。

 

「高い位置から注ぐことで、茶葉の香りを最大限に引き出し、空気を抱き込ませて口当たりをまろやかにする。……さあ、どうぞ」

 

 坂本は淀みない動作で、十四人全員のカップに次々とその『滝』を注ぎ落としていった。

 

「……す、凄い……」

 

 Dクラスの軽井沢が、うっとりとした目でその妙技を見つめている。

 全員の前に、立ち上る湯気と極上の香りを放つアールグレイが用意された。

 

「皆様。真の主賓たる優雅さを見せてください」

 

 坂本の合図とともに、室内の空気が奇妙な方向へと張り詰めた。

 誰もが、目の前のティーカップを前に、どうやって優雅に飲むべきか、必死に思考を巡らせ始めたのだ。

 

 Aクラスの町田は、小指を立ててみたり、不自然に背筋を伸ばしてみたりと、明らかな作り笑いを浮かべながらカップを口に運んでいる。その顔には「なんで俺がこんなことを」という屈辱と、「でもこの紅茶、むちゃくちゃ美味い」という本能の喜びが混在していた。

 一之瀬は、両手で丁寧にカップを包み込み、目を閉じて香りを楽しみながら、「美味しい……」と純粋な笑顔を浮かべている。彼女の持つ本来の育ちの良さが自然と表れていた。

 龍園は、足を組み、片手でソーサーを持ちながら、まるでマフィアのボスの休日のような、あるいは悟りを開いた僧侶のような堂々たる態度で紅茶を啜っている。「悪くねェ。だが、俺のハーブティーも負けちゃいねェな」などと一人で悦に入っていた。

 

「……ッ、熱っ!」

 

 Cクラスの矢部が、不慣れな手つきでカップを傾けすぎて、少しだけ紅茶をこぼしてしまった。

 その瞬間、坂本が音もなく彼の横に滑り込んできた。

 

「お怪我はありませんか。服の染みは、炭酸水で軽く叩けば落ちます」

 

 坂本は、純白のハンカチ(どこから取り出したのかは不明だ)を素早く取り出し、矢部の制服に散った水滴を、流れるような手つきで拭き取っていく。

 

「あ、あざっす……」

 

 他クラスの生徒である矢部が、思わず敬語で礼を言ってしまうほどの圧倒的なホスピタリティ。

 もはや優待者探しでもなんでもない。ただの高級ホテルでのマナー講習会と化している。

 

「……あんた、本当に何者なのよ」

 

 伊吹が、カップを両手で持ちながら、呆れたような、しかしどこか諦めに似た声で呟いた。彼女もまた、このアールグレイの香りに逆らうことができず、少しずつ口に含んでいる。

 

「こんなことして、優待者が見つかると本気で思ってんの?」

 

「優待者……主賓は、必ずこの中にいらっしゃいます。その輝きは、いかに隠そうとも、必ず日常の所作の中に零れ落ちるものです」

 

 坂本は、自らもカップを手に取り、静かに微笑んだ。

 

「私はただ、皆様がその輝きを気兼ねなく放てるよう、最高の舞台を用意するだけです」

 

 

(……輝きなど放てるはずがない)

 

 オレは、静かにカップに口をつけながら、内心で深く同意した。

 誰もが、坂本という圧倒的な光の前に、自分自身の存在感をかき消されてしまっている。この空間で「自分が特別だ」と主張できる人間など、存在しないのだ。

 

一時間後。

 第二回目の話し合いの終了を告げるアナウンスが鳴り響いた。

 

「本日の適性テスト、皆様の素晴らしい所作を拝見し、大変感銘を受けました」

 

 坂本は、十四人全員に向かって深く一礼した。

 

「まだ、真の主賓を特定するには至りませんが……ご安心ください。午後のお茶会に向けて、更なる至高のメニューを考案しておきます」

 

 生徒たちは、口々に「ごちそうさまでした」「午後も楽しみにしてます……」と、完全に毒気を抜かれた顔で会議室を後にしていく。

 町田ですら、「……次は、俺があの丸氷を飲んでみたい」などと呟きながら去っていった。

 

「綾小路くん。午後も……頑張ろうね」

 

 一之瀬が、疲れ切った笑顔でオレに手を振り、部屋を出ていく。

 神室は無言で足早に立ち去り、龍園は伊吹たちを引き連れて「さあ、甲板で太陽の光を浴びようぜ」と平和な声で廊下に消えていった。

 

オレは、空になったティーカップを見つめながら、静かに胃薬のシートを取り出した。

 まだ二回目。あと四回。

 この密室のティーサロンの中で、優待者という名の主賓探しは、永遠に続く優雅な迷宮へと完全に姿を変えていた。

 オレは深くため息をつき、静かに会議室のドアを閉めた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。